5:死者の森でバルバドスは泣く
死者のみが暮らすという『シンドルワー』の森は、一言で形容するならハロウィンワールドだった。
そこかしこに突っ立つ枯れ木は影のように真っ黒で、その形は奇病にうめいて空をかく、病人の手のようなシルエットだ。
空は見渡す限り暗い紫色で、辺りにはトンガリハットを被ったカボチャのオバケが、ランプを片手にふわふわと彷徨っている。
ときどきズボっと地面から這い出てくるガイコツハンドや、急に枯れ木の枝から飛び立っていく鳥のシルエットは、ホラーもののアトラクションを想起させる。
そんな薄気味悪い獣道を、音もなく優雅に歩くのはフィナンシェお嬢様で、その数歩後ろをおっかなびっくりとつける少女が俺、フリプール村のステビア・カモミールだ。
「あの、お嬢様はハーレム構築のために私を迎え入れ、そして新たな女の子をまた迎えるためにも『シンドルワー』にご足労しているということですが、その。えっと。あの」
俺が左右に目を配りつつも、その背中にオドオドと話しかけると、彼女は歌うように言う。
「恥ずかしがらずに、そして畏まらずに言って私のステビア。もう口付けと夜の慰撫を済ませた二人のあいだに、一体どんな垣根があって?」
俺は『夜のイブ』という言葉が分からずキョトンとなった。が、すぐに『慰撫』という最適な字を思い当てて
「お、お嬢様!」
「ごめんなさいね。時間軸を間違えたわステビア。もう少し先の話だったわね」
彼女はフフフフと妖しく笑った。その声に、俺は思わず自らの肩をきゅっと抱く。
いったいもう少し先で、俺はいったい何をされるのだろうかと。
いろいろと不穏な想像がよぎっていくが、頭をブンブンと振って振り払い、冷静な思考でドキドキを落ち着ける。
大丈夫だステビア。いかにハーレムとはいえ、流石に俺とお嬢様は同性同士。本来の意味のそれではないだろうし、フザけるにしても限度があるに違いない。だって同性だもの。
しかしそんなつかの間の安堵を、ドッカンと破壊するようなことを彼女は言った。
「貴方たち人間の感覚で言えば、女性が女性のハーレムを作ることにはとても違和感があるでしょうけれど、魔族には性別を超えた生殖が可能なのよ」
こんな感じに。
俺は尋ねる。
「性別を超えた生殖……ですか?」
お嬢様は「ええ」と頷いた。
「男は女と、女は男と交わらなくてはならない。それが生物の掟なのは、神がそう定めたからなのだけれど、それと対極に位置する魔族はね。その掟を破ることができるの」
すっと、フィナンシェお嬢様が足を止める。
「わかりやすく言えば、私は女性らしく子供を産むことが出来るけれど、一方では貴方みたいな女性に対して、子供を産ませることも出来るの。……ほら」
ピコピコピコと、彼女のヒップのあたりに何か動くものがあった。
まじまじと見れば、ちょうどタイトなレザードレスのミニスカート、そこから黒い矢印型をした――尻尾? がニョキっと外に出ていた。
この形はまるで。
「――」
その長さや形から、そして話の内容から、その尻尾に対してちょっとヤラしいものを連想してしまい、俺は俯いて閉口してしまう。でもここで何か言わないと、またウブだとからかわれてしまうに違いない。えっと……
「照れた顔も可愛らしいわね、ステビア」
「ふぇ!?」
顔を上げたら、お嬢様が微かに振り向いていた。
「そうね。日が落ちたらカボチャの馬車でも召喚して、その中で最初の奉仕をお願いしようかしら?」
「ほ、奉仕って何ですか?」
尋ねると、彼女は口に指を当てて、うっとりと笑いながら
「それは内緒。けれどもきちんと出来た時のご褒美は――」
片目をパッチリと閉じて、囁くようにこう言った。
「貴方が毎日飲んでいたミルクよりも、白くまろやかで、そしてお酒よりも官能的な私の『ミルク』が、貴方のお口いっぱいに広がるわよ?」
恐らくは耳まで赤くなっているだろう俺に、ふふふふふ、と口に手の甲を当てて笑っているフィナンシェお嬢様。
ほんと、勘弁して欲しい。
こういうのは。
実はさっきからずっとこんな調子でからかわれているので、俺はこの不吉な森を怖がる機会がほとんどなかった。もう本当に、思い返すだけで顔から火が出る。
――ねぇ、ステビア。そこでハニかみながらスカートの裾をたくしあげてみて。恥じらいつつ抵抗するようなことも言いながら。涙目だとなおグッドよ。溢れたなら私が直に舐め取ってあげる。
――もしかして指も入れたことないの? うそ? では一人で何もすることがないときは何していたの? そう、後で使い方を教えてあげるわ。手とり足取りね。
――トイレ? 見ていてあげるからそこでなさい。早く。 ……ふふふ、冗談よ。いま簡易トイレを召喚してあげるわ。ただし周りの壁は透明。
チョボチョボ歩きつつ溜息。
それにしてもトンデモないゲームが始まったものである、とは最早言うまい。
このRPGがフツーでないのは、フリプールの変態ジジイやクリントンといったNPC、あるいは俺などが捨てられた理由を見れば明らかなのだから。
いわんや、フィナンシェお嬢様。
『ステータス画面』の『変態』は伊達ではない。
そのとき、空を疾走ってきてそのまま彼女に炸裂したのは、ネズミ花火のようにクルクルと爆ぜる攻撃魔法のようだった。
「お嬢様!?」
「大丈夫よステビア。一切無傷」
慌てる俺を相変わらず歌うように制してから、彼女は長いまつげの目を横に流す。
行く先の木陰に、今しがたこの魔法を放ったと思われる、ボロ布を被ったガイコツがいた。
次に木の周囲から、わらわらと、クリントンよりも酷いヨダレと鼻水と涙を垂らしまくって『ぐへひ』とキモく笑う、緑色のゾンビが十数体が出てきた。
内、一体。どこかで見たことがあるような、自称ネギ好きの歌姫のようなゾンビも――いや気のせいか。
そして最後に、それらを束ねているのだろう、ボヨンっと出た白い腹を誇示するようにふんぞり返った、赤色したカエルの悪魔が、ゾンビの群れを分けて正面に出てきた。
水かきの手にはミツマタのヤリ。
いかにも悪魔っぽい武装だ。
カエルが笑う。
「ゲロっゲロっゲロっゲロっゲロ! 魔王エルヒガンテ様より死者長の位を授かった、このバルバドス様の許可も取らずに、死者の森たる『シンドルワー』を抜けようなんて不届きものは、お前かベイベー!?」
持っているミツマタの槍をヒュンヒュンヒュンと頭上で回し、ビシっとその切っ先をこちらに向けてから、このカエルの化物――バルバドスは言った。
「ゲロっゲロッゲロッゲロッゲロ! どんな手合いか知らないが、スカリンの超究極レベルダウン魔法を浴びたお前に、もはや勝ち目はないぜベイベー!? 大人しくこのバルバドス様にワイロをギブミーするか、そこの召使をエサとして寄越すんだベイベー!」
あまりにベタベタな笑い声と頭悪そうな不正要求に、フィナンシェお嬢様は怒るのではなく何か珍獣でも見るような目で見ている。そんな中、バルバドスは再びミツマタの槍をヒュンヒュン振り回す。それを称えるよう、周りのゾンビは『あばばばばばばばば』と歓声を送った。なんてキモイ応援なんだ。特にネギ降ってるやつ。
フィナンシェお嬢様は嘆息し、腰に手を当てて斜めに構え
「バルバドスだなんて名前、私は聞いたこともないのだけれど?」
彼女の問いに、 カエルが誇らしげにいう。
「ゲロっゲロッゲロッゲロッゲロ! それは口外厳禁の極秘事項だからだベイベー! ゲロっゲロッゲロッゲロッゲロ!」
――いきなりバラしてるじゃねーかこの両生類。
俺の後頭部には水色のアセが降りていた。
下品な笑い声とキモい声援の中、フィナンシェお嬢様はサラリと血色の髪を流しながら、
「まぁ冷静に考えたら、『シンドルワー』の自治長風情の名前が、この私の耳に入ってくるなんて有り得ないだろうから、信じるしかないわね」
どうでも良さそうに、面倒くさそうに言った。
「今の無礼は特別に許してあげるから、そこの道を開けなさい。ここにいる可愛い子サラったらこんなところに用はないから」
彼女はそう言った。
何でもお嬢様のハズレ知らずに勘によれば、ここには『アソコに入れても痛くないぐらい可愛い子がいるのよ(ウィンク)』だそうである。
アソコとはきっと『目』だろうけど。
「その前に名前を名乗るんだベイベー! このバルバドスが先に名乗ってるんだぜベイベー!」
フツーに思う。良いのだろうか、名乗らせてと。
「本来なら間に三万人ぐらい仲介がないと、私とは一言もやり取り出来ないような貴方だけれど、教えてあげるわ――」
そして腕を組み、彼女は名を告げる。
「――私は魔王エルヒガンテの一人娘、フィナンシェ・エルヒガンテよ」
その瞬間、しん、と水を打ったように静まり返った。
カエルもゾンビもガイコツも、微動だにしなくなった。
背景のカボチャお化けでさえ固まり、枯れ木さえ枝揺れを止めた。
ヒュ~~という、一陣の風。
やがて、バルバドスはゾンビ達と顔を見合わせ、
「ゲロっゲロッゲロッゲロッゲロッゲロっゲロッゲロッゲロッゲロ!!」「あばばばばばばばばば!」
どっと笑い出した。バルバドスは水かきのある手で白い腹を抱え、大きく揺すってゲロゲロ言いつつ、
「よ、よりによってあの魔族最強のフィナンシェ様の名前を騙るかベイベー!! あの魔王エルヒガンテ様でさえご機嫌を損なわぬためには泣いて土下座も辞さない、この世に敵うものなしと言われるフィナンシェ様の! そのむかし、魔王エルヒガンテ様が世界の覇権を巡って魔族の全軍を率い、神の全軍と世紀の大戦争を控えた前夜、暇つぶしに外に出たフィナンシェ様は単独で神の全軍10億をブチ回し、ちぎっては投げ、目からビームを出し、無双乱舞し、数分の間に全滅させ、興がのってそのままソロで天界まで乗り込んで、わずか一時間で全主要都市を壊滅し、そのまま家に帰ってPSヴィータンのモンハン4Gをニューゲームで始め、その日のうちに勲章フルコンプまで行ったのはあまりにも有名な話!!」
なんて説明臭い上に無茶苦茶なんだ! そしてお嬢様がちょっと照れくさそうに前髪触ってる! 可愛い!
「そしてそのまま永遠と屋敷に引きこもってゲーム三昧ネット三昧アニメ三昧ラノベ三昧! そんな悠々自適ヒキコモリ生活を送ってらっしゃる魔族にとっては崇拝すべきフィナンシェ様の名を語るとは許せんベイベー!!」
褒めてんのか!? けなしてんのか!? おお、お嬢様ちょっと恥ずかしそう! すごく可愛い! コホンと咳払い。
「そして何よりベイベー! フィナンシェ様は魔族最強であらせられる他に絶世の美少女と聞くベイベー! 即ちこのバルバドスが見たらこのギョロ目もくらむようなゲロゲロガエル美人に違いないベイベー!」
こいつ真性のあほや。俺は思った。
「なのにお前ときたらまるで人間のような有様じゃないかベイベー! このバルバドスの審美眼はごまかせないベイベー!!」
あばばばばばば! とゾンビ達がヨダレを撒き散らしつつ、腐った手を叩いてはやし立てた。
かたや、さりげなく紛れてる、魔法を放った死神みたいなガイコツだけは何となく、彼女の正体に気づいてるのかもしれない。カチャカチャ震えている。
「ゲロっゲロッゲロッゲロッゲロ! どうせお前はスカリンの超究極レベルダウン魔法を喰らって内心焦って、効果が切れるまでの時間稼ぎに適当なことを言ったに違いないベイベー!!」
再びビシ! っと、ミツマタの槍を差し向けてきた。
それにお嬢様は嘆息し、血色の髪のツインテールを撫でた。
「もう何を言っても無理そうね、貴方」
「黙らっしゃい貧相なツインテール! ……スカリン!!」
バルバドスがそう叫んだ瞬間、死神っぽいガイコツがビクン、というかカチャンと震えた。
「あの人間娘の正体を晒してやるのだベイベー! そして自らの超絶ダウンしたレベルを思い知らせ、絶望の淵に叩き込んでやるんだベイベー!」
スカリンと呼ばれたガイコツは、震えつつもガイコツハンドを中空にあげた。
紫色の空を、光の線が疾走する。
俺は目を見張った。
――これは『ステータス画面』を呼び出すためのコマンドだ。
まさかコイツ、PCなのか?
そんな疑問を浮かべてガイコツを見ていたら、彼らにも光の線が見えているのか、全員が空を見上げている。
文字が完成した。
名前:フィナンシェ・エルヒガンテ
職業:魔王の眷族(生ける絶対:ブリージング・アブソリュート)
LV:53万 → 52万9980(一時的に超絶ダウン!)
HP:150万 → 149万7500(一時的に超絶ダウン!)
MP:無限 → 無限(一時的に超絶ダウン! ただし無限から定数を引いても無限)
装備:宵闇の翼『ヴェスパー・ウィング』
解説:魔族最強にして魔王エルヒガンテが溺愛する一人娘。その強さは圧倒的と言うより決定的。最近流行りのサブカルチャーが大好き。神の全軍全滅&天界壊滅の一件以来、神からは一人アルマゲドンという感じに天災扱いされている。鎮めるための祠とかが天界にはあるらしい。変態。バカ(実質的な意味で)
サァーーーーーーっと。
カエルの色が赤から青に変わった。
信号みたいに。
まるで絶望の淵に叩き込まれたかのような見事なブルーイング。
「この私が貧相、……ですって?」
フィナンシェお嬢様の声。
ガイコツはもう、分解しそうな勢いで震えまくっている。
「万死に値する失言ですわね」
カランカランとバルバドスがミツマタの槍を落とした瞬間、ゾンビたちは競泳選手がプールに飛び込むような速度で、一斉に頭から地面に潜って消えた。
「では、」
空の色が突然、焼けたような赤に一変する。
バサリと一杯に開かれたコウモリ翼――ヴェスパー・ウィング。
「言 い 残 す こ と は あ る か し ら ? 下 賤 」
おびただしい魔王の気が放散された。
そして魔族最強にして魔王の一人娘、フィナンシェ・エルヒガンテが口を三日月のように開けて笑うと、バルバドスは「びゃああああ!!!」とギョロ目から涙を吹き出しつつ尻餅を付いて、そのままサカサカサカサカと高速に後ずさりした。
どん、とカエルの高速退却を止めたのは、背中に当たった一本の木。
俗に言う、後がない状態。
詰みました。
彼女は三日月のように笑ながら、
「私は可愛いものを可愛く扱わず、」
歌うように囁き、
「綺麗なものを綺麗に扱わず、」
音もなく歩み、
「美しいものを美しく扱わないヤツは、」
迫ってくる死に、カエルはまるで、
「例外なく駆逐することにしてるの」
リヴァイアサンに睨まれたオタマジャクシのように震えつつ、
「と、お、お、おっしゃいますとベイベーーー!?」
間近まで詰められ、彼女のシルエットに真っ黒に塗り潰されてからそう返せば、フィナンシェ・エルヒガンテはバルバドスを冷然と見下し
「私 は 死 ぬ ほ ど 可 愛 い っ て 言 っ て ん の よ カ エ ル 」
背筋の凍るような声で言ってから、一転、
「分かったかしら?♪」
百万ドルの笑顔で微笑んだ。
そしてバルバドスは星になった。