11 精霊が嗅ぎ取ったもの
「旧倉庫街って、昔あの強引な商会が建てたとこじゃなかったっけ?」
「うん。アクアオッジ家のライバルだった商会。街道が整備され始めたとき、よそからやってきて流通を独占しようとしてたんだ」
手形で頬を叩くような強引な商売で有名だった商会だが、トーマス兄さまの活躍で撤退に追い込まれ、商街の中心から外れた旧倉庫街だけが残された。
「おかげで、早朝は人がいなくてシルフィードに降りてもらいやすいんだよね」
まだ準備時間にも相当早いので、この辺のお店は全部閉まっていて、川の水音が聞こえるくらいだ。
「ここ、メイベルのお店もあったよね」
「うん、アーサー兄さまが僕たちと同じ年の頃、服がなくなっちゃって作ってもらったんだって」
「母さまが王都でメイベルのお店で、制服頼むって張り切っちゃってるよ……学園行きたくないのに」
「勉強したくないのに」
そんな話をしているうちに──
二人を旧倉庫街に下ろすと、シルフィードは出てきた時と同じように小さい竜巻と共に姿を消した。
『気に当てられる』とやらで、高位精霊が出ている間は一切姿を見せなかったちっちゃい精霊たちがウィルフレッドにまとわりつく。火・水・風・雷・土・光の精霊がそれぞれ一体ずつ。闇の精霊は明るくなったらウィルフレッドの影の中に隠れちゃうらしい。
"ふぅー。大物オーラ苦手なのよね"と精霊たちは賑やかだ。
「まず市場と露店広場で朝ごはん食べようよ」
メリルが言い出す。彼女はとてもとても食べるのですぐにお腹が空くのだ。食べても食べても太らない。のちに魔力を貯めておく体内の容器がとてつもなく大きいということが判明するのだけれど。
この街には運河が流れていて、中洲には新倉庫街として見事な建物が並んでいる。まずはその近くにある商館街のほうに向かう。いろんな領から出向してきている商会が軒並みひしめき合う、この街で一番華やかで人の多い場所でもある。
向かおうとして、精霊たちが一斉に顔を歪めた。
"なにこの臭い"
"……ヒトの血の臭い"
"あーもーダメ、こういうの苦手……"
"誰かやられてる"
"悪意。強い悪意を感じる"
ぴたっと歩みを止めたメリルとウィルフレッドが耳をすますと、旧倉庫街の奥のほうから声が聞こえてくる。
おかしいよね。
この時間はまだまだ商会が店を開ける時間じゃないから、この旧倉庫街は本来ならあと一つ鐘時間くらいは人けのない時間帯なのだ。
しかも語尾の感じからしてあまり好感を持てる声じゃない。罵ってるような声と、ときたま聞こえる何かを殴る音。
"殴られてる音がするわ"
"子供が殴られてるぞ"
その言葉が、メリルの胸に突き刺さった。
頭の奥で、忘れようとしていた記憶がざわめいた──
昔、自分が転んで泣き出したとき、誰より先に手を伸ばしてくれたのは、アーサー兄さまだった。
ずっと兄というより、父さまみたいだった。
アーサー兄さまだけじゃないよ。わたしは家族みんなに守られて育った。
「待ってて」なんて言っていられない。
心臓が早鐘を打つ。足が動くなと頭が言うのに、胸の奥が逆らった。
気づいたときには、メリルは走っていた。
「ちょ。メリルダメだよ、危ないって! それほんとヤバいから!」
もはやウィルフレッドの制止の声も聞こえなかった──