人魚と人間
私が海に向かってミーアの名前を叫ぶと、それに反応したようにパシャっと水飛沫が上がった。
それからしばらくした後、見覚えのある顔が水面から顔を出す。
「ミズキ!」
「ミーア!」
私たちは互いに名前を呼び合って近づく。私は濡れるのもお構いなしに海の中へと足を突っ込む。どうせこの後びしょ濡れになるのだ。気にしない。
「単刀直入に聞くね。町の人が消えたのはあなたのせいだよね?」
私がそう確認すると、ミーアはしゅんと項垂れた。
「……ごめんなさい。勝手な真似だとは分かってたけど、黙って見てるわけにはいかなくて」
「無事なんだよね?みんな」
私がさらに尋ねると、彼女は頷いた。
「……それなら、責めることも何もないよ!ありがとう、ミーア!」
私はそう言って、彼女を抱きしめる。その抱きしめる体勢が気に入らないのか、彼女は「薬を飲んでくればよかった……」と言った。
「あの薬作るの大変だから、無駄遣いしない方がいいよ?」
「分かってるわよ!……それより、彼らを連れて帰るんでしょ?正直みんないい顔してないし。人魚も、人間も。早く持って帰って」
そう言って、彼女は一粒の白い飴玉のようなものを私とフィデリスに差し出した。私たちはそれを口に入れて、噛み砕く。
「食べた?行くわよ。早く戻らないと」
ミーアはそう言って私の手を引いて海に潜る。私は反対の手でフィデリスの腕を引く。彼は驚いた表情で私を見ていた。
海に潜ってから、私はミーアに尋ねる。
「みんなはどこにいるの?」
海の中でもこんな風に会話ができること、それから息苦しくならないのは、さっきミーアがくれた飴玉のようなもののおかげだ。
「アタシの家の近くで匿ってる。でもうちの家族とか魚たちも、あんまりよく思ってないみたい」
「そうだよね……。そんなリスクを冒してまで助けてくれたんだもん、ミーアは優しいね」
私は彼女にそう言った。彼女はそれを聞いて少し照れたように笑う。
「アタシは知ってるから。人間はみんながみんな、悪い奴じゃないってこと」
人魚と人間の因縁は深い。人魚にとって人間は、海の生態系を脅かし、仲間である魚を獲っていく存在だ。当然、相入れない存在になってしまう。
けれど、ミーアは違った。陸の世界に興味を持ち、海に暮らす生き物たちだけではなく、もっとたくさんの生き物と、命と関わりたいと彼女は願った。
港町を訪れた際も、人間に怖気付いたりすることなく積極的に話しかけ、関わっていた。そのうちに人々と仲良くなった彼女だから、町の人々を放っておくなどできなかったのだ。
「……でもね、ミーア。あの魔法、見られちゃったんだ」
「えっ!?嘘ぉ!?」
私の言葉に、ミーアは驚いた。私の手を思わず離してしまうほどに。
……ま、待って。私カナヅチ。誰かに引っ張ってもらってないと、溺れる……。
突然手を離されて前に進めなくなった私は慌ててもがく。このまま溺れるのではないかという不安が私を襲った。
そんな私を、フィデリスが抱き寄せる。
「大丈夫だ。慌てるな」
「ごめん、ミズキ!驚いちゃって……」
そう言って、ミーアが伸ばしてくれた手を、私はもう一度掴む。
ふぅ……、びっくりした。突然手を離されたのも、その後抱き寄せられたのも。
「それで、見られちゃったって……。あの時周りには誰もいなかったけど……」
ミーアがハラハラした表情で私に説明を求めてくる。
「すごく目のいい人がいたみたいでね。でも彼は人魚の魔法は知らないだろうから、大丈夫だと思う。彼自身も、悪い人ではなさそうだし。でも念の為、伝えとく」
「うん、ありがとう」
ミーアはまだ少し心配そうな顔で、私に礼を言った。
彼女が使った人魚の魔法。それは本来、人魚が人間を攫う時に使う魔法だとミーアは言っていた。
まだ人魚と人間の関係性が今よりも険悪なものだった時代、人魚は魚を獲る人間たちの船を沈めたり、人魚を攫おうとする人間たちへの報復として人間を攫ったりしていた。ミーアが使った魔法はその頃使われていた魔法の一種で、今なお人魚たちの間で伝承されている。
その魔法の概要は、海に近い場所にあるものであれば、距離があっても自分の元へ持って来れるというもの。私が今日開発した“離れた位置にあるものがひょいっとこっちにきてくれる魔法″と似たようなものだ。だが私の魔法は自分の元に“運んでくる”というのに近いのに対して、人魚の魔法は“引き寄せる″というイメージの方が近い。いや、対象を一瞬で海の中へとワープさせられるのだ。
この魔法は人魚の中でも限られた者しか使えない。人間にも貴族しか使えない魔法があるのと同じように、人魚でも高貴な生まれの者しか使えないのだ。
つまりミーアは高貴な生まれの人魚。彼女はいいところのお嬢様人魚なのだ。
その割には、随分とお転婆だけどね。
「ほら、もうすぐ着くわよ。彼らを匿ってるのはアタシがよくいる洞窟の中なの」
「へぇ。あそこって、あなたの秘密基地みたいな場所でしょ?よかったの?」
「そうよ。感謝して頂戴」
ミーアはフフンと胸を張りながらそう言った。そんな彼女に案内されて、私たちは洞窟へと入る。
洞窟の中には広い空間が広がっていて、真ん中には船の残骸がある。この船の中にはミーアが拾ってきたコレクションがたくさん詰まっているのだ。
その船の側でおどおどしている人たちが、ミーアが助けた港町の人々だろう。その中の一人の少女が、私たちを見て声を上げた。
「あっ!お姉さん!ほらみんな、迎えが来たよ!」
彼女は他の人たちにそう声をかける。
あの少女は確かミーアに港町を案内している時に知り合った子だったはずだ。ミーアとも知り合いだから、ここに連れて来られても他の人ほど動揺することがなかったのかもしれない。
「あの子が他の人たちに大丈夫だって言ってくれてたの。アタシが言っても効果はないけど、あの子は人間だから、同じ人間が言うなら……って安心できるでしょ?」
ミーアは私にそう説明すると、その少女たちの方へ向かう。
「ありがとう。彼女があなたたちを地上へ連れて帰ってくれるからもう平気よ」
ミーアは少女に礼を言ってから、手を広げてみんなを安心させるように言った。少女はそれにホッとしたように笑ったが、他の人たちはまだ怯えた様子だ。それを見かねて、私も彼らに近づく。
「本当に、人間なのか……?」
私を見て、一人の男がそう言った。
「そうですよ。ほら、足もちゃんと生えてるでしょ?」
私は自分の足を示してそう答えた。
「だがその人魚は、前に港町に来た時は人間の姿だったんだろう?俺も見覚えがある」
男は警戒したように私とミーアを見た。
私はその言葉に少し考え込んだ後、こう言った。
「ではあなたが以前港町でミーアを見た時、この子が悪い人魚に見えましたか?」
男はそれにハッとした後、首を振った。
「……確かにそうだな。あの時もその人魚は別に何か悪い事をしてたわけじゃないし、今回だって助けてくれた。俺たちを他の人魚に渡して晩ご飯にするつもりなら、こんなところに匿ってないでとっくに料理人に渡してるはずだよな」
「いや、人魚は人間を食べたりしないんだけど……」
納得したように頷く男に、ミーアが呆れたようにそう言った。
「でも、勝手に連れてきてなんの説明もしなかったことは、ごめんなさい。あの魔法のことはホントは人間に知られちゃダメだから……。でも誓って、あなたたちを傷つけるために使ったわけではないわ!」
ミーアは人々にそう訴えた。その言葉に、少女が頷く。
「うん、分かってるよ。ミーアは優しいもん。わたしたちを助けようとしてくれたんだよね、ありがとう!」
そう言って少女はミーアの側にやってくると、彼女にぎゅっと抱きついた。
ミーアはそれに一瞬目を見張った後、嬉しそうに微笑んで少女の背に自分の腕を回した。
人魚と人間の友情ってやつだね。いい話!
そんなことを思いながらうんうんと頷いていた私に、不安そうな女性が話しかけてきた。
「あの……、町は無事なんでしょうか?」
そういえばそのことを伝えていなかったなと思い出し、私は他の人たちにも聞こえる声で答えた。
「はい、少なくとも避難した人たちは。町自体は……復旧が必要な部分もあるでしょうけど」
「そうですか……」
女性は私の言葉を聞いて、ホッとしたように胸を撫で下ろす。
「ミーア。他に危険な目に遭っていた人は、みんなあなたが助けてくれたんだよね?」
私がミーアにそう尋ねると、彼女は頷いた。
「ええ」
「それなら、今回はみんな助かったってことかな?」
それを聞いて、ここに連れて来られて不安そうにしていた人々も顔を輝かせた。ホッとしたように笑ったり、涙を流したりしながら、みんなミーアの方へと寄っていく。
「ありがとうございます、人魚様!」
「あなたのおかげで助かりました!この恩は一生忘れません!」
他にも口々に礼を言われ、彼女は戸惑いながらもどこか嬉しそうに笑った。
よかった。これで、人魚と人間の仲も少しは縮まったかな?
私はその光景を少し離れたところから、温かい気持ちで見守っていた。
その後、私とミーアとフィデリスの先導で、人々は海を泳いで地上に戻った。
いや、正直言うと私はみんなを先導できてない。泳げないからだ。そのためずっとフィデリスにしがみついていた。
ミーアは助けた人々にすっかり懐かれてしまったようで、彼女の周りに私の入る隙はない。それが嬉しくも、ちょっぴり寂しかった。
あっという間に人気者になっちゃったなぁ……。
けれどそれは、ミーアの長年の夢だ。こんな風に人々に囲まれて楽しそうにできているなら、私も何も言うことはない。
私がフィデリスの腕に必死でしがみつきながら、せめてと足をバタバタさせている間に、水面が見えてきた。
プハッと顔を出して息を吸う。水の中でも息が吸えるのは不思議な感覚で面白いが、やっぱり私にはちゃんと空気が吸える陸の方がいい。
海岸の辺りには人々が集まっていた。町長もいるようだ。彼らが心配して集まってきたのだろう。
私たちは海から上がると、ミーアにお別れをした。
「今回はありがとう。こんな風にみんなを助けてくれたことも、あの手紙も」
あの手紙がなければ、自分で言うのもなんだがフードの救世主の助けが来なかったことになるので、今頃この町がどうなっていたか分からない。町の人が避難していた高台が襲われて、甚大な被害が出ていたかもしれない。
「陸のことは、どうしてもアタシじゃ限界があるからね。陸で一番頼れる人に助けを求めただけ。あなたが来てくれてよかったよ。研究に没頭して気付いてもらえなかったらどうしようかと思った」
ミーアがやれやれと呆れたようなポーズを取って言った。確かにその可能性は十分ある。そういう部分も、運が良かったと思える。
「ここでお別れなのか?」
さっきの男が残念そうにそう言った。他の人たちも名残惜しそうな様子だ。
それを見てミーアは嬉しそうに笑う。みんなが自分との別れを惜しんでくれることが嬉しいのだろう。
そして彼女は、みんなを安心させるように言った。
「大丈夫よ。アタシはまた会いにくるわ。こうやって人魚の姿でこの辺の海に来るかもしれないし、薬を飲んで人間の姿になって町に遊びに行くかもしれない。だから安心して。また会えるわ」
それから最後、私に目を向けて言った。
「だからミズキ、また薬を作ってね。代わりに海藻でもなんでも採ってきてあげるから。アタシにできる範囲で、だけど」
私はそれに、「はいはい」と返事をした。
「じゃあね!」
彼女はみんなに手を振ると、くるりと身を翻して海に帰っていった。
チャポンと水飛沫が立った方をしばらく眺めて、波紋が消えていった頃、私は口を開く。
「では、戻りましょうか。みんな心配していますし」
「あ、待ってくれ!」
私が町の方へ歩き出そうとしたところを、さっきの男が止める。
「どうしました?」
私は首を傾げて彼にそう尋ねた。彼は少し躊躇うようにしながら、私に言った。
「君は……何者なんだ?人魚のお嬢さんとももともと知り合いだったようだし、当然のように海に潜ってきたし、薬がどうとか手紙がどうとか……」
それを聞いて、私は困って指を口元に当てた。どう答えるべきだろうか。
フードの救世主、なんて意地でも言いたくないしなぁ……。
そう思って、私は眉を下げた頼りない表情でこう答えた。
「ただの、通りすがり?」
「それは無理があるだろう……」
後ろからフィデリスにそうツッコまれて、私は苦笑いした。
次で一旦一区切りです。




