3:手遅れです。冒険は始まりました。
「え」
間抜けな声のあと、舞い上がる血飛沫。
安堵顔のまま床に転がるジジイの顔は、自らが死んだことに気付かぬまま、崩れた胴より噴きだす血を片面に浴び、赤く染まっていった。
ギロチンのように振るわれた彼女のコウモリ翼には、しかし一滴の血もついていない。
少女が首を見下す。
「私は可愛いものを可愛く扱わず、綺麗なものを綺麗に扱わず、美しいものを美しく扱わないヤツは、例外なく駆逐することにしてるの」
そして、ボン、と蹴られたジジイの首は転がって家から出て来てた。
俺はそれと目があった際に「ひ!」と声を漏らしてしまう。慌てて口を両手で塞ぐも、
「説明の必要は、もうなさそうね」
お約束の手遅れ。
歌うような声は既に、背後から聞こえていた。
バサバサバサという羽の音。
振り返ろうとしたが、足が石のように固まって動けない。そのとき目についた足元の影は二つで、一つは自分のものと、
「聞いていた通り、今日から私が貴方の御主人様よ? ステビア」
もう一つの影は、数多くのコウモリが集まって、今まさに少女の輪郭を作っている最中だった。
「あなたの運命は今日で変わるの」
運命という言葉に、俺は動揺した。
確かに彼女は、俺が10年もの閒待っていた、このみじめな運命を変えてくれる存在には違いない。と言うより既に、変態ジジイを斬滅したので生活を変えざるを得ない。
「さぁ、こちらを向いてステビア。貴方は今日から貧民の身分を捨て、誇り高い魔族の一員となるの」
歌う様に言いながら、彼女は、後ろから俺の肩に両手を回して来た。
「これから貴方は、貴方に相応しい可愛い衣装を着て、私と一緒に美味しいご飯を食べて、一緒に湯浴みもして、毎日を楽しく暮らすの。ステキでしょ?」
確かに運命は変わろうとしている。これまでのド貧民生活からは大きく。本当に大きく。
けれども。
俺は笑顔のまま転がっている、変態ジジイの首を見て、震えながら感じた。この形は、俺の望んでいた形とは大きく異なっていると。
こんなものを見るぐらいなら、まだ、家畜小屋で寝起きし、『せぼんぬ♪』聞きながら乳絞りをしていた方がずっと良いと。
いや、良かったと。
だから。
「わ、私は、」
俺の声は、恐怖から上ずっていた。
「なに? ステビア」
相変わらず、彼女は歌うような声。俺はギュっと握り拳をつくって、力んで身体の震えを殺し、恐怖心もろともツバを飲み込むようにし、ほとんど叫ぶように言った。
「私は人殺しなんかにはお仕えできません!!!」
と。
風がサァと丘の草を撫でて通った。
俯く俺の頬にかかった青髪も、さらさらと撫でて行った。
その後の沈黙を破るのは、ドキドキという胸の高鳴りだけ。
「ステビア」
静かに呼びかけてくる彼女。
「私はここに来る前に、村の事を知りたくて教会に行ってきたの。そしてそのとき、教会のシスターから貴方の事を聞いて、耳を疑ったわ」
少女の言葉に、胸が苦しくなる。
「ここに来た初日に悪戯をされそうになり、拒んだ以後は家畜小屋で寝起きさせられ、一日の食事はヤギのミルク一一杯。まるで家畜の家畜扱いよ。そしてそんな生活を、貴方は10年も送ってきた。私が殺したのは、ステビア、貴方にそんな暮らしを強いてきたヤツなのよ? 分っているのかしら」
改めて言われると、こんな状況でも腹が立って来た。
転がっている首を見ていても、込み上げてくるものがあった。
だから口が自然と開き、
「それだって、何も殺す事ないと思います!」
思ってもいない言葉が、口をついた。
そして言葉が止まらなくなる。
「俺は……いえ。私は確かに、泣きたくなるほどみじめな生活を送って来ました。意味の分らない理由で両親に捨てられ、ウソみたいな理由で教会に売られ、訳のわからないジジイに育てられ、ほんと。毎日毎日、この運命が変わることだけを夢見て生きてきました」
「それなら、願ったりかなったりじゃないの?」
「貴方が来た時、それが今日だと思って嬉しかったです。ここで、家の壁に耳を当てながら、ドキドキしてました。でも」
一度、大きな息をついてから俺はいった。
「俺はこんな形を望んでなんかいない」
と。
しばらく間があった。
そこに、再び、風がそよいで来た。
まるでこの沈黙の合間を縫うように。
ころっと、ジジイの首がそれに煽られ、少し向きを変えた。
「――そう」
少女の声。
「それが貴方の答えなの」
きゅっと、少しだけ彼女の指が肩に食い込んだので、ピクリと震えた。
「少し残念ね」
囁くように言ったあと、すぅっと肩から手が引かれた。
もしかしたら、俺は殺されるのかもしれない。
なんとなくそんなことを思った。
けれども。
「貴方が望んでいないなら、形を変えざるをえないわね」
え? と俺は振り返った。
すると彼女は、パーティーグローブに飾られた手をあげてみせ、指をパチンと鳴らした。
そしたらジジイの首が、風もないのにゴロゴロとボールのように転がり、家の中に消えた。
「!?」
そのホラー映画の1シーンみたいな現象に固まっていたら、ぶひひ、というムカツク呻き声が屋内から聞こえてきた。
――まさか!!
と家に飛び込んでみると、
「あぁ!?」
変態ジジイは、床に大の字になって倒れていた。
首も繋がっている。
床には一滴の血もない。
まるでさっきの出来事がウソだったみたいに。
そしてその、うざいイビキを聞いて、呼吸で上下動するジジイの腹を見て、俺が呆然としていたら、ジジイの上にチャリチャリンと眩い金貨が転がった。
振り返ると、少女がいた。
「あなたの身受け代金よ。1000000ゴルド」
それは恐らく、俺が四回生まれ変わっても稼ぐことは出来ない大金だった。そしてこの瞬間、変態ジジイはフリプール一の大富豪に変わった。
少女は血色の髪を流していう。
「傷の他に性根も直しておいたから、目覚めたら少しはマシになってるでしょうね」
常人なら絶句に次ぐ絶句の展開にも関わらず、彼女の声は、まるで壁に飾る絵の位置を調整するような、そんな些細なことのように平然としていた。
「どうして、ですか?」
自分で言っておきながら、答えるのが難しい問いだと思った。
いったい何が『どうして』なのだろうか。
ジジイを生き返らせたことについてか。
俺の身受け代金の高さについてか。
あるいは、俺がこんな形で運命が変わることを望んでいない、そう言った願いを、彼女なりに聞いてくれたことについてなのか。
少女は俺に振り返って、腰に手を当てて斜めに構えた。
「私は可愛いものを可愛く扱わず、綺麗なものを綺麗に扱わず、美しいものを美しく扱わないヤツは嫌いなの。そしてステビア、貴方はとても可愛らしい」
そっと、その手が頬に当てられた。暖かな手だった。
「笑えばもっと可愛らしい。だからよ」
「それだけ……ですか?」
俺は放心するように言った。本当に、たったそれだけの理由なのかと。
「それ以外に、こんなヤツを殺す理由があるの? 生き返らせる理由があるの? こんな大金を払う理由なんてあるの?」
信じられなかった。
そのとき、『ピロリン♪』というご機嫌な音が鳴った。
思わず飛び上がる。
俺の挙動に少女が小首を傾げ、頭上にハテナマークを浮かべている。
まさか、と思うや否や、光の線が屋内を狭しく疾走し、文字を描く。
しかし少女のこの反応、彼女にはさっきの音もこの線も見えていないのだろうか。
「さて、そして改めて聞くわステビア」
文字が完成した。
「私のメイドになりなさい」
YOU♪ ツインテールの少女が仲間にして欲しそうに見ているYO♪
仲間にしますか? 『はい・いいえ』
これは、過去にも見たことがある。
あの時はクリントン相手に『いいえ』を選んだのだけれど、もしも『はい』を選んでいたらどうなっていたのだろうか。
仲間。
仲間とはなんだろう?
仲間にすると、どうなるのだろう?
ともかく。
選択肢が中空に出いている以上、俺はこれに応えなくてはならない。
無視することができないのは、経験上知っている。
そしてこれに応える前に、俺はきっと、次のことを質問しなくてはならないだろう。
「二つ、お聞きしても良いですか?」
恐る恐る尋ねると、少女は「ええ」と頷いた。
「一つめ、あなたの名前を教えてください」
昔、ここの変態じじい@死後復活が、教会から俺を身受けするとき神父に話していた、『村で生まれた青髪の娘が魔王エルヒガンテと共に世界を破滅させる』というもの。
俺は今でもペテンだとは思っているのだけれど、それでもこれだけは確認しておかなくてはならないと思った。
彼女が、魔王エルヒガンテでないことを。
魔族の証と言われる、コウモリ翼を背に生やしている以上は。
少女はクスリと笑った。
「そういえば、まだ教えていなかったわね。私の名前はフィナンシェよ」
フィナンシェ――。
どうやら魔王エルヒガンテとは違うらしい。
無論、嘘を言っている可能性もあるが、それを探る術を今は持たないので、今は信じるより他にない。
「もう一つは?」
少女が促すように小首を傾げる。
俺はいよいよという質問に、喉を鳴らした。
「二つ目、フィナンシェさんは旅をされているようですが、目的はなんですか?」
これは、この新たな運命の転機が、果たして俺の望んでいるものなのかという、問いかけである。
このRPGのPCたる俺が、旅立つに相応しい『イベント』であるのかという。
――――例えば、そう。
世界を崩壊の危機から救うであるとか。
勇者の仲間に加えられるとか。
そういう、RPGのPCにふさわしい、類のもの。
フィナンシェは首肯して言った。
「魔王エルヒガンテを滅ぼすためよ」
その瞬間、まるで視界が開けるような感覚を、体が通り抜けた。
感覚の風が、体内をブワっと通り抜けるような感じ。
そして、その風に撫でられた体の細胞の一つ一つが、これがまさに運命だと、明確に悟った。
間違いない。
彼女が
このはRPGにおける勇者だ。
俺の待ち望んでいた、存在だ。
俺は静かに『はい』を選択した。
浮かんでいた光の線が、霧のように消失する。
そしてそれから、頭の中に自然と湧いてきた言葉を、俺は抵抗なく口にした。
「分かりました。今日からステビア・カモミールは、あなたにお仕えいたします」
体はフィナンシェに、折り目正しくおじぎしていた。
中空に、新たな光の線が疾走する。
見上げると、『ステータス画面』がポップアップされていた。
そこに、『ステビア』の他、『フィナンシェ』という項目が追加されていた。
やった! やっぱり彼女はPCだ!
ハヤる気持ちを抑えきれず、俺はすぐにそれを参照する。
名前:フィナンシェ・エルヒガンテ
職業:魔王の眷族(生ける絶対:ブリージング・アブソリュート)
LV:53万
HP:150万 MP:無限
装備:宵闇の翼『ヴェスパー・ウィング』
解説:魔族最強にして魔王エルヒガンテが溺愛する一人娘。その強さは圧倒的と言うより決定的。昨日、気まぐれで「パパ、この世界頂戴♪」とデコメ送信したのだが、今日「まだだ~め♪」と件名「Re:」という手抜き返信が来たので、とりあえず親父をブチ殺すことにした。いまその道中。世界征服も親父殺しも所詮は当座の暇つぶし。変態。バカ(実質的な意味で)。
恐らく俺は、死んだ魚の目をしていたに違いない。
「ありがとうステビア」
ふわりと、フィナンシェが固まっている俺を抱きしめてきた。
麻薬に漬け込んだバラのように、溶けそうなほど良い匂いがした。
「ふふふ。まずは一人目GET」
一人目GET?
「ハーレム構成が目標にせよ、最初の一人は特別よ。安心してステビア」
フィナンシェお嬢様。脳みそはさっきのジジイと同レベルですか。
「しかも処女みたいだしね、貴方」
いつの時代も処女は大事なものだ――あれってこういうこと!?
「さー、次はどこにいこうかしらね。すぐにパパ殺してもつまらないし、あと何人かは可愛い娘を回収して道中を華やかにしましょう」
著しく選択を誤ったかもしれない。
彼女に抱かれつつも、ショックで全身をモノクロに替えて立ち尽くす俺。
遠くの方で、『せぼんぬ♪』と鳴くクリントンの声がした。
こうして今更、俺の手遅れな冒険は始まった。
そのとき光の線が空を疾走する。
フィナンシェに抱かれるままに見上げたら。
――――――これは、
暇つぶしにハーレム構築と父親虐待を開始した――――
―――――魔王少女の物語である。
「ふ」
―――やったね♪
「ふざけんなぁああ!!」
澄んだ青空に、俺の悲鳴はどこまでも響き渡っていった。