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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第七章 九尾の眷属
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十  『君じゃなきゃ』

 頁を捲っていた雷雲らいうんの手が止まった。その項目には《伝説の巫女》のことが書かれており、結希ゆうきは雷雲と共にそれを目で追う。

 真正面に座った雷雲の方向に文字が並んでいるせいで読みにくかったが、妖目おうま家の項目に記されている存在だ。それはきっと、隣に座る熾夏しいかで間違いないだろう。


「やっぱり、明日菜あすなちゃん?」


 何故か熾夏がそう言った。あまりにも唐突に吐かれた台詞の意味がわからず、「何が明日菜なんですか?」と熾夏を見下ろす。


「《伝説の巫女》は代々妖目家から輩出されているの。なんでかわかる?」


 言われ、《伝説の巫女》の文を斜め読みして彼女の存在理由を悟った。心臓がぎゅっと縮んで震え、結希は開けた唇をほんの少し大きく開けて音を吐く。


「熾夏さんが、妖目家の人間だから……」


 だから。つまり。


「半分正解。わかってると思うけど、明日菜ちゃんには私と同じ血が流れてる。妖目の一族の血だけじゃなくって、お父さんの血も入ってる。明日菜ちゃんに二つの妖怪の能力がなくっても、血と血が同じ人間ならば分かち合うことができる。私のことを、どうにかすることができるのは明日菜ちゃんだけ」


 《伝説の巫女》は、半妖はんようの熾夏のことではない。生きていれば一度は必ず暴走してしまう妖目家の半妖と、まったく同じ血が流れている〝姉妹〟のことだった。


「明日菜ちゃんは、そういう運命を背負って生まれてきた子。そうですよね? 雷雲さん。風丸かぜまるクンも似たようなものでしょう?」


 雷雲は、黙ったまま熾夏の左目を見つめていた。落ち着いているのに、猛禽類にも見える黄金色の瞳は熾夏に釘を刺している。


 風丸も、似たようなもの。それは雷雲の目を見れば明らかで、ただの《十八名家じゅうはちめいか》でもその跡取りでもないことがいつの間にか証明されてしまった。


「ごめんね」


 浅い呼吸を繰り返す結希に向かって吐かれた言葉は、深い謝罪の言葉だった。妖目熾夏の本気の謝罪は全身に重くのしかかり、結希は眉を顰めて熾夏の歪められた表情を見る。


 ごめんね。嫌わないで。


 小さく肩を震わせる熾夏がそう言っているような気がして、結希は熾夏の肩に手を置いた。力を込めないとすぐにでも肩から滑り落ちそうで、痛くならないように指先に力を込めて、黙る雷雲に視線を向けた。


「《伝説の巫女》は、明日菜は……何をするんですか? 何をしたら、熾夏さんを救えるんですか?」


 そうが明日菜にこの神社で巫女のバイトをさせたのは、明日菜が〝そう〟だからだろう。


『……宗隆そうりゅうのとこの家人。そこの子のことなら、間宮まみやと妖目と小倉おぐらの家が代々ガス抜きをしてる』


 オウリュウの言うことが確かならば──


「……風丸も何かをするんですか?」


 ──そういうことになる。


「誰も死にはしませんよ。先代の《伝説の巫女》は明彦あきひこさんのお母様ですし、私も生きていますから」


 安堵したのか、深呼吸をして結希は一度頷いた。


「簡単に言うと儀式ですね。熾夏さんを中央に据えて、小倉家の神主と、妖目家の《伝説の巫女》。そして、間宮家の陰陽師おんみょうじがいて初めて成り立つ大切なものです」


「人選はどうなるんですか?」


「間宮家からは結希さんでよろしいですか?」


「もちろんです」


 自分以外はあり得ない。頷いて、震える熾夏にも安心させるように彼女の肩を軽く摩った。


「相手は熾夏さんなので、妖目家からは明日菜さん。小倉家からは私です」


「…………」


 風丸は関わらないが、明日菜が関わることはこれで確定してしまった。結希は頷くことしかできず、雷雲から一通り説明を聞いて了承する。


「道具の準備はお任せします。あと、そちらの書物を持ち帰ってもいいですか? 全部ちゃんと読んでみたいんですけど……」


「おや、気になりますか?」


「まぁ、かなり。他の家のことも書かれてますし、知らないことの方が多いので」


「結希さんならば構いませんよ。隅々まで見てみてください」


 雷雲は、含みのある言葉で書物を結希の目の前に置いた。掛け時計を確認して立ち上がり、「そろそろ仕事に戻ります」と言葉を残して奥の部屋にいた陽縁ひよりを呼ぶ。


「は〜い。結希さん……と、熾夏さん! お帰りですか? 見送りますね〜」


「いえいえ! 大丈夫ですよ、あまり動かない方が……」


「安定期なんだから動かしても大丈夫だよ。軽いウォーキングならした方がいい。弟クンは心配しすぎ」


 熾夏は軽くデコピンし、微笑んで結希の手を無理矢理引いた。幻術を使ったのか顔色は明るく、腹が立った結希は熾夏の頬を強く抓る。


「いひゃいいひゃい……!」


 うっすらと解かれた幻術にはまったく触れず、陽縁に案内されて鳥居を潜った。逃げるように石段を駆け下り、結希は再び熾夏の顔色を確認する。


「なんでそんなに怯えてるんですかぁ?」


 無知な子供に教えるように事実を告げると、熾夏はびくっと肩を上げた。叱っているわけではないのに叱られているような怯え方で、うっすらと左目に涙を浮かべている。


「……別に怒ってないですよ」


 結希が何かをする度に、無表情ではいられなくなる熾夏を見てそう思った。


「でも、傷ついたでしょ?」


 左目を擦って俯いた熾夏は、結希の言葉を否定しない。むしろ結希のことを気遣っている。


「弟クン、ずっと明日菜ちゃんや風丸クンのことを巻き込みたくないって思ってたでしょ? 二人のことを守りたかったんでしょ? だったら怒るでしょ、普通。私のこと嫌いになるでしょ? なのになんで嫌いにならないの? 私、弟クンがどれほど明日菜ちゃんのこと……」


「ちょっ……!」


 慌てて熾夏の口を塞ぎ、結希は石段の上の神社を見た。熾夏は左目を曇らせて、自分の口を塞ぐ男の右手を興味がなさそうに見つめている。


「……どうせ誰にも聞こえてないよ」


 淡々と述べて、声なき声を視ることができる彼女が不意に涙を零した。左目しか流れない涙は極わずかだったが、熾夏は何を思ったのか右眼の眼帯をしゅるりと解く。

 琥珀色の右目は綺麗で、涙を拭う彼女の瞳がオッドアイだったことに気がついて、百の眼球の開花に目を見開いた。


「熾夏さん!」


 自分の意思に反して百目となった彼女の妖力は、力を使い過ぎてぼろぼろだ。そのことを深く感じ取って、周囲から隠すように彼女の頭に白いブレザーをかける。


「……弟クン」


 か細い声だった。こんなにも普段の熾夏と違うのに、こんなにも自分が動揺しないのは本来の熾夏のことをなんとなく知っているからだろう。


「帰りましょう。熾夏さんのことは、俺が絶対に守りますから」


「どうして……馬鹿なの? 明日菜ちゃんのことも守って、風丸クンのことも守って、吉日では絶対に最前線で戦うくせに、どうして私のことまで守るとか言うの? 百妖ひゃくおう家まで守ってもらったのに、これ以上君に何かをしてもらったら…………どうすればいいのかわからなくなる。私の代わりにずっと明日菜ちゃんの傍にいて、守ってくれて、お姉ちゃんや妹たちのことも守ってくれて、私まで守るなんて……無茶じゃん…………馬鹿じゃん…………」


 結希がかけたブレザーを引っ張り、表情を隠した熾夏の手の甲は泣いていた。


「体、濡れますよ」


 長袖のシャツに長ズボン。手足の瞳は隠れているが、じんわりと湿り始めている。だが、これもきっと熾夏の意思では止められない。


「……巻き込みたくなかったですよ、二人のこと」


 本音を吐いて、持っていた書物を鞄にしまった。両手を空にして、ブレザー越しに熾夏の頭を鷲掴む。


「でも、俺が生まれた時から陰陽師だったように、明日菜も生まれた時から《伝説の巫女》だった。なのになんで熾夏さんに怒りをぶつけて嫌いになるんですか? 俺、そこまでクズじゃないんですけど」


 犬の頭を撫でるようにわしゃわしゃと動かして、熾夏の気を逸らそうとした。


「俺と明日菜が幼馴染みじゃなくて、俺と熾夏さんが義姉弟じゃなくても、いつか必ず出逢う運命だった。そんな話をしてただけでしょう」


 宗隆と、彼の女房だったあけぼの。その二人の子孫だったからこそ出逢えた奇跡。そうじゃなかったら出逢えなかった縁。


「……間宮宗隆はね、曙が妖物に好かれる体質だったから傍に置いていたんだって」


「それ、千里眼で視たんですか?」


「妖目家の言い伝えだよ。曙は、自分に居場所をくれた間宮宗隆に仕えることが幸福だった。彼の傍にいると、妖怪が来ないから離れたがらなかった」


 宗隆は、鬼を愛した。それが陰陽師全家の言い伝えであり、間宮家が陰陽師を裏切ったと今でも言われ続けている原因だ。


「だから、君の一族じゃなきゃダメなの。君の血じゃなきゃダメなの。君じゃなきゃ、ダメなんだって……」


 ブレザーから伸びた両手の指が、結希の両手首を這った。しっかりと握り締めて、両手を離された途端にブレザーが落ちる。



「……こんな時に君に出逢えて、本当に良かった。今、君がいてくれて本当に良かった。君が、君という人間で本当に良かった……」



 前髪で隠れた熾夏の表情は、よく見えなかった。

 アスファルトの地面に雫が落ちて、涙声の彼女の満たされたような指の感触に思わず笑みを零す。


 自分が持っている以上に受け止めきれないものを抱えている熾夏が弱音を吐くことで、結希自身も満たされたような気分になる。

 廃人のように生きていた自分に、生きていた価値があるのだと思わせてくれたのが彼女たち十三義姉妹だった。そのことに初めて気がついて、自分にありったけの愛をくれた彼女たちが笑ってくれる未来を願って、結希は落ちたブレザーを拾いに行く。


「愛されてるって思ったんですよ」


 そして、熾夏に背中を向けて答えた。


「愛してもらったから、家族として百妖家ここにいたいって本気で思った。俺は百妖家にいる全員からもらったものを返しているだけです」


 しゃがんで、手の中に握り締めたブレザーを熾夏の肩にかけて。


「だから、あんたらは何もしなくていいです。今まで通りにしてくれたら、俺はその倍以上を返し続けますから」


 肌寒い秋風に身震いをした熾夏の右目に、落ちていた眼帯を合わせて結びつけた。


月夜つきよちゃんと幸茶羽ささはちゃんのことももう気にしなくて大丈夫です。あの二人は〝二人で一人の半妖〟らしくって、バラバラでやろうとするとダメなんですって」


「…………そんなことまで気にかけてたの?」


「調べたのは俺じゃなくてアリアさんといぬいさんなんですけどね」


「その情報はどうでもいいよ。…………弟クンは、ほんとに人をよく見てるね」


 それは決して、陰陽師だったら誰でもわかる部類のものではない。熾夏は言外にそう込めて、結希の頭を無理矢理撫でる。


「ちょっ!?」


 抵抗するが、熾夏は笑ってすぐにやめた。いつもだったら永遠とやり続けるのに。そう思って、先を行く彼女の後を追いかけた。

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