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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第七章 九尾の眷属
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六  『〝人ん家の事情〟』

 熾夏しいか明日菜あすな。それが、間宮まみや家と古くからつき合いのある妖目おうま家の──たった二人だけしかいない生き別れた姉妹の名前だ。


 そんな二人の関係を、〝人ん家の事情〟だからと片づけられるほど結希ゆうきは両者の他人ではない。

 吸い込んだ息を吐き、意を決して生徒会室の扉を開けた。


「おいーっす」


 普段通りに努めようとして、しかしそこにいたのは明日菜だけだった。


「……ゆうきち


 顔を上げた明日菜は軽く戸惑い、眉間に皺を寄せて円卓に両肘をつく。


八千代やちよは?」


「日直。ヒナギクたちは?」


「ヒナギクは千里せんりと一緒に職員室。風丸かぜまる青葉あおば先生に捕まってて、亜紅里あぐりはそもそも学校に来てない」


「……そう」


 息を吐くような相槌だった。

 明日菜は両手で頬杖をつき、珍しく猫背になって視線を落とす。凛々しさは特になく、その姿は年相応の悩める乙女のようで実姉の熾夏にとてもよく似ている。そんな彼女の視線の先にあったのは、分厚い私物の医学書だった。


 まだ高校生の明日菜だが、医学部に入学する前から医学書を読み漁っているのを周りの人間は知っている。それを読み始めたのが中学生の頃だったのを結希と風丸だけが知っている。

 そのせいで女友達ができなかったことも、結希と風丸はよく知っていた。


「最近のヒナギクと亜紅里、神城かみじょう千里さんと仲良いよね」


「同じクラスだからな」


 ヒナギクと亜紅里は明日菜のたった二人だけしかいない女友達だが、千里とは未だに友達の友達という距離感を保っている。

 唯一クラスが違う明日菜は、遠足の班で一緒になって以来クラスでよく一緒になる機会が増えた三人のことをあまり知らないのだろう。どんな人間とでも基本的によく話す八千代とは違い、仲良くなる切っ掛けもいまいち掴めていないように見える。


「ゆう吉とも仲良いよね」


「まぁ……友達だしな。風丸もよく絡みに行ってるし」


 厳密に言えば結希の〝第二の式神しきがみ〟だが、絶対に戦闘に使わないと約束し、自らも使わないと誓っている以上主従ではなく友人関係ということになる。

 それに、陰陽師おんみょうじは滅多に式神を増やさない。二人以上いること自体あまり良い顔をされないこの時代だ。誰に対しても千里との本来の関係は隠しておく必要がある。


「熾夏さんとも仲良いよね」


 普通に席に座ろうとし、背もたれに置いていた手を滑らせた結希は盛大に転けた。


「仲、良いよね?」


 雑談から急に本題を持ち込んだ明日菜は、やはり俗に言うコミュ障と言わざるを得ない。円卓に隠れて恐る恐る明日菜の顔を覗き込むと、彼女の顔は明らかに不貞腐れていた。


「いや、熾夏さんはほら俺の義姉あねだから……仲が良いのは必然であって……ほら……」


「何が、『ほら』なの?」


「何も『ほら』じゃないな」


 言葉の隅々にも怒気が見え隠れしている。やはり明日菜は、二日前の熾夏の悪ふざけを完全に誤解しているようだ。なんとかして早急に誤解を解かなければ。


「妖目は〝一人っ子〟だからわからないけれど、社会人と高校生の義姉弟って休日に小さなカフェに行って手を握り合うのが普通なんだ」


 絶対に普通ではない。だが、結希は反論する前に息を止めてしまった。


 ──妖目明日菜は、一人っ子ではない。


 そのことを知ってしまったのは幼馴染みの結希だけで、当の本人である明日菜は知る由もない。


 だが、多分、明彦あきひこの方は知っている。なんとなく熾夏に似せているように見える彼の容姿がそう言っている。


 結希は視線を伏せ、立ち上がることを止めた。明日菜が不審そうに円卓の下を覗き込むが、結希はそれでも顔を上げなかった。


「ゆう吉?」


「ごめん、なんでもない」


 立ち上がり、席に座る気分にはなれずに明日菜を見下ろす。明日菜は結希の様子がおかしいことに気づいているらしく、明らかに戸惑ったような表情で結希を見上げていた。


「熾夏さんのこともなんでもないから」


「……別にそういうことは聞いてない」


「聞かれる前に答えただけだから」


「熾夏さんとはつき合ってるの?」


 聞かれる前に答えたのに何故似たようなことを聞く。


「つき合ってないから」


「彼女いるの?」


「いないから」


「……大丈夫?」


 結希は額に置いた手を退けて、心配そうに自分を見上げた幼馴染みのコミュ障っぷりに思わず笑みを零した。


「大丈夫」


 はっきりと言葉にして、明日菜を安心させるようにもう一度言う。


「ほんと? ゆう吉、やっぱり百妖ひゃくおう家に行ってからちょっとおかしいよ。前よりも物憂げな表情、増えたし」


「おかしいのは姉さん全員だから。姉さんの相手をしてると必然的にそうなる」


「そう……」


 また、息を吐くような相槌だった。


「……良かったね」


 なのに、すぐにわけのわからないことを言う。


「何が?」


「『姉さん』って。ゆう吉、前は『一生呼ばないと思う』って言ってたし、ずっと『上』って呼んでたから」


 寂しそうな表情なのに、その中にはちゃんと安堵もあった。


「わかってる。どうせいつもの熾夏さんの悪ふざけでしょ? あの人、ずっと前から妖目のことが嫌いみたいだし」


「…………」


「それに、ゆう吉が『姉さん』って呼んでるところを聞けたのは嬉しい」


 百妖家が百妖家であり続ける為に。いつか後悔しないように、結希は自分たちの複雑な関係を〝姉さん〟と呼んで決着をつけることにした。それを、明日菜はずっと気にしていたのだろう。


 〝人ん家の事情〟なのに。


 〝人ん家の事情〟なのに、結希が〝姉さん〟と呼ぶ人は──結希を〝兄さん〟と呼ぶ人は、全員借り物の誰かの家族だ。目の前にいる明日菜の本当の家族なのだ。


「ごめんな。後でちゃんと熾夏さんに怒っとくから」


「ううん、いい。いつものことだし、体調悪いんでしょ? いつもの冗談でもなんでもなく」


「知ってたのか?」


「明彦が言ってた」


 明彦は、すべてを知った上で明日菜にそれを教えたのだろうか。


「なんて?」


「熾夏ちゃん、体調悪いそうよって。明日菜ちゃん、アナタもカラダに気をつけてね、お姉ちゃんアナタのことが心配だわ、って……本当に心配そうに、妖目の頭を撫でてた」


 すべてを知った上で、明彦はずっと熾夏を気にかけ。すべてを知った上で、熾夏はわざと明日菜に嫌われようとしている。あの時ずっと結希に嫌われようとしてやっていたことを、熾夏はずっと明日菜にやっていたのだ。


 多分、熾夏が医者を目指したのは実家のことがあるからで。

 多分、明彦が女性であろうとするのは従妹の明日菜の為だ。


 結希は、妖目家のことを知っているようで何一つ知らなかった。そんなような気がして軽く息を吐いた。


「そんなに心配するほど体調は悪くないって」


「そう? でも、様子はかなりおかしかったでしょ?」


「まぁ、いつにも増して様子はずっとおかしいけどさ……あれだけでよくわかったな」


「一応、小さい頃はずっと遊んでもらってたから」


 その言葉の意味がよく飲み込めなくて、結希は目を丸くする。


「…………熾夏さんに?」


「熾夏さんに」


「あの熾夏さんに?」


 明日菜はこくりと頷いて──


「ゆう吉も何回か遊んでもらってたよ」


「えっ、嘘だ!」


 ──衝撃的な事実をぶっ込んだ。


「……なんでそんなに拒絶するの?」


 明日菜は怪訝そうな表情をしているが、あの熾夏に小さい頃遊んでもらっていたという事実はそう簡単に受け止められるものではない。


「……信じられない」


「熾夏さんは性格だいぶ悪いけど、極悪非道な悪人じゃないから」


 あんなに姉妹以外との接触を嫌う熾夏が、かつて明日菜に接触していた。それは、明日菜との関係を知った上でやっていたことなのか──。


「……うん。知ってる」


 考えたって、熾夏のことはよくわからなかった。

 結希は生徒会室の壁際を歩き、不意に思い出して書架から陽陰おういん学園生徒会の歴史書を取り出す。


「それ、好きだね」


「大事な資料だからな」


 今まで多忙過ぎて忘れていたが、結希は頁を捲って阿狐頼あぎつねよりの名前を探し出す。


 彼女は、ちゃんといた。隠れもせずに中心に座って微笑んでいる。


 亜紅里によく似た容姿だが、先入観もあってか頼の方が性格が悪そうに見えた。笑っているのに、腹の中では何を考えているのかよくわからなかった。


 だが、そんな女狐の隣に立つ母親の間宮朝日あさひも、伯父の結城千秋ゆうきせんしゅうも、風丸の養父の小倉雷雲おぐららいうんも、自分の養父の百妖じんも、今となっては何を考えているのかよくわからない。この年の生徒会役員は、謎ばかり持つ面々ばかりだった。


「ん?」


「どうしたの?」


「いや、この人……すっげー見覚えあるなと思って」


 残りの一人は青年で、名前に聞き覚えがないのに顔だけはどこかで見たことがあるような気がして首を傾げる。


「えっ、と……」


 その人を見た明日菜は確実に言い淀み、どう言えばいいのかわからないといった風に結希を見上げた。


「え、誰?」


「え? そ、それは……」


「え、なんで躊躇うんだよ。珍しいな」


「え? だ、だってその人……ゆう吉のお父さん、だから……」


 物凄く困ったように、とてつもなく言い難そうに、それでも明日菜だからか最終的に告げられた彼の肩書きは──結希の脳内を、一瞬だけ真っ白にさせる。


「……え?」


 え、しか言えなかった。


 芦屋雅臣あしやまさおみ。そう書いてある漆黒の髪色をした青年は、朝日の後ろに立って写真に写っている。


「あ」


 思い出した。


 半年前、結希が百妖家に来たばかりの頃。愛果あいかに言われるがままにアルバムを取り出し、偶然見かけた写真に写っていたのがこの芦屋雅臣だったのだ。

 雅臣に抱きつかれて、自分と明日菜が不機嫌そうな表情で雅臣を睨んでいて。それでも歯を見せて笑っていた彼は、やはり自分の父親だった。


「──なんで」


 その「なんで」の意味は、自分でもよくわからなかった。ただ、零れるように落ちてきた台詞だった。


 なんで、母親と離婚したのか。なんで、自分を引き取らなかったのか。なんで、自分が一番苦しかった時に傍にいてくれなかったのか。


 いつでも、どこでも、母親の愛に救われていた。ただ、何一つ覚えていない父親の何かが欲しくてずっと何かを探していた。


 朝日は何も話さない。聞いてはいけないのかと子供ながらに気遣ったが、知ってしまうと会いたくなる。


「……ゆう吉」


 そっと、隣に立っていた明日菜が結希の背中に手を置いた。よく見ると、写真の中の雅臣は朝日の肩に手を置いて笑っている。


 この頃から二人は知り合っていたのか、とか。

 この頃から二人は愛し合っていたのか、とか。


 聞きたいことはたくさんあるし、政略結婚だとか馬が合わなかっただとか色々言っていても、写真の中の二人の距離は誰よりも近い。


 二人は、一瞬でも愛し合っていた?


 ただ、それを聞いてもはぐらかされることだけは目に見えてわかっていた。

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