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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第七章 九尾の眷属
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十一 『お守り』

 間宮宗隆まみやそうりゅうに自らの生涯を捧げたあけぼのは、彼の傍にいることが幸福だった。彼の陰陽師おんみょうじの力に飼い慣らされ、彼以外の陰陽師の力を受け入れず、だからこそ彼女の子孫を苦しめる膨大な妖力は間宮の一族だけが抑えることができるのだと──。そう、書物には記されていた。


 陰陽師を裏切って鬼を愛した宗隆の傍に最後までいたのも、曙だったと記されている。女房だったからなのか、こんなにも慕っていた女性ではなく鬼を選んだ先祖の思惑が結希ゆうきにはまったくわからなかった。


「…………」


 大雑把に読み続け、妖目おうま家の項目が終わった刹那にひっくり返る。ごちんと壁に頭をぶつけ、結希は書物を自分のベッドの上に置いた。


 熾夏しいかと一緒に帰ってきて、すぐに自室に戻って読み続けた妖目家のこと。そのことがあるのに、裏切り者だからという理由で間宮の一族を絶滅の危機に追い込んだ祖父。


 間宮家の名を絶やす為に、〝運良く〟生まれた女性の我が子を名家の本家に嫁がせて。生まれてきた千羽せんば、結希、紅葉くれはという孫の誕生を喜んではくれただろうが──結希は間宮家に逆戻りしてしまった。

 幸か不幸か、だから結希は熾夏の為に儀式を行うことができる。千羽が霊体の今、仮に芦屋あしや家の人間のままでも熾夏や明日菜あすなに会えたはずだとそう思って──間宮家の人間ではないのにわざわざ自分が赴くだろうかと疑問に思った。


『弟クン、いる?』


 足音もなく声をかけてきたのは、熾夏だった。


「いますよ」


 返事をして、「なんですか?」と言葉を続ける。扉を開けた熾夏は数歩歩いて姿を見せ、深刻そうな表情でベッドに座る結希の前に立った。


「これ、せっかくだから直してほしいんだけど」


 熾夏は自らの髪に結わえられた呪文つきの白リボンを啄き、よく見えるようにしゃがみ込む。


「あぁ」


 その意味に気づいた結希は書物を手に取り、頁を捲って手を止めた。


「九尾の妖狐を抑えつける呪文ですよね」


 初対面の時、結希が痛々しいと思った熾夏のリボンは多分朝日あさひが手渡したものだ。

 白い布に呪文を書き込み、それを肌身離さず身につけることで九尾の妖狐の力を抑えることができる。だが、眼帯と違って布だからか劣化は早く、間宮家の誰かが定期的に制作して手渡さないといけないという。


「そう。ほつれてるのがわかるでしょ?」


 言われて改めてリボンを見る。

 あり得ないくらいに白く、ところどころが掠れて読めない呪文を見てなんとなく察する。端がほつれているが、何度も何度も裁縫で直された跡もあった。


「どんだけ大切にしてたんですか」


 普通ならもっと前に替えるだろう。替えろと言われても誰も文句を言わないだろう。熾夏の妖力の暴走が早まった原因の一つだと思われても仕方がないほどに、このリボンはもう効力を発揮していない。


「大切にしていたのか、くれる人がいなかったのか。どっちだと思う?」


「ノーコメントで」


 気にしていたことをほじくり返す性悪な熾夏の後頭部を見下ろして、結希はすくっと立ち上がった。


「そこのクローゼットの中から習字道具を出してください」


「はいはい」


 全部屋に共通して取りつけられているクローゼットの中身はこの半年でそれなりに増え、来た当初の空きっぷりがまったく想像できないほどに荷物を押し込んでいる。が、熾夏はその中からあっさりと習字道具を取り出して開け始めた。


「そういえば、弟クンが今使ってるバイクって仁壱じんいちのものらしいよ」


「えっ、それマジですか?」


「マジマジ。三日くらい前に会った時に聞いたら、そうだって言われたんだよねぇ」


「……会ったんですか。ていうか、仁壱って普段何やってるんですか?」


じんの秘書。るい先輩と似たようなことをしてるから、あんまり会えないんだけどね〜」


「アレでよく秘書なんかできますね」


 振り返ると、熾夏はペットボトルの水を使って墨をすっていた。


「布の方どうします?」


「これ使って」


 そう言って、彼女は手首に巻きつけていた紐を解く。それは紐ではなく細長い布で、それを受け取った結希は上からだらりと垂らして眺めた。


「ガス抜きの日はいつにします?」


「明後日でいいよ。明日は阿狐頼あぎつねよりの吉日でしょ?」


「でもあんたの有給って明日までですよね?」


「明日やるなんて無謀でしょ」


「でもあんたしんどいでしょ」


「一日くらい耐えられるって」


「どこから来るんですかその自信」


「やらなきゃすべてが台無しになる。女は強いんだから気にしないの」


 女性は強いのかもしれない。だが、熾夏の場合は幻術でいくらでも誤魔化せる。


りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん


 意を決して試しに九字くじを切ってみると、予想通り熾夏の姿が滲んで見えた。そして、四つん這いになりながら墨をする熾夏がうっすらと姿を現した。


「……熾夏さん」


「……どうして見なくてもいいものを見ちゃうのかなぁ」


 呆れたように振り向いて、結希を見上げた熾夏の顔色は真っ青だった。脂汗を掻いて浅い息を繰り返し、肘までついて頭を下げる。


「明日にしましょう」


「でも明日は……」


「俺一人いなくてもたいした問題じゃないですから」


「……明日はみんなが戦う日でしょ?」


 陰陽師だけなら結希の代わりはいくらでもいる。だが、百妖ひゃくおう十六義兄弟には結希の代わりなんてどこにもいない。そして、半妖はんようだけを見ても熾夏の代わりなんてどこにもいない。

 明日という大事な日に二人も抜けてはいけないと、その二人が主戦力だということも忘れてはいけないと、そう言って熾夏は〝明日〟を拒んでいた。


「弟クンはあの子たちを一番近くで守れなくてもいいの?」


「…………スザクとオウリュウを向かわせますから」


「そっか。でも、私には誰もいないから私が行かなきゃいけないの」


「今の熾夏さんが向かっても足を引っ張るだけですよ」


 熾夏の限界はとっくのとうに超えている。それでも行くと言って聞かない熾夏は立派な百妖家の眷属だ。

 血が繋がっていないと知っていながら、本当の妹がいることも知っていながら、それでも百妖家を麻露ましろと同じくらいに愛している。愛しているから守りたくて、麻露に牙を剥いてしまう。


「……どうしても明日じゃなきゃダメなの?」


「早く終わらせて、万全の状態でみんなの元に戻りましょう。その方が勝率は上がります」


「弟クンが傍にいたら、もっと勝率は上がるはずだよ」


「傍にいますよ」


 最初からそう言っている。


 熾夏は結希を訝しむように見上げていた。それこそが熾夏の力が弱まっている証拠だった。


「……墨、すり終わったから使って」


「はいはい」


 熾夏からすずりを受け取って、学習机の上に布とすずりを置いた結希は椅子を引く。


「筆ください」


「はいはい」


 震える手で細筆を渡してきた熾夏はすぐに結希のベッドに仰向けになり、ぱたぱたと足を動かし始めた。そんな熾夏を横目に椅子に座り、書物に記されている通りに布に書き写す。


 静かな空間。落ち着く暇さえなかったのか、足を動かすこともやめて熾夏は寝息を立て始める。

 寝る体力はあるのかと思って数分手を動かしていると、熾夏が不意にこう言った。


「……陰陽師なら、涙先輩が良かったなぁ」


「陰陽師じゃなくて、必要なのは間宮の人間ですよ」


「そうだけどね。曙は、どうして結城星明ゆうきせいめいじゃなくて間宮宗隆だったんだろうなぁ」


「何言ってるんですか。間宮宗隆が曙を傍に置いたんでしょう?」


 熾夏が妖目家の言い伝えだと言ってきたのに、本気で何を言っているのか。


「弟クンはわかってないねぇ。正真正銘、間宮宗隆の子孫クンだ」


「別に直系じゃないですよ? 直系だったら鬼の子孫ってことにもなりますよね?」


「まぁそうだね。君は鬼の子供じゃない。ちゃんとした人の子だよ」


「じゃあなんで……」


「曙は、間宮宗隆のことが好きだから最後まで彼の傍にいた。周りから罵声を浴びせられても彼女が幸せだったのは、間宮宗隆のことが好きだったからだよ。そのことに気づけなかった弟クンは、正真正銘間宮宗隆の子孫クンだ」


 振り返ると、熾夏が天井を見上げていた。手を握り締めて、何度か呼吸を繰り返して、結希は立ち上がって彼女の手首に布を巻きつける。そして、髪に結えられていた古いリボンをしゅるりと解いた。


「あぁ〜……ぎもぢいい〜……」


「心を込めて書きましたからね」


「マッサージされてる気分〜……」


「それはちょっとよくわからないです」


 手を伸ばして結希の枕を探し出し、胸に抱いて再び足をぱたぱたと動かす。


「そういえばこれ、どうします? 捨てますか?」


 自分で解いた熾夏のリボンは、丁寧に身につけ続けていたのか古くてもやはり綺麗なままだ。


「ん〜……弟クン、お守り持ってる?」


「お守り? ……一応持ってますけど」


「ふぅん、陰陽師でもお守りって持つんだね。見せて」


「嫌です」


「なんで」


 ベッドの上で芋虫のように動く熾夏は、結希を見上げて頬を膨らます。


「見せなきゃ千里眼使っちゃうよ?」


「どんな脅し文句ですか」


 そう言いつつも本当に千里眼を使ってきそうで、結希は慌ててクローゼットの中からお守りを取り出した。


「なんでその中に入ってるの。肌身離さず持っ、て……な……?」


 嫌々手渡した風丸かざまる神社のお守りは、想像通り熾夏の表情を凍らせる。


「買ったのは俺じゃないです母さんですからそんな顔しないでください笑っちゃダメですよ熾夏さんってば!」


 人の話をまったく聞かずにゲラゲラ笑う熾夏の手には、〝安産祈願〟のお守りが握り締められていた。


「弟クン、誰、との、子供を産もうとしてるのぉ〜……あははっ、あははははっ! 安産祈願! 安産祈願〜!?」


「うるっ……さいですよ熾夏さん!」


 義妹の部屋しかない五階だからこそ、余計に聞こえたら不味い会話に慌てふためく。ひぃひぃと腹を抱える熾夏は左目を拭い、わざとらしく恨めしそうに目を釣り上げた。


「……もう、弱ってるお姉ちゃんをこんなに笑わせないでよ」


「あんたが勝手に笑ったんですよ」


「あははっ、やだ、弟クンの顔見ると笑っちゃう……そのリボン貸して」


「はい」


 失礼な義姉にリボンも手渡し、彼女がリボンをお守りの中に詰めるのを黙って見守る。安産祈願の中に詰められた熾夏のリボンはもう見えないが、そこにあるとわかるくらいに膨らんでいた。


「はい、あげる。って言っても安産祈願だからなぁ……好きな子にあげなよ」


「あげませんよ」


「それは安産祈願だから? それとも私の形見が入ってるから?」


「あんたはまだ俺の傍にいるんでしょ。形見なんて不吉なこと言ったらぶん殴りますよ」


 手渡されたお守りの重みは予想以上で、結希はそれを握り締める。

 割と本気で言ったのに、熾夏は相手にしていなさそうに微笑んだ。

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