魔導書、錬金台、でっかい鍋
「ぎゃああぁぁっ!!」
図書室に入るなり、私はそう悲鳴を上げた。後ずさりながら逃げ出し、図書室との距離を取る。
図書室の扉を開けると、そこに付いていた蛾が一斉に飛び立ったのだ。私はそれを見て涙目になりながら、一目散に逃げ出した。
「うわぁっ!こっちに来ないで!!」
部屋を出て私の方に飛んできた蛾に向かって、そう言いながら私が手を振り払うと、指先から丸い何かが飛び出してその蛾に当たり、弾けた。
それが私がこの世界に来て初めて使った魔法だったのだが、その時の私はそのことに構う余裕がなかった。
「ヤダヤダ!来ないで来ないで〜っ!」
必死に手を振り払い、そこから無意識に球状の魔力を出す。そうしているうちに蛾の数は減っていき、ついには周りから全ての蛾が消えた。
ふぅ、と息を吐けたのも束の間、すぐに今度は辺りに散らばる蛾の死骸に悲鳴を上げる。
「ぎゃあ!死んでる!なんで死んでるの!?怖いよぉ〜」
ついに堪えていた涙も溢れてきて、私はその場に尻もちをつきながら泣き始める。
しばらくして図書室の蛾を全て外に追い出したフィデリスが、私の様子を見にきて、唖然とした。
「み、ミズキ?大丈夫か?」
「ふぃ、フィデリス……」
私は彼の顔を見て、一度は涙が引っ込んだが、その後にまた蛾の死骸を見てしまい、再び泣き始めた。
「うわ〜ん、気持ち悪いよぉ〜」
「正直だな」
彼は私の元に近づいてくると、服で手を拭ってから私の背をさすってくれる。
「ところで、この蛾を退治したのは其方か?」
尋ねてきた彼に私は泣きながら答える。
「分かんないよぉ、急に死んでたの。うう〜」
今までの敬語を忘れ、子供のような口調でそう話す私に特に何かを言うことはせず、彼は静かに蛾の死骸を見つめる。
「魔力の痕跡がある。やはりミズキが……」
そんな彼の呟きは耳に入らず、ひたすら泣きじゃくっていたが、しばらくするとそれも落ち着いてきた。泣き止んだ頃にようやく羞恥心というものが戻ってきて、私は俯いて消え入りそうな声で謝る。
「すみません……」
「気にするな。其方のような女子には厳しかっただろう」
彼は優しくそう言ってくれた。私の気も落ち着いてきたところで、図書室の中へ向かう。さっきと違うのは、フィデリスが前で私が後ろというところだ。
蛾は全てフィデリスが追い払ってくれたようだがそれでも不安で、私は無意識に彼の服の裾をギュッと掴んでいた。
図書室の中は窓がない上に照明も付いていなかった。
「暗いですね。照明を持ってくるべきだった……」
まだ少し枯れた声で私が言うと、フィデリスが手の上にホワンと暖かい光を出してくれた。
わ!すごい!魔法だ!
私はそれを見て心の中で興奮する。その光を頼りに図書室の中を進んでいく。
ここには私の求めている本がたくさんあった。この場所こそ、私の探していた場所だ。
「基礎魔法大全100」?基礎的な魔法が百個載ってる本ってことかな?わあ、「魔法薬学のすべて」だって!面白そう……。こっちは「ハーブを使った魔法」……。庭に生えてるものでできるのかな?
どれもタイトルがついていて、まるで本屋に売られていそうなものだが、これらも魔導書と呼ぶのだろうか。ともかく、ここに並んでいる本の中には魔法に関連するものがたくさんあり、つまり私が読みたいものがたっくさんあるということだ。
どうしよう……。ずっとここにいたい……。
だがまだ三階の掃除が終わっていない。まだ錬金台もでっかい鍋も見れていない。ここに留まるわけには……。
私は気持ちを切り替えて、とりあえず簡単に拭き掃除をした。それから、「また後で来るからね」と心の中でそう言って、図書室を後にした。
三階には、部屋が一つしかなかった。階段を上がってすぐのところに扉があり、それより向こう側には何もない廊下が広がっている。
また突然蛾に襲われるのはごめんなので、私はフィデリスに先に行ってもらった。
「大丈夫だ。何もいない」
彼にそう言われ、私も中に入る。その中には、驚くべく光景が広がっていた。
なんとその部屋には、埃一つなく、清潔な状態が保たれていた。本や紙が散らばっはいるのだが、埃っぽさは他の部屋と違ってなかった。不思議な部屋だが、魔法使いの部屋だというのなら納得なのかもしれない。
そこにはちゃんと私の期待していた通りの、錬金台に大きな調合に使う鍋があった。壁際の棚にはたくさんの種類の素材が入っていて、小さな机の上には書きかけの紙が乗っていた。
それから、広々と開けられた空間があり、そこには私の大好きな物が敷かれている。
あれは!魔法陣!!
私はすぐさまそれの側に向かい、思わず「わぁ〜」と声を上げながらそれに見惚れる。
本物の魔法使いが描いたであろう魔法陣だよ!すご〜い!あ、色が普通の黒じゃない!特殊なインクで描かれてたりするのかな?これは何に使う魔法陣なんだろ?
興奮が抑えきれずジロジロと魔法陣を眺めては、「うふふ」と笑いを漏らしている私を、フィデリスが理解できない表情で見ている。そんなことなどお構いなしに、私は魔法陣を眺め続けた。
この部屋は一階分をまるごと使った広さのはずなので、すごく広い。広いのだが、それが今まで見てきた一階や二階と同じ広さかと言われると、少し狭い気がする。
廊下の端と同じであるはずの壁に触れて、考える。この先に、また別の部屋が広がっているのではないかと。そのまま手を滑らせていくと、ある場所で違和感を覚える。見た目は同じだが、そこだけ手触りが違っていた。私はその部分を適当に押してみる。
「うわぁ!」
すると、その部分がグッと引っ込み、そこから壁が変形していく。そしてその奥に、一つの扉が現れた。
「おお〜!」
歓喜の声を上げた私の隣に来たフィデリスも、顎に手を当てて言った。
「こんな場所が……」
「じゃ、じゃあ早速、開けてみますね」
そう言いながら私は手を伸ばし、私は取っ手に手をかけたが、それはびくともしなかった。
嘘!開かないの?二重に隠されてたってこと!?
期待に高鳴っていた胸がしぼんでいく。しゅんとした私の隣で、フィデリスが言った。
「封印がかかっているようだな」
「一体なんのために……?」
そう私が尋ねると、彼は首を振った。
「それは分からぬが……、もしかしたら、この扉の奥には何か危険なモノがいるのかもしれないな」
そう言われて、私は慌てて手を引っ込める。
「だがこの隠し部屋が取っている面積はおそらくこの部屋と同じこの階の半分だ。それに魔法使いである彼女なら隠し部屋は実体を持たない空間に作れるはずだ。にもかかわらず、一体なぜこんな場所に、この広さを……?」
そう言った彼に、魔法使いへの不信感が募ってきた。もしここに危険な何かが封印されているのだとしたら、ここにいるのは危ないのだろうか。
私がそう不安に思っていたのを感知したのか、フィデリスは安心させるように言った。
「ここの封印は簡単に解けるものではないようだから大丈夫だろう。突然向こうから出てくるようなことはないはずだ。こちらから封印を解いたりしない限りは」
「そうですか、よかった……」
私はホッと息を吐く。
さて、とりあえず私の目的は果たせたわけだが、この後はどうするべきか。もちろん、図書室の本たちはぜひ読みたいが、魔導書を背表紙だけでも見ることができて、錬金台に鍋も見ることができた。そろそろ、今後のことを考えるべきかもしれない。
私はこの世界では一文なしで装備も何もない。何もできない存在だ。たまたま竜に会うことができて、彼に魔法使いを紹介してもらえるかと思ったが、その魔法使いはすでにこの世を去っていた。
このまま街に降りて仕事を探すべきか、この辺の森でサバイバル生活を送るか。
「う〜ん、いっそこの家に住めたらなぁ……」
私は頭の中で考えていたことを、つい口に出してしまっていた。それを聞いたフィデリスは私にこう言った。
「ふむ。いいのではないか?」
「え?そ、そうですか?」
彼からの意外な返事に私は目を瞬いて言った。
「だって、ここの家も一応相続?した持ち主がいるはずですよね?その人の許可なしに勝手に住むのは……」
私はそう言ったが、彼は悲しそうな顔で首を振る。
「彼女が亡くなった時、おそらくこの家を継いだ者などいないだろう。彼女の家族は彼女よりも先に皆亡くなっており、血の繋がった者がいたとしてもそれはきっと彼女のことなど名を聞いたことがあるくらいだろうからな」
彼は一度そこで言葉を切って、外を見る。
「第一、このような場所の家を継ぎたがる者などいるとは思えない」
それを聞いて私は、「あぁやっぱり、この屋敷の場所は人が滅多に訪れないような場所なんだな」と確信した。
彼がそういうなら、ここに住んでもいいのだろうか。この家の主は、それを許すだろうか。
私は写真の中の彼女を思い浮かべて、彼女ならなんと言うかを考える。これは完全に私の妄想になってしまうが、彼女はきっと許可してくれる気がする。そう思いたい。
彼女は生前、たくさんの弟子を取っていたらしい。ならば私も、彼女の弟子の一人になりたい。今は亡き魔法使いの、おそらくは最後の弟子。私はそれになりたい。
私はおもむろに壁に飾られた女性の肖像画の前に行く。絵の中の赤い髪の美しい女性は、おそらくこの家の主であり魔法使いの、ミネルヴァさんだろう。自分の肖像画をこんな場所に飾るなんて、私だったら恥ずかしいなと思いながら、その絵に向かって私はお辞儀をする。
「この家に住まわせていただきます!お願いします!」
突然絵に向かって礼をする私を驚いた目でフィデリスが見ている。そんな彼に、私はニコッと笑いかけた。
「あなたも一緒に住みますか?」
「……遠慮しておく」
過去編はまだ続きます。蛾って気持ち悪いですよね……。