一 『集いし日』
駅前の裏側にある、高級住宅街。しかしそれは名ばかりで、高級ホテルと《十八名家》の本部しか存在しない小さな地区だ。
結希はその地区へと通じる高架下を歩き、高級ホテルの前を素通りする。そして、町の最北端に建てられた清潔感のあるガラス張りのビルの前で足を止めた。
「あぁん? 誰だお前」
「ちょっと見慣れない顔だよねぇ〜」
「……ここは一般人立ち入り禁止っスよ」
「えっ?! いや俺は……」
すると、《カラス隊》の軍服を着用した見慣れない男性三人組が立ち塞がり、結希は思わず肝を冷やす。《カラス隊》の人間とは先月の見学や寮に行った際にある程度顔見知りになっていたと思っていたが、知らない隊員からこのような形で声をかけられるとは思ってもみなかった。
結希は後ずさり、訝しげに自分を囲む三人組をどう対処しようかと逡巡して──
「そいつは百妖結希だ」
「そういやお前ら、非番だったり夜勤だったりしてなかなか会えてなかったもんな」
「なんだよおまえが来たのかよ〜」
──聞こえてきた馴染みのある声に安堵した。彼らの後ろから声をかけてきたのは、如月、睦見、そして遥で。持ち場から離れずに不機嫌そうな顔をしているのは朔那だった。
結希は彼が醸し出す雰囲気が少しだけ柔らかくなっているのを感じ、それだけで──なんとなくだが彼らも元《グレン隊》なのだということを知る。
だが、この中にアリアはいなかった。
「あ〜。ウチに泊らなかった百妖の坊ちゃんか!」
「へ〜。隊長をフった百妖の坊ちゃんかぁ」
「……報告書でよく見かける百妖の坊ちゃんっスか」
「どういう覚え方してるんですか!」
突っ込み、居心地が悪くなって結希は顔を顰める。そんな結希を見かねてか、遥は片手を上げて三人をそれぞれ指差した。
「こいつらは弥上集、卯之原穂澄、皐堂大河な。つーかおまえ、他の百妖の人たちはどうしたんだよ。来ねぇの?」
「麻露さんの指示で俺以外は全員欠席です。全部俺に押しつけてきたので、代表も俺です」
淡々と答えると、何故か全員が憐れむような視線を送る。
「な、なんですか」
戸惑った刹那、弥上が結希の肩に軽く手を置いた。
「お前、あのねーちゃん軍団の尻に敷かれてるなんてマジで可哀想だな」
「おまえって一般人から《十八名家》の一員になれたレアケースだし、どんな生活送ってんのかと思ってたけど……プライド折れてねぇ? 大丈夫?」
「大丈夫です! 大丈夫ですから!」
慌てて弁明するもそれは虚しく、《カラス隊》の寮で何かをやらかしたのかと疑うほどに彼らは結希の言葉をまったくと言っていいほど信じなかった。
「朔那お兄ちゃん!」
「……はぁ?」
そんな彼らの間を縫うようにして朔那の元へと近づいた黒髪の少年は、きらきらと瞳を輝かせて朔那を見上げている。少年を視線で追っていた結希は首を傾げ、遅れて背後に立った女性に驚いた。
「吹雪さん」
周りに流されて下の名前で呼んだ結希は、彼女の傍らに立つ女性に視線を移して無意識に背筋を伸ばす。
氷像のように透き通った雪色の肌。水色の長髪と深い青目。オーロラのように人の目を惹きつける顔を黒縁眼鏡で隠し、女性も不思議そうに結希を見上げていた。
「久しぶりね、結希くん。雪ちゃん、この子が結希くんよ」
「えぇぇぇぇ?! 結希くん?! なななななんでふーちゃんこの子と知り合いなの?!」
「その人は……」
「雪之原白雪。雪之原家の現頭首で、あそこにいるのが私の息子の伊吹よ」
吹雪が指を差す先には、未だに朔那に纏わりつく伊吹がいた。二人がどういう関係なのかは知らないが、伊吹の表情に反して朔那は迷惑そうに彼の襟首を掴んでいる。
「吹雪。こいつは入れられねぇぞ」
「それでもいいみたいよ。貴方たちに会うのが目的みたいだから」
「朔那お兄ちゃん、アリアお姉ちゃんと乾お姉ちゃんはどこ? いないの?」
「あいつらは中だ。アイラもそっちにいる」
残念そうな伊吹は母親の元へと返されて、伊吹の頭を撫でた吹雪は彼を朔那に返却する。
「式が終わるまでここで預かっていてくれる? どうせあの子たちに会うまでは帰らないと思うから」
「はぁ?! おまっ、ここは託児所じゃねーぞ!」
「伊吹はもう十二歳よ。貴方たちが救ってくれた十年前の赤ん坊じゃないわ」
「知るか! お前、恩返しってしつこく言う割りにはなかなか返そうとしねぇよな!」
朔那はキレつつも伊吹の頭に手を置いて、結希、白雪、吹雪を見回し「さっさと入れよ」と促す。
「あ、ありがとうございます」
頭を下げつつ二人と共に自動ドアの方へと向かい、他の隊員に揶揄われている朔那を結希は閉まるまで眺めていた。
「じゃ、結希くん。シロちゃんから聞いていると思うけれど、それぞれの家には待機部屋があるから。時間になるまでそこで待っていなさい」
「はい」
頷き、白雪と吹雪が去るのを見送る。
だだっ広い絢爛豪華なロビーに残された結希は、赤い絨毯を踏み締めながら百妖家の待機部屋へと向かう為に歩き始めた。
辺りには誰もおらず、妙に静かで落ち着かない。他の一族はあまり騒がないのだろうか──そう思って、今まで出逢ってきた彼らの顔を思い浮かべて妙に納得してしまった。
騒がしいのは百妖家だけが持つ百妖家の特徴の一つなのだ。
結希は息を吐き、これから始まる《十八名家》の戴冠式が鬱屈になって背中を丸める。
十階建てのビルの三階にある百妖家の待機部屋は遠く、エレベーターで三階に辿り着いた結希は廊下の先に視線を向けて足を止めた。
──獅子だ。
瞬時にそう思った。
色鮮やかな、暖炉を連想させるオレンジ色の編み込まれた髪が獅子の尾を想起させる。天使の羽のような白髪混じりのそれはくるりと振り向いた拍子に揺れ、結希を射抜いたその瞳は穏やかなブラウン色だった。右頬に並んだ三つのほくろ。長い睫毛。紅い唇。デコルテに添えられたアゲハの刺青。
今まで出逢ってきた他の誰とも一致しない特徴的な風貌の女性は、咥えていた煙草を持って煙を吐いた。
「おい。何見てる」
刹那、後頭部に何かがこつんと当たった。
「恵」
目の前にいる女性は気怠げに誰かの名前を呼び、名前を呼ばれた背後にいる女性の声の持ち主は息を吐く。
「はぁい、組長」
短く答えた女性は結希の後頭部にあてがっていたものを下げ、足早に彼女の元へと駆けつけていった。
睨みつけるように振り向いた女性は、組長と呼んだ女性に似たような顔立ちで。首筋に並ぶ三つのほくろ。鞭のようにしなやかに靡くふた房の白髪。左足の太股に添えられたアゲハの刺青。そして、すぐ下に装着されたレッグホルスターから除く黒色の銃がすべてを物語っていた。
──一族全員が《紅炎組》に所属している、暴力団の炎竜神家だ。
組長と呼ばれたあの美しい女性が炎竜神家の現頭首、炎竜神密で。結希が今まで一度も出会わず、そして最後に出会ってしまった《十八名家》の最後の欠片──。
詰まっていた息を吐き、結希は覚束ない足取りですぐ傍にあった男子トイレの中に入った。洗面所に手を置いて、妙に汗ばんでいることにようやく気づく。
(今……銃をつきつけられた?)
遅れてそのことを理解し、思いっきり叫び出したいのを堪えて唇を噛み締めた。
「はぁ〜……あぁ〜……」
「ッ?!」
八つ当たり気味にため息をつこうとした刹那、誰かのため息が結希のため息を大きく遮る。思いきり肩を上げて視線を移すと、トイレの隅に蹲って陰鬱な空気を出す肥満した男性が視界に入った。
「……大丈夫ですか?」
とりあえず誰かと話したい。話して先ほどのわけがわからないまま命を狙われたという事実を忘れ去りたい。
結希が縋る思いで声をかけた男性は、年齢不詳の顔を上げ──仇敵を見つけたかのように結希を睨みつけた。
「誰だいチミ。ここは部外者以外立ち入り禁止だろ。ったく、《カラス隊》の警備はどうなってるんだか……」
「俺は百妖家の代表です。百妖結希です」
この名前を出すと、大体の《十八名家》の人間は納得してくれる。このような形で名乗りたくはなかったが、彼の敵対心を消す為にはこの名前を名乗るしかない。
「……チミが?」
すると男性は逡巡し、立ち上がって結希を見下ろした。意外と大男だった男性はまじまじと結希を見つめ、肉のついた肩を竦める。
「ボクは大丈夫だよ。ただ、これから頭首になる従妹が可哀想で可哀想で……」
外見でどの家の人間なのかはまったく判断できないが、彼は一応《十八名家》の分家らしい。
「……去年二十歳になったばかりなんだ。その頃からずっと怯えてて、先月ついに倒れちゃってね」
「あぁ」
自分から声をかけておきながら、どういう返事をすればいいのかわからなかった。
結希にとってはそれが普通で、次期頭首にとってはそれが異常で。力もある結希は、多分一生彼らの気持ちを理解しないだろう。
「ボクの方が年上だけど、本家だから向こうの方が選ばれたんだ。でもボクは人前になんて立てないし、向こうの方が向いているのは確かなんだよ。あぁでも、可哀想だなぁ……本当に、本当に……」
涙目になる男性は、多分結希よりも心優しい。結希は息を吐き、「その人の名前は?」と問うて
「和穂だよ。知ってるだろ? 泡魚飛和穂」
先日休業することをテレビで公表した、痩せ細った姿の和穂をすぐさま思い浮かべた。
「そういえば、チミの家族は? 来てるのかい?」
「いえ、全員欠席ですけど……」
従妹と正反対の体格をした男性は、元から細かった目を細め──
「──チミ以外の家族は、本当に卑怯だね」
──あの十三姉妹を、何故か恨みがましく非難した。その瞳の中からようやく和穂との共通点を見つけ、だがその共通点は結希の胸を抉って血を流させる。
「そう言うチミこそ大丈夫なのかい? さっきから顔面蒼白だよ」
「あ……いや……さっき恵さんって人に銃をつきつけられて……」
それだけじゃない。
「チミ、恵に会ったのかい? ついてないね。恵が銃口を向けるのはいつものことだけど、初めてだったら怖いよね」
それだけで終わっていたら良かったのに。
「チミ、間宮結希だよね? ボク、六年前のあの日成人済みだったから戦わなくちゃいけなかったんだけど……」
男性は考え込むような仕草で言葉を紡いでいく。
「でも、こんな体型だし、臆病だし、ずっと隠れて過ごしてた」
自分の肉を摘みながら語るあんたこそ卑怯者じゃないかと反論したかった。
「そんなボクでもチミの言葉に救われた……。だから、今度、美味しいご飯を奢らせてよ」
だが、それは叶わず男性は必死になって結希に伝える言葉を探している。
「ボク、奏雨」
そして奏雨は、照れくさそうに笑った。




