十九 『〝リーダー〟』
冬乃に通された待合室はやけに冷たい空気を纏っており、結希は心臓を震わせる。誰よりも末森の傍にいたいはずの本庄は、業務があるからと言ってここには来なかった。
結希と輝司だけがソファに座り、重苦しい沈黙が続く。輝司を見ると輝司は真顔で足を組んでおり、真っ白な無機質の床を眺めていた。
「貴方までここに来る必要はなかったのでは?」
そう問いかけた輝司に結希は身構え、視線を逸らして拳を握る。
「俺は末森さんの傍から離れません」
「六年前の恩返し──いや、贖罪ですか」
輝司が孤を描くように笑ったのだと思った。だが、実際の輝司は笑っておらず、淡々と結希の方に視線を向けて語りかけている。
「そんなのがなくったっていますよ、ここに。見て見ぬ振りなんてできないんで」
「なるほど。貴方は人間なんですね」
「輝司さんと一緒にしないでください」
「勿論です、元から一緒だとは思っていません。ただ、私は貴方を人間として見ていなかったので」
耐え切れなくなって輝司を見た。輝司は欲のない瞳で結希を見ていた。
ぞくりと心臓を麻痺させるその目は結希が知っている輝司の目ではなく、輝司という人間がわからなくなって愕然とする。
「百妖くん、昔の私はどちらかと言うとバケモノを嫌っていました。ですが、アリアくんと出逢って、むしろ興味が湧いてきた。今では好きなんですよ、バケモノのことが」
だが、一瞬にして欲が蘇った。
「我々《カラス隊》の駒は全駒バケモノで揃えています。だから、貴方もそうであると踏んで勧誘しました」
その目はカラスのように輝き、輝司は従妹の火影にはない欲深さを顕にする。
「──百妖くん。それでも私は、貴方のことが欲しい」
欲深くて、人間の振りをしているバケモノのようで、結希はぶれない輝司を力なく笑った。
「さて。そろそろ私は署に戻ります」
刹那、廊下の奥の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。ヒールを履いているのか耳を刺すような足音は、徐々に近づいてきて姿を現す。
「隊長っ!」
輝司に呼び出されたアリアは陽陰学園で見かけた私服姿のままで、呼び出されてすぐに駆けつけてきたことがよくわかる縒れた姿をしていた。
「アリアくん、後はすべて任せましたよ」
「りょっ、了解です!」
敬礼をし、真っ青な顔色のアリアは《十八名家》だけが執刀している手術室へと向かっていく。
輝司はアリアが近づいていることを気配で悟っていたのだろう。余裕であることを結希に見せながら立ち上がり、軍服のマントを翻した。
「百妖くん、貴方も戻りなさい。まだ文化祭の最中なのでしょう?」
「……そうですね」
アリアがいればもう心配はいらない。それは、今年出逢ったばかりの結希にもよくわかることだった。
立ち上がり、座敷童子の人工半妖であるアリアの背中を視線で追う。最近はほとんど会えていない双子の義妹の月夜と幸茶羽も座敷童子の半妖だが、彼女たちにはまだ力が発現していなかった。
もう戦える年齢だというのに──そう言って一度双子抜きで真剣に姉妹と話し合ったことがある。
変化はできるのに力が出せない。
その原因は、全員の力の発現を見てきた麻露にも千里眼を持つ熾夏にもわからなかった。妹の力になれないと悔やむ二人と、姉の力になれないと落ち込む二人を結希は知っている。
特に熾夏は自分の千里眼に絶対的な自信があるらしく、真璃絵の件と同じくらい自分のことを責めていた。
これ以上家族が考えてもわからないのなら、同じ妖怪のアリアにも、サトリの人工半妖の乾にも協力を求めた方がいいのかもしれない。
結希は意を決し、紅葉と火影の舞台に意識を向けて輝司の後を追いかけた。
妖目総合病院のロビーに戻ると、自動ドアを開けて真っ直ぐに結希の方へと向かっていく女性が視界に入る。
「風さん?」
風は結希がここにいるのを知っていたかのように目の前に止まり、血だらけの制服姿を見て眉間に皺を寄せる。
結希は初めて自分が末森の血に染まっていることに気づき、ロビーにいる患者全員から不審そうな視線を向けられていることを察して一瞬だけ挙動不審になった。
「そのままだと通報されるぞ。これを着ていろ」
「あ、ありがとうございます」
風は自分が着ていた白衣を結希の肩にかけ、そのポケットを指差す。
「ついさっき新型の銃が完成したんだ。だから君に預けるよ」
「ちょっ……!」
慌てて風の小さな唇を押さえつけ、結希はさっと辺りを見回す。
「そういうのは小声で言ってくださいよ……!」
「風くんは昔から配慮が欠けた女性ですからね。諦めてください」
「諦めないでください輝司さん……!」
風に興味を惹かれたのか、戻ってきた輝司はいつもの笑みを浮かべていた。風は面倒くさそうに結希と輝司を見、結希の手を無理矢理離して睨み上げる。
「なんなんだ君たちは。結希、説明書は後で結城家に送る。亜紅里に託すか否かは君が決めてくれ」
「どうして俺なんですか……!」
結希は突如押しつけられた銃をポケットの上から握り締め、冷や汗が出るのを感じた。
元々銃を使い始めたのは亜紅里で、擬人式神で変化を制限されている亜紅里に護身用として持たせるのには異論がない。だが、そんな大事なことを決められるほど結希には権力があるわけではないのだ。
「僕たちよりも上の世代には、明確なリーダーがいないんだ。そもそもの《十八名家》は、すべての家が対等であることを前提として存在している。総大将は白院家だが、ただの私立の学園長の前には町長である結城家が立ち塞がる。最年長者がいるのは綿之瀬家で、財力があるのは芽童神家で、他の家にもこれに匹敵するほどの権力があるんだよ」
風は、いつものアンニュイな表情だった。
「だが、僕たち次の世代は違う。先月一度だけ頭首に選出された者だけの会合を行ったが、誰がリーダーなのかは一目瞭然だった」
それは、まだ見ぬ雪之原家と炎竜神家と相豆院家の現頭首か。それとも麗夜か、和穂か、風か、明彦か、青葉か、叶渚か、虎丸か、冬乃か、八千代か、涙か、蒼生か、ヒナギクか、亜紅里か──最年長だと思われる雷雲か。
「──君だよ、百妖結希」
腑抜けたような声を出し、結希は思い浮かべていた彼らが一気にこっちを見たような感覚に陥る。
「そんなに意外なことですかね」
「意外でもなんでもないけどね」
輝司と風は疑いもなくそう言い放ち、結希を真っ直ぐに見据えていた。
「集った瞬間にわかったよ。全員の中に君がいるんだ。切っても切り離せないほど深いところにね」
風は自らの胸を指差し、くるりと円を描く。
「なるほど。それは見てみたかったですね」
「来月の頭に戴冠式があるだろう。そこに行けばわかるさ」
「それはそれは。世界で一番面白い式典になりそうですね」
「…………風さんが何を言っているのか、俺にはよくわからないんですけど」
本気でわからなかった。
彼らに過大評価をされるようなことをやったという自覚はあるが、それはもう過去の話であって今の自分には関係がない。
「皆、今の君を見て判断したんだ。白雪さんや密さんや鬼一郎はまだ君に会ったことがないと言っていたけれど、他は違うよ。僕も君の過去の実績を見て判断したわけじゃない。君のそのおかしな求心力と影響力を評価しているんだ」
「求心力と影響力?」
思わず眉間に皺を寄せた。
「あぁ。いつの間にか会は君の話になってね。未成年の八千代がいたから詳細は控えたが、皆一様に顔を輝かせて君の話をするんだよ。君がこう言った、君がこんな行動をした、君がどんな風に笑うのか、どんな風に怒るのか──明彦は君の冷たい反応を嬉々として語り、僕も君が銃を見た時の反応を面白おかしく語らせてもらったよ」
「そ、そんなどうでもいいこと語らないでくださいよ!」
「酷いですね。そんな面白い会に私を誘ってくれないなんて」
「頭首じゃない者までいたら収集がつかなくなったと思うぞ? だが、悪くはないな」
やけに乗り気な輝司を引っぱたき、結希はポケットの銃ごと肩にかかった白衣をしっかりと身につけて恥ずかしさを紛らわす。一刻も早くここから出たい──そう思った刹那に紅葉と火影の舞台を思い出して背筋が凍った。
「あっ!」
時計を見ると、上演してから十分ほどの時間が経っている。不思議そうな表情をする風に別れを告げ、駆け出して外に出る結希の後を輝司が駆け足でついてきた。
「百妖くん、少々お待ちを」
「待ってられませんよ!」
そう言って輝司に噛みついたが、輝司は結希に耳をすますように指示を出す。無意味なことをしそうにない輝司を信じて耳をすますが、聞こえてくるのはパトカーのサイレンの音だけだった。
「輝司さ……」
サイレンの音は次第に大きくなり、結希の声を掻き消していく。抗議の声を大きくしようとした刹那、一台のパトカーが妖目総合病院の敷地内に侵入して正面口の前で止まった。
「結希君! 輝司!」
助手席から身を乗り出した蒼生は、「乗って!」と続けて後部座席を指差す。背中を押す輝司に流されて乗り込むと、運転席には虎丸が座っていた。
「遅かったですね、蒼生」
あからさまに嫌味ったらしく従兄を詰る輝司はシートベルトを着用するように結希に促す。
「ごめん、道が混んでた! だからちょっと急ぐね!」
「結希くん! 輝司! しっかりと掴まってろよ〜!」
ブレーキを踏んでいただけの虎丸は、一気にアクセルを踏んで妖目総合病院から歩道に飛び出した。
「虎丸! 交通ルールだけは守ってね!」
「んん、俺あんまそういうの得意じゃないから言って!」
「交番勤務の警官が交通ルールも守れないようじゃ世も末ですね」
「蒼生さん、虎丸さん、輝司さん──」
まだ頭が追いついていないが、彼らが職権を乱用して学園に向かっていることだけはわかる。
「──ありがとうございます!」
だから結希は、支えてくれる人たちに向かって大きな声で礼を言った。




