眠れる森の魔法使い
「ミズキ!返事をしてくれ!ミズキ!!」
目の前で倒れている想い人に対して、フィデリスは必死で呼びかける。
だが、ミズキはもうピクリとも動かない。
けれどもまだ息はあるようだ。心臓も動いている。どちらも微弱なものだが、まだ間に合うはずだ。
彼女の羽織っているローブに、血がついているのを見て思い出す。血溜まりがあったと、イグナルスが言っていたはずだ。
つまりは何者かに襲われて、怪我をした可能性が高い。どこかに外傷があるはずだ。
フィデリスは手をかざして、呪文を唱える。
「ヒール」
自分の魔力を可能な限り注ぎ込む勢いで、魔法に費やしていく。
淡い光に包まれたミズキは、落ち着いた呼吸を取り戻してくれた。首筋に手を当ててみると、脈が復活したことも分かった。
地面に転がされていた彼女を抱き上げたフィデリスは、背中に回した手に血がついたことに気づく。
さっきのヒールで傷は塞がったようだが、おそらくはここを刺されたのだろう。
(一体誰が……!)
大切な人を傷つけられた憎しみが、彼の中で燃え上がる。
ただ復讐するにしても、相手が誰なのか分からなければどうしようもない。
傷は塞がったが、血を失いすぎているのだろう。死んではいないから、しばらく休めばまた目を覚ましてくれるはずだ。
(そう、だよな……?)
目を閉ざして己の腕の中で昏睡しているミズキを見て、フィデリスは不安そうな表情を浮かべる。
(目を覚ましたら、話をしよう。伝えたいことがあるんだ。……其方に、先を越されてしまったが)
彼は竜の姿になると、魔法を使ってミズキを浮かび上がらせ、そっと自分の背に乗せる。
くれぐれも彼女を落とさないように気をつけながら、彼は屋敷へと急いだ。
「フィデリス様!!」
フィデリスが屋敷のすぐ近くまで辿り着くと、門のところでリンネが待っていた。
彼女の側へ行くと、彼女はフィデリスが抱えているミズキに気づいたようだ。
「っ、ご主人様!!」
「大丈夫、眠っているだけだ」
泣きそうな顔をしたリンネにそう言って、安心させる。彼女はそれを聞いて、いくらか安堵したような表情になった。
だが、この後本当に目を覚ますかどうかは、誰にも分からない。
リンネと共に屋敷に入ると、他の仲間たちがフィデリスを迎えてくれた。
「よかった、なんとか間に合ったようだな」
ホッとしたように言ったイグナルスに、フィデリスはふるふると首を振る。
「まだ分からない。……ちゃんと、目を覚ましてくれるだろうか」
そう言ったフィデリスに、今度はオリヴィエが口を開く。
「大丈夫です、きっと」
周りのみんなも、それに頷く。
フィデリスも、今はそう信じるしかなかった。
オリヴィエに案内されて、フィデリスはミズキの部屋へと入る。
「そこに寝かせてください」
言われた通りにフィデリスがミズキをベッドに横たわらせると、彼はオリヴィエに部屋を追い出された。
「は〜い、オリヴィエも出てくださいね。今からご主人様を着替えさせますので。終わったら呼ぶので、そこで待っていてください」
リンネは二人にそう言うと、一人で部屋の中に入って行った。
数分後に、リンネは部屋から出てきて、二人を中に招く。彼女はイグナルスを呼んでくると言って、一度部屋から出た。
それからしばらく待っていたが、いつまで経っても二人は部屋に来ない。オリヴィエとイグナルスは首を傾げる。
「何かあったのだろうか」
フィデリスがそう呟いた頃、部屋のドアが開かれた。
「そいつが目を覚さない主な原因は、貧血だ」
部屋に入るなりいきなりそう言ったイグナルスに、フィデリスにとオリヴィエは頷く。
「だが重度の貧血は、寝かせとくだけでは治らない」
「ならどうすれば……」
そう口にしたフィデリスに、イグナルスが手に持っていた物を突きつける。
「これだ」
「これは……輸血パック?なんでこんなのがあるんですか……」
訳が分からない、というような顔でオリヴィエが言った。
「ミネルヴァは血を使った研究もしていたからな。つまり……結構古いんだが、まぁなんとかなるだろう」
見ろ、新鮮そのものだ!などとイグナルスは言っているが、周りの者からしたら不安でしかない。
だが、今から輸血パックをわざわざ買ってきて……では遅いかもしれない。
「それに、どうやって使うんですか?」
オリヴィエがそう尋ねた頃、今度は廊下から何かをキーキーという音が聞こえてきた。
「すみません、お待たせしました!」
その声と共に開けられたドアから、リンネが姿を現す。彼女の隣には、見慣れない器具が立っていた。
「それは……」
「点滴台だ。これを使ってミズキに輸血をする」
「だからなんでそんなのがあるんですか?」
尋ねるフィデリスに答えたイグナルスに、オリヴィエがツッコミを入れる。
「これもミネルヴァが使っていた物で……」
「なんでも持ってらっしゃるのですね!?」
都合が良すぎる、とオリヴィエは呆れる。
「……まぁ、都合が良くて何が悪い。使わせてもらおう。これで、ミズキが目を覚ましてくれるかもしれないのなら」
フィデリスはミズキを見ながらそう言った。その言葉に、その場の全員が頷く。
「それで?使い方は分かるのか?」
フィデリスが尋ねると、イグナルスは「もちろんだ」と頷いた。
点滴台に輸血パックを取り付け、眠っているミズキの腕にオリヴィエが針を刺した。
血がミズキの中へ流れていくのを見て、一同はひとまず安堵の息を漏らす。
「これで、半分は解決だな」
そう言ったイグナルスに、他のみんなは首を傾げる。
「半分は?」
「ああ。……ここからが問題なんだ。聞いてくれ」
神妙な面持ちでそう言ったイグナルスに、フィデリスはゴクリと息を呑んだ。
「血液の問題は、これで解決するかもしれない。ただミズキが血液と一緒に、大量に失ったものがもう一つある」
イグナルスの言葉に、リンネとオリヴィエは何かを思い出したようにハッとしたが、フィデリスは首を傾げた。
「何を失ったんだ?」
尋ねる彼に、イグナルスは答える。
「魔力だ」
それを聞いて、フィデリスは意外だ、と驚く。
あの無尽蔵に魔力があるように思えるミズキが、大量に魔力を失うなんて。一体何があったというのだろうか。
そう思ったフィデリスに、イグナルスが説明を重ねる。
「リンネとオリヴィエが言うには、こいつは元々他の世界の人間だとかなんとか。そうらしいな?だから当然、体の成り立ちも違う」
フィデリスはそれにハッとする。盲点だった、と思った。
「こいつの血には、多くの魔力が溶け込んでいた。予想だが、こいつには魔臓がないのだろうな。だから本来魔臓に蓄えられる魔力が、血液に蓄えられていた……というのが俺の予想だ」
「つまりその魔力が、血液と共に流れていってしまったと。そういうことか?」
フィデリスの確認に、イグナルスは頷く。
オリヴィエもなるほど、と頷いていたが、リンネはあまり理解できていないようだ。
「魔力がないと、生き物は生きていけない。魔臓がないことを除けば、こいつもこの世界の生き物と同じような感じのようだから、それはきっと同じなはずだ」
「ですが、魔力は勝手に回復していくはずですよね?まだ生きているということは、魔力が空になっているわけではないのでしょう?」
そう尋ねたオリヴィエに、イグナルスは頷いた。
「そうだな。だからこいつは死なない。このまま寝かせておけば、いつかは目を覚ます。……ただ、それが一年後くらいになってもおかしくないかもという話だ」
「い、一年!?」
今度はリンネがいち早く反応して、素っ頓狂な声を上げた。
「どうしてですか?一年もなんて、あたし寂しくて死んじゃいます!」
「落ち着け。今説明する」
ミズキの毛布の裾を掴みながらそう言ったリンネを宥めて、イグナルスが説明を始める。
「まず、これを見てくれ」
そう言ってイグナルスは不思議な機械を取り出した。
「なんですか、それ」
尋ねるリンネに、彼は答える。
「魔力測定器だ。ミネルヴァが使っていた」
オリヴィエはもうツッコミを諦めたようだ。何も言わなかった。
「これで、ミズキの魔力を測っていく」
そう言いながら、彼は機械をミズキの腕に取り付け、ボタンを押した。それを見て、またリンネが尋ねる。
「これは、何を測ってるんですか?」
「こいつの中の魔力の量だ。残りの魔力がどれくらいかってところだな。ちなみにこの機械は優秀だから、魔力が満タンの時の魔力量も測ってくれる」
そして出た数値を見て、イグナルスは言った。
「この魔力量なら、普通の人間の半分くらいだな」
「あれ?結構残ってるんですね」
首を傾げて言ったリンネに、オリヴィエが教える。
「リンネ、普通の人間の、ですよ。数字を見てください」
そう言って彼は、機械に表示されている数字を指差す。
「あたし、数字って苦手なんですよ……。どういう風に見たらいいんでしょう?」
そう言ったリンネに、イグナルスが答えた。
「今こいつの魔力量は、こいつの中の満タン時の一割にも満たない」
「い、一割……」
リンネが不安に顔を曇らせる。
フィデリスはさっきから顔を苦痛そうに歪めながら、ミズキを見つめている。
「……魔力ってのは大体、満タン時の二割を下回ると、回復が大幅に遅くなる。だから騎士なんかは、ポーションで無理矢理回復するらしいが……。寝てる奴に飲ませるわけにもいかないからな。輸血パックの魔力版、なんてのもないし」
イグナルスもミズキに目を向けながら、暗い顔でそう言った。
「つまり我々にできるのは、ミズキの魔力の回復を待つことだけ、ということですか」
そう言ったオリヴィエに、イグナルスは頷いた。
会話が途切れ、辺りに沈黙が流れる。その場の全員がじっとミズキを見つめているが、彼女が目を覚ます気配は一向にない。
そんな重たい空気を破ったのは、リンネだった。
「あたし、待ちます。ずっと。ご主人様が目を覚ますまで」
決意を秘めた表情でそう言ったリンネに、周りは呆気に取られたような顔をする。それから少し微笑んで、それぞれが口にした。
「もちろん僕も、そのつもりです。まだ契約を果たしてもらってませんからね」
「俺の居場所はもうここだからな。ついでに待ってやる」
オリヴィエは次に、フィデリスに目を向けた。
「あなたも当然、そのつもりでしょう?」
その言葉に、フィデリスは大きく頷いた。
「ああ。……まだ、ちゃんと伝えられていないからな」
「このままずっとここにいるわけにも行きませんし、そろそろ僕たちも自分の仕事に戻りましょうか」
そう言って部屋を出たオリヴィエの後を、リンネもついていく。イグナルスも「腹が減った」と言って、部屋を出て行った。
二人きりになった部屋で、フィデリスはミズキの手を握った。
「早く、目を覚ましてくれ。待ってるから」
静まり返った部屋に、彼の小さな呟きが響いた。
またまた遅くなってしまって申し訳ありません!
今回はミズキ視点が一切ない話になってます。




