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遅くなりました。
今日は朝から騒がしい。
キィン・・・
不意に耳鳴りを覚え、彼女は思わず手にしていた小瓶を取り落としそうになる。
「っ、あ……ぶなかったぁ」
ターナーを持っていた手で耳を押さえ、小瓶をしっかり握って鍋に落とし込むのを防いだ彼女は、想定以上に小瓶の中身をぶちまけなかった自分に「よくやった」と声をかける。
小瓶を所定の位置に戻し、鍋から救い上げたターナーを傍らの小皿に置いて魔力で一瞬にして火を消した彼女は、おもむろに小さな片手鍋を取り出した。そして今まで火に掛けていた鍋からふた掬いほどをそれに移し、元の鍋のほうに棚から別の小瓶を取って中身をぶちまける。
これは歓迎の挨拶です。
心の中で言い訳して作業を終えた彼女は、先ほどの耳鳴りの原因となった、発現された魔法の結果を確認すべく玄関から外へ出る。そしてそこに見つけたいつもの光景に、呆れたようなため息を漏らす。
「今日も朝からご挨拶ですね」
「相も変わらず生意気な面だな」
「朝の挨拶くらい爽やかにいきません?」
「お前相手に爽やかに笑えるか」
「まぁ、師匠にそんなもの求めるのは無理でしょうけど」
「爽やかさの欠片もない奴が言ってくれるな」
「あなたよりマシですよ」
これでも外面には気を遣っているんですから。と嘯いたのは、師匠と対峙している20代も半ばと思しき美丈夫だ。
闇を集めたような黒髪。黒髪を見慣れているはずの彼女でさえお目にかかったことのないような、真正の漆黒。襟足につかない程度に切り揃えられたそれは、時折届く風にふわりと煽られるものの乱れを残すことなく定位置に戻る。しなやかな髪は彼の性質そのもののようだと彼女は思う。
整いすぎた顔立ちは、綺麗とか美しいとか言う形容詞しか当て嵌るまい。それなのに女性と見紛うような中性さはなく、男性にしか見えない。見事なシンメトリーの造作は、その深い紫水晶の瞳で神秘さを醸し出す。
師匠よりこぶしひとつ分ほど高い背。なのに体格は師匠のほうが1.5倍ほどよい。それは青年がひ弱な身体つきをしているせいでなく、無駄な筋肉がついていないためであろう。今も師匠に遜色ない動きをしていることから、外見からは想像がつかないほど鍛えられていることが判る。
所謂細マッチョですね。脱いだらスゴイんですか。
一度も見たことがないといえば嘘になるが、彼女が見た限り、腹筋が割れるほどの鍛え方ではなかったようだ。それとも単にそうならない鍛え方をしているだけか。
閑話休題。
「――で、いい加減見てばかりいないで助ける気はないのか?」
何となく声を掛けそびれたまま、二人を観察していた彼女に青年が言う。
いい声だ、と思う。
耳元で囁かれなくとも大抵の女性は惹かれるだろう、腰にくるような美声だ。顔からの想像を裏切らない、どころかこれしかないと思えるような低めのそれ。
しかし、それも既に慣れきった彼女は動揺の欠片もない。
「師弟の挨拶を邪魔するなんて、野暮なことはできないわ」
「これがただの挨拶に見えるのか、お前には」
「さっき貴方が挨拶って言ったんでしょう」
「解ってて言ってるよな、お前」
当たり前だ。
彼が来る。師匠はその日を予測していて、夜が明けぬうちから家の外で薪割りして待ち受けている。そして彼が転移魔法を使って姿を現した途端、鉈を剣に持ち替えて未だ顕現を終えていない彼に斬りかかるのだ。
それを予測した彼もまた剣を振り、斬撃を受け止めた。次の瞬間には魔力を師匠に向け、跳ね返される。
彼女が起床し、一人で朝食を取り、掃除洗濯をこなし、採取と狩りに出かけ、昼食の準備を終える頃には二人して半径10メートルほどを焦土と化すまでに遣り合う。
しかも彼は週に2~3度訪れる。
そして毎回以上のことを繰り返す。
そんな物騒な挨拶、あってたまるか。
と思いつつ、彼女は口を開く。
「師匠、やるならあちらでどうぞ」
「ん、あぁそうだったな」
「止める気なしかっ」
どうせ止めても止まらないなら、いっそ思い切りやればいい。ただし、自分に害の及ばない範囲で。
そういう考えの彼女は、彼ら二人がどれだけ暴れても家と畑に被害が及ばないよう、家の周囲に広がる空き地の、森との境目の辺りを示す。
「お昼まで戻ってこなくていいですよ」
「冷たっ!」
「ほら、行くぞ」
思いっきり笑顔で、しかし冷たく言い放った彼女に彼は即座に突っ込みを入れ、師匠は攻勢を強めて彼を示された場所へ追いやる。
ドン……と身体に響く音を立て、それまで彼が居た場所に魔力が打ち込まれる。
「ちょっと師匠! 話す暇くらい」
「やらん」
「ひどっ!」
再度の師匠からの攻撃に、彼も魔力を揮う。
目前で塞き止めた衝撃を一足跳びでかわし、瞬時に練り上げた魔力を師匠に向ける。
属性は水。錐の如き鋭利さ。
それは幾筋もの螺旋を描き、老獪へと迫る――が。
「はっ!!」
その覇気だけで水流は砕け、師匠の脇へ散らされる。
ぞくり、と。
彼の背を快い戦慄が走る。
それは、いつもの彼らの合図。
一瞬の後、そこはいっそ重圧さえ感じられるほどの闘気で満たされる。嬉々を含む純粋な闘気に、二人は同時ににやりとさわやかさとは程遠い笑みを浮かべ、剣を握り魔力をその身に纏う。
同時に踏み込み、ぶつかり合う。
その衝突の衝撃は凄まじく、びりびりとした空気の振動が周囲の草木を揺るがし、彼女の肌を刺す。
自分に向かってきた木の葉を散らしながら、おそらく耐え切れないほどの重圧ではない、と彼女は思う。結界でも張れば安全に見学することも可能だ。それだけの力が自惚れでなく彼女にはある。
しかし好き好んで中てられる気もない彼女は、彼らを追いやると同時に背を向け、家に入ると昼食用に準備したスープを冷却の魔法で冷やし、保存の魔法を掛ける。それから軽く準備をして本日の収穫に繰り出すのだ。
だから知らない。
「俺は、あいつを守れない」
そう師匠に嘆きを見せる、彼の姿を。
彼が。
被害者であるがゆえの嘆きを。
いつまで名前を出さずにいられるのか…
とりあえず、頻度の高い更新を目指します…




