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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第七章 九尾の眷属
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五  『愛されてるって思ったこと』

 休日の真っ昼間にリビングにいると、不思議そうな顔の月夜つきよ結希ゆうきの顔を覗き込む。そんな双子の姉に寄り添って、幸茶羽ささはも結希を睨むように見る。

 瓜二つの顔。正真正銘の双子。これで血の繋がりがなかったら絶対におかしい。


「お兄ちゃん、どうしたの? お腹痛い?」


「また風邪引いたならブタ箱にぶち込むぞ」


「そのどっちでもないよ」


 頬杖をつき、目の前にいるせいでテレビの画面を隠している双子を手で退ける。


「テレビつまんないの? かなねぇ出てるよ?」


「ルカとセントも出てるぞ。笑えないのか?」


「ぶっちゃけかなりつまらない」


「えぇーっ?! 面白いだろ!」


 隣で見ていた椿つばきがショックを受けたような顔をしているが、椿の奥に座っている和夏わかな亜紅里あぐりはまったく笑っていない。愛果あいかでさえ眉間に皺を寄せ、無言でチャンネルに手を伸ばす。


「あぁっ、愛姉あいねぇ! 勝手に変えるな!」


「チャンネルの主導権はこっちにあるのさ」


「わかねぇ! あぐねぇ!」


「異議な〜し」


「下っ端は黙ってろよ」


 姉であっても新参者に変わりはない亜紅里は、それでもでかい態度をとり続ける。

 結希はあまりにも醜い争いにため息をつき、「弟クン」と熾夏しいかに手招きされて扉の方へと足を向けた。





「仕事、ついにクビになったんですか?」


「有給だよ。養ってあげてるんだから生意気な口を効かない」


 駅前の小洒落た小さなカフェに押し込められた結希ゆうきは、目の前に座る熾夏しいかを見下ろす。

 百妖ひゃくおう家を支えている金の出処は知らないが、社会人が上に何人もいる。彼女たち全員の給料を合わせれば大家族くらい養えるだろう。


じんさんが養ってるんじゃないんですか」


「百妖家自体はそんなに金持ちじゃないよ。ケチだし。いろんな家が見栄を張るようにいっぱいお金を出し合ったけど、シロねぇの方針で必要な分を必要な分だけ使ってた。私たちの給料が入るようになってからは、一銭も使ってないけどね」


 あくまでも、自分たちの力で生きている。


 熾夏は言外にそう込めて、頼んだアイスコーヒーを何も混ぜずに口に入れた。

 私服姿の熾夏は珍しく白衣を身に纏っておらず、本気でプライベートを満喫している。だが、そのプライベートな時間をわざわざ結希に使うのは別の思惑があるからだろう。


 熾夏の場合、そうやって邪推してしまう。


「ねぇ、弟クン」


「なんですか」


「あの日、なんでシロ姉の味方をしたの」


 運ばれてきたコーヒーに視線を落とし、熾夏が見ている手前そのまま飲む込む。


「……砂糖とミルク。あるんだから入れなよ」


「苦くないです」


「今でも意地っ張りだよねぇ、弟クンって。背伸びしてるのバレバレなんだけど?」


「意地はずっと張りますし、背伸びは背伸びじゃなくなるまでします」


 熾夏はじっと瑠璃色の瞳で結希を見、「あっそ」と冷たく突き放した。


 あの日。仁壱じんいちが来て、百妖家の真実を知ってしまった二週間前。

 誰の味方なのだと問うた依檻いおりに結希は麻露ましろだと即答した。熾夏は、それさえも視ていたのだろう。


「……熾夏さんだったら、わかりますよね?」


「何が? わからないから聞いてるんだけど」


 棘──。熾夏は、結希が思っているほど愉快な人間ではない。

 結希は息を吐き、本性を現し始めた熾夏を正面から見据えた。


 あの日。麻露にも、仁壱にも、熾夏にも、選択肢なんてなかったのだ。


 麻露はずっと、仁と妹の板挟みで。仁壱は多分、ずっと《十八名家じゅうはちめいか》から責められていた仁を守りたかっただけで。熾夏はずっと、知りたくなかったのに知ってしまった真実をたった独りで抱え込んで黙っていただけなのだ。


 これもただの憶測だが、熾夏は多分、麻露が知らない〝何か〟も知っている。だからこんなに棘を生やして姉妹からずっと距離を取っているのだろう。


「ねぇ。なんであの日シロ姉の味方をしたの、どうしてシロ姉なの、どうして仁壱じゃないの……!」


 熾夏はどうして、こんなに感情的に責めているのに〝私じゃないの〟と言わないのだろう。

 麻露には麻露の傷があって、仁壱には仁壱の傷があって、熾夏にも熾夏の傷があるのにどうしてそれを隠すのだろう。



「麻露さんが、この世でいっちばん〝家族あんたら〟を愛してるからですよ」



 その傷でさえ、麻露は全力で愛そうとするのに。


「…………は?」


「あんた、愛されてるって思ったことないんですか?」


 ぽかんと口を開く熾夏を見て逆に驚いてしまう。いや、なんとなく──なんでも視えている熾夏が一番そこを見落としているような気はしていたが。


「俺が百妖家に来た初日に言ったんですよ。『あの子たちのこと、どうか誤解しないでほしい』って、あの人が言ったんですよ」


 依檻のことも、鈴歌れいかのことも。言われなければ完全に誤解しそうな義姉妹のことを、麻露はちゃんと誤解しないでと結希に頼んだのだ。


『当然だ。……私の、妹なんだからな』


 本当の妹じゃないのに、麻露はちゃんと妹だと言ったのだ。この頃から、麻露は結希に言おうかどうか迷っていたのだろう。


「あんたのこと、医者で驚いただろうって。あれでも真面目に勉強をして、いろんなむちゃをして海外に行ってまで資格をとったんだって。心を覗かれても気を悪くするなよってあんたが言わない代わりに麻露さんが教えてくれたんですよ」


 熾夏の母親が誰かは知らないが、彼女よりも麻露の方がきっと熾夏を愛している。


「…………だからシロ姉の味方になった、か」


 熾夏は表情筋を動かさなかった。そして視線を逸らし、窓の外をぼんやりと眺める。


「弟クン、ハグしよっか」


「はぁ?」


「仲直りのハグ」


「あんたそれ本心じゃないでしょ」


 熾夏の考えていることは、本気でよくわからなかった。

 本気で仲直りをしようと思ってなさそうな、冷ややかな視線。恐ろしく冷たい彼女の表情。


「キスでもいいよ」


「嫌です」


「してよ」


「嫌です」


 本心じゃないのに、何をそんなに必死になってせがむんだろう。結希は呆れ、熾夏に手を握られて右手を引いた。

 やがて熾夏は目を細め、結希に視線を移す。そんな熾夏の視線から逃げるように、結希は窓の外を見た。


「…………あ、明日菜あすな?」


 ばっちりと目が合った幼馴染みは、固まったまま店内を──同じテーブルにつく結希と熾夏を見つめている。

 結希に気づかれた明日菜は目を見開き、なんでもないように取り繕って横断歩道を渡っていった。


「…………あんた、性格悪すぎですよ」


「別に見られて困るものは何もないでしょ」


「ハグしろキスしろ言っといてよくそんなことが言えますね」


 白々しい。眉間に皺を寄せて熾夏に視線を戻すと、やはり熾夏は表情筋を──動かすまいと、必死になって堪えていた。

 はらりと、耳にかけた淡い藍色の髪が落ちる。黒い眼帯のせいで彼女の視線は左目でしか把握できないが、瑠璃色の瞳はある意味狂気じみていて。俯いているからようやく気づけたが、長い睫毛には見覚えがあって。我慢しているその姿にも、見覚えがあって。


 結希はどう言えばいいのかわからなくて、ただ単純に、名前を呼んだ。



「──妖目おうま、熾夏さん」



 呼べば熾夏は顔を上げて、左目を見開く。


「……ですよね?」


 そう問えば、彼女はゆっくりと、悲しそうに、細長い笑みを浮かべた。


「弟クン、人ん家の事情なんだから心を痛めなくてもいいんだよ」


 どうして熾夏は、目の前で心を痛めている自分のことを放置しろと言えるのだろう。


『いつか必ず後悔しますよ。百妖家に関わってしまったこと、すべて』


 どうして今になって、火影ほかげの言葉を思い出すのだろう。


『火影の本名は忘れてください、いとこの人。いとこの人は……どうか、優しい嘘の中で生きてください』


 どうして今になって、火影の言葉を理解するのだろう。


「明日菜の、姉なんですか?」


「見比べてようやくわかったのに、そこ聞いちゃうんだ」


「本当に……」


 改めて熾夏を見ると、明日菜との共通点は恐ろしいほどに溢れ出してくる。


「……じゃあ、あんたの母親は……そうさんなんですか……?」


 六年前から、ずっと双を見ていた。朝日あさひとよく会っていて、妖目家の本家にも遊びに行ったことはよくあって。

 もし双が、熾夏を手放さなかったら。結希と熾夏は、きっと幼馴染み同然で──。


「妖目家の人間だって知った途端、変に好感度上げるのやめてくれる?」


「…………別に俺、あんたのこと嫌いじゃないですよ」


「〝あんた〟って言ってるじゃん。ずっと、〝熾夏さん〟だったのに」


「わざと俺に嫌われようとしてるのバレバレなんですけど?」


 だからそれに合わせていただけです。そうつけ足して、結希は彼女が額に手を置くのを見た。


「半年間もずっと一緒に暮らしているのに、なんで今さら嫌われようとしてるんですか? 仁壱じゃあるまいし」


 仁壱。結希は四歳年上の戸籍上の兄をそう呼ぶことにして、戸籍上の姉の参ったような表情に唇を噛む。


「それと、熾夏さんに隠し事ができるとはこれっぽっちも思ってませんけど。俺だって、あんたについてわかってることが幾つかあるんですからね」


「…………へぇ。それはなぁに? へっぽこ名探偵くん」


「あんなにあったあんたの妖力、一体どこへやったんですか」


 なんでもかんでも隠し通そうとしている熾夏は、やはり参ったように笑みを零した。


「先月ずっと大規模な妖力を使っていたから、枯れちゃったんですか? でも、時々とんでもない量の妖力を押し込めてますよね? 具合だって本当は悪いんじゃないですか? 有給だって、双さんがあんたの実母だからとれたようなモンですよね。前に救命救急科に息抜きもどうもないって言ってたのはあんたなんだから……」


「もういい。もういいよ、弟クン。わかったから」


 ぎゅっと拳を握り締め、さっと片手で両目を隠す。


「弟クンって、ほんとに人をよく見てるね」


陰陽師おんみょうじだったら誰でもすぐにわかります」


「でも、私のことをちゃんと見ててくれたのは……弟クンだけだよ」


 泣いているのか──そう思って、熾夏が幻術を使う気配を感じ取る。

 片手を置いた熾夏は、泣いてなんかいなかった。にこりと微笑んで、「ありがとね」といつも通りの熾夏を演じている。


「……何も『ありがとう』じゃないですよ」


「ううん。これは本当の本当に本心なんだけど、百妖家はもう、弟クンなしじゃやってけない。弟クンは、いるだけでありがたい存在なんだよ」


「……嬉しくないです」


「弟クンがいなかったら、多分もう二週間前ですべてが終わってたんだろうなぁ」


 からんと、熾夏が触れたアイスコーヒーの氷が動いた。


「……熾夏さん」


「大丈夫だよ。お姉ちゃんの力を信じなさい」


 結希は、ずっと前から熾夏の脆さを知っていた。誰よりも強い彼女の脆さを知っていた。

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