覚醒
どうやったらひらがなにもルビ振れるんですかねぇ…
「聞いた響?」
「あ?何が?」
眠そうな目を抉じ開けながら、響は茜の言葉に首を傾げる。
「昨日ここの近くで凄い音がしたんだって、それで近所の人たちが朝になって外に出たら塀の一部が崩れ落ちてたんだって!」
「……そりゃすげえ」
「ちょっと、ちゃんと聞いてるのー?ねえ響ったら!」
「聞いてるよ。ただ現実見が無くてどう反応して良いか分からねえだけだ」
隣で話す茜の声を聞き流しながら、響は静かに、昨日襲ってきた化け物を思い出す。
あの後気絶した響が目を覚ましたのは夜が明けるころだった。目を覚まし、まず感じた違和感はどこにも痛みが無かったことだった。頭部の出血は既に止まっており、パラパラと地面に落ちて行く。叩きつけられた筈の身体の痛みも無く、軽く確認すれば青痣さえもなかった。それを疑問に思いながらも、あまり人目のないうちにこの場から離れようと帰宅したのだ。
「響?」
「んあ?」
「大丈夫?何だか調子悪そうだけど」
「平気だよ。ただ、昨日あんまり寝付けなかっただけだ」
「それなら良いけど…気を付けてね?」
「ああ」
心配してくれる茜に嘘を吐く事に若干の申し訳なさを感じながらも、響は昨日の事を引き摺ったまま学校へと向かった。しかし、そんな状態では碌に授業を受ける気も起きず、教師の話はただ右から左へと素通りしていくばかりであった。修也と連絡を取ろうと何度もメールや電話をしているが一向に繋がらない。解けない疑問への苛立ちから、ついペンを握る手に力が入る。
バキンッ
短く鳴った何かが壊れた音は響の視線を誘った。その音のした物へと視線を移す。その視線の先には、粉々に砕けたペンがあった。折れるだけならまだ納得の使用もある。そういったことが絶対に起こらないとは言えないのだから。しかし、目の前にあるこれは起こりえないことであった。響は握力が強いわけでもない。それなのにペンの握っていた箇所が砕けているなど現実離れしすぎている。目の前で起きた異常、それは響の疑問を更に大きなものとして残すことになった。
結局、学校にいる間に修也と連絡を取ることは叶わず、学校が終わると響はその足で修也が何時もいる河川敷へと向かっていた。途中、何時も釣りをしている場所へ子供達と遊んでいる公園も見てみたが、そこに修也の姿はなかった。河川敷に近付くに連れ早まって行く足は次第に駆け足へと変わっていた。
「おい、おっさん!」
目的の河川敷に着き、響は修也を呼びながら普段修也が住まいとするレジャーハウスに踏み入る。
「………」
しかし、そこには修也の姿はなく寝袋と小物が置いてある程度だった。響は小さく舌打ちをするとレジャーハウスにどかりと座り込む。此処で待っていれば何時かは帰って来るだろう。わざわざ家で修也の連絡を待っている必要もない。そう思いながら響は横になった。
「―――ん」
闇の中、良く聞いた事のある声が聞こえて来る。それは徐々に大きくなっていき、やがてハッキリと聞えて来た。
「響君!」
その声に視界が開き、光が響の視界を塗り潰す。
「………」
一体何時の間に、それもどれ程寝ていたのだろう。響はゆっくりと身体を起こし携帯を取り出す。開いた携帯の液晶には現在の時刻である七時四十分と表示されていた。
「響くん?」
「…おい」
暫し携帯に表示された時刻を見ている響に疑問符を浮かべて声を賭ける修也。響は怒気を含んだ声を出すと修也の肩を思いきり掴む。その顔には怒りから青筋が浮かんでいる。
「いたたたた!?ごめん、良くは分からないけど、ごめんよ響君!!」
痛がりながらも謝る修也を見て溜飲が下がったのか響は修也の肩から手を離し、座らせる。
「まったく、突然何をするんだい」
掴まれた肩を摩りながら修也は不満をいう。それを一睨みし黙殺すると響を口を開いた。
「あんたに聞きたいことがある」
放たれた言葉に帯びた真剣さから修也も先程までの軽い態度を改め、真剣な顔つきをする。
「君に渡した匣のことだろう?」
まるで響の聞きたいことが分かっていたかの様に修也は口を開く。
「さっきの君の力だけで君に何が起きたのかは理解できた。さっき僕を掴んだときの力は、とても常人のものとは思えない程の力だった。そこから察するに、匣を使ったんだろう?」
「分からねえ。昨日、化物に襲われたんだ、そしたら突然アンタに渡されたのが光りだして、気づいたら怪我も治ってるし、バカみてえに力が増してるし…。何なんだよこれ、訳が分からねえよ」
現状に困惑する響に、修也は静かにコーヒーを差し出す。
「落ち着きなさい。君に渡した匣はレガリアと呼ばれるものでね。本来、あれはそう簡単に開くものじゃないんだが―――」
続く言葉は突然の轟音と共にかき消される。その音の発生源は頭上。二人が上を向くと同時に、何かがレジャーハウスの天井を破り、轟音と衝撃、そして土砂を舞い上がらせて二人の間を断つ。
「響くん!!」
修也の判断を迅速だった。それが何であるかを見るよりも早く、響の傍に走りその腕を掴むとレジャーハウスから連れ出した。天井をぶち破った何かは、シュルシュルト縮むと二人の上へ引き上がっていく。そして、それと反対に地面に降り立つ影。
「!」
それは響にとって見覚えのあるものであった。異常なまでに膨れ上がった右腕と黒く染まった身体、そして煌々とする紅い両目。昨日響を襲った異形の者であった。
「オッサン!」
「何だい!」
先を走る修也に響は叫ぶ。
「あいつだよ!昨日襲ってきた奴ってのは!」
「また来たってことは君に懐いたんじゃないかい!?それとも愛の告白かもしれないよ!!」
「ふざけてんじゃねえ!」
こんな非常事態であっても軽口を叩く修也に響は激怒する。そんなやりとりをしている二人の頭上を影が飛び越え、視線の先に着地した。
『は、ハコぉ…、こロス、コロス!』
涎を滴らせ、怨嗟に満ちた声を響かせる『ソレ』を前に二人は足を止める。
「響くん」
視線は目の前の『ソレ』から逸らさず、修也は一枚の紙を響に手渡す。
「君は逃げてそこに電話をかけなさい。僕の名前を出せば向こうも助けてくれるはずだ」
そう告げてメモを渡す修也に響は静かに尋ねる。
「おっさんは?」
「僕はこいつの注意を惹きつける」
「ふざけんな。だったら俺も残る」
「…我が儘言わないでくれ。あいつの狙いは君だ」
「だったら尚更だろ。あんたが残る必要なんてない」
背中を睨む響に修也は小さく呟く。
「これは大人としての義務だ。子どもの君を守る義務が僕にはある」
「ふざけんなつってんだろ!」
響が叫ぶと同時、『ソレ』は右腕を振り下ろす。再び轟音と土砂を舞い上がらせ、衝撃は二人を襲った。それを辛うじて躱す二人。
「何が義務だよ!何時だってヘラヘラして、ふざけたことばっか言いやがって!コレを渡したのだってあんただろうが!」
「…だからだよ。今回のことは、焦ったばかりに何の手筈も整えずそれを君に渡した僕に責任がある。だから、責任は僕がとる」
そう言って、修也は『ソレ』と対峙する。
「こんなことに巻き込んでしまってすまない響くん。そんなものは捨ててしまって構わない。そうすれば、コイツも君を襲っては来ないだろう」
突き出された右腕。槍のように放たれたそれを修也は右脇で受け止める。
「早く逃げるんだ!」
「おい、待て―――」
「逃げろと言ってるんだ!」
初めて修也から発せられた怒鳴り声。それを聞いた響の体はビクリと震え、唇を噛む。
「分かった」
そう言って、響は俯いたまま修也に背を向ける。
『ニガさない…。殺ス…』
その背中目掛けて飛び上がった『ソレ』。
「さ、せるかあぁぁ!!」
しかし、修也が受け止めた右腕を振り回し、響の背中に襲いかからんとするその巨体を投げ飛ばす。『ソレ』は空中で体をひねり、四肢を地面に着け着地すると修也に狙いを絞った。
背後で聞こえてくる音を聞きながら響は渡されたメモに書かれた番号を急いで携帯に打ち込んでいく。番号を打ち込みやがてコール音が聞こえる。修也の話ならば、これで助けが来てくれる筈だ。響は修也の無事を確かめようと走ってきた道を振り返り、目を開く。
「――――ッ」
響の視線の先、そこには右腕に肩を突き刺される修也の姿があった。
「ぁ…」
小さく漏れる声。その光景にドクン、と鼓動が大きく脈打つ。頭が燃えたぎるように熱くなり、視界がぶれる。
このままだと、修也が死ぬ。
何時の間にか、響は駆け出していた。握っていた携帯を投げ捨て、今までにないほどの速さで駆ける。しかし、遠い。響が駆け寄るより早く、『ソレ』はその右腕を振り下ろすだろう。
「―――ピンチなんだよ!」
この前、あいつを追い払っただろう。
「もう一度、何とかしてくれよ!」
この距離を埋めて欲しい。
「大切な人が、あぶねえんだよ!!」
今度は俺じゃなくてあの人を助けてくれ!
ポケットにある匣が光り輝く。それは昨日響を守った時と同じように。それを取り出し響は叫ぶ。
『もしこれから、君や君の大切な人達の身に危険が迫った時だけ、これを使ってほしいんだ』
「ぶっ壊せ!撃滅のレガリア!!」
光は響の願いとなってその身を変える。
迫る異形の右腕を前にして動けない修也の視界に、突如閃光が炸裂する。
そこには、赤いマフラーを纏う少年の姿があった。