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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第五章 記憶の鉤爪
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幕間 『過去と今を猫はさ迷う』

 真夜中の小島で、ユウが寂しそうな笑みを浮かべている。

 お願いだからそんな顔をしないで。アナタの笑顔がワタシは大好き。だから、そうやって簡単に自分を傷つけないで。


「──多重人格。多重人格者なんですよ、和夏わかなさんは」


 息が詰まった。ぐわんぐわんと、何かが大きく脳を揺さぶる。


麗夜れいや! 貴方は逃げて!』


『待てよ和夏! おまっ、どこに行くんだよ! 先生はこっちに避難しろって言ってるだろ!?』


『私はいいの! でもっ、貴方だけは絶対に逃げて!』


『何がいいだよ! なぁ、早く……一緒に逃げるぞ! 和夏! なぁ、和夏っ! 行くなよ和夏っ!』


 逃げることが許されないの。


 そう叫びたくて叫べなかったワタシは、必死でワタシを食い止めるレイのみぞおちを殴った。そして気絶した彼を先生に任せて、ワタシは陽陰おういん学園中等部から戦場へと飛び出していく。


『……ごめんね』


 何度もレイに謝った。

 一人ぼっちで戦って、首と胴体が分かたれた時も謝った。


 何もかもが吹き飛んで、自分の体がぐしゃりと捻じ曲がって、地面に落下した時もごめんねと──ただそれだけを考えていた。

 そして、ワタシの中のすべてはその時欠落してしまった。


「……六年前から、何もなかったんだ」


 思い出した。すべて。何もかも。

 無意識に封じていた記憶が解き放たれて、無数の緑色の猫目がワタシを見つめる。


 ごめんなさい。ワタシはこんなにも、ワタシを殺してしまってたんだね。


 ワタシを守れなかったワタシはワタシを踏みつけて、不意に疑問に思う。



 ──あの時も、今も。ワタシはちゃんと、大好きな人を守れただろうか。





 激痛が駆け巡り、ワタシは勢い良く目を覚ます。

 痛い──そう思ったのに、目の前で涙を流しながら眠っているレイを見て痛覚が消え失せていった。


「…………」


 今から約一週間前、この町を百鬼夜行が襲った。そのことを知らないレイは、何も知らないまま家族を全員失った。

 ワタシはむくりと起き上がり、縁側から二人しかいない骸路成ろろなり家の本家を見渡す。


「痛っ……!」


 慌てて首元に手をやると、コルセットがつけられていた。あぁ、そうだ。忘れていた。ワタシは酷く顔を歪めて、その痛みを何度も何度も消し去ろうとする。


「……痛い」


 涙が溢れて止まらなかった。レイもあの日から泣きっぱなしだった。


 二人この家で寄り添って、今ようやく眠りについたばかりなのに──どうやらワタシは、また眠れなかったらしい。不眠のせいか気分が悪い。目を閉じたら、今もあの地獄のような光景が浮かんでくる。


 映画のセットのように大量に死んでいる人々の山が忘れられない。折り重なった人々の隙間から飛び出した綺麗な手が、記憶から片時も離れない。

 人間の焼けた悪臭は、猫又ねこまた半妖はんようのワタシには毒で。きっとあの町で一番悪臭に苦しめられたワタシは、気が狂ったも同然だった。


 死体に群がる飢えた猫たちが、むしゃむしゃと肉を食べている。


 美味しい?


 そう問うたワタシはきっと悪魔で。ワタシはそんなワタシを内に閉じ込めた。ぐしゃぐしゃにしてぶちぶちと殺すことはできなかった。そんなワタシの大量の抜け殻が片隅にずっといた。


『ごめんくださ〜い』


「ッ!」


 それは、呑気な声だった。聞いたことのないイントネーションで、玄関の方から誰かが声をかけている。


 誰だろう。レイを傷つける人ならば絶対に許さない。でも、レイを救ってくれる人ならば大歓迎だ。


 ワタシは立ち上がって慣れ親しんだ骸路成家の廊下を歩いていく。誰だろうがワタシが相手だ。ワタシを倒してからでないとレイには絶対に会わせてあげない。絶対に、認めない。

 半妖として、幼馴染みとして。ワタシは齢十三歳で骸路成家の現頭首となってしまったレイを守護するように玄関の扉を開け放った。


「……?」


 背の高い男の人と目が合う。綺麗で高貴そうな飴色の髪。なのに、小動物のような鼠色の瞳を持っている。にこにこと笑うその顔は人好きしそうな童顔で、人を突き放すような素材を根っから駆逐している。

 陽だまりのような匂い。不思議な人だ。


「……誰?」


 言葉を漏らして気がついた。彼だけじゃない。隣には見知らぬ少年と少女が立っている。

 少女は少年に隠れていて姿がよく見えないけれど、少年はむっとした表情で青い瞳を逸らしていた。灰色に酷似した、捨てられた小動物のような錫色の髪。色白くてあまりにも細すぎる肢体。なのに、一目で美しいとわかってしまう容姿──。


「あぁ、俺は《グレン隊》の朝霧愁晴あさぎりしゅうせいちゅーんやけど……骸路成家の人らはおる?」


「……知らない人には、会わせられない」


 ワタシがそう言うと、愁晴さんは困ったように眉を下げて少女の背中を軽く押した。


「この子、骸路成愛来アイラっちゅー子なんやけど」


「……え?」


 骸路成、愛来?


 そんなはずはない。だって、レイが言っていたのだ。自分の従妹が死んだのだと。両親と一緒に死んだのだと。そう、レイ自身が泣きながら三年前に話してくれたことをワタシは今でも覚えていた。


「……本当、に?」


 アイラと呼ばれた少女は、レイとまったく同じように見える独特の白髪を持っていた。真朱色の瞳でじいっとワタシのことを見上げ、探るように細部まで見つめてくる。


「この子と麗夜れいやを会わせたいんやけど、中に入ってもええかなぁ?」


 ダメなわけがない。

 ワタシはなんとか三人を通す場所を教えて、震える足に鞭を打って縁側へと走った。


「……レイヤ!」


 ねぇ。


「……起きて!」


 きっと、彼女の存在は今のアナタを救うから。


「わか、な?」


 真朱色の瞳をゆるゆると開けたレイは、不思議そうにワタシを見つめていた。こんなレイは初めてだ。もしかしたら寝惚けているのかもしれない。


「行くなよ、どっかに」


 掠れた声でそう言って、起き上がってワタシのことを抱き締める。そんなレイをワタシは知らない。けれど、あんなことがあったのだから仕方がないのだとも思う。だから好きなように甘えさせた。甘えられるのは、妹たちで慣れていた。


「……行かないよ。誰も、もう二度と、キミの元から離れないよ」


 ワタシはそう言って、レイの体を抱き締め返したまま持ち上げた。


「うわっ」


「……来て。キミの家族だよ」


 ワタシは微笑んで、そのままレイを居間へと連れていく。下ろされたレイは居間にいたアイラを見下ろして、絶句して、その場に崩れ落ちた。


「…………アイ、ラ?」


 こくりと、アイラは僅かに顎を引く。


「アイラッ!」


 無我夢中で抱擁し、互いの存在を確かめ合い、レイは再び泣きじゃくった。その涙はアイラの首元を濡らし、アイラの涙と混じりあってどっちのものなのかわからなくなる。


 ワタシはあの時、レイを気絶させて無責任に亡くなった。


 気絶したレイは守れたけれど、レイの家族は誰一人として守れなくて。遠縁さえ屠られた独りぼっちのレイを見て、ワタシは彼を守れなかったのだと自責した。


 自分が眠っている間に家族が全員亡くなった。


 そんな耐えられそうもない苦痛をレイ一人に背負わせて、ワタシはこうして今ものうのうと生きている。

 そんな自分が許せなくて、レイの隣にいることも本当は死ぬほど辛くって、だけどレイはワタシを離さなくて、ワタシじゃないワタシがもう一度レイを守りたいと思っていて、ずるずるとここまで引っ張ってきた果てにあった幸福がアイラだった。


 生きていてくれてありがとう。


 アイラに対してそう思う。アイラの存在は、二人で傷を舐め合っていたワタシたちにとって幸福以外の何物でもなかった。


『──生きて』


「ッ!」


 はたと体が強ばる。

 それは、百鬼夜行が終わる時。絶望的な苦しみの果てに再生してしまったワタシが最初に聞いた言葉だった。


 生きたよ、ワタシ。ちゃんと生きたよ。



 でも、辛いよ。



 ワタシは唇を八重歯で噛んで、今だけ幸せそうに笑っているレイを置いて居間を去った。

 でも、どこにも行かないと約束したから外で待っている。居間の中にいるレイと愁晴さんとの会話は途切れ途切れに聞こえていたけれど、何故か頭の中には残らなかった。


「あの、アイラをよろしくお願いします」


 気づいたら、四人は居間から出るところだった。あれ? この会話はいつ終わったの? 最近はそう思うことが増えてきて辛い。


「そんなに畏まらんでもええよ。現頭首やなかったら麗夜も施設に引き取られとった身やし、俺らんとこにはアイラもおるし。……麗夜はもう他人やない、困ったことがあったらなんでも《グレン隊》に言いや?」


「はい。ありがとう、ございます」


 ぼろぼろと、枯れない涙を拭ってレイは何度も何度も頷いた。


 良かったね。口内でそう呟いて、不意に愁晴さんと目が合う。すると、愁晴さんは不思議そうにワタシを見下ろして探るような目つきで尋ねた。


「そういや、聞きそびれとったけど君は誰なん?」


「……百妖和夏ひゃくおうわかなです」


「百妖?!」


 びくっと両肩を上げ、ワタシは食い気味に距離を詰めた愁晴さんを警戒した。


「百妖って、え?! 君、麻露ましろの妹なん?!」


 グイグイと近寄る愁晴さんは、好奇心を剥き出しにさせた無垢な少年のようだった。


「……そうですけど、アナタ、シロねぇのなんなんですか?」


「俺、麻露の友達なんよ〜! うわぁ、こんなとこで麻露の妹に会えるなんて思わんかったわ〜!」


 興奮気味にワタシを見つめる愁晴さんは、頬を僅かに染めて瞳を輝かす。なんなのだろう。今までのイメージとまったく違ってかなり戸惑う。


「……何してるんですか、愁晴さん」


朔那さくな、ちょお待って! なぁ和夏、家での麻露ってどんなんやの? 卒業してからまったく会わんから久々に会いたいわ〜」


 そして、楽しそうにシロ姉について話す愁晴さんを見てなんとなく思った。


 ──この人、シロ姉のことが大好きなんだなぁ。


 少なくとも、愁晴さんの纏う匂いが好意で満ち溢れていた。そこに嫌悪も侮蔑も何もない。純粋の〝好き〟が詰まっている。


「……じゃあ、会ってくださいよ」


 今のシロ姉は、心身共に擦り切れているから。

 ワタシは言外にそう込めて、刹那にぷつりと記憶が途絶えた。





 結局、あの後愁晴しゅうせいさんはシロねぇに会えたんだっけ?


 守れたかどうかもわからない、大好きなレイとの最古の記憶を思い出してワタシは息を吐く。

 ワタシたちが身を寄せている《カラス隊》の寮は広い。ここに来てから時々《グレン隊》だった人たちを見かけるけれど、すれ違うことはなく遠くから眺めるくらいの広さだ。もちろん、人が一人いようがいまいが大差はない。だからワタシたちを受け入れてくれた。


 ワタシは再び息を吐き、離れてしまったユウのことを想った。


 いくら血の繋がった本当の家族でも、ワタシたちとユウの仲を引き裂いていい理由にはならない。ユウがいないとぽっかりと穴が開いたみたいですごく嫌になる。


『──生きて』


 あの時あの無責任な台詞を吐いたのは、ユウだった。

 首元に手をやると、コルセットもレイに巻いてもらったマフラーもない剥き出しの首に触れる。


「…………?」


 刹那、俯いていた視界の端に誰かが入った。廊下に人が出てくることは滅多にないから、驚いて彼女を見上げる。


「シロ姉」


「……ん? 和夏わかな、こんなところで何をしている。暑いだろう」


「ん〜ん、暑いのは大丈夫」


 ワタシはへらりと笑い、外用の服を着たシロ姉の美貌にちょっとだけ驚いた。よく忘れるけれど、シロ姉は綺麗な女性なのだ。普段はお洒落なんてしないのに、お盆の時期にお洒落をする理由をワタシは知っている。


「今年はいろいろあったね」


「そのせいで少しだけ遅れてしまったが、あいつなら笑って許してくれるような気がするよ」


「そうだね。愁晴さんなら、ニコニコって笑いながらシロ姉のことを待ってるよ」


 シロ姉は微笑し、「そうだといいな」と献花を持って出かけていった。


 シロ姉のクラスメイトで、最初で最後の友達だった愁晴さん。そんな彼をワタシたちは全員覚えているし、二年前の悲劇を忘れはしない。

 ワタシは軽く伸びをして、冷房が完備された部屋から蒸し暑い廊下に出た理由を忘れたことに気がついた。


「なんだっけ」


 忘れちゃった。

 いつものことだけど。


 ふらりと歩き出して食堂へと足を向ける。ここは、百妖ひゃくおう家のリビングみたいな場所。ここに来れば誰かがいると確信できる場所だ。


「邪魔だ」


「あ、ごめんなさい」


 ワタシは下がって、食堂へと入っていく朔那さくなさんに道を譲った。中にはアイラもいて、不意にあの時を思い出す。


「愁晴さん」


 ぴたっと、朔那さんの動きが止まった。

 持っていた缶コーヒーを潰れるくらいに握り締め、筋肉質な背中をワタシに向けて黙っている。


「みなさんは、もう行ったんですか?」


「……愚問だな」


 ため息をついて、すっかり大人びた顔つきとなった朔那さんは舌打ちをした。


「……ご、ごめんなさい」


 ワタシは身を縮め、アイラに缶コーヒーを手渡すスウェット姿の朔那さんを眺める。朔那さんに礼を言ったアイラは普段通りの顔だったが、不意に顔を上げて首を傾げた。


「どうしたの? ワカナ」


「ううん。ここに来れば誰かいるかなぁ〜って思って」


「呑気だな」


 ワタシがへらりと笑うと、朔那さんは鼻で笑った。

 〝呑気だな〟ってレイもよく言っているけれど、朔那さんの〝呑気だな〟には棘が含まれているような気がして。


「時間は有効的に使え」


 そうやって冷たく言い放った朔那さんは真面目そうな顔をしていた。


「……え?」


「過ぎ去った時間はもう戻らねぇんだよ。そうやって、どいつもこいつも後悔してる」


 ワタシは唇を引き締めた。

 そんなこと、レイを見ていたらよくわかる。でも、ワタシはそれ以上に時々過去に戻ってしまいそうなくらい危うげな男の子を知っていた。


「……結局、愁晴さんはお前の姉に会えなかったしな」


 刹那に背筋が凍りつく。


 そう、だったっけ? あの二人は互いに欠かせない存在だったはずなのに、結局会えなかったんだっけ?


「ッ!」


 ワタシは食堂から飛び出した。

 あんなに会いたいと願っていて、会えなかった──そんな悲劇は悲劇の範疇を超えている。


「ユウ!」


 名前を呼んだ。

 《カラス隊》の寮を飛び出して、駅前を無視して通って、風に乗って流れるユウの匂いを町中から探し出す。


 気を抜くと、すぐに初対面の頃のような表情でワタシたちを見ているユウ。そんな必要なんかどこにもないのに、自分を殺して表面を取り繕ってしまうユウ。

 自分のことに興味なんかなくって、他人を真っ正面から見つめて、人によって態度を変えて、面倒なことは面倒って言って、嫌なことは嫌って言って、他人を守って、危険を顧みずに戦場へと飛び出して、傷だらけで帰ってきて、なんでもないような顔をしているユウ。


 それが矛盾だって気づけていない哀れな子。

 矛盾でも、ちゃんと守ってくれる優しい子。


 無責任なことを言うし、本当に守ってくれるし、誰よりも頼もしくって一緒にいると安心する。

 大好きだって言えば言うほど大切にしてくれて、手先が不器用で、料理がヘタで、頭も悪くて、一人でいることが好きみたいで、めんどくさがり屋で、なのに世話好き。お姉ちゃん限定だけど全員一回はユウに叱られてるし、一度怒ったら小一時間は怒ってるし、かと思えばたまにしょうがないなぁって感じでちょっと笑うし、そこが可愛くて可愛くて堪らない。


 みんな、そんなユウが大好きだ。だから、傍にいないと寂しくなる。


 四ヶ月だけじゃ全然足りないし、もっともっと一緒にいたい。泣き合うんじゃなくて笑い合いたいし、傷を舐め合うよりも傷つけ合いたいし、命懸けで守られるよりも命懸けで守りたい。


「ユウッ!」


 もう一度叫んだ。喉の奥が痛い。剥き出しの首が風に当たって気持ち悪い。


「〜〜ッ!」


 耐えられなくなってワタシはその場で崩れ落ちた。首が、首が、剥き出しで、何も守ってなくて、怖くて──なのに取って、ユウに手渡した。雁字搦めになっていたあの頃から一歩前に踏み出せたから、託した。

 けれど、まだダメだったのかな。


「ここで吐いたらキョーダイの縁を切りますよ」


 吐きそうになって、ワタシは口元を押さえながら顔を上げた。


 黒い髪。漆黒の瞳。その中に心配そうな色を込めているのに、まったく手を貸そうともしない。その中にいるワタシは涙でぐしゃぐしゃになっているのに。

 ねぇ、ユウ。どうして──


「──どうして、ワタシを見つけてくれたの?」


 尋ねると、ユウは不思議そうな顔をしてこう答えた。


「和夏さんの妖力が近くにあったので」


 それで、辿ってきたの? ユウの思考回路がよくわからなくて言葉を失う。


「雑居ビル地区に何か用ですか? 俺もう帰るんですけどちょっとくらいならつき合いますよ」


「……なんで」


「え、荷物持ちとして俺のこと探してたんじゃないんですか?」


「…………なんで」


 泣きじゃくった哀れな義姉を見て、彼は一体何をどう判断したのか。……いいや、これがユウの優しさだ。だって、匂いがこんなにも普段通りを装うとして緊張してる。


「違うよ」


 震える足で立ち上がって、倒れるようにユウを抱き締めた。

 あぁ、これだ。懐かしい。この感触にこの匂いにこの鼓動。どれを取っても二日しか離れてないのに懐かしい。


「会いたかった」


 離れている間にもう二度と会えなくなるんじゃないかと思った。結城ゆうき家の方がいいとか言い出したり、事故にあって帰らぬ人となったりするんじゃないかと思ってしまった。


「……もうどこにも行かないで」


 百妖家に帰ってきてほしい。

 ユウは猫みたいな人だ。自分の決まった居場所が特にない、どんな家にも顔を出してどんな家にも馴染めてしまうような人。


「いや、それこっちの台詞なんですけど」


 なのに、ユウが釘を刺したのはワタシの方だった。


「困るんですよ。また別の人格が出て来たら和夏さんを見失っちゃうんで」


 そんなこと──ないと言いそうになったワタシの首元に懐かしの感触が触れる。一回、二回、そうやって巻いて、両端を持ってワタシを見下ろすユウがいる。


「やっぱり似合いますよね、このマフラー」


 首元に手をやると、柔らかな感触がした。

 ユウが持っているマフラーの両端の色は黄緑色で、ユウが手で掴んでいる部分から急にぼこぼこしている。そのぼこぼこを隠すように握り締め、マフラーを外そうとしたユウの手をワタシは掴んだ。


「待って、これ……」


「いや、長さを確認したかっただけなので離してください!」


 ぎゅうっとその手を握り締める。


『なぁ和夏』


 ぽたぽたと涙が溢れ出す。


『おい、泣くなよ。これじゃコルセットの代わりにならないのか?』


 アナタが編んでくれたマフラーが好き。


『お前、ずっと俺の傍にいてくれただろ? 安心しろ、もう俺は大丈夫だ。だから、その、好きなヤツと一緒にいろ』


『え? ワタシが好きなのはレイだよ?』


『馬鹿かお前。友達とか……そういうの、いるだろ』


『友達?』


 あの時も今も、アナタが巻いてくれたマフラーが好き。


『ワタシの友達はレイで、大好きな人もレイだけだよ?』


『……あぁ、わかった。もういい』


『レイは? ワタシのこと大好き?』


『……大好きだ』


 でも、ワタシの好きとアナタの好きは違う。

 アナタは大好きだって言うほどに心を開いてくれるユウじゃない。でも、それも仕方ないね。会う度に人格が変わっていたんだから。ワタシは一生、アナタからは愛されない。


 今になってちゃんとわかる。


 レイとの記憶。匂いだけ覚えているのに、出来事は何も覚えていない。そのことが不思議で、レイも戸惑っていて、でも何も言わなくて。そうして六年時が経って、アナタはもう二十歳だね。


「ウソでしょ?」


「は?」


「本当はもう、できてるんでしょ?」


「それは……その」


 日が傾く。ユウは恐る恐る手を離し、不格好なマフラーの両端をワタシに見せた。


「……どうしてわかったんですか?」


「匂いでわかるよ」


「……これから編み直そうと思ってたのに」


「これだけで充分だよ」


 元々編んでくれたレイも不器用だったんだから。

 ワタシは笑い、少しだけ不貞腐れるユウを見上げる。


「ありがとう」


「いや、待ってください。やっぱり猫鷺ねこさぎさんに編んでもらった方が……あの人教え方も上手かったし……」


「だ〜め」


 ワタシは軽々とユウの手から逃れ、数歩距離を取った。


「これがいいの」


 ワタシの大好きな人たちが編んだマフラーがいいの。


「ねぇユウ、《カラス隊》の寮に寄らない?」


「えっ、あ〜……一度だけなら」


 ワタシがユウの手を引くと、ユウは迷ったように視線をさ迷わせて歯切れが悪そうに了承した。

 叶渚かんなさんの名前が出ていたし、鈴姉れいねぇも調査が終わったって言っていたからわかる。多分ユウは、紫苑しおんについて何かを知ったのだろう。


「やったぁ〜!」


 雑居ビル地区から《カラス隊》の寮までそう遠くない。

 嬉しくって、ワタシは緑色の猫目を無理矢理遮断する。


「ユウ」


「はい?」


「生きたよ、ワタシ」


 そしてそれは、さらさらと砂になって崩れていった。



「──ちゃんと生きたよ」



 もう辛くない。それだけを伝えたくてワタシは笑う。ユウは怪訝そうな表情でワタシを見下ろしていたが、やがてこくりと笑って頷いた。


「知ってます」


 その言葉で救われる。


 ワタシはずっと、あの時の声の持ち主にそう言いたかった。

 一時期は恨んでもいたけれど、あの言葉はやっぱり何も間違ってなくって。今はただ、アナタがアナタに殺されないように守りたいと思うだけだった。

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