焦り
「響!おい、待てってば!!」
空を駆ける二つの影。走るアリスは先を行く響へと叫ぶ。
「―――っ!」
しかし、それを聞く余裕すらないのか、響はその速度を緩めず最速で朝出街へと向かう。その表情は焦燥で染まっていた。
まだか、まだ街は見えないのか。
その焦りは行動となって表れる。響の踏み締めた場所が陥没し崩れる。周囲が見えていないのだろう。崩れたコンクリートの落ちる場所、今はまだ人がいないからこそ被害が出ていないが、やがてそれがどうなるかは分からない。
「響!」
何とか追いつき、その肩に手を置き無理矢理止める。
「何だよ!!?」
「何だよじゃねえよ!しっかりしろよ!!」
「俺は別に―――」
「もっと冷静になれ!!周りを見てみろ!」
その言葉に響は自分の走ってきた道を見る。
コンクリートに罅が入り、屋根の瓦の一部が砕けている場所まである。その光景に響は顔を俯かせる。アリスの言った通り、自分は冷静でなかった。その手を強く握りしめ、自らの頬を殴る。衝撃で一瞬視界が白く染まり、痛みと共に口の中に血の味が広がっていく。
「悪い。どうかしてたみたいだ」
その顔を上げて響が言う。
その行動に呆気を取られていたアリスも、その表情を見て呆れ、やがて笑った。
「戻ったならいいんだ。しっかり頼むぜ」
「ああ」
そう言葉を交わし、二人は再び空を駆けた。
「うん、今のところ順調よ」
『本当だろうな』
「そんなに疑わないでよ。今の所は私に裏切る気なんてないんだから」
『……それで、シャドウ達は?』
「一応君の手駒分は全部レベル3にまで達してる。そっちにいるのを合わせて…レベル5一体にレベル4三体、レベル3十五体かな」
『少ないな』
「そう言わないで。バレない様にするのも大変なのよ?今だってあの子が囮になっているからこうしてられる訳なんだから」
『………』
声の主は何も言わず通信を切る。
「あら、切っちゃった」
創世は残念そうな顔を一転、笑顔を浮かべて視線を正面に戻す。
「貴方達も、それが終わったら退くわよ。さっさと終わらせてね」
その身体を赤く染めながら何かに齧り付くことに夢中なシャドウ達はそれに答えはしない。けれど、理解はしているだろう。シャドウ達は自分の命令には忠実なのだろうから。
「あと何体位増やそうかなぁ…」
人差し指を顎に当てて、創世は空を仰ぎ見る。すると、まるで狙っていたかのように頭上を通り過ぎていく二つの影。
「やっぱり此処を餌場にして良かった」
その影を見送って、創世はにっこりと笑った。
朝出街の規模は鳴海市でも大きい部類だ。駅のある中央の近くにある為に人通りも多く、建物も多く建っている。
その中でも最も大きなデパートの屋上に、それはいた。
「う~む、美しい。相も変わらずこの世界は美しい」
黒のスーツに身を包んだ細身の男は口を歪める。黒髪の下にある切れ長の瞳は眼下で行き交う人々へと向けられていた。
「ああ、今日も息苦しく、汚泥で溢れている。なんと心地良いんだ」
もしここに他の者がいれば間違いなく頬を引き攣らせるだろう。どこか熱っぽい口調は周囲からの嫌悪感を高める。
「っと、忘れていた」
『創世』からの依頼を思い出し、男はスーツのズボンのポケットから携帯を取り出す。
「たかが一人であろうと、派手に演出しなくては」
携帯に番号を打ち込み、電話を掛ける。それだけでいい。
「さぁ、観客どもよ。貴様たちの悲鳴で盛り上げろ!」
爆発音が街中に響き渡る。それは一回ではない。二回目、三回目と次々に爆発音が響き渡る。
それが響き渡ると同時に爆風が窓ガラスを打ち破り、黒煙が昇っていく。
男はそれをただ冷めた瞳で眺めていた。
人々で賑わうデパートの中を私は歩く。何時もなら響やアリスちゃんが隣にいるが、今日は誰もいない。修也おじさんのお墓を掃除しに行っているからだ。
「う~ん、これかなぁ…」
商品棚に並ぶマグカップを睨みながら一人唸る。今選んでいるのはアリスちゃんへのプレゼントだ。響の家に住んでいる彼女は、まだ自分の物も少なく精々ベッドと服が何着か持っているだけだ。流石に自分のカップがないのは不便だからこうしてプレゼントとして渡そうと考えたのだ。
「やっぱりこれが合うかな」
そう言って選んだのは女の子らしいピンクのカップ。照れ屋な彼女はあまり私たちに自分の趣味をみせることはないが、彼女はこういった可愛い物に目がない。
「喜んでくれるといいなぁ」
アリスの喜ぶ顔を想像して茜はその顔を綻ばせる。
「後は響のかな」
もうすぐ誕生日を迎える響へのプレゼント。毎年あげているけれど、彼はどんな物でも嬉しそうな顔を浮かべる。
「…ふふ」
こうして響のことを考えている自分がいることに思わず笑ってしまう。
昔はこんなことなんて考えなかった。
私は響のことを嫌っていたのだから。
彼が何時来たのかは覚えていない。ただ3歳の頃には既に一緒に暮らしていた。
響は髪の色も、その瞳も、私たちとは全然違くて、凄く不気味に感じられた。何時も不愛想で殆ど喋らなかったのもそれに拍車をかけていたのかもしれない。私は家の中でも外でも響とは殆ど話すことなんてなかった。
彼も私の両親以外に自分から話すことは殆どなかった。だからだろう。彼は小学校で数人の男子に苛められることもあった。けれど、彼は何も言わず何もせず、それを不気味に思った男子たちは益々不気味に思って直ぐに苛めは終わり、彼と関わることもなくなった。
そんな彼を心配して、両親は彼に対しては親ばかとも思えるほど甘かった。
小さかった私はそんな彼が妬ましくて、両親にとって私は彼ほど大切じゃないのかと大きなショックを受け、家を飛び出してしまった。
小さかった私には街はとても大きくて、気付けば私は自分が何所にいるのかも分からなくなってしまっていた。家を飛び出した時には茜色だった空は黒く塗りつぶされていた。まだ小さかった私にとって知らない場所で一人でいることは本当に怖くて、私は公園の遊具の中でただ震えて泣いているだけだった。
「みつけた」
震える私の耳に鈴の音の様な声が聞こえた。
その音にビクリと肩を震わせ、私は恐る恐ると声のする方へ顔を向けた。
そこにいたのは、まるで妖精だった。月からの光を綺麗な水色の髪が反射させて、まるで光の粒子が散りばめられているかのようであった。その幻想的な光景に惹かれている自分に気付いて、私はムスッとした表情で乱暴に口を開いた。
「何しに来たのよ」
「茜を探しに。皆心配してる」
「気安く人の名前を呼ばないで。…それに、お父さんもお母さんも心配なんてしてないわよ」
「……どうしてそう思うの?」
その時の響の言葉に、私は少し驚いた。何故なら、響の声音には僅かな怒気が含まれていたからだ。私はその声に気圧されて、その言葉に答えることが出来ずに顔を伏せた。
そんな私に気にせず、響は隣に座ると再び口を開いた。
「二人とも、本当に心配してるよ。お義母さんなんて茜が帰ってこなくて泣きそうだった」
「……ねぇ」
「ん?」
「アンタはどうして私を探してたのよ」
「心配だったからだけど」
「どーだか」
そう言って私はまた顔を伏せた。
「茜がどうして二人をそう思ったのかは知らないけど。それって悲しいことだと思うよ?」
「……」
「僕は二人の子供じゃないけど、二人はそんな僕にもすごく優しくしてくれたし、それ以上に茜のことを大切そうに見てたよ。茜のこと、凄く大事そうだったよ」
「…アンタにそんなこと分からないじゃない」
「分かるよ」
即答するように放たれた言葉に、私は思わず顔を向ける。
「なんとなく、分かるよ。親を知らない僕から見ればすごく羨ましい」
その言葉に私はもう何も言えなくなってしまった。その時の響の表情を私は見てしまったから。
ずっと笑いもしないし泣きもしない人形の様であった彼の、人間としての部分を見てしまったから。
「……アンタ、帰り道分かる?」
「うん」
「そう」
立ち上がると、私は歩き出し、数歩して止まった。
「ん」
振り向き、不機嫌そうな表情で差し出した手を、彼は苦笑しながら握った。
真っ暗な道の中を二人で歩く。けれど、その心には先程までの恐怖なんてなくて、前を歩く響の手の温かさが妙に心地好かったのを覚えている。
「そう言えば、アンタなんで私の場所が分かったのよ」
「何となく、あそこにいるような気がしただけ」
「…変な奴」
その言葉に少しだけ笑ってしまう。どれ程歩いたのだろうか、家の前でオロオロする母を見つけて、私は駆けだした。
「ほら、行くよ響」
「うわっ!」
先程とは逆に私が響の手を引いて行く。
結局、父にも母にも怒られ、泣かれて、私たち二人はお説教をされ続けたけれど、以前の様な妬ましさも孤独感も消えていた。
その日を境に、私の響への態度は変わり始めていった。
「はっ!」
思い出に浸りすぎていたらしい。頭上からのアナウンスに私は我に返る。
今日中にプレゼントのある程度の目星をつけておきたいところだ。私がプレゼントを選びに歩き出した。
その時だった。
地面が揺れるのを感じ、爆発音が聞こえてくる。
他の人達の悲鳴が聞こえ、弾けるように私が動こうとした瞬間、衝撃に襲われ私の視界は黒く染まった。




