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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第六章 姫君の黒翼
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八  『リンドウの地の兄妹』

「久しぶり」


 鈴のような音色をした少年の声だった。だからか戸惑いはすぐに消える。年不相応に大人びた落ち着きのままに、彼はするりと前進した。

 紅葉は赤い絨毯のようで、彼が歩くと王の間にいるような錯覚に陥る。だが、彼の優雅な歩み方とは裏腹に欠けているものがそこにはあった。


「大きくなったんだね、結希ゆうきくん」


 喉の奥から熱いものが込み上がってきた。だが、どうしても上手く声にならない。

 結希は何度か口を開閉し、動かない足に脳内で幾度となく鞭を打ち続けた。


千羽せんば


 一歩だけ、ようやく足を踏み出す。その足が千羽にはない。


 紺碧色の着物を身に纏い、穏やかに笑う彼は本来この世にいるはずのない人間だ。

 常世にいて、現世にいるはずのない生命。なのに、目の前にいる千羽は決して嘘ではない。それだけはこの存在感だけで強くわかる。


「……地縛霊じばくれい、なのか?」


 考えられる答えはそれしかなかった。

 先月離島で感じた幽霊の気配と同じ物を千羽からも感じる。千羽が死んだのは事実で、変えられない過去の悲劇で、取り戻せない縁で。そんなすべてがそこにある。


 千羽はゆるりと頷き、「そうみたい」と曖昧に答えた。


「でも、大丈夫。安心して。その辺りはちゃんと自覚しているから」


 その辺り、も曖昧にして。

 千羽は軽く俯いて微笑む。


 十四歳の子供の所作ではない。同い年の妹となってしまった紅葉くれはとは全然違う。


 彼が、結城ゆうき家の未来の王だった男。落ちぶれた陰陽師おんみょうじの未来の王になるはずだった男。そして、陽陰おういん町の町長という権力者の座を約束された男だった。


 そんな彼の代わりを強いられている紅葉の重責が、今になってようやく理解できた。


「本当に、千羽なのか?」


「嫌だな結希くん。僕のこと、わからないの?」


 寂しそうに笑う千羽を見て気づく。

 千羽と結希は従兄弟だ。名字は違えど生まれた時から共に在る家族だ。そんな家族に一目でわかってもらえないという他人の痛みは、六年前に嫌というほど見てきたではないか。


「ごめん。俺には六年以上前の記憶がないんだ」


 結希は正直に、六年前の百鬼夜行で起こってしまった代償の話をした。

 多分千羽は、それを知らない。結希が百鬼夜行を止める前に死んだ、救えなかった命なのだから──当然と言えば当然だろう。


「…………」


 千羽は黙っていた。薄花色の瞳は結希を真摯に捉え、紺碧色の着物を翻してふわりと舞う。

 結希は浮かび上がった千羽の霊体を視線で追えなかった。六年前に千羽がこと切れたであろう青いリンドウが咲き誇るこの地を見ていた。


「頑張ったんだね」


 視線を上げる。


「たくさん、たくさん──あんなに小さかったのに、頑張ったんだね」


 千羽は微笑していた。

 その微笑みが美しかった。


「…………」


 今度は結希が黙る番だった。


「凄いね。辛かったよね。怖かったよね」


 一言一言、はっきりと言葉にして千羽は告げる。

 千羽の言霊ことだまの力は強い。霞んでいくあの頃の自分が必死になって頷いている。結希は千羽のことを何も知らないが、千羽は結希のことを知り尽くしているのだ。そう言っても過言ではないほど同じ時間を共に生きてきたのだ。


「偉かったね」


 千羽が結希を抱き締めた。その少年の手は結希の体を掠め、冷気が全身を包み込む。


 当時もそうやって千羽にあやされていたのだろう。そう思った結希は瞑目し、千羽の好きなようにさせておいた。


「結希くん」


「ん?」


「僕を祓って」


 結希は千羽の首筋を辿り、彼の瞳と目を合わせる。嘘は吐いていない。本心からそう願っている。


 いつから──。


 結希は声に出そうとして、飲み込んだ。


 いつから千羽は、自分の身を祓ってほしかったのだろう。

 六年間ずっと、人気のないこの地で誰にも見つけてもらえずに過ごしていたのだろうか。青いリンドウと共に、赤い紅葉と共に、黄色い金木犀と共に──ずっと、独りで。


「それはできない」


 結希は首を横に振った。


「どうして?」


 悲しそうに千羽が問う。


「紅葉とるいに会ってくれ」


 自分が千羽に会ったところで救われる心はない。

 千羽を覚えているあの二人が、何よりも千羽という存在を欲しているのだ。それは先月、風の間で見た二人の表情が強く訴えていることで。結希は同時に、我が子を亡くしても耐え忍んでいた千秋せんしゅう朝羽あさはのことを思い出していた。


「わかったよ」


 結希はほっと息を吐いた。


「死んだ自覚はちゃんとあるんだ。でも、どうしても、ここから離れられないのは……ここで、また会う約束をしたからなんだと思う」


「約束?」


「百鬼夜行の日、紅葉ちゃんとしたんだ。ここで札を張って待っててって。周囲の妖怪を倒したら必ず戻ってくるからって。そうしたら一緒に……避難できるからって」


 開いた口が塞がらなかった。


 約束をして、帰ってこなかった兄と生き残ってしまった妹。そんな別離の仕方があっていいのだろうか。


「紅葉ちゃんに会えたら、僕はこの地から去れる。そんな気がするんだ」


「待ってくれ」


「待ってるよ。もう六年も待ったんだ、一日数日なんてたいしたことないよ」


 結希は首を左右に振った。

 そうじゃない。待ってほしい。


「なぁ千羽、今でも星を読めるのか?」


「星?」


 千羽は虚をつかれたような表情で身を引いた。思わず袖を掴もうとした、空っぽ手が空を切った。


「町がまた百鬼夜行の脅威に晒されているんだ。少しでもいい、星が読めるならやり方だけでも教えてほしい」


 千秋の依頼がずっと心に沈殿していた。それを少しでも軽くすることができる千羽が、失われたと思われていた知識への糸口が、ここにある。


「読めるよ」


 高揚した。

 絶望するのはまだ早い。


「千羽、頼む。千羽が持っている知識を、後で全部俺に教えてほしい」


「わかった」


 これからまた、地獄絵図がこの町で繰り広げられるのかもしれない。なのに千羽は何故か笑っていた。


「なんで笑うんだよ」


 彼はよく笑う。

 この短時間でそれがよくわかった。


「ごめんね、少しだけ嬉しくて。六年前もこうやって、僕の知識を全部君に捧げていたんだなぁって思い出したから」


「そうだったのか?」


「そうだよ。君が突拍子もない術式を考えて、僕の知識で手直しをする。それが日常茶飯事だったから」


 自分が知らない自分がいる。

 千羽と語るとそれが明確になっていく。


 できるなら、もう少しだけ千羽と語りたかった。が、それは多分叶わない。


「千羽、また明日会いに行くから……」


「うん、ここにいるよ。僕は絶対に逃げないから」


 千羽は結希の頭を撫で──


「だから、逃げてしまったあの子を探してあげて」


 ──奥の道を指差した。


「ありがとう」


 結希は驚き、なんでもお見通しという態度でいる千羽を見上げる。


「待ってるよ、結希くん。いつまでもずっと、この地でね」


「明日紅葉を連れてきたら、同時に術を教えてくれるか?」


「うん。紅葉ちゃんにも、涙くんにも、教えてあげるから」


 そんな千羽に頷き、バイクを置いたまま結希は走り出した。

 森道をまっすぐに走り、結希は見えてきた豪邸に意識を向ける。


 ここに来た目的は、千羽ではなく火影ほかげだ。


 同じ地に紅葉と縁深い人物が二人いる。そんな偶然に驚きつつ、結希は火影の妖力が充満する日本家屋の豪邸を見据えていた。


 日本家屋は地味な物だが、門の奥で広がっている広大な庭に飾られている像にはすべて金箔が張られている。その下品にも見える煌びやかさに気圧されつつ、結希は震える手でインターホンを押した。


『はい』


 聞き覚えのある男性の声だった。

 結希は眉間に皺を寄せ、「百妖ひゃくおうです」と名乗る。


『あぁ、少し待っていてください』


 何かを思い出した方がかのような声色だった。そうしてすぐに玄関から顔を出したのは──


「こんばんは、かな? 結希君」


 ──鴉貴からすぎ家の嫡男の、鴉貴蒼生そうせいだった。


「からっ……蒼生さん?!」


 警官服を脱ぎ捨てて私服に身を包んだ蒼生は、不思議そうに首を傾げる。

 結希は慌てて表札を見、鴉貴と書かれたそれを視認する。《十八名家じゅうはちめいか》の本家の一つがこんな辺鄙な地にあると思わなかった結希は唖然とし、再び蒼生の方に視線を向けた。


「どうしたの? そんなに慌てて。とりあえずこっちに来ていいよ」


 苦笑した蒼生は手招きをし、結希は恐る恐る門を開けて庭の方へと突き進む。思えばこの金箔が張られた像は同じ鴉貴家の人間である輝司こうしの趣味と一致していなくもない。


「あの」


「ん?」


「火影はいますか?」


 そう尋ねた結希を見据え、蒼生は何故か急に真顔になった。


「どうしてそれを聞くのかな?」


「この家から火影の気配がしたんです」


 間宮まみや結希を知っているのなら、これ以上の答えはいらないはずだ。

 蒼生は眉間に皺を寄せ、「火影」と彼女の名前を呼び捨てで呼んだ。


「…………」


 察していたのだろう。奥の間から姿を現した火影もまた真顔だった。


「どうしてここに……」


 思わずそう声に出した結希の元へと直行し、彼に向き合った火影は紫色の着物の裾を強く握り締めた。



「火影の本当の名前は鴉貴火影。鴉貴家本家の嫡女で、ここにいる鴉貴蒼生の本当の妹。そして、鴉貴家の次期頭首」



「えっ?」


 一瞬だけ頭が真っ白になった。

 自分が今何を言われたのか。それを理解するのにかなりの時間を要する。


「しばらく、結城家には帰らない」


 火影は結希を見つめてそう言った。


「火影は火影の本当の実家でしばらく時を過ごす。だから、姫様には何も言わないで」


「妖力とやらで追いかけて来るんじゃないの?」


「それは問題ない。姫様は、そんなに強くない。陰陽師として成熟していないから、絶対にわからない。……いとこの人が何も言わない限り」


 睨まれた。それは、貪欲なカラスの目玉そのものだった。


 結希は唾を飲み込み、目の前で並んでいる火影と蒼生を見比べる。

 黒い髪と宝石のように輝く紫色の瞳は美しく、両者に差異はない。火影の目の下のくまが差異と言える差異だが、全体の優美な雰囲気とお互いの耳に飾られているピアスのアンバランスさはまったく同じだ。


 千羽と紅葉が似ているように、蒼生と火影の二人も似ている。


 ──この二人は、間違いなく兄妹だ。


 ならば何故、火影は鴉貴ではなく百妖と名乗るのか。新たな疑問を結希に宿し、火影は問答無用で結希を追い出す。


 黄昏時は終わりを告げ、とっぷりと暗くなった山奥のこの地でカラスが一羽鳴き声を上げた。

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