十 『暴力と裏社会』
「ていうか、結界なんて張ってあったの? ウチら知らなかったんだけど」
「張ってるのは陰陽師ですからね。多分、麻露さん辺りは知ってるんじゃないですか?」
「……あぁ、絶対知ってそう。シロ姉たちは肝心なことを話さないし」
苦渋を味わうかのようなその表情は、結希には見えなかった。見えなかったが、なんとなくそんな表情をするのだろうと思った。
愛果の斜め後ろに張りつくようにして走っていると、第一体育館の裏側に到着した。フェンスの向こう側には森林が広がっており、当然人の気配はない。
ぴたっと、唐突に愛果が足を止めた。
茂みに隠れるようにして、フェンスの一部に人一人が通れるくらいの穴が開いている。しかし、それよりも目を引いたのは、その手前にいる少年の集団だった。
着崩しているが、制服には余計な皺が一つもない。新入生なのだろう、安っぽいチンピラ風の新入生たちが、一人の小柄な少年を囲んでいた。
「さっさと出せよ、じゃねぇと殺すぞ!」
聞こえてきた台詞に眉間を寄せた。
厄介なものに遭遇してしまった。が、あの集団をどうにかしないと穴に近づくことができない。だから仕方なく口を開く。
「おいっ!」
何故か、先に声を荒らげたのは愛果だった。
新入生たちは当然結希と愛果の存在に気づき、「あぁっ?」と眉根を上げる。彼らより一回りも二回りも小さい男子生徒は、俯いていた顔を上げたが──その顔は、影のせいでまったく見えなかった。だが、愛果の小刻みに震えている肩だけはよく見えて、結希はすぐに愛果の方へと歩を進める。
「ここはウチのナワバリだ! 勝手なことすんじゃねぇ!」
「えぇっ?!」
それは、怯えではなく怒りだった。愛果の噂は実際に会う前から少しだけ聞いていたが、まさか学園をナワバリ扱いしていたとは。驚きすぎて言葉らしい言葉が出てこない。
対する新入生たちは、「女がしゃしゃり出てんじゃねぇーよ! 何がてめぇのナワバリだ!」と吠える。
「相豆院、てめぇの相手はこの女の後だからな!」
相豆院、そう呼ばれた男子生徒はなんの反応も示さなかった。
対する結希は再度肝が冷えたことを自覚する。結界に続き、今日は厄日かもしれない。
「やるならさっさとかかって来な」
愛果の張りつめた空気が伝わってきた。
今まで見てきた愛果が可愛く思えるほど、今の愛果はこの学園一の問題児という肩書き通りの存在感を放っている。
「ッ、愛果さん! やめてください! そこの新入生も!」
「ちょ、アンタ?!」
殴られる覚悟を決めて割って入った。が、いつでも飛びかかれるように体勢を崩していた三人の新入生は、〝愛果〟の名前に過剰な反応を見せ出した。
「アイカ……って、あのアイカか?」
心なしか声が震えている気がするのは気のせいだろうか。愛果は一体、過去に何をしたのだろう。だが、聞かない方が自分の身の為になった。
「そう、彼女があの百妖愛果だ。だから無意味な喧嘩はやめろ」
何がそうなのかは知らないが、こくこくと頷く三人は怯えている犬のようだ。
「それに、そこの男子生徒は相豆院なんだろ?」
「はい、そうっす! 〝じゅうはちめいか〟の!」
何故か自分にまで素直な態度を取る新入生の一人に違和感を覚えながら、結希は言葉を続けた。
「だったら彼を恐喝するのももうやめろ。相豆院は確かに《十八名家》の一つだが、彼らの一族は裏社会を牛耳っている。他の《十八名家》もそうだけど、迂闊に手を出すことは寿命を縮めることと同じだと思った方がいい」
血の気を失うというのは万人共通のようだった。青ざめる三人を真っ正面から見て、そう思う。
「やらないなら邪魔だからさっさと散って」
あれだけやる気を見せていたくせに、案外愛果はすんなりと引き下がった。そして、へこへこと頭を下げて去っていく新入生を最後まで見送る。
そんな愛果に対して、何故だかはよくわからないが、結希は怒っていた。
「怪我したらどうするつもりだったんですか」
瞬間、自分を見下ろす結希を睨み、愛果はふんと鼻を鳴らした。
「は? 怪我なんてしないし。それに、アンタもウチの噂は知ってるんでしょ? ウチは強いから絶対負けな……」
「知りませんよ、噂なんて」
「……えっ?」
ぴたっと、見事に愛果の動きが止まった。見開かれた碧眼に結希を入れて、信じられない、そんな表情をする。
「し、知らない? ウチの噂を? 一つも?」
「知っているのは、学園創立以来の問題児ってだけです」
反論しようとする愛果の口を片手で閉ざし、結希は男子生徒に向き直った。自分よりも一回り小さい、というか愛果と変わらない体格の少年だ。
「大丈夫?」
ぴくっと少年の肩が動く。そして上げた顔は、結希と愛果の表情を固まらせた。
「へぁ?」
驚きのあまり、愛果は変な声を出す。
「……あ、愛果さん?」
結希は、男子生徒と瓜二つの顔を持つ人の名を呼んだ。
それはまるで、双子のようで。けれどそんなことはあり得ないと自分で自分を否定する。目の前の少年も、愛果を見てしばらく言葉を失っていた。
「ご、ごめん。えっと、相豆院君?」
「……気安くボクの名前を呼ばないでくれる?」
時間さえも止まった気がした。
どう考えても小さくて、愛果と同じように可愛らしい容姿の少年から発せられる言葉ではない。その台詞に真っ先にキレたのは──
「こっの、恩知らず!」
──やはり、愛果だった。
拳を震わせて、自分と瓜二つの顔を持つ少年に振り上げようとしている。
「だからやめてくださいってば」
これ以上無駄な時間を過ごせない結希は、愛果の右手首を握り締めて止めに入った。その体格のせいなのか、手首は幼馴染みの明日菜よりも細い気がした。
「恩知らずのガキには一発入れないと気が済まないの!」
「なんでそうなるんですか。まだ新入生ですよ?」
すると、二人のやり取りを静観していた少年は、これまた愛果と同じようにかちんとした表情を見せた。
「ボクの名前は相豆院翔太。ガキじゃない」
「知るか!」
顔を真っ赤にさせた愛果は翔太に向き直る。こうして二人並べて見ると、本当に双子のようだった。
(……って、あれ?)
流してしまいそうになったが、先ほどの愛果の台詞に引っかかるものを結希は覚える。恩知らず、愛果はそれを二回口にしているのだ。
本人はナワバリだと言っていたが、本当は翔太を助けるための口実だったのではないか。それを裏づけるように、あっさりと彼らとの喧嘩をやめている。
もしかしたら、百妖愛果は心優しい少女なのかもしれない。金髪を揺らして碧眼を睨ませ、ゆでダコのように真っ赤になった愛果の肩に軽く手を置く。
「ッ!」
愛果は目を見開いた。
結希は、愛果が暴走しそうになるのを未然に何度も防いでいる。そんな感覚が懐かしく思えた。
「ボクは礼なんて言わない」
頑なにそう言う翔太は愛果と同じ碧眼で、胡桃色の髪をしていた。愛果も金髪に染める前はこんな髪色だったのだろうか──ふと、そう思う。
「誰でも知ってる。相豆院家は炎竜神家と並ぶ《十八名家》の汚点。暴力と裏社会の象徴。だからあいつらは後でいたぶってやろうと思ってたのに……」
悔しさとやるせなさをない交ぜにした翔太の表情は、気を抜いたら今にも泣き出しそうだった。そんな翔太を見る前から、気づいていた。
《十八名家》の幼馴染み、妖目明日菜を誰よりも近いところで見て。家族となった百妖姉妹の宿命を知って。
──《十八名家》の子供たちは、痛々しいほどその血に囚われているのだと。
「翔太。今この場で《十八名家》は関係ないだろ」
「……は?」
意味がわからない。そんな表情で翔太は結希を見上げた。
「この女が百妖愛果でボクが相豆院翔太。それなのに、《十八名家》が関係ない? アンタもボクの名字にビビってたくせに?」
「……あぁ」
確かに肝は冷えた。だが、今は違う。今は、相豆院翔太という人間を少しだけでも知っている。
「じゃあなんで」
苛立ちがピークになった翔太に結希は告げた。
「人として礼は言わなきゃダメだろ」
翔太と、そして何故かすぐ傍の愛果が息を呑んだ。後ろにあるフェンスに身を預けていた翔太は、背筋を正して一人で立つ。
「何それ。つまり説教?」
「そうだ」
「アンタ、あの愛果にも説教をしてた。そしてこのボクにも説教した。とんだ命知らずだね」
いや、命は惜しい。その台詞を飲み込んで、とりあえず結希は苦笑いをした。
「……あ、ありがとう」
俯きながらも素直にそう言った翔太は、耳を真っ赤にさせていた。そんなところも愛果にそっくりで他人だとは思えなくなる。
「ちゃんと言えるんだな」
「言わないし。説教されたのも礼を言ったのもアンタが全部初めてだ!」
顔を上げた翔太は、涙目だった。
「アンタ、名前は?」
「……結希」
一応名字は伏せておいた。麻露は百妖と名乗れと命令してきたが、素直にそうすることは翔太にできて結希にはできない。
翔太は何度も「結希」と呟いて、フェンスから離れた。小走りで自分たちが来た道に向かいながら、振り向いて
「その名前、絶対忘れないから!」
叫んだ後は歩いてどこかに行ってしまった。
「なんだったんだ、あの翔太って奴」
唇を尖らせる愛果が腕を組む。
結希はしゃがんで、ずっと気にかかっていたフェンスに開いた穴を観察した。そういえば、とでも言いそうな表情で愛果もしゃがむ。
「で、どうなの」
「……破られてますね」
「んなっ! あぁもう、最悪!」
わしゃわしゃと髪を掻く愛果から、フルーツの匂いがした。ミックスジュースにも似たような匂いに、結希は半歩横にずれる。
「愛果さん、これ」
なるべく平常心を装いながら、「何?」と尋ねる愛果にわかるようにフェンスの針金を指差した。
愛果はじっとそれを見つめて、「あ!」と声を上げる。その針金には、人為的に切られた形跡が残っていた。
「ただのイタズラだったらいいんですけど、もし仮に……」
その先を言うか言わないか、結希は一瞬迷った。
「……結界を破ることが目的だったら」
愛果を見ると、その童顔は驚愕の表情を見せていた。
しん、と二人の間に静寂が流れる。もし本当に、結希の仮定が当たっていたとして。だとしたら誰が、なんの為に。
「ま、まさか」
無理して笑おうとする愛果は曇る表情を隠せなかった。
「心当たりでもあるんですか?」
ダメ押しで尋ねてみる。否定されることを望んでいたが、愛果は首を縦には振らなかった。
「半妖には裏切り者がいるんだ。妖怪と戦って倒すんじゃなくて、妖怪に力を貸すような連中が」
漠然とした新たな不安が、結希と、そして愛果に訪れていた。




