俺だけの神様
神様にしまっちゃおうねされる話。
「何寝惚けたこと言うてんの?」
「ひぇッ……」
……だったのだが、いつから神様がしまっちゃおうねされる話に刷り変わっていた?
□
長い年月を経てなまじ知恵と力をつけた人間は、この世の全てを操れるとでも思ったのだろうか。
人類の発展の為にと切り崩されていく山々に、形を整えられた水路、誇らしげに建てられた豪華な城、人の集う城下町。
そんなもの、天災の前では無に等しい。
『氏神様の怒りを買うべからず
我らの平和のために、神隠しに遭っても、体を裂かれても、何が犠牲になっても
怒りを買ったとき、我らは滅びる運命を辿る』
「……なぁ。一応聞くけど、これ誰のこと言うとる?」
「翠やな」
「え”……即答かよ」
この町に伝わる子守唄は誤解だらけで、というか八割違うから直す気力も失せてしまう。初めて貼り紙を見た時、どこの暴君やねんて笑っとったのに。左横におる青年が含みのある目でじっと見てくるからやなぁ…… 。
「……まぁ、確かに。神隠ししたのは事実やけどな」
出会った頃は私の腰ほどの背丈だったのが、今では顔を見上げる程になっとる。手を伸ばしてふわふわとした髪を撫でれば、彼は少し瞳を揺らし、眉尻を下げて微笑んだ。
「俺は、翠がさらってくれて良かったと思っとるよ」
「……ホンマ、いい子すぎると不安やな」
背丈が大きくなったとはいえ、まだまだ保護されるべき歳や。ここに連れてきた時からそうやけど、この子は気を遣いすぎる。誘拐犯に感謝するなんて佐月くらいなもんやろ。
「嘘じゃないって。翠がさらってくれんかったら、俺はあの家で殴り殺されとったか、飢え死んどった。本当に感謝しとる」
「老いぼれを泣かせんなよ……」
「老いぼれ置いていくで」
「よーし頭出せ。げんこつや」
親子みたいに仲良く暮らす日々は、とても楽しかった。この子が成人するまではちゃんと育て上げたかったし、残りの日々を穏やかに過ごせると思っとった。
「───なんでや、……」
ただ、状況は予想以上に厳しかったようで。
かつて生きる氏神様と畏れられていたわたしは疫病神として忌み嫌われ、さっさと祓って社を壊してしまえ、なんていう動きが広まっとる。
そんな事実を知ったんは、既に武装した都の衛兵に社を取り囲まれた後。
「おおかた森を切り開いて貴族の城を築くための口実やろ。翠、気にせんでええ。突っぱねとけばいずれ──」
あの子が何か言うてる。
けど、信仰されてもない厄介者に誰が手ぇ差し伸べてくれるん? そんなん待っとる間にやられるに決まっとるやろ。冷静に考えて万事休すや。
「なぁ、佐月。もう潮時やなぁ……」
「……は、何言うてん、」
「全部終わり、てことや」
追いかけようとする佐月に手刀を落とし、気絶させて部屋に閉じ込めて、結界を張った。装束服を羽織り社の表に出ると、……まぁぎょうさんお客さんがおるわ。
衛兵は迂闊に近付けんのか、取り囲んだ位置からジリジリと後退していっとる。そんな焼け野原にするような力はないんやけどな。ハッタリがいつまで保つかわからんし、要求は早うせんと。
「なんやの、こんな夜中に。やっと供物にありつける、思うたんやけどなぁ」
部屋を出る前に切り取っておいた佐月の髪の一束を持ち、残念そうに呟くと男らは体を強張らせた。
「っひ、ば、化け物め! お前など成敗してくれる!!」
「考えなしに動く能無しは嫌いやわぁ。ええの? 中に供物おるけど」
「くっ、矢を下ろせ! 奴を囲い込め!!」
「おぉ怖」
森に逃げ込む振りをして誘い込む。
この森、至るところに罠張っとるしな。案の定落とし穴に落ちたり足挟まったりしとる。……あれ、首切断される罠なんか設置しとったっけ。おもちゃ感覚で作って遊んどったのが凶悪兵器になっとるわ。まぁ、この際ええか。
「……なぁ、もしかしてわたしのこと生け捕りにしようと思うとる?」
「っ!!」
「せやなぁ、一介の衛兵が神殺しは極刑やもんなぁ」
「なら大人しくっ、がぁ!!」
「刀振り回した大人に抵抗せんわけないやろ」
散々暴れまわっとったけど、そもそも武神でもないんやからさすがに限界はくる。あと一人。けど、他の衛兵とは比べ物にならないほどの強者。ブン回された小刀を避けきれず、頭を掠める。額が切れて目に赤が飛び散った。
「ハッ……やるやん、おじいちゃん」
「ほざけ小娘」
百年生きて小娘呼ばわりされるとは思わんかった。年上の意地見せたろ、思って応戦したものの力の差は圧倒的やし、技量もこちらには分が悪い。後退しながら打ち合う中で、増える傷に痛みを感じだす。罠を必死に避けたところでおじいちゃんは迷いなく進んでくるし。
……クソ、こんな時に限って力が入らんわ。
「───っ!!」
「ははっ、死ねよ神サマ」
ズバッ!!と容赦のない見事な一閃。
それとともに眼前が真っ赤に染め上がる。全身にびしゃりと降りかかるのは、わたしのものではない生温い液体。
「……嘘やろ」
だって、こんなことするんは一人しかおらん。
「……さつき」
「なに殺されかけとんの、翠」
事切れたおじいちゃんを蹴り飛ばして近付いてくる彼の表情は抜け落ち、いつもの朗らかな雰囲気は消え失せとる。森は先ほどの喧騒が嘘のように、静かで。月が差し込んでいることで鮮明になる、佐月が纏う返り血の量を見て状況を粗方察した。
「怪我は、」
「他にもっと言うことあるやろ」
怒るのもわかるけど、怪我の心配くらいさせてほしいわ。お互い様なんやろなと思うから言わんだけで。
「……勝手に決めて申し訳ないとは、思っとるけど……」
「けど、なに?」
ああするしかなかった。
もう終わりやって思っても、最後までどうしても諦めたくないなぁって。大事な子やから、せめて佐月だけは守りたかった。それが育ててきた親としての役目やと。それにこんなところ早う出ていくべきやったし、きっとそっちの方が幸せになれる。供物として保護されれば、この子はきっとまっとうな道に戻れるはずやから。
恩着せがましいかもしれんけど、これは譲れん。人並みに倫理観は育ててきたつもりやったし、優しい子やからわかってくれると思って話すのに、冷たい瞳は依然として変わらんまま。
……まぁ、あっさり人殺しとったんはびっくりしたけど。なんなん、あの容赦のなさ。
「言いたいことは、それだけ?」
「え、」
予想外の言葉に呆けている間に、バァンッ!!と顔の横に手を叩きつけられた。背中の大木がギシギシと鳴る。
……おぉい、どんな力しとんねん。
口を開こうと前を向くと、目の前には瞳孔かっぴらいて殺気を纏う私の大事な守るべき、まもる、べき、……?
「幸せになれる……? なに寝惚けたこと言うてんの。俺のこと拾ったんはアンタやろ。全部奪ったくせにそれに有り余るくらいのモン与えたんなら、最期まで責任持って面倒見ぃや。幼気な少年誑かしといて飽きたらポイとかふざけんのも大概にし」
「そんな、つもりは……」
「そんなつもりはなかった、だ? なぁ、非常識にも程があると思わん? 俺のことアンタ無しじゃ生きれんようにしたくせにそんなこと言うんは違うて、ちょぉーっと考えたら分かることやんか。アホなん?」
あまりの剣幕に気圧されて、何とか立たせていた膝が折れる。ずるずるとしゃがみこむわたしに合わせるように一緒にしゃがんだ佐月は、何を思ったのか顔に付いた血痕を拭うと、そのままわたしの唇をゆっくりと舐めた。
「っん、ん”ん!」
「……あぁごめん、怖がらせたいわけやないんよ。俺は簡単には死なれへんし、翠から離れる気なんかこれっぽっちもあらへんから。……そない泣きそうな顔せんといて。かわいすぎて歯止め効かんくなるやろ」
「ひぇッ……」
「……あ”ー、だから。泣くんはずるいわ、」
泣いた。涙全然止まりそうになかった。今まで大人しくて従順な良い子だとばかり思っとったから、こんな気持ちと行動を返されるとは思っとらんくて。
……いや、たぶん最初は良い子やった。
神様、神様っていつも慕ってくれとったし、わたしの世話をしながらにこにこと日々の小さな幸せを話してくれる、あの子の持つふんわりとした空気と、声と、時間が好きやった。
じゃあ、何がこの子を変えたんか。
誰がこうなるように仕向けたんかって。
「……わたしの、せい……?」
「ん?……あぁ、そうやなぁ」
際限なく吐き出される、わたしの一方的なわがままのような愛をどう受け取るかなんて、考えてもみんかった。吐き出したわたしと同じように、この子も留めることなくただ消費してゆくものだと。
思っとったけど、優しすぎる少年には捨てきれなかったんだろう。
「毎日毎日とんでもない重さの愛情注がれとる俺の気持ちも考えれんような、おバカさんのせいやろなぁ。
……ま、気付いて良かったけど」
さて、囚われていたのはどちらだったのか。
「独りになんかさせんよ、俺だけの神様」
□
ある茶屋にて。
「悪い噂流して人里出れんようにして俺しかおらん状態にすれば囲えるよなと思っとったけど、あれは駄目やったわ。自分より脅威があると、あいつらすぐ恩も忘れて仇で返してくる」
「あの噂流したのお前やったんか……」
「いんや? 食材確保するために寝ただけの女が、俺の境遇勘違いして言い触らしただけ」
「……でも利用しようとはしたんやな」
「もう二度とせんけどな」
「あ、そ。……で、今は?」
「あの人あんなことあったのに、まだ人のこと好きや言うとるんやで? お人好しにも程があるやろ。……まぁ、でも神様の気持ち踏みにじったら可哀想やから、奥地で静かに暮らしとるよ」
「囲い込みの間違いやろ」
「町のこと知らん神様が俺の話聞いて嬉しそうにニコニコわくわくしてんのクソ可愛いから、まぁ……今はええかなて」
「今は」
「もちろん今度は神様のこと嗤っとる奴らの除草は根からきっちり始末しとるから大丈夫やし。いつでも都制圧できるで」
「何が大丈夫だって??」