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第1話 祭りの前夜

 西暦20XX年、X月XX日、金曜日。


 肌にまとわりつくような熱気が、ようやく和らぎ始める放課後の時間。夏の終わりを告げるにはまだ早いと主張するかのように、窓の外では蝉たちが最後の力を振り絞って鳴いていた。風が教室のカーテンを揺らすたび、漂ってくるのは埃とチョークの匂い、そして、明日という日への熱に浮かされたような、生徒たちの高揚した話し声だった。


 その喧騒の中心から少しだけ離れた場所で、相馬そうま あきらは静かに自分のスマートフォンを眺めていた。耳に入ってくる周囲の会話は、どれもこれも同じ一つの話題に収束している。


「なあ、マジで明日だよな? やばい、実感わかねえ」

「昨日なんて、楽しみすぎて全然寝れなかったわ」

「わかる。今日の授業、一個も頭に入ってこなかった」


 無理もないことだった。明日、正午。歴史上、最も巨大な祭りが始まるのだ。

 企業の名は、イドラ・ダイナミクス。彼らが十年の歳月をかけて生み出した超AI『アルケイディア』が、自律的に生成・管理を行う世界初のフルダイブ型VRMMO。

 その名は、『Aeturnum: The Last Exile』。


 物語は常に、英雄を待っている。そして今、この星に住む一億人もの人間が、我こそがその英雄なのだと信じて疑わなかった。


「おいアキラ! 見たかこれ!」


 突然、背後から大きな声がして、バン、と机が揺れた。勢いよく振り向いた彰の目に映ったのは、クラスメイトの宮下みやした 健太けんたが興奮で顔を紅潮させながら突きつけてくるスマートフォンの画面だった。画面には、つい数分前に更新されたらしいネットニュースの速報が表示されている。


【速報】イドラ・ダイナミクス社、フルダイブ機『イドラ・リンク・カプセル』の全世界累計販売台数が1億台を突破したと正式に発表。


「一億台だってよ、一億! もうこれ、一つの国じゃん!」


 健太は自分のことのように胸を張り、その隣からは、呆れたような、しかし同じく興奮を隠せない親友のもう一人、橋本はしもと 雄二ゆうじが顔を覗かせた。


「マジか。昨日までは9800万とかだったろ。駆け込み需要、えぐいな」

「当たり前だろ! この祭りに乗り遅れる奴なんていねーって!」


 健太はそう言うと、彰の肩をがしりと掴んだ。

「なあ、やばくね? 俺たち、今、歴史のど真ん中にいんだぜ? 明日の今頃はもう、一億人のライバルと一緒にあの世界に……うわ、考えただけで武者震いがしてきた!」


「お前はまず、その落ち着きのなさをどうにかしろよ」雄二が冷静に突っ込む。「一億人同時接続なんて、本当にサーバーもつのかね。サービス開始直後、伝説の長時間緊急メンテナンス、なんてのは勘弁してほしいぞ」


「縁起でもねえこと言うなよ! イドラ社を信じろ。何より、超AIのアルケイディアを信じろって。人間の予測超えてんだから、全部上手いことやってくれんだろ」


「神様か何かだと思ってんな、お前は」


 軽口を叩き合う二人を、彰は穏やかな笑みを浮かべて見守っていた。彼の心中も、もちろん凪いでいるわけではない。むしろ、煮え滾るマグマのような期待と野心が渦巻いている。だが、それを表に出すことは決してなかった。友人たちの前での彼は、常に少しだけ大人びていて、冷静で、聞き役に回ることが多い。その立ち位置が、彼にとっては心地よかった。


 やがて、友人たちの話題は、全てのプレイヤーにとって目下最大の関心事へと移っていく。


「で、結局クラスどうすんだよ、アキラは?」健太が問いかける。「俺、マジで決まんねーんだよな。やっぱ無難にマーセナリーか? クロスボウ、安定っぽいし。でも、公開されてるコンセプトアートだとソーサレスの魔法が超派手でさあ……」


「どうせお前は見た目でソーサレス選ぶんだろ。派手な魔法をぶっ放して、気持ちよくなりたいだけだろ」雄二がからかう。


「ば、バカ言え! 純粋な戦力評価だっての!」


 慌てて否定する健太の言葉をBGMに、彰は少しだけ考えるふりをしてから、こう答えた。練習してきたかのように、ごく自然な口調で。


「ウォーリアかな。まずは戦士で様子見だよ」


 その答えは、彼の友人たちにとって、いかにも「彰らしい」ものとして受け取られた。


「うわ、堅実! 鉄板だな!」健太が納得したように頷く。

「確かに。ベータテストが一切無かったわけだし、何が当たりで何がハズレか、全然分かんねーもんな。一番シンプルで、攻守のバランスがいいウォーリアで始めるのが、一番賢い選択かもしれねえな」雄二も同意した。


「だろ? 最初からトリッキーなことしても、仕様が分からなきゃ宝の持ち腐れになるかもしれないし」


 彰はそう言って、会話を締めくくった。彼の言葉に、嘘はない。ウォーリアが現状で最も賢い選択であることは事実だ。だが、「様子見」という部分だけは、完全な偽りだった。


 友人である雄二が、ふと探るような目で彰を見た。

「へえ。お前が『様子見』なんて、珍しいな」

「そうか?」

「ああ。いつものお前なら、リリース前のあらゆる情報を徹底的に分析して、最適解見つけて『俺はこのクラスで行く』って、誰よりも早く断言するタイプだろ。昔やってた『ブレイド・シンフォニー』の時もそうだったじゃん。誰も見向きもしなかったスキル構成を一人で研究して、最初のボスレイドでトップDPS叩き出してただろ」


 雄二の指摘は的確だった。彰は、どんなゲームであっても、常にそうしてきた。勝つために、頂点に立つために、あらゆる情報を集め、分析し、シミュレートを重ねる。それが彼のプレイスタイルであり、彼の本質だ。


 その本質を、彼は今回、巧みに隠している。友人たちにさえも。


 彰は、内心の動揺を一切顔に出さず、穏やかに微笑んだだけだった。

「今回は規模が違うだろ、一億人だぞ。俺一人が考えたことなんて、たかが知れてるさ」


 その謙虚な言葉に、雄二もそれ以上は突っ込まず、「まあ、それもそうか」と引き下がった。彰は胸を撫で下ろしながら、意識を別の場所へと飛ばす。


(ウォーリア。攻守のバランスがいい、なんて生易しいものじゃない)


 彼が導き出した結論は、もっと具体的で、冷徹なものだ。

 海外の解析班がリークさせた、真偽不明のパラメータ情報。それを元に、彼は何十時間もかけて独自のシミュレーションを行った。その結果、ウォーリアは初期の成長率、特に体力(VIT)と筋力(STR)の上昇値が他のクラスより僅かに優遇されている可能性が高い。それはつまり、序盤の狩り効率と生存率が最も高いことを意味する。ポーションの消費を抑え、レベルアップの速度を加速させ、誰よりも早く次のエリアへと進むための、最高のチケット。


 さらに、熟練度を上げることで習得できるとされるパッシブスキルの中に、「武器習熟」という項目があるという情報があった。一つの武器を使い続けることで、その武器種に対する攻撃力や命中率が底上げされる、というものだ。もしこの情報が真実なら、シンプルな片手剣と盾を使い続けるだけで、他のクラスが多彩なスキルを覚えるよりも早く、安定した火力を手に入れられる。


 様子見、ではない。これは、一億人の競争相手を出し抜くために、最も計算し尽くされた「最適解」なのだ。


「つーかさ、公式でRMTリアルマネートレード実装済みって、ヤバくね?」


 ふと、雄二が真剣なトーンで話題を変えた。その言葉に、教室の喧騒の中でもゲームに一家言ある者たちが、ぴくりと反応する。ゲーム内通貨やアイテムを、現実の金銭で売買できるシステム。多くのゲームでは不正行為として厳しく取り締まられるそれを、『Aeturnum』は公式に、堂々とサポートしている。


「いきなり札束で殴り合うゲームになるんじゃねーの?」雄二の懸念は、もっともだった。

「あー、それな。俺たちがコツコツ雑魚狩ってる間に、どっかの金持ちが初日から最強装備とか、萎えるわー」健太も顔をしかめる。


 それは、多くのプレイヤーが抱く共通の不安であり、不満だった。ゲームは平等な場所であってほしい。少なくとも、スタートラインだけは。その願いを、公式RMTは真正面から打ち砕く。


 その会話を聞きながら、彰は何も言わずにスマートフォンの画面を操作していた。開いているのは、巨大掲示板の『Aeturnum』専用スレッドとは別のタブ。ブックマークしてある、いくつかのRMT仲介サイトだ。サービス開始と同時に、そこでは「ゲーム内通貨1ゴールド=〇〇円」というレートが瞬時に形成され、膨大な現実の金銭が動き出す。


「まあ、でも課金は自由だろ」


 彰は、他人事のように、事もなげに言った。

「どれくらいつぎ込むかは、個人の判断だしな」


「言うねえ。アキラはいくら課金すんの? お前、バイト結構やってるもんな」


 健太のそのストレートな問いに、彰は曖昧に笑って肩をすくめただけだった。「さあ、どうだろうな」。本心を見せない、完璧なポーカーフェイスで。


 キーンコーンカーンコーン。


 無機質なチャイムの音が、教室の熱気を断ち切るように響き渡る。一日の終わりと、祭りの始まりを告げる合図だった。

「うお、やべ。帰んねーと」

「準備万端にしとかねーとな!」

 生徒たちが我先にと鞄を掴み、教室を飛び出していく。彰たち三人も、ゆっくりと席を立ち、廊下へと出た。


 夕方の光が差し込む廊下は、明日への期待を語り合う生徒たちの声で満ちている。誰もが笑顔で、誰もが希望に満ちている。それは、心地よく、そして同時に、彰の競争心を静かに、だが鋭く刺激する光景だった。


(誰もが、笑ってられるのは今のうちだ)


 心の中で、彼は冷ややかに呟く。

 一億人の頂点に立てるのは、ただ一人だけなのだから。

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