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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第六章 姫君の黒翼
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二十 『誰かの架け橋』

 数年ぶりの学園に迷いかける卒業生三人を連れ、結希ゆうきはそっと第一体育館の扉を開ける。薄暗いその場所の奥はいくつものスポットライトによって照らされており、結希は目を細めて二人の姿を視認した。


「……火影ほかげ


 今にも消えそうな声でそう呟く蒼生そうせいは、何故か少しだけ泣きそうで。険しい顔つきでステージを見つめる輝司こうしの瞳には、火影だけが映っていた。


 刹那、結希は引き裂かれたこの家族がどれほど苦しんでいたのかを思い知る。


 何度も何度もその機会はあったのに、結希は本当の意味でこの家族の──この従兄妹たちの痛みを知ることができていなかった。

 家族というものを正しくを知らない結希が、この従兄妹たちの心に蔓延る痛みを汲み取ることなんてほとんど不可能に近かったのだ。


 一歩も動けずに火影を見守る二人から視線を逸らし、結希は第一体育館の隅で立ち見をしている百妖ひゃくおう姉妹の存在に気づく。

 だが、正確には麻露ましろ鈴歌れいか熾夏しいか朱亜しゅあ和夏わかな心春こはる月夜つきよ、そして──幸茶羽ささはしかいなかった。


「…………」


 末森すえもり従兄弟と鴉貴からすぎ従兄妹の実態を知った今、結希はどう姉妹と接すればいいのかがわからなくなって一瞬俯く。

 本当の家族の崩壊を間近で見て、しばらく離れていた本当じゃない家族との距離感がわからなくなって、それでも避けることは逃げだと感じて近づこうとしたが末森の血に塗れた自分の姿に気がついて足を止めた。


 これ以上余計な心配はかけられない。それよりも今は、紅葉くれはと火影の舞台に集中しなくては。


 舞台は終盤に差し掛かっており、背景のセットは先ほど結希が見ていた墓場と似たようなものになっていた。

 男装した火影は横たわる紅葉の傍で膝をつき、彼女の頬を優しく撫でる。


「貴方が死ぬのなら、僕も死にます。貴方がいないこの世界で、生きている意味なんてどこにもありません」


 火影の台詞は、あの瞬間に聞いたものとまったく同じで。薬屋から買った毒薬を飲み干して、火影は紅葉に覆い被さるように倒れた。


 上手くやれている。


 むくりと起き上がった紅葉もといジュリエットは、倒れている火影もといロミオに気がついて劈くような叫び声を上げ。

 本当に涙を流しながらロミオに顔を近づけて──髪に隠れてよく見えなかったが、二人の影が重なったような気がした。


「──ッ?!」


 観客全員が息を呑むよりも先に、膨大な妖力を感じ取って。結希は慌てて顔を腕で覆い、黄金色の眩い光を防ぐ。そして、この感覚に覚えがあった結希は誰よりもすばやくその姿を視認した。


「……ほか、げ?」


 ぽつりとそう呟いたのは、見覚えのない火影の半妖はんよう姿がそこにあったからだった。

 黒き翼は変わらずに大きく、天狗を彷彿とさせる頭巾も変わらずに乗っており、紫色のゴスロリ風和服に華やかな黒いレースが足されている。煌びやかな装飾品も全身につけられており、高さが異なるツインテールは床にまで伸びていた。


「…………?」


 火影自身も驚くように全身を見回しており、起き上がって問うように紅葉を見下ろす。紅葉はただただ微笑しており、未だに生まれたことに気がつかない赤子に語りかけるように口を開いた。


「貴方があの日から解き放たれる日を、私はずっと待っていました。どうか、自分自身を責めないで。傷つけないで。生きて、どうか──本当の私を見て、共に生きて」


 その言葉の意味は誰にもわからず、急に衣装を変えた火影の例えようのない美しさに息を呑む。

 ただ、結希にもわからないその言葉の意味は彼女たちだけが知っていればいい。今は心の底からそう思った。


「……ありがとう、ジュリエット。貴方の初めてを奪ってばかりの僕にほんの少しでも価値があるのなら、僕は貴方の望むままに生きる。それだけで、希望のない未来に光を見出し──貴方と共に、僕たちに優しくない、因習だらけで偽りばかりで嘘しかないこの悪しき世界で生きようと思えるよ」


 震え声で火影は微笑し、頷く紅葉に対して涙を見せた。

 そんな風に笑う二人は、短いようで長かった六年の間にはどこにもいない。今日、ここで、生まれて初めて、二人は同じ瞬間に笑い合えたのだ。


 結希は思わず息を吐き、たどたどしく閉じていく幕をぼんやりと眺める。

 静寂。そして、大喝采。心地良ささえ感じる幕引きに全身を震わせ、結希は自然と笑みを零した。


「弟クン」


 すぐ傍から聞こえてきた声に驚き、視線を落とすとそこには熾夏がいた。

 いつの間にか隣に立っていた熾夏は呆れたように笑い、「幻術をかけて作りものっぽく見せたから安心してね」と腕を組む。


「あっ、半妖姿……!」


 一般人に見られてしまったと遅れて気づき、慌てふためく結希を熾夏は笑った。


「大丈夫だよ。お姉ちゃんの力を信じなさい」


 千里眼だけではない。熾夏は、幻術にも絶対的な自信を持っている。


 現に熾夏の力は強かった。四六時中百妖家を幻術で覆い、千里眼で数多の患者を病気や命の危機から救っている。

 常に髪に結わえている呪文つきの白いリボンと黒い眼帯は、彼女の強すぎる二つの力を抑える役割を担っており。そうでもしないと壊れてしまう熾夏の脆さも結希はちゃんと知っていた。


「お、お兄ちゃん……?」


 気づいていて近づこうとはしなかった他の姉妹は、結希の姿を見て驚いていた。

 麻露は眉間に皺を寄せ、鈴歌はぽかんと口を開け、朱亜は心配するように眉を下げ、和夏は血の匂いでわかるのか特に驚いてはおらず、心春はぎゅっと両手を握り締めていた。そして、絞り出したように結希を呼んだ月夜は今にも泣いてしまいそうだった。


「……下僕。その怪我はなんだ」


 そんな彼女の代わりに問うた幸茶羽は、背筋を真っ直ぐに伸ばしていても普段より小さく見えた。


「怪我じゃないよ。別の人の血で、その人は今アリアさんに治療されてる」


 幸茶羽はそれ以上追及して来なかった。もうわかったと、それ以上言わなくてもいいと言いそうなほどに肩を震わせている。


「もう治療は終わっていると思いますよ」


 多分、この中の誰よりもアリアの能力についてわかっている輝司がそう言った。


「すぐにでも退院できますが、状況が状況だったので冬乃ふゆのさんのカウンセリングが入ると思いますけどね」


「そうした方がいいよね。末森君、あぁ見えて結構繊細だから」


「そうなのか? あぁでも、昔はそんな感じだったよなぁ〜。輝司に振り回されて変わった感じ?」


 末森は無事だが、無事じゃない。

 結希は息を止め、それでも自分からは何もできないような気がして拳を握り締めた。


「そろそろ出ますね」


 全公演が終わり、帰宅する一般人に目撃されないように結希は白衣のボタンを留める。第一体育館の壁沿いを進み、人気のない楽屋へと通じる扉から出て和室へと向かった。


 和室でしばらく待っていれば、客も生徒も帰って動きやすくなるだろう。スザクに頼んで持ってこさせた体操着に着替え、それから結城ゆうき家に帰ればいい。


「弟クン」


 振り返ると、熾夏が結希に追いついたところだった。



「末森さんは、本当に誰のことも恨んでないよ」



 真っ直ぐに結希を見据え、熾夏は迷いもなくそう言い放つ。


「恨んでいるのは自分だけ。末森さんは優しい人だから」


 千里眼で視たのか、千里眼で視えたのか。どちらにせよ、すべてを知る熾夏は結希に伝えたいことがある。


「でもね、弟クンが末森さんにするべきことは何もない。弟クンが何かをするべきなのは、はるクンと紫苑しおんクンの方だと思う」


 熾夏は言うだけ言って和室から出ていった。結希は呆然と、去っていく彼女の後ろ姿を眺めていた。


「にぃっ!」


「うわっ!」


 腰元に抱き着いてきた紅葉は笑い、遅れて出てきた火影は結希の顔を見てほっと息を吐く。


「どうだった?! どうだった?! くぅと火影の劇! 面白かった?!」


「悪い、最後しか見てない」


「えぇ〜っ?! 間に合わなかったの?!」


「ごめんって」


 結希は謝り、紅葉越しに結希を眺める火影に視線を向けた。火影の瞳には結希の白衣だけが映り、彼女は訝しげに首を傾げる。


「明日は行く。それと、今日の晩ご飯はいらないって伯母さんに言っといてくれ」


「えっ? なんで? 打ち上げは最終日でしょ?」


「クラスのじゃなくて、《カラス隊》の寮な。そこで久しぶりに家族と食べることになったから」


 刹那、紅葉が不満げに頬を膨らませた。


「もうっ! にぃはそっちの方が大事なの?!」


「どっちが大事とかそういう問題じゃないだろ」


「でもぉ……」


 紅葉は結希を離し、頬を膨らませるのを止めて視線を落とす。


「……でも、せっかく四人みんな揃ったのに」


 そんな紅葉に寄り添ったのは、千羽せんばだった。千羽は優しく紅葉を抱き締め、彼女の温もりを感じるように離さない。

 だが、幽霊の千羽が紅葉に触れることは叶わず。その手は紅葉の全身をすり抜けて、千羽は悲しそうに笑った。


「…………にぃ」


「ん?」


「…………くぅも、行っていい?」


 どういう意図で紅葉がそう言ったのか。疑問に思って紅葉を見つめ続けると、その答えが自ずと出てくる。


「あぁ」


 顔を上げた紅葉は、誰のことも恨んでいなかった。悔しさを、悲しみを、大粒の涙に変えることはしなかった。


『家族ぅ〜? ふざけないでよっ、くぅはあんたらが家族になる前からにぃの家族なんだからぁっ! あんたらと違って、本物の! 数少ない! 家族なの! くぅのにぃを返してよっ!』


 歩み寄ろうとする為に。


『……わかんない。にぃの言うことでも、そんな身勝手な気持ちでにぃに危害を加えた奴のことなんて絶対にわかりたくないっ。それに、百妖と結城は昔からこう。絶対にわかり合えない正反対の政治家同士だもんっ』


 わかり合う為に、千年前に間宮まみや家にかけられた呪いを解こうと藻掻いている。


 紅葉と火影が、そうしたように。

 結城家と百妖家も、いつかはきっとそうなれる。


「一番の悲劇は、意思疎通ができないまま物語が進むことだもん。ね? 火影」


「はい、姫様」


 今までずっと黙っていた火影は、微笑む紅葉に微笑みで応えた。


「いとこの人。火影も行きますから」


 凛と背筋を伸ばし、火影は自分の意思を伝える。


 末森の負傷でそれどころではないかもしれないが、少しでも《カラス隊》が笑顔になれるように。

 誰かの架け橋となれるように、結希は頷いて白衣越しに銃に触れた。

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