九 『嘘から生まれた設定でも』
約一時間後に行われた入学式は問題なく進行し、午前中には終わりを迎えた。ぞろぞろと校舎から出てくるはずの新入生を、二年生と三年生は今か今かと待ち構えている。あれは毎年恒例の部活動勧誘だ。
ちなみに結希は、陰陽師の使命があるせいで部活動には入っていない。それでも、もし自分が陰陽師じゃなかったら何部に入ってたんだろうと想像し──諦めた。
サッカー部、野球部、バスケ部と、生徒が着ているユニホームを眺める。隣にいる風丸も部活動には入っておらず、結希と同じような目で彼らを眺めていた。
すると、中庭で待ち構えている大勢の生徒の間を苦しそうに掻き分ける、小さな金髪が視界に入った。仏頂面で生徒たちを睨みつけている彼女は──。
「悪い、風丸。先に帰っててくれ」
「ん? あぁ、なるほどなぁー。いいぜ結希、また明日な!」
「ん。また」
愛果を見て何かを察した風丸は、にやにやと笑いながら手を振って去っていく。
教師の依檻や創始者の子孫のヒナギクにまでフラットな風丸だが、今回は身を引いてくれたことに安堵する。……何を察したのかという戸惑いもあったが。
「愛果さん」
愛果は仏頂面を止め、ばつが悪そうに結希を見上げる。
「何」
「一緒に帰りませんか?」
「はぁ?」
再び仏頂面になった。
自分の判断が良かったのかと迷いながら、けれどもそれを見せることなく話しかけてくる。
「どうせ同じ帰り道じゃないですか」
「ま、まぁ。そうだけどっ」
細めた目を愛果が伏せた。ぎゅっと、スカートの裾が彼女の手で握り締められる。
「アンタ、ウチのことどう思ってんの?」
半ば呆れたような、そんな感情を瞳にたたえて愛果は震えるように尋ねてきた。
「愛果さんのことですか?」
「ウチは妖力が不安定だから、驚くとすぐに妖怪の姿になってしまう。だから、初対面のアンタにあの姿を見せてしまったこと。そもそもあの程度で驚いたこと。すべてが気に食わなくてずっとアンタを嫌ってるウチに、なんでわざわざ話しかけてくんの?」
口を閉ざした愛果のゆらゆら揺れる碧眼は、結希の瞳を見ようとすると、意識しなくても上目使いになってしまう。
彼女の本心と疑問を黙って聞いていた結希は一瞬困惑の表情を見せ、そしてさも当然そうな声色で言った。
「──なんでって、俺たちもう〝家族〟じゃないですか」
それは偽りで、嘘から生まれた設定だけど。
百妖家で暮らすことになり、家族という意味そのものを考えていた自分だけど。
「それじゃダメですか?」
元の家に帰っても、その設定は消えないと思うから。
目を見開いた愛果は、思ってもいなかった返答にただただ呆然としていた。そして瞳を伏せ、長く長く息を吐く。
「アンタ、バッカじゃないの? 昨日来たばっかなのに、もう家族面? ……確かに、アンタを家族として受け入れてるバカはもういるけどさ」
実際愛果の言う通りだった。
依檻以外は初対面。つい昨日出逢ったばかりだというのに、嘘が嘘じゃないみたいに百妖家の全員が他人だとは思えない。
「……もういいよ。結局、アンタはもう〝他人〟じゃないんだ」
自分が思っていたことと愛果の言葉が重なった。驚きと同時に、妙な安心感を覚えた。
「半妖と陰陽師、凸凹みたいなウチらだけど、世間では秘匿されている異端同士……ま、悪くはないんじゃない?」
返事の代わりに微笑んで、愛果はその笑みを肯定と捉えた。
「けど、ウチはアンタを〝弟〟だとは思わない。だからアンタも、ウチを〝姉〟だとは思わないこと」
なんでですか、と尋ねようとした。
けれども所詮は偽りだ。真実を教える気はないし、どう思われていても関係ない。
「愛果さんがそう言うなら……」
「愛果、結希!」
呼ばれた名に反応し、二人は揃って振り向いた。第一体育館──つまり入学式が行われた場所から、スーツ姿の麻露が出てくるのが見える。
「シロ姉、来てたの」
「一応、父親代わりの保護者だからな」
結希は麻露から視線を逸らした。それに気づいていた麻露は、何も言わなかった。
結希を頭のてっぺんから爪先まで眺めた麻露は、腕を組んでいつも通りを努める。
「昨日も今朝も家で見たが、ここで見るとやはり新鮮だな」
「そうですか? 変わらないと思いますけど」
自分の格好と同じくらい変わらない態度の麻露に焦るも、平常心で答えた。
「本人は気づかないだろ、普通」
呆れた表情の麻露に、愛果が「そういえば」と話を遮る。
「ねぇシロ姉。いお姉が今朝仕事サボってたから、何か言ってよね」
そういえば今朝、そんなことがあったような。
話題になるまで忘れていたが、愛果は痛い思いをした分覚えていたらしい。
「また依檻か……」
頭を抱えた麻露は諦めにも似た声を出していた。さらに、凛と伸ばされていた背筋が少しだけ丸くなる。
「またってことは常習犯なんですね、依檻さん」
「そうだな。……わかった、依檻を探してくる。椿には先に帰れと伝えてくれ」
結希と愛果にそう言い残した麻露は、迷うことなく校舎の方へと向かっていった。その後ろ姿を見届けることはなく、愛果は嫌そうに一年生の教室に近い昇降口に目を向けた。
「…………よし。後輩なんだからアンタが行け」
「なんですか今の微妙な間は」
「気にしたら負けだから」
「もしかして愛果さん、一年生に間違えられたりしたんですか?」
だとしたら先ほどの仏頂面は理解できる。きっとあの大勢の生徒の中で一年生と間違われ、揉みくちゃにされたのだろう。
「っ……バッ! そんなわけないだろ! 誰もウチを一年と間違えたりしないから!」
ぼんっ、というような音が出そうな勢いで愛果の顔が真っ赤になった。ということは図星なのだろう。
「じゃあ一緒に行きましょうよ」
ニヤニヤしそうになるのを堪えながら、結希は愛果に手を伸ばす。
「なんでだよ! 先輩に指図するな!」
地団駄を踏んで、愛果は全力で提案を蹴った。その様子は、駄々をこねる子供のようだった。
「指図なんてしてませんよ」
「してるだろ!」
結希はここで会話を切った。が、愛果は碧眼で上目使いに睨んでくる。会話を切ったのは愛果を落ち着かせる為だったが、あまり効果はなかったようだ。
二人の会話が途切れた代わりに、新入生を待ち構えていた生徒たちが騒ぎだす。歓迎の声はすぐさま聞こえ、愛果は結希から視線を逸らした。
「行く必要はなくなったな。ここでアンタが待っていれば椿もすぐに来るはずだし」
「あんたがってことは、愛果さんは?」
「ウチは一人で家に帰る。別にいいでしょ? アンタ、どうせ椿と帰り道一緒なんだから」
顔の赤みがなくなった愛果は、最後ににっと笑って結希に背を向けた。まっすぐに、人がいなくなった第一体育館へと歩いていく。
「どこに行くんですか? そっちに出入り口なんて……」
「こっちに抜け道があるんだよ。近道なんだ」
「……抜け道?」
背筋が凍った。小走りで愛果を追いかけると、愛果は不快そうに顔を顰める。が、結希は愛果が吠える前に早口で告げた。
「それが本当にあるならマズイですよ、愛果さん」
「……は? なんで」
陽陰学園は、妖怪を阻む結界が唯一張られている学校だ。その存在を知る者は、結界を張る陰陽師と、町の重要機関を担う《十八名家》の人間のみ。その安全性があるからこそ、《十八名家》の人間は必ず陽陰学園に進学しているのだが──。
「つまり、抜け道があるってことはその結界が破れてるかもって言いたいの?」
自分たち以外には聞こえないように、愛果は声を潜めて尋ねた。
「その可能性があります。愛果さん、案内してください」
「……なら仕方ない、か」
愛果は唇を噛み締めるように囁いて、わしゃわしゃと金髪を掻き乱した。
「わかった、ついてきて」
真剣そのものの表情で、愛果は結希を先導する。椿には悪いが、結希の中での優先順位は結界の方が高かった。




