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第6話 叡智の奔流

 相馬 彰――AKIRAは、礎の村の喧騒から一歩だけ離れた井戸の縁に静かに腰を下ろしていた。彼の周囲では、ボスを討伐し、この最初の安息地にたどり着いたプレイヤーたちの興奮に満ちた声が、絶え間なく響き渡っている。だが、その喧騒は、彼の意識には届いていなかった。彼の全神経は、眼前の空間に展開された半透明のウィンドウ――ゲーム内に標準搭載されたWebブラウザに注がれている。


 ウィンドウに表示されているのは、彼が事前登録時からブックマークしていた、日本最大の『Aeturnum: The Last Exile』非公式掲示板。サービス開始から、まだ一時間も経っていないというのに、サーバーごとに立てられたスレッドは、既に凄まじい勢いで更新され続けていた。彼が開いたのは、もちろん、自分たちが今いるサーバーの「礎の村 到着組スレ Part1」だ。


【Aeturnum】礎の村 到着組スレ Part1


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ついたああああああああああああああああ!!!!!!

 あのクソデカ巨人、マジで強すぎだろjk


 名無しのVRMMOプレイヤー:


 >>1乙

 まさかチュートリアルのボスがあれとか、イドラ社はプレイヤーに優しくする気ゼロだなwww


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 乙。

 マジでビビったわ。何人死んだんだよあれ。

 俺らのグループは30人がかりでやっと倒したぞ。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 え、俺らのとこ、まだボスと戦ってるんだが???

 もう村に着いてる奴いんのかよ、はえーな。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 最初にユニーク装備ドロップさせた奴らがいるってマジ?

 なんか銀髪の女と、もう一人いたらしい。

 いきなり勝ち組かよ、羨ましい。


 AKIRAは、自分たちのことが早速話題になっているのを見て、かすかに口元を緩めた。情報は、光の速さで伝播していく。この世界では、隠し事など不可能に近い。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 で、この村でまず何すればいいんだ?

 クエストクリアで1000Gとメイス、あと謎の石ころ貰ったけど。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 その石ころ使ってスキル作れってチュートリアル出てるだろ。

 読め。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 スキル作ったけど、外に出るの怖えw

 あのボスよりはやべー奴いないよな???


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ↑安心しろ、外の雑魚はそこまでじゃない。

 だが、絶対に準備はしとけ。いいか、お前ら。まず最初にやることは一つだ。


 ポーション屋に行け。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ポーション屋?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 そう。村の西側にある、フラスコの看板が目印の店だ。

 そこで、ライフフラスコとマナフラスコを絶対に買っとけ。

 初期装備のフラスコは回復量がゴミすぎる。一段階上のやつにするだけで、生存率が段違いだ。

 外の敵、普通に痛いからな。調子に乗ってると、マジで一瞬で入口に送り返されるぞ。


 その書き込みを見て、掲示板の流れが少し変わった。

 感謝の言葉や、ポーション屋の場所を詳しく聞く質問が飛び交い始める。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 マジか、サンクス! 行ってくる!


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 有益な情報ニキ、助かる。

 フラスコって、何回か使えるやつだよな? 村に戻れば補充される感じで。


 名無しのVRMMOプレイヤー:


 せやで。初期フラスコは3回分だけど、店売りのは5回分ある。これだけでもデカい。


(……基本だな)


 AKIRAは、その情報に特に驚きはしなかった。MMORPGにおいて、消耗品の準備は基本中の基本。だが、その基本を怠る者が、この祭りの雰囲気の中ではあまりにも多い。有益なアドバイスであることは間違いない。彼は、頭の中のマップに、村の西側にあるポーション屋の存在をインプットした。


 そして、話題は当然、次のステップへと移っていく。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 フラスコ買った。

 次はやっぱ武器新調だよな? 鍛冶屋の品揃えどうよ?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 見たけど、微妙じゃね?

 初期装備よりはマシだけど、結構高いぞ。

 1000Gじゃ、大したもん買えん。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 いや、買うな。絶対に買うな。

 いいか、このゲームはハクスラだぞ。ハックアンドスラッシュ。

 敵を倒して、装備を拾うのが醍醐味なんだよ。

 どうせ外で狩りを始めれば、すぐにもっと性能のいい装備がドロップする。

 街で装備を買うなんて、金をドブに捨てるようなもんだ。断言する。


 その断定的な意見に、スレッドは一気に紛糾し始めた。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 え、マジで?

 でも、初期装備のメイスとか、マジで弱そうなんだが……


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ハクスラ原理主義者乙www

 お前の言うことは、半分正しくて、半分間違ってる。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 どういうこと?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 確かに、ノーマル装備(白色)は、その辺の雑魚がバンバン落とす。

 だから、初期装備からノーマル装備に買い替えるのは、確かに金の無駄だ。

 だが、鍛冶屋で売ってる**マジックアイテム(緑色)やレアアイテム(青色)**は話が別だ。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 マジック? レア?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 装備にはレアリティがあるんだよ。ノーマルマジックレアユニークって感じ。

 で、外の雑魚が緑や青のアイテムを落とす確率、これがマジで低い。

 恐らく、0.1%とか、そんなレベルだぞ。

 それと比べてみろ。鍛冶屋に行けば、金さえ払えば、確定でマジック装備が手に入るんだ。

 初期装備とマジック装備とじゃ、攻撃力に雲泥の差がある。

 つまり、ここでマジック武器に投資すれば、序盤の狩り効率が爆発的に上がる。結果的に、武器代なんてすぐ元が取れる。

 分かるか? 時間を買うんだよ。


 その書き込みは、先ほどの「買うな」という意見とは比べ物にならないほど、論理的で、説得力があった。スレッドの空気は、一気に「買った方がいい」という方向へと傾き始める。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 なるほど……時間、か。確かに。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 めちゃくちゃ分かりやすい解説、感謝。

 よし、俺、青色の剣買ってくるわ!


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 でも、高いんだろ?

 1000Gじゃ、緑武器は買えない感じか?


 名無しのVRMMOプレイヤー:


 無理。俺が見た感じだと、片手武器で大体2500Gくらいだった。

 防具も揃えるなら、1万Gは必要だな。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 うわ、全然足りねえ……。


(……やはり、そうか)


 AKIRAは、その一連の流れを、満足げに眺めていた。彼の思考と、掲示板の猛者たちの思考が、完璧にシンクロしている。彼もまた、ボスと戦う前から、序盤における装備更新の重要性を理解していた。ドロップを待つのは、非効率的だ。金で時間を買い、誰よりも早くレベルを上げる。その先行者利益こそが、ハクスラにおいて最も重要な要素なのだ。


 そして、その「金」の話は、必然的に、このゲームの最も過激なシステムへと繋がっていく。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 そもそも、1万Gとか、どうやって稼ぐんだよ……。

 クエストとかあんのか?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 鍛冶屋のジジイに話しかけたら、銅鉱石10個集めてこいってクエスト貰えたぞ。

 報酬は500Gだった。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 しょぼ!

 それじゃ、いつになったらマジック装備買えるんだよ……。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ……なあ、お前ら。忘れてないか?

 このゲームには、「最終手段」があることを。


 その書き込みを皮切りに、スレッドの空気が、再び大きく変わった。誰もが知っていて、しかし、どこか触れるのをためらっていた、禁断の果実。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ……まさか


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 公式RMT……。


 リアルマネートレード。

 AKIRAは、ブラウザの新しいタブを開き、ブックマークしておいた『Aeturnum』の公式RMTサイトへとアクセスした。そこには、現在のリアルタイム為替レートが表示されている。


【1 ゴールド = 10 円】


 つまり、1万ゴールドは、現実の金銭にして10万円。

 その数字に、掲示板は阿鼻叫喚の様相を呈し始めた。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 は? 1Gが10円!?

 高すぎだろ!!!!


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 1万Gが10万……。

 マジック装備一式で10万かよ、正気か?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 うおおおおお、俺、10万円チャージしてくる!!!!!!

 これで俺も勝ち組だ!!!!!!


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 待て、早まるな。

 その10万円、ドブに捨てることになるぞ。


 先ほど、マジックアイテムの重要性を説いた、冷静なプレイヤーが、再び現れた。彼の書き込みは、熱狂に水を差す、冷徹な分析に満ちていた。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 いいか、よく考えろ。

 今の「1G=10円」というレートは、運営が初期供給しているゴールドの量と、プレイヤーの需要だけで決まってる、異常なレートだ。

 これから、俺たちプレイヤーが、ゲーム内でゴールドを稼ぎ始める。クエストをこなし、敵を倒し、アイテムを売る。そうやって、ゲーム内のゴールド供給量は、指数関数的に増えていくんだ。

 分かるか? ゴールドの価値は、これから間違いなく、暴落する。

 恐らく、一週間もすれば、「1G=1円」、一か月後には「1G=0.1円」とかになってる可能性すらある。

 今、10万円で1万Gを買う奴は、一か月後には、同じ10万円で100万Gが買えるようになってるかもしれないんだぞ。

 それでも、お前は今、課金するか?


 その指摘は、あまりにも的確だった。

 スレッドを支配していた熱狂は、急速に冷めていく。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 ……確かに。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 やべえ、俺、危うく課金ボタン押すとこだった。

 ありがとう、お前は恩人だ。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 じゃあ、RMTは、まだやらない方がいいってことか。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 当たり前だ。

 今はまだ、コスパが全く分からない。換金は、絶対に推奨しない。

 経済が安定するまで、最低でも一週間は様子見が賢明だ。


(……俺と、全く同じ意見だな)


 AKIRAは、その書き込みをした名無しのプレイヤーに、一種の敬意と、そして親近感を覚えていた。彼もまた、RMTの活用は計画している。だが、それは「今」ではない。市場を見極め、最も効率的なタイミングで、最小限の投資で最大のリターンを得る。それこそが、真の戦略だ。彼は、その書き込みに、心の中で強く同意した。


 そして、話題は、もう一つの「交換」へと移っていく。

 プレイヤー同士の、アイテムトレードだ。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 なあ、公式のトレードサイトも、もうオープンしてるな。

 誰か、もう使った奴いる?


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 覗いてきたけど、まだカオスだな。

 みんな、序盤の素材とかを交換してる感じ。

 銅鉱石1個と、亜麻布1個交換して、とか。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 通貨がゴールドじゃなくて、物々交換式みたいなんだよな。

 だから、欲しいアイテムと、出せるアイテムが一致しないと、取引が成立しない。

 面倒くせえ。


 名無しのVRMMOプレイヤー:

 まあ、まだゴールドの価値が安定してないからな。運営の判断としては正しいだろ。

 みんな、まだ様子見状態ってことだ。


 その書き込みを見て、AKIRAは、ふと、あることを思い出した。

 自分とYukiが手に入れた、あのユニーク装備。

 あれは、トレードサイトで、どのように扱われているのだろうか。


 彼は、ブラウザで、公式トレードサイトへとアクセスした。そして、検索ウィンドウに、記憶していたアイテム名を打ち込む。


『清純の元素』


 検索結果は、すぐさま表示された。

 そして、その内容に、AKIRAは思わず鼻で笑ってしまった。


【求】清純の元素ピュア・エレメント

【出】後でゴールドで払います!言い値で買います! お願いします!


【求】清純の元素!!!

【出】銅鉱石50個(頑張って集めます)


【求】ユニーク首輪

【出】誠意


 あまりにも、愚かで、滑稽な書き込みの数々。

 当然、それらの取引希望には、一件のオファーも来ていない。それどころか、コメント欄には、他のプレイヤーからの罵詈雑言が並んでいた。


『アホか。誰が売るかよ、そんなもん』

『後払いとか、信用ゼロなんだよ。物々交換だっつってんだろ』

『銅鉱石50個www せめてマジック装備5個くらい持ってこい』

『誠意(笑)』


 AKIRAは、一連の書き込みを眺めながら、改めて、自分たちが手に入れたアイテムの価値を再認識していた。そうだ、誰が売るものか。これは、一億人の頂点に立つための、最初の、そして最大の切り札なのだ。


 彼は、満足げに一つ頷くと、全てのブラウザウィンドウを閉じた。

 ほんの数分の間に、彼は、この村で取るべき行動の全てを、完璧に把握していた。


(よし、決まった)


 彼の頭の中には、これから数時間の行動計画が、詳細なタイムスケジュールと共に、くっきりと描かれている。


 一、ポーション屋で、5回使えるライフフラスコとマナフラスコを一つずつ購入する。

 二、鍛冶屋で、攻撃力の最も高い、マジック等級の片手メイスを購入する。金が足りなければ、ボス討伐で手に入れた不要なアイテムを売却して補填する。

 三、鍛冶屋のNPCから、銅鉱石収集のクエストを受注する。

 四、村の外に出て、銅鉱石を収集しつつ、ボーンシャッターを使いながら、レベル3までレベルを上げる。


 これが、現時点で考えうる、最も効率的で、最も早い、成長ルート。

 AKIRAは、井戸の縁から静かに立ち上がった。

 彼の周りでは、まだ、多くのプレイヤーたちが、次に何をすればいいのかも分からず、雑談を続けている。


 その光景を、彼はもはや気にも留めなかった。

 情報戦は、終わった。

 ここからは、再び、行動と、実力の世界だ。


 AKIRAは、一直線に、村の西側――ポーション屋があるであろう方向へと、力強く歩き出した。

 彼の旅は、まだ始まったばかりだ。

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