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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第七章 九尾の眷属
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十二 『明日、夏のような火が熾る』

 その微笑みに距離を感じ、いつまでも自分のベッドで横になったまま自分を見上げてくる熾夏しいかを見下ろす。

 お互いがお互いを見ていたが、やはりどこか距離を感じて結希ゆうきは大人しく椅子に座った。


「弟クンのことはね、朝日あさひさんのお腹の中にいた頃から知ってたんだよ」


 そのタイミングを見計らっていたかのように、寝そべりながら熾夏が不意にそう囁いた。


「その頃から、弟クンは私たちにとって〝なんとなく弟クン〟だった」


「それってどういう意味ですか?」


 当時の状況がよくわからず、妊婦だった頃の母親を熾夏がどう見ていたのかを尋ねる。


「朝日さんは、弟クンを産む直前まで私たちのお母さんだったの。だから、シロねぇやいおねぇ、まりねぇやかなねぇ鈴歌れいか朱亜しゅあと私の七人でずっと君のことを待っていた。朝日さんのお腹を撫でて、『いつ産まれるの』って、『早く会いたいなぁ』って話してたこと……弟クンは知らないでしょ?」


「…………知りません」


 ずっと、ほとんど一人で生きてきた。だから、産まれる前にどれほどの誰かが自分のことを待っていたかなんて考えたことも一切なかった。


「わかちゃんが来るのと同時に朝日さんは養母を辞めちゃって、京子きょうこさんが来た。だからね、私──朝日さんを奪った弟クンのことが嫌いだったの。いお姉の寿命を奪った弟クンのことが嫌い。朝日さんの無償の愛を唯一受け取ることができたのに、全部を忘れてしまった弟クンのことが嫌い。るい先輩を苦しめる、全部を忘れてしまった弟クンのことが大嫌い」


 熾夏が漏らす言葉の端々には、嫌いが溢れ返っていた。いきなりそんなことを言われても上手く自分の中で処理ができず、途中で挟まれた言葉に思わず眉間に皺を寄せる。


「ずっとね、嫌いだったんだよ。でも、まり姉のことも、つばちゃんのことも、みんなのことを助けてくれたのも事実。…………君は、本当に厄介な子だよ」


 手首に巻かれたリボンをくるくると指に巻きつけて遊ぶ熾夏の思惑が見えなくなる。もしかしたら最初から何も見えていなかったのかもしれない。泥の中に鉛のような体が沈んでいく。


 熾夏は結希に嫌われようとして、結希に一度も嫌われなかった。

 結希のことを嫌っていたのに、どうしても嫌いになれなかった。


 そこには、恋愛感情のない好きが溢れ返っている。


「でも、弟クンは可哀想な人なんだよね」


 だから熾夏に入れられた。そう思って覚悟を決めた。


「君のせいじゃない。それは全部君自身の運命だってわかってる。だからこそ余計に思うんだよね。《十八名家じゅうはちめいか》なんて知らなければ、君の人生はもっともっと穏やかだった。君の周りには出逢わなければ良かった人たちで溢れ返っているよ」


「そんなことないです」


 これが最後のチャンスだった。

 熾夏が入れるメスに耐えられるような意志がなければ、この先何があっても絶対に耐えられない。耐えられないなら、今が逃げ出す最後のチャンスだった。


「知らなかったら、俺はまた一人になります。大事な仲間も、先輩も、後輩も、家族も、知らないままになってしまいます」


 本気でそう思っているから、きっと熾夏にも伝わっているだろう。だが、熾夏はのそりと起き上がっただけで何も言わなかった。


「ずっと一人で戦ってきたんです。それが普通だと思ってたんです。でも、ヒナギクや亜紅里あぐりがいると心強いし、風丸かぜまる八千代やちよがいるともっと頑張ろうって思えるんです。仁壱じんいちは『大事なのは〝力〟だ』って言ってましたけど、それだけじゃ俺はこんなところまで来れません。熾夏さんの言う通り、元の家にさっさと帰ってたと思います。俺のことをフルネームで覚えていてくれた吹雪ふぶきさんのことも、俺を見捨てずに勉強を教えてくれた麗夜れいやさんのことも、助けてくれてありがとうって言ってくれたアイラちゃんのことも、救われたって言ってくれた奏雨かなめさんのことも、俺のことを評価してくれたふうさんのことも、絶対に助けてくれるいぬいさんやアリアさんのことも、明日菜あすなや俺のことを可愛がってくれた明彦あきひこさんのことも、今でもムカついてますけど青葉あおばさんのことだって俺は会えて良かったと思ってます。協力してくれた叶渚かんなさんのことも、輝いた目で俺を見ていたまこ星乃ほしのちゃんのことも、年上なのに俺を慕ってくれている翔太しょうたのことも、俺のことを診てくれた小白鳥こしらとり先生のことも、俺のことを見つけてくれた蒼生そうせいさんや虎丸とらまるさんのことも、《十八名家》と血縁があるのに謙虚だった恭哉きょうやさんのことも、俺のことを欲しいって言ってくれた輝司こうしさんのことも、知らないままは死ぬほど辛いです。ありがとうって言ってくれる人たちがいないと、俺は絶対にこれから先生きていけないんです」


 別に恰好いいことを言っているわけではない。情けないことを言っているのかもしれない。

 それでも止まらないほどに、結希はたった半年間で色んな人たちに出逢っている。もっと早くに出逢いたかった人たちもいる。もっと早くに戻ってきてほしかった千羽せんばと涙という家族もいる。


 ほんの少し寝転んだだけなのに、若干寝癖がついた熾夏の顔は笑っていた。笑顔じゃない。細い笑みを浮かべている。


「弟クンは優しいね」


 逃げ出すチャンスを逃した弟を、どう受け止めていいのかわからないようだった。困ったように息を吐き、足を交差させて視線を落とす。


「そういうところ、大っ嫌い」


 そのまま膝を抱え、視線を落としたまま手招きをした。


「こっちに来て」


 それだけしか言わない熾夏のすぐ隣に結希は座る。


「弟クンは頑固だね」


「母親に似たんで」


「うん。朝日さんそっくりだ」


 視線だけを上げて結希を見上げた熾夏の目にはうっすらと涙が浮かんでいる。その涙を拭いもせず、抱えた膝を強く抱き締めた。


「辞めないでって何度も言ったし、何度も泣いたの。でもね、朝日さんは弟クンとの時間を大事にしたいからって言って私たちの傍から離れた。他人の子よりも我が子を選んだ優しくて残酷な人だった。正しい人じゃないのに、あの時は正しい人でいようとした。全部君の為だよ」


「……俺、あの人との記憶そんなにないんですけどね」


 百妖ひゃくおう姉妹を切り捨てられる覚悟があったなら、記憶をなくした直後はずっと傍にいてほしかった。何故か結城ゆうき家に預けられて、父親もおらず、朝羽あさはに面倒を見てもらったような記憶がある。


「じゃあ、その時の朝日さんも正しいことをしようとしてたんだよ」


「…………」


 その正しさがなんだったのかは、多分聞いてもわからない。それは正しくないことなのに、朝日はそうして結希に隠す。


「……何か言ってました?」


「何かって、何?」


「名前、とか……」


「言ってないよ。だから、君の名前を聞いた時──あぁ、朝日さんはあの子にそんな名前をつけたんだぁって思った。多分、他のみんなもそう思った……と思う。忘れてなかったらね」


 名前の由来は結局わからなかった。朝日は辞めることだけを当時の姉妹に告げてこの家を去ったのだ。


「弟クンはお母さん似だよ。弟クンのことが嫌いな理由はいっぱいあるけれど、嫌いになれないのは朝日さんに似てるからだと思う。嫌いなところも、好きなところも、全部朝日さんそっくりで嫌になる」


 一度もここを訪れず、来る機会は四ヶ月前に一度だけあったのにそれさえもあっさりと手放した。そんな親子揃った頑固なところが熾夏は嫌いなのだろう。


「弟クン、私はもう何も言わない」


 膝小僧で涙を拭い、背筋を伸ばした熾夏は凛とした瑠璃色の瞳で正面を見つめた。結希が見た左目は真っ直ぐで、芯があって、やっぱり明日菜に細部まで似ている。


「弟クンのしたいように最後までして。弟クン、私、本気で弟クンのこと弟だって思ってたよ。気持ち悪いって……弟クンは思わないだろうけど、明日菜ちゃんとよく一緒にいる子が弟クンだって気づいた時、思わず明日菜ちゃんごと抱き締めたくなった。それくらい大好きで、守ってあげたいって思ったの。でも、百鬼夜行のあの日は違った。あの日、私は弟クンのことが嫌いになった」


「俺が依檻いおりさんの寿命を奪ったって話ですか」


 すかさず結希は口を挟んだ。結希は、熾夏の言葉を一つも聞き漏らしてなんかいない。

 嘘だと思いたかったが、百鬼夜行のあの日に嫌ったのならあの言葉は本当だということだった。


「みんな、あの日払われた大きな代償は一つだけだって思ってる。でもね、私は知ってるから。あの日奪われてしまったのは、弟クンのすべての記憶だけじゃない。いお姉の寿命の四分の一だって奪われたの。それで百鬼夜行は終わったの」


 命なんて奪えるものではない。だが、結希が記憶を失ったように依檻が寿命を失うことも不可能ではない。


「俺が……奪った」


「でも君はまり姉を救った。ずっと憎かったけど、まり姉を救ったことを見逃したらダメなんだよ。いお姉に直接聞いたことはないからあの時何があったのかはわからないけれど、弟クンを前にしても笑っていられるのはすごいと思う。いお姉は、シロ姉と同じくらい家族のことが大好きだったから……きっと、まり姉のことも君のことも救いたかったんだと思う。いお姉が命を削らなかったら、君の命が削られてたんだと思う。私もね、同じ状況だったらいお姉と同じことをするなぁって思ったから。ごめん。やっぱり君のこと、嫌いになれないや」


「……別に嫌ってもいいですよ」


「ううん、もう嫌わない。その代わり約束して。命を無駄になんかしないって、言って」


 嫌われても仕方のないことをしたと思うのに、熾夏は首を横に振って結希の方をようやく向いた。


「誓って。絶対に生きるって、簡単に命を捨てたりなんかしないって。何があっても生き残って、私たち全員が寿命で死ぬまで死なないって、最期を看取るって」


「……それ、月夜つきよちゃんと幸茶羽ささはちゃんも入ってますか?」


「そんなに年離れてないでしょ。誰よりも長生きしてねって言ってるの」


「俺のことは誰が看取ってくれるんですか」


「いいじゃん。明日菜ちゃんで」


「適当なこと言わないでくださいよ」


あけぼのは、間宮宗隆まみやそうりゅうの最期を看取れなかったみたいだしね」


「それ今関係ないですよね」


 明日どうなるのかもわからないのに、果てしなく遠い日のことを語り合う。

 明日、明日菜を巻き込んで。熾夏を救う為に命をかけることはできないから、ただただ頑張る。


「誓ってよ」


「誓います」


 答えると熾夏に抱きつかれた。その力は寂しくなるほど弱々しかった。

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