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お待たせしました。




 罪は、どちらのものなのだろう。




 静かな中に、ページを捲る音がする。

 時折ぐつぐつと鍋が煮立つ音と、包丁を使う音。

 そして何故か。


 ドン・・ガツ・・ゴン


 という何かを叩きのめす音。

 その発生源が気になった彼はノートを捲る手を止め、その発生源である台所に目を向ける。

 テーブルに座る彼からは作業する彼女の手元は見えない。しかしその手に握られているものだけは確認できた。おそらくあれは、金鎚、と呼ばれるものだと彼は理解した。

 そこでいったい何が行われているのか、興味を引かれた彼はノートを閉じ、台所に近づいて彼女に声を掛けることなく、その手元を覗き込もうと身を乗り出す。そこに再び彼女の手が金鎚を振り上げる。


「うぉっ!?」


 危うく顔面にぶつかりそうになったそれを、背を反らしてぎりぎりで避けた彼は、ひやりとするものを感じながらも口を開いたのだが。


「邪魔するなら帰ってください」


 金鎚をそれ以上振り下ろすことなく、それまで叩いていたモノの脇に置いた彼女はそう言うと、じろりと彼を睨む。

 そんな目で見られる理由に心当たりのない彼は、当初の目的どおり彼女の手元を覗き込む。まな板の上にはなにやら粉々になった黒い物体が――

 と思った次の瞬間、彼は脳天に強い衝撃を受けてたたらを踏んだ。

 後方からのそれにそのまま彼女に倒れこみそうになるのを回避し、咄嗟に身を捩って彼女の左手にある流しの縁に手をつき、衝撃を受けた頭部に手を当て唸る。


「邪魔しないでくださいってば」


 その声に今まで自分がいた場所を見れば、そこには先ほどまで彼女が握っていた金鎚が。

 状況を理解した彼は、思わず恨みがましい目を彼女に向けてしまう。


「だからって、実力行使はないだろう」

「言っても聞かなかったくせに」


 そう言われればぐうの音も出ない彼は、ごまかすように痛みを訴える箇所を撫でながら視線を彷徨わせる。

 まさか空間魔法を使って本人が攻撃してくるとは思わなかったので、完全に油断していた。自分がそれに気づかなかったことに多少衝撃を受けながら、彼女相手では仕方のないことかもしれないと自分を慰め、気になっていたことを尋ねる。


「師匠はまだ帰らないのか?」


 昼間、昼食後に再び軽く彼と手合わせをし、畑の様子を見て弟子たる彼に世話を言いつけた後、師匠は町に行くと出て行ったきり、暗闇が落ちてきた今も戻っていない。

 それは彼がここを訪れるたびよくあることなのでそんなに気にしていなかったのだが、いつもより遅いような気がして問うたのだ。誤魔化すためであったというのを否定はしない。


「ええ。今日は知人が大事な話があるとかで、いつもより遅くなるかもしれないと言って出て行かれたから。遅くなるようなら先に休むように言われています」


 もちろん彼を追い出した上で、とは言わなくても伝わるようで。


「師匠が帰るまでいたほうがいいか?」


 彼の申し出に彼女は否を言う。


「この家にいて、私に危険があるとでも?」


 少しばかり不機嫌さを滲ませた声音に、彼は真面目に反論する。


「そういうことじゃない」

「私は大丈夫です」

「お前の実力は知っているし、この場所に問題があるわけでもない」

「じゃあ、いいじゃないですか」


 ご飯食べたら出て行ってください。

 そっけない彼女の態度に、彼の方こそ苛立ちを覚える。

 そんな彼を無視し、今までまな板の上で砕いていたものを煮立った鍋に加え、火を止める。立ち上る湯気にそれまでなかった香ばしい香りが加わり、彼の食欲を刺激する。その鍋の横にかけられている片手鍋にも同じようなものが入っているが、そちらには特に手を加えられていないようだ。

 食卓に着くように促された彼は、そこに置いたままにしていたノートを閉じ、脇に寄せる。




 本日の夕食は、ビーフシチュー、胡桃入りパン、生野菜たっぷりのシーザーサラダ、デザートにはオレンジのシャーベットを添えて。

 前日から下ごしらえした牛肉は長時間丁寧に煮込まれ、スプーンで触れば程よい弾力を伝え、なのに口の中に入れればやわらかくほどける。

 柔らかな食感のパンの中に散りばめられた胡桃は程よい硬さで、シチューとあわせていいアクセントとなる。

 サラダに使用された野菜は師匠が丹精込めて育てたものに加え、彼女が採取してきた野草も加えられ、ドレッシングと絡めたときになんともいえない絶妙な味を口内に醸す。

 オレンジのシャーベットは全体的に濃い味のメニューの中にあって、最後にあっさりと気持ちよく食事を終わらせてくれる。


 その余韻を崩さぬよう、彼女自身が配合したハーブティを味わっていた彼は、なんだか自身の身体が異変を訴えてくるような気がしていた。

 目の前で同じものを食していた彼女は、普段と変わらぬ様子で彼が脇に除けていたノートを開き、空白のページを開きペンを走らせている。


 ペンが文字を記そうと動き始める前に、彼女の視線が彼を捉えた時点で、彼はそれ(・・)に気づく。


「ぐっ!?」


 腹の奥が急激に捻じられるような痛みを発し、手にしていたカップが倒れる。残り少ない中身は僅かにテーブルを汚したが、彼はそれどころではない。

 その痛みが何のためであるのか瞬時に理解した彼は、痛みに思わず涙が滲んだ目を彼女に向ける。すると彼女はさっと目をそらし、ノートにペンを走らせ始める。


「うーん、腹痛、と」

「お、まえ、っっ」


 平静を装いながら視線をノートから話さない彼女を睨むが、潤んだそれには何の迫力もない。というか、マジで容赦なく痛い。


「何、いれ」

「あぁ、シチューにちょっとこのスパイスと、あとこっちの実を」


 彼女がテーブルに出したのは、調理台の横にあるスパイス類の棚に常備されている瓶のひとつと、見慣れない黒い木の実のようなものそれはもしや、彼女がストレス発散のように思い切り砕いていたあれか。

 その黒い物体と、自分の症状。とくれば彼には思いつくものがあった。


「それ、治療用じゃ」

「の、はずなんですけど。これと合わせるとどうなるのかな、と思って」


 試してみました。

 と本人は可愛らしさを込めて笑ったようだが、試されたほうはたまったもんじゃない。


「なんで、俺で試す!?」


 腹痛をこらえて怒鳴れば、それまで以上の痛みが襲う。

 とうとう額に脂汗を浮かべてテーブルに突っ伏した彼を見て、彼女はペンを置いて席を立つ。先ほどハーブティを入れた残りの湯冷ましをカップに注ぎ、スパイスの棚の最上段に置かれた大振りの瓶からスプーンでひと掬い入れてかき混ぜて彼に差し出す。


「こんなもの、あなた以外誰で試せって言うんですか」


 彼女の手から腹痛の治療薬となるのであろうカップを奪い、勢いよく飲み干した彼はいすの背もたれに身体を預け、ぐったりとした声を出す。


「わかるけど、なんか理不尽だよな……」


 確かに過去、実験体になってもいいようなことを言った記憶はある。あるのだが、しかし。


「勘弁してくれ」


 その台詞が出るのは仕方ないこと、だと思う。

 だけど彼女は拗ねたように言うのだ。


「しょうがないじゃないですか。私は料理の効果なんて効かないし、師匠で試して万が一のことがあったらまずいし」


 心底理解できるから、彼もまた何も言えない。






 彼女が作成した料理とそれに付随する効果を記録したノートを見ていた彼は、その中にただ1ページだけ、異色なページがあることを知っている。

 ノートを開き、最初に目にするページ。彼にはそこに書かれた文字を読むことはできない。それはこの世界の文字ではなく、彼女がやってきたという元の世界の、この世界ではおそらく彼女にしか扱えないそれだから。

 ただそれだけなら、異色とは言えない。彼女は今彼に供した料理も、おそらく同じ文字で書くだろうから。

 彼女はそのノートを書くとき、よい効果を齎す料理はこの世界の文字で、負の効果を持つものは自身の国の言葉で記すと決めたと言っていた。彼は読めなくとも、なんとなく眺めているだけでわかった。

 だから、異色だというのは。


 それが、彼女の戒めのページだから。

 震える手で書いたのだろう文字は歪み、お世辞にもうまい文字とは言えないのだろうことがわかる、そのページに記されている料理は。



 彼らの旅の最後に彼女が作ったもの。

 料理が好きな彼女が、それを恐怖する原因となった料理。




 彼を、死の淵に追い詰めた料理。


 彼女には効かなかった、その効果。



 現在の彼らの歪な関係を作ったそれは、慣れていた彼でさえ死を覚悟した、猛毒だった。





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