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第4話 共闘のワルツ

 絶望的なまでの戦力差。村の防壁を赤子の腕のようにへし折る、圧倒的な暴力の化身。最初のボスにしては、あまりにも理不尽なその存在を前に、先行していたプレイヤーたちは次々と光の粒子となって砕け散っていく。悲鳴と、絶望の声。誰もが、あまりの膂力に為す術もなく立ち尽くすか、あるいは、なけなしの勇気を振り絞って突撃し、無慈悲な斧の一撃の前に消え去っていた。


 混沌。そして、停滞。

 誰もが、この巨大な絶望の象徴を前に、動けずにいた。


 その均衡を、最初に打ち破ったのは相馬 彰――AKIRAだった。

 彼は、隣で同じように巨漢を観察していた銀髪の少女の横顔を一瞥し、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「じゃあ、先手を貰うぜ?」


 それは、問いかけのようでいて、有無を言わさぬ決定事項の通達だった。返事を待つことなく、彰の身体は即座に行動へと移行する。彼は右手に握っていた錆びかけの手斧を、まるでピッチャーがボールを投げるかのように、頭上へと振りかぶった。全身のバネを使い、腰を鋭く回転させる。その遠心力を、寸分のロスもなく腕へと伝え、指先から解き放った。


「――っ!?」


 彰の突拍子もない行動に、隣の少女が息を飲むのが分かった。他のプレイヤーたちからも、「あいつ、武器を投げたぞ!」「バカかよ、丸腰になる気か!」という驚愕の声が上がる。


 だが、彰の行動は、決して無謀な博打などではない。計算され尽くした、最適解への最短ルートだ。

 空気を切り裂いて飛翔した手斧は、美しい回転を描きながら、一直線に巨漢へと向かっていく。巨漢は、村の防壁を破壊することに夢中で、まだ彰たちの存在に気づいていない。


 そして、次の瞬間。

 風切り音の終着点として、鈍い、硬質な打撃音が戦場に響き渡った。

 彰が放った手斧は、寸分の狂いもなく、巨漢の眉間に突き立っていた。


 ――グオオオオオオッ!?


 それまで上げていた破壊の雄叫びとは明らかに質の違う、苦痛と怒りに満ちた咆哮。巨漢の巨大な身体が、初めてよろめいた。その頭上には、ゲームシステムが叩き出した真紅の数字が、鮮血のように浮かび上がる。


【-28】


 レベル1の初期装備で与えた一撃としては、破格のダメージ。やはり、ヘッドショットは弱点として設定されている。そして何より、あの巨体と膂力に反して、防御力、あるいはHPそのものは、見た目ほどではない。彰の脳内では、瞬時に敵のパラメータ分析が完了していた。


 そして、その一撃は、もう一つの重要な意味を持っていた。

挑発ヘイト」。

 巨漢の濁った両目が、初めて、その怒りの矛先を一体の矮小な人間へと向けた。眉間に己の獲物を突き立てた、憎き存在――相馬 彰へと。


「やるじゃない……!」


 驚きに見開かれていた銀髪の少女の瞳が、瞬時に驚嘆と、そして闘争心に満ちた輝きへと変わる。彼が武器を投げたのは、自殺行為ではなかった。敵の注意を引きつけ、巨大な隙を生み出すための、最高の布石。その意図を、彼女は瞬時に理解した。


 だが、彰の攻撃はまだ終わらない。

 巨漢が怒りの咆哮を上げ、彰へと向き直る、そのコンマ数秒の硬直時間。それこそが、彼が作り出した最大のチャンスだった。

 彼は、敵へと背を向けることなく、むしろ、その巨体へと向かって、一直線に駆けだしていた。


(――獲物は、もらいにいく!)


 少女を含む、全てのプレイヤーが思っただろう。武器を失った彼が、どうやって戦うのか、と。

 その答えは、シンプルだった。

 彼は、巨漢が振り上げようとしていた巨大な腕に、ためらうことなく飛びついた。ゴツゴツとした岩のような筋肉にしがみつき、それを足場にして、驚異的な身体能力で巨漢の肩まで一気に駆け上がる。そして、眉間に突き立ったままの手斧の柄を、力強く掴み取った。


 武器の回収。それだけではない。

 彼は、巨漢の頭上で己の身体を反転させると、回収した手斧を、今度はそのまま腹部へと、全体重を乗せて叩き込んだ。


 ザシュッ!


 肉を断つ、生々しい音。

 再び、真紅のダメージ表記が宙を舞う。


【-19】


「――追撃する!」


 少女の凛とした声が響く。彼女もまた、彰が作り出した二度目のチャンスを逃さなかった。彰が巨漢の体勢を崩している隙に、その懐へと瞬時に潜り込む。いつの間にか彼女がその手に握っていたのは、陽の光を反射して鋭く輝く、一振りの細身の剣――レイピア。その切っ先が、流星のような軌跡を描き、巨漢の膝の腱を正確に切り裂いた。


【-16】【-17】【CRITICAL HIT: -34】


 流れるような三連撃。その全てが、的確に弱点を捉えている。彰とは全く違う、俊敏さと正確さを極めた剣技。

 巨漢の巨大な片膝が、ガクリ、と地面につく。

 彰は、その隙に巨漢の身体から飛び降り、少女と背中合わせになる位置に、音もなく着地した。


 ほんの数秒の出来事。

 だが、その数秒で、戦況は劇的に変化していた。無敵に見えた巨人は、その眉間と腹から血を流し(リアルなエフェクトだ)、片膝をついて体勢を崩している。そして、その前には、手斧を構える少年と、レイピアを構える少女が、まるで長年連れ添った相棒のように、完璧な立ち位置で並び立っていた。


 グウウウウウウウッ……!


 巨漢が、地を揺るがす唸り声を上げる。それは、己が傷つけられたことへの、底なしの怒り。巨漢は、膝をついたまま、空いている方の腕で地面を力強く叩いた。すると、その周囲の地面が、不気味な紫色の光を放ち始める。


「来るわよ!」

 少女の警告とほぼ同時に、地面から、腐り果てた腕が何本も突き出してきた。そして、その腕に引きずられるように、三体のゾンビが、のろのろと地上に這い出てくる。


「雑魚の召喚……面倒な!」

 少女が舌打ちする。ボスとの戦闘中に、複数の敵を相手にするのは、セオリーから言っても最悪の展開だ。どちらかが雑魚を引きつけ、その間にもう一人がボスを叩く。だが、レベル1の貧弱なステータスで、複数の敵の攻撃を捌き切れるか。


 どうするべきか。一瞬の思考。

 だが、彼らに、言葉による打ち合わせは必要なかった。


 彰が、動いた。

 彼は、巨漢へと向かおうとしていた少女の前に、さっと立ちはだかるように移動する。そして、召喚された三体のゾンビへと、まっすぐに向き直った。


「――!」


 少女は、驚いて彰の背中を見た。

 その行動の意味は、一つしかない。「雑魚は俺がやる。お前はボスに集中しろ」。無言の、しかし、あまりにも明確な意思表示。それは、相手への絶対的な信頼がなければ、決してできない動きだった。


(この男……!)


 少女の心に、再び驚きと、そして今度は、燃えるような高揚感が込み上げてくる。

 信じられている。ならば、応えなければ。

 彼女は、一切の迷いを捨てた。背後の彰にゾンビたちを完全に任せ、己の全神経を、目の前で体勢を立て直そうとしている巨漢、ただ一体へと集中させる。


 そこから始まったのは、もはや戦闘というよりも、一つの芸術だった。

 彰と少女。二人の動きは、まるで、あらかじめ振り付けられていたかのように、完璧に連動していく。


 彰は、三体のゾンビを相手に、一歩も引かなかった。左手の木の盾で、一体のゾンビが振り下ろす爪を弾き返す。その衝撃を殺しきれない身体がよろめくが、彼はそれを逆方向に回転する力へと変換し、背後から迫っていた二体目のゾンビの首筋に、手斧を叩き込んだ。一体を仕留めるや否や、すぐさま体勢を立て直し、残る二体の攻撃を最小限の動きで捌いていく。彼の戦い方は、派手さはない。だが、堅実で、無駄がなく、生存を第一とした、クレバーな立ち回りだった。


 一方、少女の戦いは、彰とは対照的に、華麗で、そして苛烈だった。

 彼女は、巨漢が振り回す巨大な斧の攻撃範囲を、まるで蝶のように舞いながら、紙一重で見切り続けている。巨漢の攻撃には、予備動作の大きい「なぎ払い」と、より発生の速い「叩きつけ」の二種類がある。彼女は、その二つを瞬時に見極め、なぎ払いには低く屈んで懐へ、叩きつけには鋭いサイドステップで死角へと、常に移動し続ける。そして、攻撃後のわずかな硬直時間に、閃光のようなレイピアの連撃を、巨漢の足や脇腹へと的確に叩き込んでいく。


 それは、美しいダンスのようだった。

 死と生の境界線で、二人のプレイヤーが、それぞれの役割を完璧に演じきる、二重奏デュエット

 片方がゾンビの群れを食い止める、重厚な「壁」となり。

 もう片方が巨漢の猛攻をいなし続ける、流麗な「刃」となる。


 言葉は、一切ない。

 だが、彼らの意識は、どこか深い場所で繋がっているかのようだった。彰がゾンビの一体を倒してわずかな時間ができれば、少女はより大胆なコンボを叩き込む。少女が巨漢のヘイトを完全に引きつけていることを確認すれば、彰は安心して背後の敵に集中できる。


 信頼。

 出会って、まだ数分。名前さえ知らない。

 だが、彼らは、互いが「自分と同じ種類の人間」であることを、魂のレベルで理解していた。


 そして、ついにその瞬間が訪れる。

 彰が、最後の一体のゾンビの頭をかち割り、自由な身体になった。

 それと同時に、少女のレイピアが、巨漢の利き腕の腱を、ついに断ち切った。


 ――グオッ!?


 巨漢が、信じられないものを見るかのように、だらりと垂れ下がった自分の右腕を見下ろす。武器を落としたわけではない。だが、もはや、あの巨大な斧を振り回すだけの力は、その腕には残されていなかった。


 最大の武器を失い、巨漢は、初めて、恐怖に似た感情をその濁った瞳に浮かべた。

 好機。最後の、好機。


「――今!」


 どちらからともなく、声が重なった。

 彰と少女は、左右から、同時に駆けだしていた。

 巨漢が、残された左腕で、最後の抵抗とばかりに二人を殴りつけようとする。

 だが、それは、あまりにも遅すぎた。


 彰が、巨漢の正面から、渾身の力で盾を叩きつける。それは、ダメージを与えるためではない。敵の体勢を、コンマ一秒でも長く、完全に固定するための、完璧な「ガードブレイク」。


 そして、その一瞬の静寂を、少女のレイピアが切り裂いた。

 彼女は、彰が作った不動の壁を信頼し、一切の防御を捨てて、その身体を宙へと躍らせていた。そして、空中で錐揉み回転しながら、全ての力を切っ先の一点に集約させる。


 スキル名など、まだない。

 レベル1のプレイヤーが放つ、ただの突き。

 だが、その一撃は、二人の信頼と、勝利への渇望が込められた、まごうことなき必殺の一撃だった。


 レイピアの切っ先は、がら空きになった巨漢の心臓部分に、吸い込まれるように、深く、深く突き刺さった。


【CRITICAL HIT: -98】


 今までで最大級のダメージ表記が、巨漢の胸から噴き出す。

 時が、止まったように感じられた。


 巨漢の巨大な身体が、ゆっくりと、後ろへと傾いでいく。その濁った瞳からは、急速に光が失われていく。やがて、山が崩れるような、轟音を立てて、その巨体は仰向けに倒れ伏した。


 そして、巨大な亡骸は、まばゆい光の粒子となって、風に溶けるように、静かに消滅していった。


 静寂。

 戦いが終わった戦場に、しばしの沈黙が訪れる。

 後方で成り行きを見守っていた他のプレイヤーたちは、あまりに鮮やかで、あまりに完璧な連携劇に、言葉を失っていた。


 彰と少女は、互いに少し離れた位置で、荒い息を整えていた。フルダイブシステムは、疲労感さえもリアルに再現する。心臓が激しく脈打ち、全身の筋肉が心地よい悲鳴を上げていた。


 その時、二人の目の前に、ひときわ大きく、そして美しい光の柱が立った。

 ボスモンスターを討伐した者だけに与えられる、報酬のドロップ。光が収まると、そこには、一つの小さなアクセサリーが、静かに浮かんでいた。


 銀色のシンプルなチェーンに、一点の曇りもない、水晶のような宝石がはめ込まれた首輪ネックレス。その宝石は、内側から淡い光を放っているように見えた。


「……お」彰が、思わず声を漏らす。「ユニーク、ドロップした……」


 アイテム名の表示色が、明らかに他のアイテムとは違う。それは、この世界に数個、あるいはただ一つしか存在しない、最高ランクの装備であることを示す、黄金色に輝いていた。


「これ、共有? それとも、ランダムでどっちか……」

 少女が、少しだけ早口で言う。ボス討伐の貢献度が最も高かったプレイヤーに所有権が与えられるのか、あるいは、サイコロを振って決めるのか。一般的なMMOの常識で言えば、そう考えるのが普通だった。


 だが、彼女はすぐに、自分の勘違いに気づいたようだった。

「……いや、違うな。見て。二人に、同じアイテムがドロップしてるみたいね」


 彼女が指差す先、彰の足元にも、全く同じ光の柱が現れ、全く同じ首飾りが出現していた。どうやら、このゲームのボスドロップは、討伐に貢献したプレイヤー全員に、個別に報酬が与えられるシステムらしい。


 彰は、自分の足元に出現した首飾りを拾い上げ、その詳細な性能を確認した。


 アイテム名: 清純の元素ピュア・エレメント


 種別: 首輪


 レアリティ: ユニーク


 効果:


 全耐性 +5%


 最大HP +40


 このアイテムに、Lv10の【元素の盾】スキルが付与される。


【元素の盾】: 周囲の味方の火、氷、雷属性耐性を+26%するオーラ。


 フレバーテキスト:


 王も、英雄も、神々でさえも、

 皆、等しく、この小さな光から始まった。


 恐れることはない。

 その一歩は、祝福されている。


「……とんでもない性能ね」

 少女も、同じ情報を確認したのだろう。その声には、隠しきれない興奮が滲んでいた。レベル1のプレイヤーが手にしていい性能ではない。特に、パーティメンバー全員に効果を及ぼすオーラスキル。これは、今後のゲーム攻略において、計り知れない価値を持つことになるだろう。


 彰も、その意見に完全に同意だった。

 そして、何よりも。

(――俺が、一番乗りだ)

 この『Aeturnum』の世界で、最初にユニークアイテムを手に入れたのは、他の誰でもない、自分たちなのだ。その事実が、彼の心を、今までにないほどの達成感で満たした。


「……初ユニーク、いえーい」


 彰が、少しだけ照れくさそうに、右手を上げてみせる。

 その、あまりにもゲームの主人公然とした行動に、少女は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに、くすりと楽しそうに笑った。そして、ためらうことなく、その小さな手を、彰の掌に、パチン、と打ち合わせた。


 初めての、ハイタッチ。

 それは、ほんの少しだけ、ぎこちなかった。


 満足感と、心地よい疲労感。

 だが、感傷に浸っている時間はない。少女は、すっと表情を引き締めると、彰に向き直った。


「じゃあ、共闘は終わりね」


 その言葉は、きっぱりとしていた。目的は達成した。これ以上、馴れ合う必要はない。そういう、彼女らしい合理的な判断だった。


「……うーん」彰は、少しだけ考える素振りを見せた後、提案した。「フレンド登録、する?」


 これもまた、彼らしい合理的な判断だった。これほどの腕を持つプレイヤーと、繋がりを保っておくことに、デメリットはない。むしろ、今後の長いゲーム人生において、大きなメリットになる可能性が高い。


 少女は、少しだけ意外そうな顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。

「……そうね。悪くない提案だわ。じゃあ、するか」


 二人は、互いの目の前に、システムウィンドウを開く。フレンド申請を送り、そして、承認する。ウィンドウには、お互いのハンドルネームが表示された。


 彰の目に映った、彼女の名前は『Yuki』。

 そして、彼女の目に映った、彰の名前は『AKIRA』。


「フレンド登録、完了」

「ああ」


「じゃあ、また会ったら、ね。バイバイ!」


 Yukiと名乗った少女は、それだけ言うと、くるりと身を翻した。その動きには、一切の未練も、感傷もなかった。彼女は、ボスが守っていた村の門へと、再び走り出す。その銀色の髪が、風に流れて、すぐに小さくなっていった。


 彰――AKIRAは、一人、その場に残された。

 彼は、去っていくYukiの後ろ姿を、ただ黙って見送っていた。

 そして、自分のステータスウィンドウを開き、フレンドリストの最上段に輝く『Yuki』という名前と、首に装備された『清純の元素』のアイコンを、満足げに眺める。


 一億人が参加する、史上最大のゲーム。

 その最初の戦いは、最高の形で幕を閉じた。

 だが、これは、まだ始まりに過ぎない。

 AKIRAは、顔を上げ、Yukiが向かったのと同じ、村の門を見据える。


 彼の、本当の戦いは、ここから始まるのだ。

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