二 『時代の節目』
「結希ー!」
風丸に呼ばれたような気がして、結希は洋式の宴会場をぐるりと見回す。風丸は巨大な円卓の傍らに立っており、視界に入れた刹那に大きく手を振って無邪気に笑った。
「ここに座ればいいのか?」
近づいて尋ねると、「おうよ」と風丸が親指を立てる。周りを見ると、全家が固まって着席し始めているのが見て取れた。
「あ」
見覚えのある風姿に足が動き、慌てて追いかける風丸と共にオリーブの刺繍が施された絨毯の上を歩く。
「おばさん」
そして声をかけたのは、目の前にいる明日菜の実母であり妖目総合病院の院長である妖目双だった。
淡い藍色の髪は肩まであり、知的な瑠璃色の瞳が結希と風丸を一気に捉える。年老いても衰えない雪色の肌や長い睫毛は女王に相応しい存在感を発揮しており、肖像画の中にいるかのように微動だにしない様と美しさに圧倒されてしまいそうだ。
「おばさん!」
風丸はようやく結希の意図に気づき、「お久しぶりっす〜!」と前に出る。幼馴染みの母親だというのにいつも通り馴れ馴れしい風丸に続き、結希も双に近づいた。
「ちょっと」
明日菜は二人を止めるように声を上げるが、双は軽く手で制して口を開く。
「何用かしら」
「挨拶に来ました。長い間、本当にお疲れ様でした」
相変わらず口数が少ない双に深々と頭を下げ、結希は母親の旧友である彼女に礼を尽くす。
「院長の方は辞めないんだよな?」
「えぇ」
そして、なおも会話を続けようとする風丸を引っ張って結希は双との会話を切り上げた。
双は無意味な会話が長々と続くのを異様に嫌う。多忙すぎて一人娘との時間もなかなか取れない人なのだ。二人きりの時間くらい、なるべく大切にしてあげたい。
「あ、センパーイ!」
ふりふりと手を振ったのは、翔太だった。その後ろをアリアと乾、翔太の見た目年齢と大差ない少年少女が続いていく。
「翔太さん俺は?!」
翔太が年上だと最初から知っていた風丸はわざとらしく泣き叫び、他の四人を視界に入れて首を傾げた。
「ゆうくん!」
「なんだお前。来てたのか」
「はい。その子たちは知り合いですか?」
「ちっ、違うよ! こんな野良犬風情やドS鴉の腰巾着なんかの知り合いじゃないからっ!」
ぴょんぴょんと跳ねて反論する翔太を無視し、好奇の視線で自分を見上げる小学生くらいの少年少女に視線を落とす。
「うん、猫鷺真と小白鳥星乃だよ」
「初めましてっ!」
「はっ、初めまして!」
真っ先に声を出したのは、猫耳のようなくせ毛が愛らしい茶髪の真だった。緑色の猫目は異様に輝き、八重歯を剥き出しにして笑っている。
上がり気味に声を出したのは、犬の垂れ耳のような桜色の髪が愛らしい星乃だった。若草色のつぶらな瞳で結希を捉え、空高くに輝く星を手に入れるように背伸びをする。
何故こんなに食い気味なのか──問うようにアリアと乾に視線を向けると、乾がくいっと耳を寄せるように指を動かした。
「こいつらは私らと同じ人工半妖だ。後は、あそこにいるアイラもな」
小声で告げた乾は結希の肩を軽く押し、「行くぞ」と他の四人を率いて戻る。いきなり告げられた真実を受け止めきれないでいると──
「お前、意外と顔広いよな」
──今まで黙っていた風丸が、なんにも知らずにそう言った。
「いや……」
「あ、貴美ちゃんだ」
反射的に否定しようとして、真横を通った隣のクラスの担任に救われる。
首御千貴美は少しだけ驚いたように二人を見、「来ていたの」と足を止めた。
「風丸くん、ここは学校じゃないからちゃんと静かにするように」
「わかってますよ〜」
貴美は怪しんでいたがすぐに不安そうに去っていき、風丸が確保していた席に着席すると直後に隣に輝司が座る。見計らったかのようなタイミングで、隣には赤髪の──虎丸によく似た男性が座る。だが、悪人面の虎丸とは違い人畜無害そうな顔をしていた。
「輝司さん、その人は?」
「彼のことは気にしないでください。ただの駄犬ですので」
「えっ、いや……えっ? でもその服《カラス隊》のですよね?」
結希が声をかけたのは、彼が虎丸に似ていたからではない。《カラス隊》の軍服を着ていたから気になったのだ。
「あっ、そうっす。俺は《カラス隊》突撃班所属の芥川恭哉で……これでも一応鬼寺桜家の分家だったんで参加させてもらってるんすよ〜」
お邪魔しますっす、と最後につけ足した恭哉はなんの邪魔もしていない。むしろ《十八名家》のどことも血縁関係のない結希と風丸の方が邪魔をしているようで肩身が狭くなる。現に、風丸は反対側の席についた叔母をわざと見ないように振舞っていた。
風丸の叔母の陽縁は、あまり見かけない結希でさえ太ったのかと思うほどお腹の膨らみが目立っている。結希の視線に気づいたのか、風丸は少しだけ無理をした笑みを浮かべて──
「妊娠四ヶ月だってさ」
──単純に太ったなぁと思った結希に冷水を浴びせた。
「え?」
「あの人ずっと不妊治療? みたいなの続けててさぁ〜。ようやくできたんだってよ」
染め直していない、以前よりも地毛が増えた髪を弄る。
『俺は絶対になんねぇよ。つーか無理』
三ヵ月前のあの言葉はそういう意味でもあったのかと絶句して──
「……俺、なんでここにいるのかな」
──消えそうな声で呟いた風丸の言葉が胸に刺さった。
結希は何も言えなくて、口を閉じて、宴会場の隅でこの世のすべてを敵視するような視線を投げかける奏雨に気がついて見て見ぬ振りをする。やがて全員が着席し、上座にあるステージに立ったのは見知らぬ女性だった。
「あの人は?」
「白院・N・万緑。傍らに立つ二人は炎竜神燐火と綿之瀬乙梅ですね」
小声で問うと、輝司が小声で返答する。風丸に尋ねたつもりだったが風丸は結希の話をまったくと言っていいほどに聞いておらず、珍しく黙り続けていた。
「総員、入りなさい」
顔を上げた万緑は、遠くまで通る重い声で呼びかける。
銀色の髪を一つに纏め、真ん中で分けられた前髪により、遠くからでも顔が見えて。ヒナギクへと受け継がれた釣り上がった小さな眉毛が結希に親近感を抱かせた。
右側に立つ風によく似た吊り目の乙梅と、左側に立つ密と恵の面影が辛うじて存在する燐火。そしてこの宴会場に集ったすべての《十八名家》の重鎮が注目するのは、今この時から頭首となる人々の列だった。
先頭のヒナギク。白雪。密。麗夜。和穂。風。明彦。青葉。叶渚。虎丸。冬乃。八千代。亜紅里。涙。蒼生。雷雲。そして、見ず知らずの青年が二人。
どちらかが相豆院家の現頭首で、最後の一人は──?
そっと頭部に手をやって、先へと進んでいく彼らを舐めまわすように見て呼吸をする。最後の一人を除いた人数は、十七人。結希はほとんどの人間と必ず一度は会っており、残りの一人ははしゃぐ翔太に声をかけられて「静かにしろ」と注意している。
(──誰、だ?)
思えば結希は、麻露から百妖家の次期頭首について何も聞かされていなかった。なんの疑問も抱くことなく麻露だと思っていたし、他の姉妹も何も言わなかった。
青年はステージに上がって勝ち誇ったように笑みを浮かべ、一人だけ振り向いてぐるりと見回す。そして、結希で視線を止めて笑みを消した。
「あの人は……」
声をかける暇もなく、万緑は次期頭首らの名前を重々しく述べていく。途中で述べられて軽く頭を下げたのは、やはり相豆院鬼一郎で。
「──百妖仁壱」
見たこともない。聞いたこともない名前が結希の耳朶を、そして胸を打った。
「じん、いち……?」
「誰だあの人」
風丸でさえ知らないようだ。だが、知らないのは自分たちだけのような会場の空気がかなり痛い。
「……輝司さん、誰ですかあの人」
青みがかった黒色の髪。そして、青みがかった灰色の瞳。人々を惹きつける惑星が持つ、天上の煌めきがその身に詰まっているような。宇宙の神秘さえ感じるような、底の知れない青年──仁壱。
「そうですね。一言で言うなれば、秘境の王子でしょうか」
「そんなことを聞いてるわけでは……」
「本人から聞いてください。もしくは、あそこにいる百妖の王に」
輝司は薄ら笑っていた。恭哉は困ったように眉を下げていた。
結希は輝司が指し示した場所へと視線を移し、そこに座る存在感のない男性を視認する。
「うひっ、仁さんいたのかよ……!」
一度に紐解かれたものは、あまりにも大きく。
「下にいる隊員曰く、欠席者は百妖家の十三姉妹のみ。他は全員揃っていますよ」
百妖家に隠されたものは、あまりにも大きく。
「百妖家って、なんなんですか……?」
疑問しか湧いてこないまま、次期頭首らの頭に冠が載せられる。
最後に載せられた冠を満足そうに受け入れて、一斉に振り返る頭首らに遅れて振り返った仁壱は──仁だけを、恍惚そうに見つめていた。
「今この瞬間から、貴方たちが十八にも上る名家の頭首です」
「……そう。でも、いつまで続くのかしら」
乙梅の言葉に続いて燐火は一人でせせら笑い、ヒナギクがそれを咎めるように睨みつける。
「終わらないわよ。エリスが九年も跡取りの存在を隠していたように、大人が黙り続ける限り……ずっとね」
「母様?」
背もたれに体を預けていた輝司は身を乗り出し、席から言葉を投げかけた女性を不安そうに見つめ始めた。
「エリカ、口を慎みなさい」
「トメさん、貴方はいつまで重鎮ぶっているつもりなの? この式も茶番すぎて退屈だわ」
エリカと呼ばれ、輝司が母様と呼んだ美魔女の女性はあからさまにため息をつき。円卓を囲む重鎮の中でも人一倍年老いた、トメと呼ばれた女性もため息をつく。
トメの隣に座っていたアリアが小声で「おばあちゃん……!」と窘めるが、トメは衰えない威圧感と冷えるような視線で仁を見た。
「仁。あの子たちは来ていないようですね」
「ご覧の通りですよ、トメさん。しかし、それを言うべき相手は私ではなく〝彼〟なのでは?」
「違います。スズシロは、それは責任転嫁だと判断します」
可憐な声で仁の逃げ場を断つのは、重鎮の中でも人一倍幼い少女で。白院家の特徴を脈々と受け継いだ小さな眉毛は、眉間によった皺のせいでさらにきつく釣り上がっている。
「何も違いませんよ。私は、あの家の実情を何一つ知りませんから」
悪びれる様子もなく放たれたその一言が、宴会場を一瞬にして凍らせた。
《十八名家》 構成図
①百妖→半妖側の政治家
旧頭首 仁
長女 麻露
次女 依檻
三女 真璃絵
四女 歌七星
五女 鈴歌
六女 熾夏
七女 朱亜
現頭首 仁壱
八女 和夏
九女 愛果
次男 結希(旧姓:間宮)
亜紅里(旧姓:阿狐)
十女 椿
十一女 心春
十二女 月夜
十三女 幸茶羽
次男(存在なし)
長女 火影(旧姓:鴉貴)
②雪之原→検察官を輩出
旧頭首 ?
現頭首 白雪
次女 ?
長女 吹雪
長男 伊吹
③炎竜神→暴力団:紅炎組
旧頭首 燐火
現頭首 密
次女 恵
次女 ?
長男 炬
④骸路成→弁護士を輩出
旧頭首 ?
現頭首 麗夜
次女 ?
長女 愛来
⑤泡魚飛→歌手を輩出
旧頭首 ?
現頭首 和穂
長男 ?
長男 奏雨
⑥綿之瀬→研究所の管理・研究員の輩出
旧頭首 トメ
旧頭首 乙梅
現頭首 風
長男 五道
長女 小町
養女 乾
養女 有愛
⑦妖目→病院の管理・医者を輩出
旧頭首 双
長女 明日菜
次女 ?
現頭首 明彦
⑧首御千→教師を輩出
旧頭首 ?
現頭首 青葉
次女 ?
長女 貴美
⑨猫鷺→レスキュー隊の管理・隊員輩出
旧頭首 ?
現頭首 叶渚
長男 ?
長男 真
⑩相豆院→暴力団:風神組
旧頭首 ?
現頭首 鬼一郎
次男 翔太
⑪鬼寺桜→警察官を輩出
旧頭首 ?
現頭首 虎丸
長男 ?
長男 恭哉(現姓:芥川)
⑫小白鳥→裁判官を輩出
旧頭首 ?
現頭首 冬乃
次女 ?
長女 星乃
⑬芽童神→資産家
旧頭首 ?
現頭首 八千代
長男 ?
長女 亜子
⑭白院→全私立学校の創始者・学園長
旧頭首 万緑
現頭首 ヒナギク
次女 スズシロ
次女 ?
長男 桐也
⑮阿狐→役者を輩出
旧頭首 頼
現頭首 亜紅里
⑯結城→陰陽師側の政治家・町長
旧頭首 千秋
妻 朝羽
長男 千羽
長女 紅葉
次男 ?
現頭首 涙
⑰鴉貴→警察官を輩出
旧頭首 エリス
現頭首 蒼生
長女 火影(現姓:百妖)
旧頭首 エリカ
長男 輝司
⑱小倉→神社の管理
現頭首 雷雲
長男 風丸
長女 陽縁
? (来年三月出産予定)




