14 正義の味方だから
とんでもない炎の塊は、轟音と共に地面すれすれをすごい速度で走り、地を穿ち、横並びで腹這いになった男たちの顔の真横を突き抜ける。
火球の勢いで男たちの残った髪が風に煽られ、びゅんと逆立ったかと思えば──次の瞬間、さわっと音を立てて落ちた。まるで紙細工のように、燃え尽きたのだ。
メリルよ、ガッツポーズを取っている場合じゃない。
他に被害が及ばないように、爆炎は川向うの建物に直撃する寸前、精霊ウンディーネが水の塊で包み込んで消火している。
危うく大惨事になりかけてるぞ。
男たちの髪と眉毛全部、それぞれの右と左側の衣服がきれいに焼け焦げ消失していた――
男たちはぺったりと地面に座り込む。大人の三大タブーが上書きされたショックで戦意を消失してしまっていた。火傷を負わなかったのは先に水浸しになっていたからに違いない。それだけでも運が良かった。
メリルは男の子に近づく。光の精霊がフワフワと男の子の周りを飛んで殴られ蹴られた箇所の治癒を始めていた。
「……どうして助けてくれたんですか」
男の子はメリルに問い掛ける。
一瞬、メリルは首を傾げるように視線を落としたが、すぐに顔を上げて言った。
「正義の味方だから」
男の子は息を呑む。
『なぜ打算の一つもなく無償で助けてくれたんですか』と問いたかったのに。
くつくつと笑いがこみ上げる。こんなに迷いのない答えをもらったのは初めてだったからだ。
しかも余りにも台詞が大根だ。
あなたみたいな人、本当にいるんですね……
「えっ? なんて?」
「……いえ、何でもありません」
何だか吹っ切れたようにも見える、殴られていた男の子の顔は、光の精霊がきれいさっぱり治療を終えていた。手入れをあまりしていない黒髪が顔にかかり、表情が分かりにくくはあったが──
「あなた、お名前は?」
メリルがそう尋ねようとしたとき、空からバサバサという音がメリルたちの頭上から聞こえてくる。
だんだんと大きくなるその音は、空を飛ぶなにかの音だ――
地上の遠くからも数多くのざっざっという足音が聞こえ始めた。
"右脱げの男の左ポケットになんかやなものが入ってる"
精霊がそう言うのでメリルが左半分残った男の衣服のポケットを漁ると、何か契約書のような紙が入っていた。掴んで立ち上がる。
"あっ、それ!血の契約書!"
"うわ……禍々しい"
"サラマンダー……燃やしてしまったほうがいいんじゃないかしら"
"契約解除は火では無理だぞ。我では無理だ……だが闇のならば、同属性ゆえあるいは──"
それを聞いたメリルは、男の子からちょっと離れてウィルフレッドに近付くと、しゃがみこんだ。
すっかり昇った朝日で長い影が出来ていて、にゅうっと黒く薄っぺらい二本の手が、影から伸びてくる。
ゆらゆらひらひらと──
迷わずメリルはその手に紙を手渡した。
紙の血印がじゅっと音を立てて発火し、禍々しい真っ黒い炎がぼうっと立ち上る。
ジリジリと紙が音を立てて燃え、跡形もなく燃え尽きると、ゆっくりと二本の黒い手は影の中に消えていった。