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百鬼戦乱舞  作者: 朝日菜
第一章 金狸の幻術
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序幕 『〝はじめまして〟』

挿絵(By みてみん)



 ──〝家族〟とは、なんだろう。



 そもそも人は、何を基準に他者を家族と呼ぶのだろう。

 血の繋がりか。ならば夫婦は家族ではない。住む家が同じならば、居候はどうなるのだろう。



「……やめよ」


 間宮結希まみやゆうきは呟いて、考えることを放棄した。事の発端は母親から送られてきたメッセージにあり、ため息をつきながら無個性なスマホを一瞥する。


『今日からここで暮らしてネ♪ 荷物はもう送ったから、学校からそのまま帰ってください』


 たったそれだけの内容に、怒りを通り越して唖然とした。送付された画像を見るには見たが、どう見てもそれは一軒家だった。


 その家がシェアハウスであると信じて、結希は通学路ではない道を進む。瞬間、握り締めていたスマホが震えた。


「もしもし?」


『あ、結希君!』


 四十代前半だというのに、無邪気に弾ける声が煩わしい。返事の代わりにため息をつく。


「母さん。なんなんだよあれ」


『ごめんね〜。ちょっと家に帰れなくなっちゃって!』


 まったく悪気がなさそうな朝日あさひの笑い声が耳元から聞こえてきた。彼女の表向きの職業は写真家で、家に帰れないというのはよくある話だ。六年前に離婚して姿を消した父親には、以来一度も会っていないが。


「別に一人で暮らせるから。ていうか、出張なんて初めてじゃないだろ」


『家事できないくせによく言うわねぇ。いつ帰れるのかわからないし、何よりも、結希君の身に何かあったらどうするの?』


 何も知らない赤の他人からすれば、朝日は相当な心配性で子離れできない母親だと思うだろうか。

 結希は声を潜めて話を続けた。


「じゃあ何。その家が俺を助けてくれるわけ?」


 自分の身に何かなんてないと言い切れないことが情けなく思えた。悔しさを押し殺し、また平然と言葉を続ける。


『そうよ。あの子たちならきっと、結希君を守ってくれる』


 急に真面目くさった声色で話す母親に戸惑いつつも、それさえも表には出さなかった。唾を飲み込み、母親の話に耳を澄ませる。


『──だから結希君も、あの子たちを守ってあげてね』


 渋々と、朝日を説得するのをやめた。その代わりに、「わかったよ。あと」と朝日が通話を切るのを遮る。


「あの家なんなんだよ。アパートには見えないけど」


『あぁ、あれは百妖ひゃくおう家よ』


「……ひゃ、百妖?」


 その名字に背筋が凍りついた。脳裏に浮かんだ人物を否定するように、首を全力で真横に振る。

 かなり珍しい名字だが、この町にいる百妖家は二つある。そっちだと信じることしかできない。


『結希君は知らないかなー? この町では結構有名な政治家なんだけど……』


「知ってるから説明しなくていいって!」


 慌てて朝日の口を止め、一言二言告げて通話を切った。そして長い息を吐き、澄みきった蒼穹を一人で見上げる。


 ……つまり、居候ってことか。


 通話を切った後でようやくそれを飲み込んだ。しかも百妖家。いつも世話になっている親戚の方がまだ気が楽だ。

 結希はスマホを鞄にしまい、止めていた足を動かした。例の家までたいした距離はない。だというのに、次第に歩幅が狭くなった。気づいた時には、立ち止まっていた。


 自分を『守ってくれる』家。自分が『守らねばならぬ』家。それは、どういう意味なのだろう。


 考えても結希にはわからなかった。

 あの百妖家が、力を持っているわけがないのに。


「……なんなんだよ」


 声が漏れた。深呼吸を繰り返して、一歩足を踏み出した。





 ──〝家族〟とは、偽りで満ちている。



 血が繋がっていても、そうでなくても。

 時に心苦しい思いをして、平気な顔で嘘をつく。時に切っても切れぬその縁が、どうしようもなく憎くなる。


 ……時に温かい気持ちになり、励まされる日もあるだろうが。



 百妖ひゃくおう家の母親的存在である長女の麻露ましろは、いつもよりも一人分多い夕食を作っていた。話によると同居人は男子高校生らしく、その一人分もかなり多めに作ってある。

 不意に視線を窓へと向けると、日が傾き始めていた。あの学校は今日が始業式だったはずなのに、そこに通う妹も同居人もまだ帰ってきていなかった。


「シロねぇ! お兄ちゃん来たぁ〜?!」


 どたどたと騒がしく階段を駆け下りてくる末っ子の月夜つきよは、黄緑色の瞳を輝かせて麻露に尋ねた。椅子に座っていた麻露は、視線を月夜に移して答える。


「来てないよ。まったく、愛果あいかも彼もどこで道草をしているんだか」


「えぇ〜! やだやだ! つまんない! 早く会いたい〜!」


 不満げになった月夜は、その場で足踏みをした。小学六年生だからといって、その威力は侮れない。


「足踏みをするな」


 月夜の襟首を持ち上げて、麻露はリビングにあるソファへと放った。「んぎゃっ?!」と声を上げたのは月夜ではなく、麻露は一瞬目を見開く。


「ちょっ、痛いって!」


 死角になっているソファの背もたれから飛び出したのは、真っ赤に染まった団子だった。


「そこにいたのか、椿つばき


 詫びもしないでキッチンに戻る。そんな麻露の態度を気にする様子もなく、椿は隣で目を回している月夜の頬を軽く叩いた。


「今、すごい音がしたけど……」


 リビングの扉を開けて顔を出したのは、中学二年生だというのに出るべき場所が異常に成長している心春こはるだ。


「っきゃあ!? つきちゃん!」


 高校一年生の姉に頬を叩かれている小学六年生の妹を見て、心春は悲鳴に近い声を出す。「やったのはシロ姉だからな?!」と弁解しながら両手を上げて、椿は全力で首を振った。


「ダメだよシロ姉〜!」


 十四歳も年下の心春に叱咤された麻露は、少しだけ視線を上げてやれやれと首を左右に振る。


「何を言っているんだ。私はただ、ダメな妹を説教しただけだよ」


「やり過ぎだよ〜!」


 心春が何を言っても麻露は聞く耳を持たなかった。それでもめげじと口を開くと、リビングの固定電話が鳴る。

 表示された番号を確認した麻露は、その内容を早くも察知して唇を噛んだ。どろりとした醜い感情が自分の人間性を奪っていくようだった。


「椿、心春。家にいる家族を全員連れてこい」


 そう二人に告げて電話に出る。

 連れてくることに反論はなかったが、椿と心春は表情を曇らせて互いに顔を見合わせた。


「全員……って、あれも?」


「来るかなぁ?」


 二人が危惧していたのは、引きこもりの姉の二人だった。自分の世界を壊されると、しばらく手がつけられなくなる彼女たち。だが、それ以上に恐ろしいのがこの家の掟の麻露だった。

 慌てて飛び出していく二人、そして未だに目を回している月夜を見て、麻露はようやく口を開いた。


「……なんの用だ、じん


 ハハ、と乾いた男性の笑い声が聞こえてくる。


『もう、お父さんとは呼んでくれないのか?』


「娘だと思ってないくせによくそんなことが言えるな。血なんて繋がっていないのだから、問題なんてないだろう?」


 怒りを滲ませながら声を潜めた。

 ソファに横たわる月夜に視線を止め、聞かれていないことを確認しながら。


『悲しいな』


 何度も何度もそう言われた。


「黙れ。二度とその言葉を使うな」


 そうさせたのはどこの誰だ。

 冷えきった自分の手が熱を帯びていく。体の芯が自分を冷やそうと暴れ狂い、立てなくなる前に用件を急かす。


「言っておくが、同居人の間宮結希まみやゆうきならまだ来てないぞ」


 それがなかったことになるのか。だとしたら、作りすぎた一人分の夕食はどうしようか。

 麻露が思考を巡らせていると


『なら、好都合だ』


「……は?」


 仁の予想外の返答に、思考を奪われる。そんな麻露を嘲笑うように、仁は再び乾いた笑い声を上げる。



『──今日から、間宮結希君を家族にする』



 〝家族にする〟。


 麻露は、仁から何度も何度もその言葉を聞かされていた。長女にしか聞かされないその言葉は、幾度も麻露を苦しめる。それは、今回も例外ではなかった。


「……多忙すぎて頭がやられたのか? 間宮結希は〝男〟だ。私たちの、〝この家〟の家族になんてなれるはずがない。そもそも私は、いくらあの人の息子とはいえ居候自体反対──」


『彼もまた、必要な戦力だよ』


「……戦力?」


 仁の言葉をそのまま返す。

 麻露は、自分たち姉妹のことを〝道具〟だとか〝戦力〟だとしか考えていない仁のことがこの世の何よりも嫌いだった。


 ただ、そう思われていても仕方がなかった。


 自分の手首の、白く透き通った肌の下に流れている赤い血を無言で眺め、麻露は唇を噛み締める。


『では、他の子たちにもそう伝えるように』


 プツッと、耳元で通話が途絶える音がした。

 自分の中の何かは、それでもまだ切れなかった。


「……パパ?」


「ッ!」


 振り返ると、うにゃうにゃとソファから体を起こす月夜が目を擦っていた。


(今の、まさか聞かれて……?)


 けれど、相手は月夜だ。後でいくらでも誤魔化せる。


「……ねぇ、シロ姉。今、パパの声……した?」


 寝ぼけているのか未だにうにゃうにゃしている月夜に、麻露は静かに胸を撫で下ろしてこう答えた。


「するわけがないだろう」


「そっかぁ」


 と、寂しそうに顔を伏せられる。末っ子の月夜にとっては、今が甘え時だ。寂しいに決まっている。


 かつては自分もそうだったと、麻露は遠くを見るように目を細めた。刹那、リビングの扉が開いて月夜と瓜二つの顔が覗く。


「姉さん、こんなとこにいたんだ」


 彼女が姉さんと呼ぶ相手は、この世でたった一人と決まっていた。

 パタパタと駆け寄ったのは長女の麻露の方ではなく、双子の姉の月夜の方だった。


「あ、ささちゃん!」


 月夜と瓜二つの顔の持ち主、百妖家の真の末っ子である幸茶羽ささはに、麻露は「椿と心春は?」と尋ねる。


「あの二人なら、鈴歌れいか朱亜しゅあの部屋の前で見かけた」


 幸茶羽は無表情でそう答えた。その表情は、月夜の隣に座って少しだけ柔らかくなったが。


「またあの二人か」


 鈴歌と朱亜の引きこもりコンビは、またゲームに没頭しているのだろうか。別の部屋で同じゲームをし、そのゲーム内で会うという行動は理解できない。


「……あと、和夏わかなもいた」


 思い出したように幸茶羽が呟くと、勢いよく扉が開かれた。そこから椿と心春に引きずられて、鈴歌と朱亜がリビングに出てくる。


「…………眩しい、死ぬ」


「離すのじゃあー!」


 鈴歌と朱亜が最後の抵抗をするも、無駄に終わった。

 その後からひょこっと顔を出した和夏は、乱れた黄緑色のマフラーを首にしっかりと巻きつけて笑う。


鈴姉れいねぇ朱亜姉しゅあねぇ、ふぁいと〜!」


 そう言いながら、最後尾で二人を押していた。

 少し息が上がっている椿と心春を見下ろして、やればできるじゃないかと麻露はわずかに笑みを漏らす。


「さて、キミたち。そこに座ってもらおうか」


 それも一瞬で、この家にいた自分を除く七人の姉妹に指示を出した。既にソファに座っていた月夜と幸茶羽二人を入れても、ソファにはまだ人が座れる余裕がある。


(まったく。どうやって説明すればいいんだ)


 それよりも気がかりだったのが、間宮結希の件だった。

 いきなり家族になる人間──しかも男子高校生を、どうやって彼女たちに理解させろと言うんだろう。麻露はしばらく頭を悩ませ、一つの結論に辿り着いた。


 日頃の仁への鬱憤を晴らす為、躊躇うことなく言い放つ。


「今日来る同居人は、実は父さんの再婚相手の連れ子なんだ」


 と。





『今日来る〝同居人〟は、実は父さんの再婚相手の連れ子なんだ』


 ピタッと結希ゆうきの動きが止まる。取っ手へと持ち上げられた手を下ろそうなんて考える暇もなく、拗られていく思考を巡らせた。


(……連れ子? ちょっと待て、いつから俺は連れ子になったんだよ! ていうか母さんはいつ再婚した?!)


 朝日あさひの説明とだいぶ食い違っている。

 母親が隠したのか、この声の主が嘘をついたのか。


『連れ子ぉ?!』


 当然、一枚の板を挟んだ向こう側にも動揺が広がっていた。


『あぁ、そうだ』


(……結希には後で口裏を合わせてもらうしかないな)


 そんな麻露の考えが、今の結希に伝わるわけがない。永遠とも思えるほどに、長い時間その場に突っ立っていると──


「んっ?」


 ──肘が小さな衝撃を感じとった。腑抜けた声を出して思わず振り返ると、リビングの光が届かない位置に小柄な人間が立っているのが見える。


「痛っ! ちょっと、いおね……」


 それは、明らかに人の名前だった。その名前に聞き覚えがあった結希は思わず硬直するが


「……ぎゃぁぁぁあ?!」


「ッ?!」


 間近で響いた悲鳴に鼓膜を破られる。驚いて後退りをすると、真後ろの扉に頭をもがれた。


愛姉あいねぇ! どうし……って、うわぁぁぁあ!?」


 リビングを照らす煌びやかな光が、少女の赤毛を鮮やかに照らす。それに心を奪われる余裕もなく、叫び続ける二人を落ち着かせようとして──さらに叫ばれてしまった。


椿つばき愛果あいか! 黙れッ!」


 それに負けない声量で、元凶の麻露ましろの叱責が響く。瞬間に二人は口を閉ざし、怯えたように麻露を見上げた。

 その麻露は結希を一瞥し、襟首を掴んで廊下の奥へと引っ張っていく。といってもたいした距離はなく、すぐ側の階段へと足を伸ばす。


「あっ、いや、俺は不審者なんかじゃないです! 誤解しないでください!」


 慌てて弁解するが、麻露は聞き入れようとしなかった。

 リビングの方へと視線を戻すと、例の少女たちと目が合う。だがそこに、自分とぶつかったはずの少女はいない。代わりに狸のぬいぐるみらしき物が転がっていて、慌ててそれを、椿と呼ばれた少女が拾っていた。


 階段を下りきると、信用を得る為に抵抗をやめていた結希を壁に押しつけて、麻露はじっと結希を見据える。女性にしては背が高く、目線は結希とほぼ同じだ。


「キミが間宮結希か?」


 暗闇に馴れている結希は、その凍てつくような視線を痛いほどに感じていた。つり目ではないが、深い青目が結希を氷山へと閉じ込める。


「……はい」


 息苦しさを殺して声を振り絞った。

 とっくに日が沈んでいるせいか、それともオーロラのような美しさを秘めた顔のせいか。どっちにしろ異常なほどに鳥肌が立つ。氷像のように透き通った肌に映えるりんご色の唇は、まるで白雪姫のようだ。


 返事を聞いた麻露はそんな結希を氷山から救出し、口角を上げ


「今日からキミは、父さんの再婚相手の連れ子として生きていけ。真実は話すな。……いいか、これは命令だぞ」


 問答無用と言うように、結希の耳元で囁いた。魔物のように冷たい吐息が耳にかかるが、結希は飛び退くことを堪えて視線を逸らす。


「それは了解した、と受けとるよ」


 麻露は腕を組んで怪しく笑った。

 その目はどこか、慈愛と安堵を宿していた。

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