誘いと拒絶
暗い洞窟の中、フィデリスは一人考えていた。
ミズキを屋敷に送り届け、ここへと戻って来てから一時間ほどが経っただろうか。
彼の頭を巡るのは、先程北の森でアルノルトに言われた言葉。
「見守っているだけでは、きっともう彼女のことは守れませんよ。気づいているのでしょう?誰かが、彼女を狙っていると」
何故彼がそれを知っているのかは分からない。だがきっと彼も何か独自のルートで情報を集め、気づいたか、今日の様子を見て察したのだろう。
何かよからぬものが、ミズキに危害を加えようとしている。
本人ですら、薄々勘づいている。しばらくしないうちに、敵は行動を起こすだろう。
一番近くで、彼女を守れるだけの力がある自分が、彼女を守らなくてはならない。
(だが、どうやって……?)
フィデリスは膝を抱えてうずくまる。
(……そもそも、我が彼女を守るべきなのだろうか。もっと彼女を守るに相応しい存在がいるのでは?一体何様のつもりで、彼女を守るというのだろうか)
守りたいと願うのは、彼女に抱く特別な感情のせいだろう。だがミズキは?ミズキが自分の抱いているこの感情と同じようなものを、自分ではない誰か別の人物に向けているとしたら?
分からない。フィデリスは考えるのをやめ、顔を埋めて眠ることにした。
その選択が、何も行動を起こさないという行動が、まだ時間があるという判断が、あとで取り返しのつかない事態を招くことなど、知る由もないまま。
ヒーラー協会のお仕事から数日後。夕食の席でリンネがふとこんなことを言った。
「そういえばもうすぐ、収穫祭の時期ですね。きっと街もお祭りムードでしょうね〜」
その言葉を聞いて、オリヴィエも口を開く。
「そういえばそんな行事があるんでしたね、人間の間では」
ジークとノーラも口々に言う。
「おお、もうそんな時期か」
「去年も賑わっていましたねぇ。今年はどうなるかしら」
みんなが収穫祭について話に花を咲かせている中、私の隣に座るイグナルスが、ちょいちょいとわたしをつついてきた。
「ミズキ、収穫祭とはなんだ?」
その質問に、私は困った顔で答える。
「街のお祭り、かな〜?ごめんね、私も参加したことないから分かんないんだ」
みんなの話を聞く限り、おそらく毎年恒例の行事なのだろうが、去年のこの頃はこの世界に来たばかりで祭りを楽しむ余裕はなかった。そもそも、祭りの存在自体を知らなかったので街にも行っていない。
「あっ、お二人は収穫祭を知らないのですね?」
私たちの会話を聞いていたリンネが、こちらに声をかけてくる。
「収穫祭っていうのは、本来農村なんかでやるお祭りなんです。でも最近では街でも収穫祭にちなんだイベントをやるようになって……。まぁ農村ではホントに収穫を祝うのに対して、街でやるのは仮装パーティなんですけどね」
その話に、どこか馴染みを感じて私は口にする。
「……ハロウィン?」
「はろうぃん?なんですか、それ?」
どうやら通じないようだとリンネの反応を見て察する。だが、似たようなものだろう。確かハロウィンも収穫祭が起源だったはずだ。
仮装パーティか……。面白そうだな〜。元の世界だったら絶対参加しないけど、この世界だったらいいかも?
「面白そうだね。それって、いつなの?」
私が尋ねると、リンネが少し考えるようにしながら答えてくれた。
「う〜んと、確か五日後ですかね」
五日後か。最近は特に予定もないし、せっかくだから……。
「ねぇ、みんなで行ってみない?」
私のその発言に、一番に食いついたのはリンネだった。
「ホントですか!あたし、今年は参加できないかなって少し残念に思っていたのですが、連れて行ってくださるのですか!」
次に反応したのはイグナルスだ。
「俺も行っていいのか!街でやってるんだろ?俺も行きたい!」
対してオリヴィエはため息を吐いていた。あまり乗り気ではなさそうだ。
「人間たちが大勢集まって馬鹿騒ぎをする祭りでしょう?私はあまり気が乗らないですね」
「えぇ〜、行かないんですか?楽しいのに」
オリヴィエの言葉に、リンネが寂しそうに言った。
なんだかんだでリンネに弱いオリヴィエなら、このまま折れてくれるかもしれない。そう思って私は二人のやりとりを見守る。
「仮装パーティですよ?いつもと違う自分になれるんです。あたし、オリヴィエの仮装、見てみたいなぁ……、なんて」
やっぱりだめですか?としょんぼりしながら言ったリンネに、オリヴィエはまたため息を吐く。
「はぁ……。分かりました、行きましょう」
「ホント!?」
オリヴィエの言葉に、リンネは今度は分かりやすく喜ぶ。微笑ましい〜と二人を見ていた私の隣で、今度はイグナルスがジークとノーラを説得しようとしていた。
「じいやとばあやは行かないのか?」
「う〜ん、そうねぇ。行きたいけれど、もう年だから、そんなに歩けないのよ」
イグナルスに尋ねられて、ノーラが悲しそうに答えた。そんな彼女に、イグナルスは胸を張ってこう言った。
「大丈夫だ!疲れたら俺がばあやのことをおぶって歩くからな!じいやは?」
「儂はそれなりに体力があるから大丈夫じゃが、街を歩くのは……」
以前街で働いていた時のことを考えているのだろうか。俯いて、悲しそうな、怯えるような表情を浮かべる。
そんなジークの手を取って、イグナルスは言った。
「大丈夫だ!じいやに悪意を持ってる奴からは俺が守って見せるから!だから、一緒に行こう?」
まるで天使のような笑みを浮かべながら、二人に向かってイグナルスは言った。横で見ていた私は衝撃でスプーンを落とした。
「イグナルスがそこまで言うなら……」
「行きましょうか、じいさん」
すかさず気づいてスプーンを拾ってくれたリンネに礼を言いながら、私は二人の答えを聞いていた。
隣で大喜びしているイグナルスを見ながら、私は言った。
「じゃ、決まりだね。久しぶり、いや、初めての、みんなでのお出かけだね!」
楽しみだなぁと私は思った。みんなが着ていく仮装用の服も用意しなくては。
そう思って残りの夕食を手早く済ませると、私は上着を羽織って屋敷を出た。
せっかくだから、フィデリスも来てくれるといいな。
彼を誘うために、私は彼のいる洞窟へと向かった。
「フィデリス」
洞窟の中に声をかける。彼は起きていたようで、すぐに返事が返ってきた。
「あぁ、ミズキ。どうかしたのか?」
「うん、あのね……」
私は洞窟の中に入って、彼の隣にいつものように腰掛ける。
「五日後、みんなで街にお出かけするの。収穫祭ってお祭りがやってるんだって。今回はおじいちゃんとおばあちゃんまで一緒に行くんだ。だから、フィデリスも一緒に行かない?」
私が尋ねると、フィデリスはすぐに口を開いた。だがその口から何かが発せられる前に、口は閉じられてしまう。
一度キュッと口を結んだ後、再び口を開いた彼はこう言った。
「イグナルスは、一緒に行くのか?」
「え?うん、そうだね」
なぜいきなりイグナルスのことを尋ねるのか、不思議に思いながら私は答えた。
「……そうか。ミズキ、イグナルスのことは好きか?」
突然そんなことを聞かれて、キョトンとしながら、私はさっきのイグナルスを思い浮かべる。
おじいちゃんとおばあちゃんに必死になって一緒に行こうって言ってるの、かわいかったなぁ。
思わず思い出し笑いのように笑みを浮かべながら、私は答えた。
「うん、好きだよ」
けれどその答えに、フィデリスは一瞬ショックを受けたような顔になった。
それから、悲しそうな、何かを諦めたような顔をして呟く。
「そうか」
洞窟の中に差し込んだ月の光が、そんな彼の表情を照らし出した。
……なんで、そんな顔してるの?
そう尋ねようとして口を開いた私よりも先に、フィデリスがこう言った。
「我は行かない。人混みは好かぬからな。行きと帰りも、イグナルスに乗っていくといい。あいつも一応竜だ。街との往復くらいなら、人を乗せて飛べるだろう」
そう言った彼は、無表情だった。出会ったばかりの頃のような、淡々とした態度で、私の誘いを断った。
彼にこうして断られることなど、最近は一度もなかったため、私は驚いた。いや、ショックを受けた。
……でも、嫌がってるなら、無理強いはできない。
もう一度誘ってみようかと思った心を押し殺して、私は悲しいのが顔にでないように笑いながら言った。
「そっか、分かった。フィデリスはゆっくり休んでて」
私はそれだけ伝えると、立ち上がって洞窟を出る。
去り際に一度だけ振り返って、彼に別れを告げた。
「邪魔してごめんね。おやすみ」
「……ああ」
彼の小さい返事を聞いてから、私は走って屋敷へ戻った。
「で、戻ってきたと」
目の前の椅子に座って呆れたようにそう言ったオリヴィエに、私はむぅっと頬を膨らませる。
「他にどうしろっていうのよ?とにかく、そんな感じで、当日はイグナルスに連れてってもらいたいの。できる?」
私が尋ねると、イグナルスは自信満々に頷いた。
「当然だ。俺を誰だと思ってる。……だが、いいのか?本当に」
イグナルスは心配するような目で私を見た。他にその場に集まっていたリンネ、ジーク、ノーラも、私をそのような目で見ている。
「いいって、何が?」
私が首を傾げると、ノーラがこう言った。
「ミズキ様は、フィデリス様の様子がいつもとは違うな、とは思わなかったの?」
彼女にそう問われて、私は少し俯く。
「確かに、なんか様子が変だった気はするけど……。でも嫌がってる彼に無理矢理お願いするのも違うかなって。少し休んだら、またいつもの彼になるかと思って」
私がそう口にすると、今度はリンネが口を開く。
「そーいうことじゃないですよご主人様!あの方がご主人様の自分以外を頼れなんて言うところが、おかしいのです!」
彼女が手をブンブンさせながら言ったのを聞いて、そういえばと思い出す。
いつも頼って欲しいと言う彼が、自分以外を、しかもいつも邪険に扱っているイグナルスを頼れなんて言うのは確かに彼らしくなかった。
何があったんだろ……。
最近の彼を思い出してみるが、私は思い当たる節がなかったのでさらに首を傾げるしかなかった。
……強いて言うなら、あの時?フィデリスがアルノルト様に何か言われた後、元気がなくなったような気がするけど……。
結局は彼に聞いてみないと分からない。だが、話してくれる雰囲気でもなかった。祭りが終わった頃なら、いい感じに日にちも経ってるだろうし、その頃にでも聞いてみればいいか、と私は思った。
「……まぁとにかく、フィデリスは行かないって。だから今回のお出かけは、ここにいるみんなだけで行くから。明日からお祭りの時に着ていく服とか、準備しようね」
そう伝えると、私は椅子から立ち上がって、みんなで集まっていたロビーを後にする。
残されたみんなも、不安そうな顔をしつつ、それぞれの部屋に戻った。
風呂に浸かり、支度を済ませてベッドに入った私は、うとうとしながら考える。
……ショックだったなぁ、断られたの。でもなんかきっと事情があるんだろうし。
でも、いつか話してもらえるよね。
そんな淡い期待を抱いて、私は眠りについた。
五日後に自分の身に降りかかる災難も、今も自分に向けられている誰かの殺意も、何も知らぬまま。




