2:ローゼン陛下のおひざ元へ
毒々しい魔草の生い茂るジャングル――もといクライネルット教会内庭園を、肩をいからせ目に涙をためてズカズカと進むピンクの影がある。言わずもがな、彼女は魔人族サキュバスにして魔界きっての槍術使い、タルト・ストロベリーちゃんその人である。
「鈍感にもほどがある! 無神経にも限度がある! なによ! エクレアちゃんが可愛いことぐらい私にだってわかってるわよ! でもそれを! よりにもよって私の目の前で言わなくたっていいじゃないの!」
頬を膨らませつつブリブリと愚痴をまきながら、密林を深く深く進むご立腹のサキュバス。ときおり『エサがきたやで』とパクリンドーがニタリと鎌首をもたげることをこともあったが、殺意MAXなタルトに『なによ除草されたの?』と睨まれると、彼らは純粋無垢な雑草を装って風にそよがれるばかりだった。
それにしても見事な樹海である。
もともと大聖堂クラスの大きさを誇るクライネルット教会の庭園はやたらに広大で、教会の偶像にして主たる堕天使エクレアが甲斐甲斐しく手入れをし、見晴らしをよくしても、そこは『花の迷路』と言われるほどの規模を誇っていた。その広さの有効活用として、彼女はたびたび天界なり魔界なりの友人を呼んでは大きな花見茶会を開いていたが、そのたびに何人かは迷子になったものだった。
まして、今はうねうねと生い茂る魔草の巣窟である。
その複雑怪奇な入り組みようは『花の迷路』の比ではない。
数歩先でも神隠し。まさに魔境と化していた。
ならばそんな魔境を無節操に歩けばどうなるか、もちろん、そんなことは敢えて言う必要もない。
「……さて、もう右も左も分からないわ。どうしようかしら?」
目を点にして呟く。今更になってちょっぴり心細くなったタルトである。軽く見回してもみな同じ景色。まるでだまし絵である。困った。腕を組む。槍を地面に刺す。考える。いっそ『デザート様~! どこですー!!』と大声を出してみようか。いや、そんなみっともないことはできない。エクレア救出に来た自分が救出されてどうする。いやそれよりも、いまデザートに助けを乞うだなんて、そんな安いまねはできない。絶対悔しい。悔しすぎる。
「誰が呼んでやるもんですか!!」
タルトはひとりごちる。あんなデリカシーのない魔王を頼るほど己のレディーは安くない。心はガラス、もしくはシルキー。百歩譲って、呼ばれたら返事してやるくらいだ。
「そうよ!」
妙案なりとタルトは手を打つ。
「この私でさえ迷子になっているんだもの! デザート様だって迷子になってるはずよね! それなら今頃不安になって、きっと私のこと探しているはずだわ!」
よしよしよし。もしもそうなら耳を澄ませてやろう。なにせあのトンチンカン魔王のことである。きっと考えなしに密林を練り歩き、迷い込み、今頃は頼れる最高にしてサイカワな部下の名を情けない声で呼んでいるに違いない。あるいは場合によって、謝罪なんかも同時にしているかもしれない。さっきのは言い過ぎた、ごめんなさいタルト、許してくれ、あとお前の方がエクレアよりちょっとだけカワイイ、とか。正直なコメントもついてるかもしれない。へへへ。しょうがないんだから。
そんな妄想をすること数十秒。
相変わらずクライネルットのジャングルは静かだった。わなわなわな、俯いたタルトの肩が震える。ぎゅっと握り拳を固める。そして天を仰いで大きく叫ぶ。
「デザート様のバカあああああああああああ!!!!!」
直後、タルトの意識は途切れた。
*
「ん? いまタルトの声が聞こえたな? なぁ聞こえたよなクサオ?」
クサオ――まるで草男みたいなベタな当て字を連想させる名前で呼ばれたのは、いま現在デザートにより絶賛ずりずり運搬中の根こそぎ引き抜かれたオペラベンダーの長男ヨリミツである。ヨリミツあらためクサオは、根っこをぶらぶらさせつつ、メシベっぽい部分から涙を零しつつ謳った。
「らららら~ららら♪ さらば弟よ~兄はいく~♪ 行き先不明の帰らぬ旅路~♪ 故郷の土は遥か遠くにレクイエ……ぎゃぶ!?」
デザートが鞘でクサオをしばいた。
オペラベンダー三兄弟の末っ子ムネシゲが散り、次男のツナキチは引き抜かれたものの『お前はなんか魔虫ドンカメムシの臭いがする』とそのまま放置され。いまやこうしてソロになってしまったクサオ。そのソロレクイエムはAメロで中断された。
「聞こえたよな、クサオ?」
再度魔王からの問いに、クサオは葉っぱガードを固めつつ応える。
「聞こえました、ええ、聞こえましたとも。それも恐ろしいことにクライネルット教会で最強のホットスポットからです。すなわち今のは断末魔かと。ああ、くわばらくわばら」
ピタリと魔王の足が止まった。そしてデザートの異変に気付かずクサオは続ける。
「なにせこのジャングルの主というか私たち全ての親というかミス・エクレアを絶賛消化中の苗床というか黒幕というか、そんな感じの大魔草ローゼンフロイライン様がいるのがクライネルット教会前なのです。今の絶叫は明らかにそこからなのでさっきのサキュバスレディは今頃はモコミッチ宜しくオリーブオイルで……ぶべら!!!!」
花粉を撒き散らしながらクサオはしこたま大地に花びらをぶつけた。デザートがまるで鞭のように彼の根っこを振るったのである。
「おいクサオ。そこまで案内しろ」
頭に星が周り意識は酩酊状態。しかしそんな彼でもハッキリと断言できる。そんなことしたら、どれだけ命と株と種があっても足りやしない。なにせローゼン陛下は大の他人嫌いで超のつく孤独好き。たとえ身内であれ自分のテリトリーに入ろうものなら大樹のごときツルでひとうちし、その後はたちまち養分として溶かされてしまうだろう。
だからクサオは言う。
「そんなのできない相談ほほいのほ……ぶへひ!! あばべ!! へぶし!!」
パンパンパンという破裂音と共に振るわれるクサオムチ。かなり痛い。めたくそ痛い。具体的には半ズボンのまま飛んだ縄跳びが太ももに直撃したぐらい痛い。そんなクサオを再び振り上げ、首根っこを捕まえて、デザートはドスを利かした声で言う。
「俺様は案内してくれるか? と聞いたんじゃない。案内しろと言ったんだ。聞こえたか? 聞こえたな。よし。案内しろ」
間近に見る血色の瞳に、魔王としての殺気と勇者としての覇気がみなぎっているのを見て、クサオは半泣きになりながら頷いた。




