九 『千年の縁』
息を吐き、両隣を歩く風丸と明日菜を見下ろす。こうして三人で帰り道を歩くのは何ヶ月ぶりか。そう思って、結希は少し頬を緩ませた。
「風丸」
小倉家と、小倉家が所有する神社が見えてくる手前で結希は風丸に声をかける。
「んー?」
「今日、お前ん家に寄ってくから」
「え? なんだよ明日菜の巫女姿まだ見足りないのか?」
「ちげぇよバカ」
後頭部をチョップし、不思議そうに見上げる明日菜からの視線を逃れて結希は神社へと続く石段を上った。
鳥居を潜ると、すぐに麻露が視界に入る。いるとは思っていたが、麻露の巫女姿を見るのは初めてだった。
「麻露さん」
「結希? どうした、何かあったのか?」
「雷雲さんか陽縁さんいます?」
「その二人なら社務所にいるだろうな。場所は……教えなくてもわかるか」
頷き、固い表情をする麻露に気がついて結希は笑う。
「ありがとうございます」
すると、ほんの少しだけ麻露も柔らかな笑みを零した。
「礼は不要だ」
そう言って、遅れてやって来た風丸と明日菜に声をかける。
いつもの麻露だ。姉妹に一番遠慮がなく、姉妹に一番気を遣っていた麻露が跡取り息子と後輩を立派に成長させようと叱り飛ばしている。
その様子を見た結希は両手を合わせ、社務所へと足を向けた。
雷雲と陽縁には連絡を入れていなかったが、いざ会ってみるとどんな用件で来たのかがわかっていたような態度で結希を迎える。
「お久しぶりです、雷雲さん。陽縁さん」
雷雲と陽縁の兄妹は微笑し、社務所の一室に結希を通して座布団の上に座らせる。
座敷机を挟んだ向こう側には神主姿の雷雲が座り、ワンピースとレギンスを合わせた妊婦の陽縁がゆっくりと座る。彼女の膝に膝掛けをかけた雷雲は、やはりわかっているような態度で結希を見据えた。
「最近、熾夏さんの体の調子が悪いんです」
妖力とは言わず、調子と言って相手の出方を伺う。すると、雷雲は「半妖の力の暴走ですね」と核心をついた。
「……はい。それで、やり方を覚えていないのなら蔵の方を見せていただきたくて」
雷雲も、半妖のことを知っていた。今までの流れでなんとなく察してはいたが、だとしたら自分が陰陽師だということも知っていたということになる。
風丸が、養子とはいえ自分と同じ世界に入ってくる未来がこれで決定的になった。
ずっとずっと隠してきて、明日菜とほとんど同じタイミングで真実を知って、「何故ずっと隠してきたのか」と問い詰められる未来がすぐそこまで迫ってきている。
その時、結希は多分麻露と〝同罪〟になる。だから結希は、すぐ傍で家族の為に働く麻露の敵にはなれないのだ。初めて会った時、麻露と〝嘘〟を共有したその瞬間から──麻露を責める権利を結希は失ったのだ。
「そうですね。かなり細かいところまで準備をしなければならないので、資料を読んだ方が良いでしょう」
「私もそう思います。ですが結希さん、少々時期が他の代の方と比べて早いような気がするのですが……何か特別変わったことがありましたか?」
「え? あ、あぁ……一ヶ月丸々妖力を使ってたからじゃないですか?」
それと多分、真璃絵、月夜、幸茶羽に対する心労も原因の一つなのだろう。だが、結希は多くを語らなかった。
「それが大きいでしょうね。結希さん、これが鍵です。まだ仕事があるので手伝えませんが、手前の方にあると思うので探してみてください」
「あ、ありがとうございます」
鍵を受け取り、立ち上がって陽縁を見下ろす。
「そういえば、妊娠おめでとうございます。性別はもうわかってるんですか?」
「あ、ありがとうございます〜。性別はですね、女の子みたいなんですよ〜」
急に朗らかに笑って受け答えをした陽縁の表情は、どれほど彼女が赤ん坊を待ち望んでいたのかがよくわかるような表情だった。
その気持ちを否定する気もなければ権利もなく、結希は僅かに息を吐く。
「名前はもう決まってるんですか?」
「それはまだまだ全然……。結希さんの名前の由来はなんなんですか?」
「俺ですか?」
「ユウキって素敵な名前ですよね。カゼマルくんは土地神と同じ名前で、アスナさんは明日って意味らしいんですけど……」
結希は口を閉ざし、首を横に振った。
「何も。聞いてませんよ」
どちらがこの名を名づけたのか。この名前にどんな意味があるのか。
答えは聞いても返って来ない──いや、何を聞いても答えてくれないという一種の諦めが結希の身を雁字搦めにする。
笑って、足早に本家の隣にある蔵へと向かった。
解錠して中に入ると、薄暗く、足の踏み場もないほどに物が散乱している。
「弟クン!」
「うわっ?!」
蹌踉めき、背中に激突した熾夏を支える為に結希は踏ん張る。
「熾夏さん?!」
首だけを振り向かせると、背中に顔を埋めた熾夏の後頭部が視界に入った。
「……何してるんですか」
「そっちこそ何してるんですかあ……」
ぐりぐりと首を左右に動かし、長いため息を彼女がつく。そして背中から頭を離した。
「弟クンが、クソ忙しい時に、クソみたいなことで動いてくれているのに、お姉ちゃんが家で遊んでるわけにもいかないでしょ……」
「クソクソクソクソうるさいですよ」
「クソは二回。君の方がうるさいよ」
額に手を置き、眼帯をつけていない方の左目で結希を見上げる。熾夏は微笑し、結希の腕を無理矢理組んで蔵の中へと歩を進めた。
「あっ、ぶないですよここは」
「汚ったないねぇ。雷雲さん所有のくせに」
「千年前から使ってますし、雷雲さんの代では片づかないですよ」
「なるほどねぇ。さてさてさ〜て、この中からどうやって見つけましょうか」
家一つ分ほどの大きさの蔵。隣で微笑む熾夏の額には汗が滲み、一瞬だけ視線を落とす。
「家で休んでてくださいよ」
明らかに衰弱している。なのに、結希がここにいること。その目的でさえ一気に視て、彼女はここまで走ってきた。
「熾夏さん」
そんな意地っ張りな義姉の後を追い、結希は躓いた熾夏の両肩に手を軽く置く。そして、戸棚から落下した菓子缶に頭を打った。
「何してるの弟クン」
「あんたって千里眼使えないとほんとポンコツですよね」
熾夏の頭が直撃した戸棚の無事を確認し、結希は菓子缶を拾い上げる。それは、中学一年の頃結希と風丸と明日菜の三人で作ったタイムカプセルだった。
当時はタイムカプセルをよくわかっておらず、手紙を中に入れて風丸がこの蔵に隠したのだが──隠し方が甘かったのか、二十歳になる前に見つけてしまった。
結希はそのタイムカプセルを見なかったことにして、「あった!」と腰を屈めた熾夏を見下ろす。
「もうですか?」
「千里眼を使ったからねぇ」
「使うなってあれほど言われてるでしょバカ」
ドヤ顔で自分を見上げる熾夏の背中を膝で小突き、屈んで例の書物を受け取った。
年季の入った書物だが、保存状態が良かったのかどこも目立った痛みがない。文字も昔ながらの達筆な字だったが、結希ならば簡単に読める。
何度かページを捲り続け、結希は妖目家に生まれ落ちた半妖の項目で手を止めた。
「……あった」
「見せて」
熾夏にも見えるように書物を傾け、結希は曙の文字を読み取る。オウリュウの言葉通り、曙は間宮家に仕える女房だった。
「最初は九尾の妖狐のみで、後の世代から百目が入った……」
「みたいね」
どうやら曙は、妖物に好かれる体質だったらしい。後の世でこの一族は妖目と改名し、二つの妖怪の血が混じりあったことでとある問題が起きたと記されていた。
「この過程はどうでもいいから、捲って」
「はいはい」
千年も及ぶ間宮と妖目の縁に苦笑して、結希は頁を一枚捲る。
冒頭に記されていたのは、《伝説の巫女》なる存在だった。
「なんですか、これ」
「…………」
右を見ると、想像以上に近い場所にあった熾夏の左目に驚いて唾を飲み込む。そのことを顔には出さず、熾夏の真面目な表情を見つめて結希は彼女の返答を待った。が、返事は一向に返ってこなかった。
視線を落とすと描写されてある、《伝説の巫女》。心春の《言霊の巫女》と並ぶ力を持つとされているが、それが熾夏のことなのかは書かれていない。
「弟クン」
薄暗い蔵の中に、その声は響いた。
「なんですか」
最初からそう呼んで弟扱いして、今まで一度も名前を呼んでいない熾夏が書物を握る結希の手に触れる。
驚くほどに熱く、手汗で湿ったその手が何故か恐ろしい。その手が何故か、小刻みに震えている。
「私のこと、嫌い?」
「別に嫌いじゃないですよ」
前もそう言ったじゃないか。そう思って熾夏を見ると、熾夏は眉間に複数の皺を寄せていた。
「…………そう。ありがと、弟クン」
それだけを告げて、熾夏は握った結希の手を引く。
「行くよ。雷雲さんに見せないと」
「そうですね」
引かれるがままに立ち上がり、結希は熾夏を先導して蔵を出た。熾夏を引っ張り上げると、若干煤けた熾夏の顔が視界に入る。
「……ふっ」
「あははっ!」
二ヶ月前、苔を顔につけた和夏を思い出して結希は思わず笑みを零した。
今は熾夏のことを笑っていると、熾夏も熾夏で結希を笑っている。
「俺にもついてます?」
「かな〜りね。うふっ、あははっ!」
けらけらと笑い、小突かれて小突き返した。熾夏に対して遠慮は特にない。何度かそれを繰り返して、じゃれ合って、本来の目的を思い出して二人で同時に真顔になって。
「行きましょうか」
「行こうか」
鍵を閉めて社務所の方へと足を向け、絵馬掛け所の目の前で麻露に叱られている風丸と明日菜を視界に入れた。
跡取り息子であることに嫌気が差して、それでもその座が危うくなった瞬間に思うことがあったのか神社を手伝うようになった風丸と──巫女のバイトをしている、明日菜。
その二人の先輩である麻露は私生活でも口煩く、仕事となるとその比ではないのかその説教は異様に長かった。
「あれでここのバイト減ってるとこあるよね」
「雷雲さんのせいではなさそうですよね」
二人で両手を合わせていると、不貞腐れた表情をした明日菜が不意に顔を上げて結希を見た。
小さく口を開けてきゅっと結び、明日菜は斜め下に視線を落とす。
「弟クン、行こう」
「あ、はい」
熾夏に急かされて足を向け、再び視線を上げた明日菜と目が合った。が、熾夏に引っ張られて社務所の扉を仕方なく開ける。
やはり熾夏は、明日菜のことを避けている。
そう思って、上がった先で雷雲を見かけた。声をかけると、雷雲は「もう見つかったのですか」と目を見開く。
「その手のプロが駆けつけて来たので」
答え、結希の後ろにいる熾夏を見て雷雲は納得した。
「これを見て欲しいんですけど……」
結希が差し出した書物を見下ろし、雷雲は真顔になって一つ頷く。そして結希と熾夏を一室に通し、座布団に座ることを勧めた。




