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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第六章 姫君の黒翼
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十七 『何度あの日をやり直したって』

 うさぎのような瞳の形をした青年の、仄暗くて惹きつけられるような紫苑色の瞳は恐ろしささえ感じてしまうほどゆっくりと見開かれる。その瞳は一体何を語っているのか、少しだけ充血しているようにも見えて、さらにうさぎらしさが際立っていた。

 ペンキで思い思いに塗りたくられたような黒い髪は風に揺れ、彼の赤らんだ小さな鼻がひくっと動く。そのすべてが相俟って、いつもは立ち振る舞いで大人っぽさを出していた彼がとてつもなく子供っぽく見えた。


 彼は傍らに式神しきがみを連れており、献花らしきものを持った下級遊女のような彼女もまた驚いていた。水晶の結晶を丸く切り取ってそのまま中に埋め込んだかのような色素が薄い瞳は、まっすぐに対面する人物たちを捉えて離さない。

 主と大差ないほど真っ黒に塗りたくられた彼女の髪は遊女と同じ髪型で、着物の気崩し方も遊女と同じ。体格も衣装も装飾品も大人っぽいのに、寸分の狂いも許さず切り揃えられた短い前髪はやはり彼女を幼く見せている。


 結希ゆうきの知り合いの中で最も大人と子供の見た目が混在した存在──そんな二人が、今自分の目の前にいる。


 結希は空気を吸い、誰にも気づかれないように吐いた。

 お互いに一歩も動かず、彼岸花だけが風に吹かれる。そんな冷風が全身に当たり、結希はようやく口を開いた。


「……どうしてここにいるんですか」


 自分でも驚くほど掠れた声だった。末森すえもりは口角を上げるだけの笑みを浮かべ、ヤクモから献花を受け取る。


「結希が家族のことを聞くから会いたくなっちゃったんですよ。副長の俺は滅多に休めないんで、今日はめちゃくちゃ無理を言って早退してきました」


 敬礼をして歩み寄り、警官としての自覚がない末森は楽観的とも思えるような態度で入口付近の墓石の前に立った。その答えに嘘偽りはないらしく、ヤクモと共に墓参りをする姿を結希は眺める。

 そして、恐る恐る近づいて墓石に彫られた《末森家之墓》という文字を見た。その側面には、信じ難いことにとある名前が〝二つ〟彫られていた。


紫苑しおんはると、一体どういう関係なんですか」


 《末森春》、続いて《末森紫苑》と彫られたそれに胸糞が悪くなる。彼らは亡くなってなんかいない。ちゃんとこの目で春を見て、紫苑に触れて、会話をした。


「年の離れた双子の従弟ですよ。どうして、結希は二人のことを?」


「知り合いですから」


「……え?」


 結希へと視線を移した末森は一瞬固まり、訝しげに顔を歪める。


「どうしてそのような嘘を? あの二人は六年前、たった十年しか生きられずに亡くなったんですよ? 結希が覚えているわけないじゃないですか」


「知り合ったのが六年前じゃなかったら?」


「……二人の遺体を見つけてくれた、そういう意味ではないですよね」


 結希は顎を引き、決定的なことを末森に向かって告げた。


「二人は生きています。今、彼らが何をしているのか知っていますか?」


 知らないだろうとこの会話で思った。後ろで控えているヤクモだって、何も言わないが驚いている。


「いいえ」


 そんな驚きの中に涙があったのを結希は見た。末森は泣きはしなかったが今の今まで泣いていたと思われる顔に様々な皺をつける。


「……ただ、彼らの父親が結構変わった人だったんです。一方的に妖怪を虐めるのは可哀想だって言って、陰陽師おんみょうじとして妖怪とまともに戦わなかった。そして末森家から勘当され、六年前に一家諸共──百鬼夜行で、一方的に妖怪に虐められて、たった一つしかない命を落としたんです。…………そういうことですよね?」


 それは、生きていたと知った喜びの涙であり、すべてを悟った悲しみの涙だった。


「…………」


 結希は再び息をすることを忘れ、紫苑が最後に見せた命乞いにも似たあの時の笑みを思い出す。



『俺は、妖怪を一匹残らず殺してやる』



 そんな闇よりも濃い憎悪に侵された紫苑の生い立ちは、やはり結希とはどこまでも違っていて。運命がひたすらに違う彼の両親はこの世を既に去っており、紫苑は復讐とも言い換えられる感情に任せてかつて結希の目の前に立っていた。

 今の紫苑の〝家族〟はかつての紫苑の家族と同じことを望んでおり、春は多分、同じ信念を持つ今の〝家族〟に満足している。


 だが、紫苑はそうではない。


 妖怪を恨んで火車かしゃを虐殺し、妖怪を倒し続けていた結希が妖怪退治を渋ったことにより失望したのだから──。


「末森!」


 振り返ると、そこにいたのは本庄ほんじょうだった。末森と同じく《カラス隊》の軍服を着用した本庄は、傍らに男型の式神を連れている。本庄の式神と思われる青年は、ヤクモと対になるような容貌だった。


 ヤクモの瞳の色のように透き通った髪はウェーブがかっており、ヤクモの髪の色のように真っ黒な瞳は暗闇を表している。黒い着物を着用しているヤクモとは違い白い着物を着用し、鮮やかな青色の羽織物が目を惹きつけていた。

 赤を差し色とする末森の式神と、青を差し色とする本庄の式神。《カラス隊》の副長として隊長の輝司こうしを支える二柱の式神は、どこまでも対照的で洞窟の中に秘められた鉱物のようだった。


 そんな副長の片割れは、息を切らして末森を見つめている。式神が本庄を支えるように身を寄せるが、本庄はそれを軽く制して唾を飲み込んだ。


「本庄。……隊長まで」


 気づけば彼の後ろには輝司が立っており、同じく無言で末森を見据えている。元から本来の性格は人に興味関心がない人間だろうと思っていたが、ここまで露骨に人に対して感情のない表情を見せたのは初めてだった。


「やめろ」


「何が?」


「死ぬな」


「えっ? 今さら死ぬ気はないよ」


 思わず笑った末森は茶化していたが、本庄の表情は真剣そのものだった。

 末森の後ろに控えているヤクモもくすくすと揶揄うように笑っているが、本庄の式神はそんなヤクモを責め立てるように見つめている。


 裾に重力がかかったと思ったら、わけがわからないままに事態を静観していたスザクが結希に縋りついたところだった。


「……二人に会いに行くな」


「いやいやいや、会いに行くも何も居場所なんて知らないってずっと言ってるでしょ? それに、会ってくれるかどうかも怪しいしね」


「……ずっと言ってる?」


 その言葉に引っかかりを覚え、結希は静かに問いかける。末森はこくりと頷き、結希に視線を向け──


「はい。《カラス隊》の副長が、《グレン隊》の中に紛れ込んでいる陰陽師の存在に気づかないわけがないでしょう?」


 ──くすくすと、従弟の紫苑の存在に気づいていたことを明かした。


 その笑みはヤクモと大差なく、ヤクモの方は未だに可笑しそうに笑っている。よく似た二人は隣同士で視線を合わせ、自分たちの本心をまったく見せようとしなかった。


「だからずっと、紫苑の妖力に気づいた時から接触を図っていたんです。でもずっと会えずじまいで、会いたくないんだろうなって思ってたんですよ」


「会わなくていい。末森、あの二人はやはり陰陽師の裏切り者だ。今しがた百妖ひゃくおう家周辺に落ちていた物品の鑑定結果が出て、春とDNAが一致した。お前が接触を図ると仲間だと思われるぞ」


「それくらいもう覚悟の上だよ。末森家が間宮まみや家と違って裏切り者扱いされてないのは、祖父母があの人たちを早々に勘当したからだ。元から延命措置みたいなものだったんだよ」


 末森は何もかもを諦めたような態度だった。その兆しは前々からあったのだろう。本庄も、彼の式神も、輝司さえも憂いた表情でいる。


 諦めたから自害しそうに見えて、会いたがっているから裏切りそうに見える。


 それに気づいた刹那、既に解いていた警戒を結希も強めた。それに気づかない末森ではなく、末森は眉を下げて結希に視線を移す。


「本当に、いつまでも知らぬ間に強くなっていくんですね。結希は」


 懐かしむような、寂しがるような、そんな紫苑色の瞳だった。


「あの日は誰よりも死にかけていたのに、今では俺の方が死にかけているように見えるんですか? こんな形で恩返しして欲しかったわけじゃないんですけどねぇ」


「えっ、もしかして……あの日瀕死の状態だった結希様の傍にいてくださった若き陰陽師様って……」


「あっちのぬし様でありんすよ、ザクさん」


「……琴良ことら殿は混乱した現場の中で唯一結希殿のお傍についていたお方である。が、そのせいでご自分の身内の安否確認を怠り──叔父夫婦を身元不明のまま火葬され、春殿と紫苑殿のご遺体を見つけられぬまま死亡届けを出されてしまったとお聞きしているが」


「ナナギ」


 咎めるような口調の本庄に軽く頭を下げ、ナナギと呼ばれた式神が半歩下がる。そんな様子を、人に興味関心がないくせに面白がって見ている輝司がいた。


「末森さん、それ……本当なんですか?」


 上手く飲み込めないが、何かとんでもないことを聞かされた気がする。


「気にしないでください、結希。悪いのは全部俺の祖父母ですから。俺の両親の遺体は確認したくせに、勘当した叔父夫婦の遺体は見もしない。俺が現場にいないことに気づいていても探さない。出来の悪い息子や孫の存在なんてどうでもいいんですよ」


 唾を飲み込み、そして悟った。

 末森が結希の傍にいなければ、春と紫苑を探しに行けた。末森が二人を見つけていれば、春と紫苑は本物の裏切り者にならずに済んだのだ。


 結希が、春と紫苑の運命を捻じ曲げたのだ。


 捻じ曲げなければ、紫苑はあの時──結希に命乞いなんてしなかった。離れたい、でも離れたくない。矛盾した気持ちを抱えながら守りたくないものを守り続けている自分の、自分自身では決断することができずに苦悩している自分の、死んだも同然の命を救ってくれと──言われることはなかったのだ。


「祖父母がどうとか、それって全然関係ないですよね? 末森さんが俺の傍にいなければ解決した問題でしょう?」


「俺は自分の意思で結希の傍にいたんです。千秋せんしゅう様の甥っ子で、百鬼夜行を迎撃した救世主で、死にかけている従弟と同年代の少年の傍を……例え何度あの日をやり直したって、離れることは絶対にないですよ」


 そんな紫苑の苦悩を知らずに断言する末森は、本当に後悔なんてしていなかった。春と紫苑よりも結希を選ぶと言外で断言して、結希は口を閉ざす。

 ぱきっと、代わりに小枝が折れる音がして──


「──?!」


 ──顔を上げると、簡単な言葉ではとても言い表せないような複雑な表情をした春と紫苑が彼岸花の群生地である森の中に佇んでいた。

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