喪失
気がつけば、目の前に『ソレ』がいた。修也を助けたい。振るった右腕は風を切り、修也を襲う右腕を殴りつける。僅かな閃光を纏った右腕は、昨日はピクリともしなかった『ソレ』の右腕の肉を抉り、その腕を弾き飛ばした。
『………?』
目の前で起きたことについていけないのか、『ソレ』は首を捻るが、痛みはすぐにやってきた。
『ガアアあぁぁあアアァぁああぁあアぁ!!!』
抉り飛ばされた右腕を掲げて『ソレ』は叫ぶ。
その隙に響は修也の傍に駆け寄る。
「大丈夫かおっさん!」
「肩を貫かれたくらい、何てことないさ」
肩を抑えながら立ち上がり、修也は笑う。
「ありがとう、響くん」
放たれた言葉に、響は僅かに顔を背け呟く。
「どういたしまして」
立ち上がった修也は響の姿を見る。
「気をつけてくれ。目覚めたばかりのレガリアはまだ君の為に調整されていない。あまり時間をかけると気を失ってしまう」
「分かった。なら―――」
叫ぶ『ソレ』を睨み、響は構える。
「あいつをさっさとぶっ倒せばいいんだろ」
『おマエ、よ、よく、ヨクもおぉォォォォ!!!』
自らの腕を抉った響を睨み、『ソレ』は怨嗟の咆哮を上げる。突き出された右腕を躱す、さっきは横から殴りつけたからこそはじき飛ばせたが、正面からではあの怪力に対し為すすべはない。右腕が引き戻されるより早く踏み込む。たった一歩で彼我の距離が大きく縮まる。常人では出せない速度と力。これがレガリアと呼ばれるものの力なのだろう。『ソレ』が左手を振るうより早く、右腕を突き出す。拳は『ソレ』の顔面を捉え、殴り飛ばした。確かな手応えと同時に、吹き飛ぶ『ソレ』を追撃する。
「響くん!」
背後から聞こえる声。振り向けば背後から突き出された右腕が戻ってきていた。躱すのはもう間に合わない。響は両腕を交差しそれを受ける。鋭い痛みが体を走り、腕から血が流れ落ちた。
「くっ!」
背後からの追撃が来る前に『ソレ』と距離を取る。此方を向く『ソレ』は罅の入った顔を歪ませ笑う。
「…気色悪っ」
呟き、加速する。先程よりも速く景色が流れ、懐に潜り込む。
「ッラァ!」
踏み込み、右腕を振り上げる。拳は『ソレ』の顎を打ち上げその体をぐらつかせる。そしてがら空きになった胴に左拳を叩き込む。衝撃からその体を後退させた『ソレ』は右腕を向ける。例え至近距離であっても、来ることが分かっているのならば避けられない筈はない。右腕が伸びると同時に響は左へと回り込もうとする。しかし、ただ伸びるだけに思われた右腕は針山の如き形状となって襲い掛かる。
「ぐ…ったぁ…!」
突き刺さる痛みに顔を歪める。しかし、呆としている暇はない。響は痛みに耐えならがらも針を砕き右腕から脱出する。全身が痛み、血が流れ落ちる。おまけに先ほど修也が言ったようにまだレガリアが自分様に調整されていないからだろう。全身を倦怠感が包み込んでくる。
肩で息をしながら、響は目の前の異形を睨む。時間もあまりない。響は構えると再び加速する。首に巻かれたマフラーが尾を引き、一本の線となる。
しかし、それはただ勢いに任せた突進。それがどれだけ速かろうと直進であればどうとでもなる。『ソレ』は右腕をボコボコと形を変え突き出す。それは槍だ。人の何倍もあろうかという大槍が突き出される。常人の何倍という怪力から放たれた一撃は空気を裂き、突進してくる響を迎え撃つ。
「っ、ぁああアアァァぁ!」
痛い。突き出した拳には、まるで電柱を殴りつけたかのような痛みが走る。けれど、退くことなんて出来ない。ただ真っ直ぐに涙を堪えて疾走する。今よりももっと速く、もっと強く―――!
右手を包む光が更に強く輝く。大地を踏み締め、前へ進む。バキン、と言う鈍い音が聞こえる。睨む先、拳を叩き付ける先には罅の入った槍。それはあっという間の出来事だった。罅は全体に走り、槍が崩れる。開けた先にいるは、右腕を失った異形の怪物。
「終わりだぁ!」
響の拳は真っ直ぐ化け物へと届き、風穴を開けた。
『……ぁ…カ…』
その最後の声は風に消され、化け物はその身体を地へと伏せた。それを見た響はゆっくりと振り返り、修也を見る。
「…やったぜ」
「そうだね」
笑いながら、フラフラとした足取りで修也の元へと歩く響。それを支えようと修也は走る。
「―――響くん!」
しかし、その足は焦燥と共に速くなった。修也の声に、響はその視線を背後へとやる。
『――――!!』
そこにいたのは立ち上がり、残った左腕を振り下ろそうとする化け物の姿。響は茫然としたまま、ただそれを見上げる。
「響くん!」
修也の叫びと同時に振り下ろされる左腕。響は視界を黒く染めた。
「…?」
何時まで経っても来ない痛みと衝撃に、響は静かにその瞳を開ける。
「大丈夫…かい?」
その眼に映ったのは自分に覆い被さる修也。ゴボリ、と音を立て修也の口から血が零れる。それに引きつられる様に視線を下に落とした響の視界に入ったのは、修也の腹を破る赤く染まった何か。それはやがてボロボロと崩れていき、灰になって消えていく。
「ぁ……あ…」
顔を青褪め、響は口を開く。瞳から涙が零れる。響は倒れる修也の身体を支え叫ぶ。
「おっさん!おっさん、しっかりしてくれよ!なぁ、おっさん!!」
叫ぶ響に修也が僅かに動く。
「僕…は大丈夫だ。それよりも、君は平気…かい?」
「こんな時まで、笑って…人の心配してんじゃねえよぉ!!」
そう泣き叫ぶ響に修也は小さく笑う。
「子供を泣かせるなんて…僕は駄目な、奴だ…ね」
「そうだよ!アンタは駄目な奴で、ホントに一人じゃ駄目な奴で!―――だから一人で逝こうとすんなよ!!」
「…ははは」
「笑ってんじゃ…ねえよぉ…!」
修也はただ静かに口を開く。
「響くん、君は小さな…頃から、意地っ張りで、笑わない子だっけど…。君といた時間は…っ僕にとって、とても楽しい時間だったよ」
呟き、修也は目を瞑る。
「おい…おっさん!おっさん!目ぇ開けてくれよ!おっさん!」
修也の握る手から力が抜ける。その手を離す事が出来ず、響はただ修也を呼び続けた。