第5話 礎の村
巨漢のボスが光の粒子となって消え去った後には、静寂と、そして呆然としたプレイヤーたちの視線だけが残されていた。相馬 彰――AKIRAは、名も知らぬ銀髪の少女『Yuki』と別れ、一人、ボスが守っていた巨大な木の門へと歩を進める。彼の首には、この世界で最初に手に入れた証であるユニーク装備『清純の元素』が、確かな重みをもってかかっていた。
門は、巨漢の攻撃によって半壊していたが、通行するには十分な隙間が残されている。その隙間をくぐり抜けた瞬間、AKIRAの視界に、そして五感の全てに、全く新しい情報が流れ込んできた。
潮の匂いが満ちていた荒涼とした浜辺とは違う、土と、緑と、そして人々の生活の匂い。木材を加工する香り、どこかの厨房から漂ってくる香ばしいシチューの匂い、そして鍛冶場から漏れ聞こえてくる、鉄が打たれるリズミカルな音と石炭の燃える匂い。
目の前に広がっていたのは、決して大きくはないが、活気に満ちた開拓村だった。地面は固く踏みならされ、粗末ながらも頑丈そうな木造の家々が立ち並んでいる。村の中央には井戸があり、その周りでは、屈強な男や、快活な女、そして走り回る子供たちの姿――NPCたちの姿があった。彼らは、先ほどのボスとの死闘などまるでなかったかのように、それぞれの営みを続けている。
(ここが、最初の街……『礎の村』か)
AKIRAがその感慨に浸る間もなく、彼の目の前に、心地よいチャイムの音と共に半透明のウィンドウがポップアップした。
【QUEST CLEAR!】
礎の村に入れ!
【報酬】
1000 ゴールド
片手メイス x 1
アンカットジェム (Lv.1) x 1
ウィンドウが消えると同時に、彼の腰に下げられた革袋が、ずしりと重みを増した。そして、彼の右手にはずんぐりとした鉄の塊に木の柄がついた無骨な片手メイスが、左手には磨かれる前の原石のように濁った輝きを放つ、親指ほどの大きさのアンカットジェムが、それぞれ出現していた。
手斧よりも破壊力に特化したであろうメイスの感触を確かめながら、AKIRAは思考を巡らせる。ボス討伐の報酬とは別に、この街に入ること自体が最初のクエストだったらしい。
だが、安堵する暇はなかった。一つのウィンドウが消えると同時に、矢継ぎ早に、次のチュートリアルガイドが表示された。
【TUTORIAL】
村の外のフィールドに出るためには、スキルを発動させるための『スキルジェム』が必要です。
インベントリ内の『アンカットジェム (Lv.1)』を使用して、あなたのクラスに適した『スキルジェム (Lv.1)』にカットしてください。
「なるほどな」
AKIRAは、その巧みな誘導に感心した。彼は、左手に握られたアンカットジェムに意識を集中させる。すると、ジェムが淡い光を放ち始め、彼の眼前に、作成可能な三種類のスキルジェムが表示された。
【作成可能なスキルジェム (ウォーリアー / Lv.1)】
ローリングスラム
ボーンシャッター
アースクエイク
彼は、それぞれのスキル名を注意深く吟味し、その特性を瞬時に分析する。移動を兼ねた範囲攻撃である『ローリングスラム』。発動が遅く、再使用に時間がかかりそうな大技『アースクエイク』。そして、単体攻撃と範囲攻撃を両立し、最も汎用性が高いと判断した『ボーンシャッター』。
彼の決断に、迷いはなかった。
「ふーん……とりあえず、ボーンシャッターで行くか」
誰に聞かせるでもなく呟き、『ボーンシャッター』の項目を選択する。
すると、彼の眼前に、新たなインターフェースが展開された。左手に浮かぶアンカットジェムの周囲に、いくつもの光のガイドラインと、研磨や彫刻を指示するためのアイコンが表示される。これが、スキルカットのシステムだ。
AKIRAは、表示されたガイドラインに沿って、右手の指先を、まるでオーケストラの指揮者のように、精密に、そして滑らかに動かしていく。彼の指の動きに呼応して、光のツールがアンカットジェムの表面を削り、不要な部分を弾き飛ばし、内部に秘められた力の流れを形作っていく。濁った原石は、瞬く間にその姿を変え、血のように赤い輝きを宿した、完璧な多面体の宝石へと姿を変えた。
【スキルジェム『ボーンシャッター』(Lv.1) を作成しました】
システムメッセージが、彼の作業の完了を告げる。
AKIRAは、完成したスキルジェムをインベントリに収めると、すぐさま別のウィンドウを開いた。空中に指で特定のコマンドを描いて呼び出したのは、UIの根幹をなす**『スキルウィンドウ』**だ。
ウィンドウには、彼のアバターの姿と、その周囲に配置された円形の空きスロットがいくつか表示されている。ここが、アクティブスキルをセットする場所。彼は、インベントリから『ボーンシャッター』のアイコンを掴むと、一番左上のスロットへとドラッグ&ドロップした。
カチッ、と軽快な効果音が鳴り、スロットに『ボーンシャッター』のアイコンがはまり込む。それと同時に、彼の視界の右下にも、同じアイコンがアクティブスキルとして表示された。これで、戦闘中にいつでもこのスキルを発動できる。
彼がスキルカットから装備までの一連の流れを終えたのと、ほぼ同時だった。
村の入り口が、にわかに騒がしくなり始める。ぞろぞろと、次から次へと、プレイヤーたちが門をくぐり抜けてくる。誰もが、クエストクリアのウィンドウを出し、報酬を受け取って歓声を上げていた。
「うおおお! ここが街か!」
「やった! 1000ゴールドゲット! これでポーション買えるぜ!」
「見てみろよ、このユニーク装備! 俺、ボス倒したんだぜ!」
後続のプレイヤーたちが、数の力でボスを討伐し、ようやくこの村へとたどり着き始めたのだ。
「おっ、みんなボスを倒して、街に入り始めた頃って所だな」
彼は、すぐさま村の外へ出て、一秒でも早くレベル上げを始めたかった。だが、その衝動を理性で抑え込む。闇雲に外へ飛び出しても、準備不足では時間のロスになるだけだ。
必要なのは、情報。
彼は、他のプレイヤーたちが村の入り口付近で騒いでいるのを尻目に、雑踏から一歩だけ外れた井戸の縁に、軽く腰を下ろした。周囲の喧騒など、まるで存在しないかのように、彼の意識は完全に内側へと向いている。
(よし……まずは、情報だ。他の連中が右往左往しているこの数分が、決定的な差になる)
彼の頭の中には、すでに次の行動が明確に描かれていた。
このゲームには、現実世界と同じように、インターネットを閲覧するためのブラウザ機能が標準搭載されている。そして、そこには、一億人のプレイヤーがリアルタイムで情報を交換する、巨大な掲示板が存在するはずだ。
AKIRAは、静かに息を吐き、これからの情報戦に向けて、意識を集中させた。
そして、眼前の空間に、慣れた手つきで指を滑らせ、Webブラウザを起動した――。