8:大堕天使エクレール
俺がみーみの背中におぶられてダージリン教会についたのは、太陽がレッドホットチリペッパー砂漠をジリジリと焦がし始める昼前だった。
昨夕、シンドルワーの森に続いて、再びペットによって女の子として大切なものを奪われ、砂漠で泣き寝入りを決行した俺であるが、しかしそのまま朝までグッスリ眠ってしまうあたり、あるいは神経が図太いのかもしれない。
何でもみーみ曰く、みーみは眠っていた俺をそっと背負い、ティラミスの匂いを頼りにレッチリ砂漠を夜通し駆けて、今しがたここに辿り着いたということだった。
道中、俺は何度かムズかるような声はあげたものの、それでも起きるということはなかったらしい。
そうして目覚めたのが今しがた。
ダージリン教会の玄関前である。
「あ、御主人様お目覚めっすね♪」
みーみが背中越しに言った。俺の起きた気配を察知したらしい。
「真っ直ぐいけたら2,3時間もあれば余裕だったっすけど、途中で風向きが大きく変わってティラミス姉さんの匂いが分からニャくニャったり、魔物の匂いも漂ってきたりして、思わぬ回り道にニャったっす♪」
寝起きの俺に、そんなことを教えてくれるみーみ。楽天的なこの子らしからぬ、随分と慎重なルートを辿ったようだ。
俺は彼女のフカフカの背中より降りてから、
「ありがとうみーみ。でも、一晩中走り倒しじゃ流石に疲れただろ? 少し休んでなよ」
みーみを気遣ってそう声をかければ、彼女は首を左右にフリフリフリ。
「御主人様の体温と胸の鼓動がずっと背中にあったから、ボクは今でも元気満タンっす♪ まぁでも、夜行性なボクとしては、そろそろネムネムっすけどね~♪」
言ってから、にゅ~ん♪ と眠そうに伸びをするみーみ。
俺は少しばかりキュンとなってしまった。
今のセリフ、異性だったら惚れていたかもしれない。
「御主人様のは小さいけど柔らかかったっす♪」
なんとも順調に前言撤回である。
俺は後頭部に汗を落としつつも教会の玄関まで歩き、
「お邪魔します~~」
と、木製の扉を開いた。
そんなわけでダージリン教会着である。
扉を開け、ティラミスの姿を探そうと周りを見渡す。
すぐに、彼女の姿を捉えることが出来た。
祭壇への中央通路、そのど真ん中である。
そこでティラミスは屈み込み、果たして一体どんな事情があったのか。傍でうずくまって泣いている少女を、一生懸命に慰めている様子だった。
少女は恐らく、自分より2,3才ぐらい年下か。
彼女は内股ずわりになって、大きな目から涙をボロボロとこぼしている。時折、ヒックとしゃくりあげ、見ているコチラまでが悲しくなるような、そんな声を絞り出していた。
事実、彼女の頭を撫でているティラミスも、今にも泣きそうな表情だった。
「よしよしよし。大丈夫や大丈夫。大丈夫やって」
ティラミスは語りかける。
「エクレールはんがエエ子にしてたら、必ずまた天界に戻れるから、そないに泣かんでも大丈夫や」
天界に戻れる?
子供を慰めるにしては、あまりに耳慣れないフレーズだと思った。
「エクレールはん、神さんはそんな非常な御人やあらへん。せやから少しの辛抱や」
そして随分と身近なノリで、神様の名前も出てきている。
――ふむ。
会話の内容から察するに、どうやら少女の名はエクレールというらしい。そしてご覧のとおりのあの様子、どうやら何かトラブルを抱えているらしい。
しかし果たして、一体全体、彼女は何者だろうか。
マジマジと様子を見守っていたら、そこで。
ティラミスは俺の存在に気づいたらしい。
「あ」
とこちらを向いて俺と目が合うと、ティラミスはしかし驚くこともせず、むしろ助けを待っていた遭難者のような顔で言った。
「ああ、ステビアはん。ええとこに来てくれたらな。ちょっとエラいことになってな。助けてく――」
しかしセリフの途中で俺の隣の、短時間で急成長しまくったみーみがアクビしているのを見た瞬間
「誰そこのネーちゃん?」
彼女は眉根を寄せた。俺は素で答える。
「お前が処女の次に大事にしてたもんだよ」
ティラミスはしばらく首を傾げていた。
――――さて。
蹲って泣いている少女は、驚くべきことに、ダージリン教会に祭られている大天使エクレールその人らしかった。
――――大天使、
それは神への謁見が直に許されるという、天界においてはかなり地位の高い役職であり、魔界で言うところの悪魔王に該当するものらしい。
「見た目に騙されたらあかへんで? エクレールはんは天界ではものすごく尊い存在なんや」
ティラミスはそういった。
彼女のその言葉を疑わずに、俺がすんなり受け入れられたのは、もしかしたら俺自身、そういう存在にお仕えしているからなのかもしれない。
まさに、見た目に騙されたらあかへんで? な御人に。
俺は、いまなお泣いているエクレールを見る。
こんな可愛い子が大天使? ――とはやはり、パッと見で思ってしまうのだけれど、しかし言われてみればなるほど。その頭には如何にもそれらしい天使の輪――光輪が浮かんでおり、背には大天使に相応しい、大きな純白の翼が生えていた。少なくとも魔界の魔物や、悪魔といったものの類ではありえない。
しかしどうしてか、羽は一枚だけ。
即ち片翼。
これはもしかしたら、彼女がここで泣いている理由と関係しているのかもしれない。
そういえば、あのベルゼブブも変身(?)後は、羽の枚数が奇数だったような。
なんとなくそんなことを思い出した。
俺はなおマジマジと見る。
栗色のミドルヘアーはさらさらと流れ、
ミルク色の羽衣は、無重力のようにゆらゆらと遊び、
肌はシルクのように細やかで、全身が淡い光を放っている。
――――なるほど。
改めて見れば、彼女は単に愛らしいというばかりでなく、そこに神々しさも孕んだ、天使にこそ相応しい種の愛らしさだと思った。
しかしそれでも、可愛いものは可愛い。
即ちいろいろな意味で、うちの変態には会わせられない。
俺はそう思った。
あ、そうだ。
フィナンシェお嬢様のことを忘れていた。
スマホを取り出してみる。
彼女からメールが入っていた。
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差出:お嬢様
件名:Re:ご飯はしっかり食べましたか?
本文:もちろんよ私のステビア。ありがとう。たいそう美味しかったわ。贅沢が許されるならばデザートにステビアが食べたいわね。ねぇ聞いて。これからついにG級クエよ(注:ゲームのお話です)。頑シミュ使って腰ティガU固定で何とか武器スロなしガ性+2と砲術王、装填+2が出たから今からギギネブ変異種(以下略
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俺はスマホをしまった。
もうちょい放置しても大丈夫だろう。
さて大天使エクレール。
さっきの続きであるが、ティラミスいわく、
「エクレールはんが言うには、彼女は天界で色んな失敗やらかしてな、神さんに怒られまくってたんやって」
だそうである。
それで彼女は、神からの叱責を受けるたびにどんどんと天使としての力を失っていき、ついに今朝方、この教会に『堕天』してきたということらしい。
堕天とは文字通り、天より墜ちてくるという意味である。
即ち、天界に留まる権利を、神から剥奪されたということだ。
大天使がここまで力を失うとは、何かよほどの事情があったに違いない。俺はそう思った。
ティラミスは腕を組み、
「それで、ウチはエクレールはんから堕天してきた詳しい経緯を聞きたいんやけれど、この通りでなぁ」
困ったように、彼女はそう言った。
そう、この通り。
エクレールは堕天してきたことを告げた後、泣きじゃくるばかりで、一向に会話ができないらしいのだ。
ふむ。
「ところでエクレールとはどんな感じに出会ったんだ? 帰ったら教会の中にいた感じ?」
尋ねると、ティラミスは頷いていった。
「早朝に、空から降ってきたんよ」
何とも分かりやすい堕天方式だった。
「そして大の字で教会を突き破って、そこの中央通路にやっぱり大の字で突っ込んで穴あけてな」
堕天というかもはや墜落の域だった。
「ここで愛媛みかんのダンボール被ってたわ」
よく見たら、祭壇の近くに異物らしきものが転がっていた。
案外、天界とは身近な場所なのかも知れない。
「素数を数えつつな」
堕天のショックを落ち着かせようとしていたのだろうな、きっと。
「9? って」
…………。
そのとき、俺は泣いてるエクレールと目があった。
彼女はパチパチと瞬きして、俺を見上げて
「ひっく。……9は素数ですか? ……メイビー?」
小首をかしげて、無垢な顔で問うてきた。
俺はニコニコと笑いかける。
エクレールは「へへ」っとちょっとハニかんだ。
可愛いな大天使。
な ん と な く 堕 天 理 由 が 透 け て き た わ 。
「ねーねーエクレールさ♪」
みーみが、ネコハンドでポンポンと頭を触りつつエクレールに語りかけた。彼女は再びヒックとやっていて、ティラミスもほんのちょっと諦めムードだ。
みーみが言う。
「これあげるっす♪ だから元気出して欲しいにゃん♪」
そして彼女は、ネコハンドに持っていたマラカスをエクレールの前でシャカシャカシャカシャカ♪ っと軽快に鳴らす。大天使が本格的にオコチャマ扱いされだした。って
――いやいやいや
「なにアミーゴのオモチャをお土産にしてるんだみーみ」
「実はちょっと欲しかったっす♪」
突っ込む俺に、えへへ、とネコハンドを頭に当ててるキャットレディ。
「あ、そういえばステビアはんもみーみも、夕暮れのレッチリ砂漠歩いてきたんやって? よう魔物に襲われへんかったな?」
ティラミスが言った。
俺は、「いや、がっつりと襲われたぜ」と言ってから、マラカスを指さして
「なんかメキシカンハット被ってマラカスで殴ってくる微妙なサボテンに」
そう言った。
確かキャラ設定3秒だったっけか。
「ああ、それアミーゴやな」
ティラミスがクスっと笑った。
今になって気付いたが、今日はじめて見る、彼女の明るい笑顔だった。
きっと、今までエクレールのことで消沈していたのだろう。
少し息抜きをしてもらうか。
「アミーゴのこと知ってるのか?」
俺が問うと、彼女はうんと頷いた。
「レッチリのマスコットみたいなもんやな。絡み癖があるけど、アレ別に危険でも何でもないで?」
「いや、でも結構な勢いで殴ってきたぞ?」
乱舞ばりに。
みーみだからカワせたようなものの、俺だと無理だった思う。
ティラミスは「いやいやいや」と手を左右にふりつつ
「あれ食らってもノーダメやて。ただオモロイ音がするだけで」
後頭部にまた汗が降りてきた。一体何者だよあのトゲなしサボテンは。
ティラミスは続ける。
「アミーゴたちはああやってレッチリ砂漠を地道に行脚しとってな、いつかどこぞのプロデューサーの目にとまるなりして、アイドルデビューを夢見てるわけや」
意外に地道でアツいやつだった。
「アミーゴ48っていうユニットで」
想像する。
トゲナシサボテンによるアイドルユニット。アミーゴ48。砂漠でマラカスふりふりあいうぉんちゅー♪(どいや)
――早々に方向性変えたほうがいいな。
「48って、でも、アミーゴは10人しかいなかったぜ?」
というかアレ以上いたら容量の無駄遣いな気もする(セリフ適当な奴もいたし)。ぶっちゃけ3人ぐらいが妥当ライン。
ティラミスは肩をすくめる。
「そこは気合とノリでなんとかするらしいわ」
精神的な問題なのか数字は。
「1人四役ぐらいでな」
そこまでして48がいいのか。
アミーゴのマラカスで、エクレールをあやしているみーみを見ながら思った。
――あ、
「それからあと、第一声で『アミーゴ! 命が欲しいんやったらオモロイこと言うてワシらを笑かしてみいや! アミーゴ!!』とか言われたんだけれど、何か分かる?」
俺は聞いてみた。
ある意味、あれでまともな意思疎通を諦めたフシがあった。具体的には、『ああ、すれ違うとき目を合わせちゃいけないタイプの人だ』みたいな。
しかしティラミスは「ああ。いつものあれか」と、まるで馴染みの挨拶だとばかりの様子で言ってから
「ステビアはんはそれで何言うたん?」
さも応答が当然だというような具合に彼女が問うてきたので、俺は焦る。
「あ……いや、普通に絶句した」
より正鵠を射ればヒいていた。
ティラミスはアチャっと顔に手を当てた。どうしよう、俺は何か選択を誤ったらしい。
「何か言わなきゃマズかった?」
「いや、そういうわけやないけどさ。適当に言うたったらマラカス振りながら喜んで帰ってくけど」
しょぼ! そしてつくづく意味不明!
「ち、ちなみにティラミスならなんて言う?」
「うち? うちはまぁ、生粋のレッチリ人やしレッチリ弁の話し手としてはやっぱりおもろいこと言わなあかんからな」
ちょっと張り切りだしたぞこの能天気シスター。大天使そっちのけで。
しかしこの世界において、この方言、この人種は、リッチリ弁、レッチリ人というらしい。
ティラミスは人差し指を立てて言う。
「サウナにゴーレムとゾンビとオークが入ってたら、ピピっと音がした。なんだろうかと思ったら、ゴーレムが『メールを受信したわい』と自慢げに最新式スマホを見せびらかした。またピピっと音がした。今度はゾンビが『あばばば! 俺のスマホが受信したYO』と、最新式のスマホを見せびらかした。面白くないのはスマホを持ってないオークだった。彼は自分の口で『ピピ』っと言ってからサウナを出て、やがて戻ってきた。見ればそのでかい尻にトイレットペーパーを挟んでいた。ゴーレムとゾンビが唖然としていたら、オークは自慢げに言った。『ぶひひひひwww 最新式のファックスが受信したぜwww』」
「どこで笑えばよかった?」
ああああああああああ!! ティラミスがあまりのショックでローヴを裏返してないのにも関わらず死神になっちまった! そして体育座りを決めた!
「うっぺんぽんぽらまっちまー(どうせこの面白さはレッチリ人しか分からんよ)」
そしてヒネた!!!
「お♪ 御主人様♪ 御主人様♪ エクレールが泣き止んだっすよ♪」
言われて見る。
大天使エクレールはまだ、ヒックっとしゃっくりをしていたが、それでもグスンっと鼻をすすり、泣き止んでいる様子だった(マラカス片手に)。
ティラミスが死神モードから立ち直る。早いな。
彼女は両膝に手をのせて屈みこむようにし、
「ほなエクレールはん。ここにやってきた理由とか、経緯とか。分かる範囲でええから教えてくれへんかな?」
優しく問いかけた。
「きっと、力になれるからさ」
と。
これで新パーティーが一応揃いましたー




