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急展開です
それはまさしく、運命の出逢いだったのだろう。
時折、森の奥からそこに棲む魔物たちの咆哮が聞こえる。
それも既に慣れた彼女は怯えることなくベッドに腰掛け、自分がこの一月で書き溜めた一冊のノートの表紙をなぞる。その表情は読めない。
そのノートに書き溜めたのは、彼女がこの世界にやってきたときから作った調理のレシピの数々と、それが人体に及ぼす効果。およそこの世界の人間には理解できないそれらを書き残すのは、彼女にとって複雑な心境を呼び起こすものでしかなかった。
それでも、他でもない、自分自身の戒めのために必要だったから、彼に頼んで用意してもらったノート。
これを開けるのは、書いた本人である彼女と、彼女が認めた人間だけ。
それは今のところ、彼しかいない。
そう。
師匠にさえ、このノートは開けない。
自分が異世界人であるがゆえに、この世界の人間には持ち得ない得意な能力があるのであろうことは感じていた。それはもしかしたら自分自身の命さえ危ういほどの。
その能力が自身に直接的な危害を齎すわけではない。そうではなく、それをこの世界の人間に知られたとき、彼らが自分をどう見るかということだ。
忌避するか、歓迎するか。それならばまだ救いがある。問題は、それを利用するか排除しようとするかの場合。
前者なら自分が異世界人だと知られぬよう息を潜めて生きるか、それを生かして生業にすればいい。どこかに定住して、店を持つのもいいだろう。だが、後者ならばそういうわけにはいかない。
なぜなら、そういうことを考えるのは一定以上の権力を持った人間が多いからだ。
自身の野望のために利用するか、それとも自身に危害が及ぶ前に摘み取るか。どちらにしろ、ろくな未来は待っていない。
最初は把握できなかった、自分の能力。それを発見したのは彼であり、それは自分にとってとても僥倖だったのだと彼女は思っているし、事実だ。彼でなければ自分はここにはいないし、これほど恵まれた環境にいないに違いない。
この場所がたとえ、彼女を軟禁するための檻に等しいものだったとしても。
師匠が、彼が選んだ牢獄の番人だったとしても。
彼らが自分を忌避せず、大切に思ってくれていることだけは信じられるから。
だからこそ知られたくないことだってある。
毒となるレシピをわざと日本語で書いたのはそのためだ。だが、彼はおそらく気づいてはいまい。
彼女が日本語で書き記した中には、食べれば一瞬で普通の回復薬や治療薬以上の効果を齎すものがあることを。
自分の能力を自覚した彼女は、それから徹底してその力を自分のものにすることに腐心した。その結果わかったことは、彼女自身にその料理の効果はどれだけそれが強力なものであろうと聞かないこと。そして食すれば効果を見抜けることだ。
実のところ、その効果を持つ料理はどんなものか、彼女はすぐに思い出すことができる。作るたび、その効果を知るたびにまるで頭の中に辞書があるように蓄積されていき、念じるだけでその情報がぽんと出てくるのだ。なにその便利機能。ノートに書くのは、実を言えば彼に情報を渡すという意義が大きい。
あえて危険な情報を彼に理解できない文字で記したのは、自分と同じ境遇の、それを解読できる人間がこの世界のどこかにいるかもしれないと思ったからだ。
残すのは危険な賭けだが、おそらく自分と同じ能力を持つ人間などほかにはいないだろうし、何よりこれは予防策の観点で必要だとも思えた。
理解できなければ予防のしようもないが、逆に言えば、理解できなければ的確に危害を加えることもできない。ならば今は、危険だという注意を促すだけで十分だろう。
ノートを引き出しにしまい彼女が一息ついたとき、部屋の外から慌しい足跡が聞こえた。そして続く彼女の部屋を慌しくノックする音。
「起きているか!?」
「師匠?」
いつも泰然とした師匠らしくもない慌てぶりに彼女は部屋の鍵を外し、戸を開く。そこには声と同じく焦りを顔に浮かべた師匠がいた。
「どう」
「あいつが拘束された」
「!!」
突然の宣告に、彼女が目を瞠る。
次に耳に届いた言葉を理解することは、彼女にはできなかった。
「エレ二クス王国第五王子カイン・ウォン・エレ二クスの一時全権限の剥奪に伴い、エレ二クス王国イアン・ヴァスク・エレ二クス国王陛下より、王国元将軍ノルグ・ド・オーフェンとその保護下にある異世界人、キサ・ムツキに王宮への召喚を命じる――と」
いつかは来るとわかっていたその日がこんなにも早く訪れたことに、彼女――葵紗は、強張った顔で拳を握る。
師匠とともにそれに応じることしかできない自分に、そうすることでしか彼を助ける術を思いつけない自分の愚かさが彼女は悔しかった。
この世界で最初に出逢い、誰よりも自分を助け、救い、護ってくれた彼に、それをすべて返せない自分が嫌だ。
その恩人である彼を、自分の無知さゆえに死の淵に追い詰めた自分が何よりも憎い。
そんな自分をそれでも護ってくれるかの存在が、何よりもいとしいから。
「わかりました」
躊躇なく諾の言葉を発する彼女に王国最強と呼ばれた元将軍は、感情を覗かせない瞳を細める。
師匠にとって彼女より彼のほうが、比重が高いことは事実だったから。それでも願うのは、決してほだされたからではないと信じる。
ただ、彼らにとってこの召喚が負の結果を齎さないように願う、この心だけは。
やっと名前出せた・・・っ!
次回から出会い編、開始です