支度と三人の買い物
昨日のことがいっそなかったことにならないかな、とか、いっそ明日にならなければな、とか思っていても、朝はやがて訪れてしまう。
……フィデリスと買い物に行けるんだし、いっそ昨日のことは忘れちゃお。
私はぼんやりとそんなことを考えながら、体を起こす。
ちょうどその頃、リンネが私の部屋のドアをノックする音がした。
「はーい」と返事をすると、リンネがドアを開けて部屋に入ってくる。
「おはようございます、ご主人様」
ニコッと笑って朝の挨拶をするリンネに、私も笑い返す。
「おはよう」
私はベッドから降りて、その間にリンネが今日着る服を取ってくる。私はリンネの側に行って、その服を見て唸った。
「う〜ん、やっぱり、その服はちょっと大袈裟じゃない?」
リンネが手にしているのは、私が城を訪れるにあたって新しく購入した、高級なワンピースだ。たかが街へのお出かけなのに、こんな服を着て行く必要はあるだろうか。
「そんなことないですよ!デートなんですから!」
「いや、デートじゃないから!」
私が間髪入れずに否定すると、リンネはキョトンと首を傾げる。
「そうなのですか?まあデートでもなんでも、どっちでもいいです!せっかく買ったのに着ないのは勿体ないですよ!」
どっちでもよくはないが、リンネの言葉には一理ある。せっかく大金を叩いて買ったのに、ずっとクローゼットの中に眠っているのは確かに勿体無い気がする。
私はリンネにされるがままになって服を着せてもらい、いつも通りに髪をセットしてもらった。
「……そういえばご主人様のリボン、ちょっとボロボロになってきましたね。せっかくですから、街に行った時に新しいのを買ってきたらどうですか?」
サイドの三つ編みにリボンを付けながら、ふとリンネがそう言った。
いつも付けているこのリボンは、私がこの世界に来た時から付けているので、その日着ていた服と合わせて、私が持っている元の世界の数少ないものだ。向こうの世界での思い出などが詰まっている気がして、なかなか手放す気にはなれない。
……服はずっとしまってるんだけどね。別にそこまで思い入れないし。
かといってずっと付け続けてボロボロになって、捨てざるを得ないことになってしまったら、それはそれで悲しい。
「分かった。時間があったら見てみるよ」
私はリンネにそう返事をし、彼女と共に部屋を出た。
珍しく、ロビーには誰もいなかった。
「みんな、イグナルス様に連れられて、食堂に行ってしまってるんです」
「へぇ……。早起きだねぇ」
リンネの言葉を聞いて、私は感心する。
私たちも食堂に向かうと、待ちくたびれた様子のイグナルスが待っていた。
「遅いぞミズキ!」
「あぅ、ごめんね……。おはよう、イグナルス。それに、みんなも」
入るなりイグナルスに怒鳴られて、私は苦笑いを浮かべながら謝る。それから、オリヴィエに話しかけた。
「ねぇ、フィデリスはまだ来てない?いつもなら朝早くに来ることが多いはずなんだけど……」
「そういえば、まだいらしていませんね」
オリヴィエの答えを聞いて、私はちょっと寂しいような、けどどこかホッとしたような気持ちになった。
それから私たちは朝食を済ませ、私とイグナルスは出かける準備をする。
イグナルスの着替えはリンネとオリヴィエに任せ、私はカバンに必要そうなものを詰めていく。
お金と、念の為魔導書……。あとはハンカチとか……。う〜ん、魔導書のせいで、結構重い……。
私は持っていくものの準備が終わると、イグナルスの様子を見に行くために部屋を出た。
部屋に向かう途中でロビーを通った時、屋敷の扉を叩く音がした。
特に深いことは考えず、ついいつもの癖のようなもので「はーい」と返事をし、私は屋敷の扉を開けた。
「……ミズキ」
「あ、おはようフィデリス」
そこまで口にしてから、私は昨日のことを思い出して赤面する。
「き、昨日はごめんね!私変なこと言っちゃって!忘れてくれていいから!」
私がそう畳み掛けるように言ったのを、フィデリスはポカンとして聞いていた。
「あ、あぁ……」
私の言葉を聞き終えた後、彼はまだ呆けた様子でそう口にした。
その頃、来客に気づいたオリヴィエがこっちの様子を見に来たが、私が取り合っていることを確認してまたイグナルスの部屋に戻って行った。
「……そういえばフィデリス。今日はいつもより遅かったね。……あっ、別にダメじゃないよ!全然、このくらいの時間で間に合ってるんだけど……」
オリヴィエを追いかけるように私たちもイグナルスの部屋へと向かいながら、私は隣を歩くフィデリスにそう話しかけた。
「あぁ、それはだな……」
フィデリスは私の言葉に、少し恥じらうような顔をしながら、こう答えた。
「昨日其方が来てくれただろう?それのせいか、なんだか昨日はよく眠れて……。今まで寝不足になっていた分まで寝てしまったようだ。すまなかったな」
「それ、私関係あるのかなぁ?」
私は彼の言葉に、そう笑って返した。が、内心ではその言葉に悶えていた。
こういうところだよ、ホント!そんなこと言われたら、邪な意味じゃなくてホントに、一緒に寝てあげたいって思っちゃうじゃん!
少し困ったような顔をする彼を見上げながら、罪な男だな〜と私は考えていた。
「イグナルス〜。準備できた〜?」
イグナルスの部屋の前に着いて、私は中に向かってそう声をかけた。
すると中から「ああ!」と声が返ってきて、その後勢いよく扉が開かれた。部屋の扉が内開きで良かったと思った。
外に姿を現したイグナルスは、ブラウスにショートパンツを履いていた。なんかもうこれで十分な気もするが、よく見てみるとあまりサイズが合っていないようだ。それでも、外出はできるだけの見た目になっている。
「うん、いい感じだね。ありがとう、二人とも」
私は部屋の中にいるリンネとオリヴィエにそう礼を言う。その間に部屋を出て行ったイグナルスは、隣の部屋のジークとノーラに自分の姿を見せに行ったようだ。
「やはりサイズは合わないので、服は買った方が良さそうですね。特にブラウスが、袖を折ったりしてそれらしく見せてはいますが、実際はかなり大きすぎているので」
オリヴィエが私にそう言った。私はそれを聞いて頷く。
「でも、ショートパンツがあったのはよかったです。スカートを履いてもらうことになっちゃうかなぁってちょっと心配だったので」
リンネがホッとしたように笑いながら言った。確かにイグナルスなら、スカートは嫌がりそうだ。
ん〜、でも逆に、男の子っぽいとか女の子っぽいとかそういう概念なさそうだし、深く考えずに履いてくれるかも?
ともかく、準備が終わったなら出発だ。私は隣の部屋にイグナルスを回収に向かう。
「じゃ、おじいちゃん、おばあちゃん。いってきます」
イグナルスは二人の服装を褒めてもらってご満悦のようだ。そんな彼を連れて、私は二人に挨拶をする。
二人に「いってらっしゃい」と送り出され、私たちは玄関へ向かう。
「気をつけてくださいね。いってらっしゃいませ!」
リンネは笑顔で私たちを見送ってくれた。
「うん、いってきます」
「いってきます!」
私がそれに答えたのを真似て、イグナルスも元気よく口にする。
「フィデリス様、くれぐれも二人をよろしくお願いします」
オリヴィエがフィデリスにそう言い、フィデリスはそれに頷いた。なんだかちょっと解せない気持ちだ。
支払いとかは私持ちなんだよ?それにフィデリスは竜なんだし、人ばっか集まる街には不慣れだよね?圧倒的に私が保護者ポジだよね?むむ……。
そんな風にムッとした表情を浮かべていた私に気づいて、オリヴィエは呆れたように言った。
「変なことはせずに、買い物だけしてまっすぐ帰ってきてくださいね、ミズキ。いってらっしゃいませ」
その後、「何故竜の俺が竜の背に乗らねばならないのだ!」などと喚くイグナルスを宥め、私たちはなんとか街へと到着した。
街へ着くと、イグナルスは興奮した様子で辺りをキョロキョロし始める。
「おぉ……!ミズキ、あれはなんだ!」
街の入り口に着いた時点でこの様子だ。気になるものへと一人で走って行こうとするイグナルスの腕を掴んで、私は引き止める。
「やめろ!離せ!」
「いや、そういうわけにはいかないから。勝手に一人で行かないで。迷子になるよ?」
私はイグナルスと手を繋いで、彼に言い聞かせる。
「行きたいところがあったら私に教えて。一緒に行ってあげるからね。だから、手を離しちゃダメだよ。あと、私の行きたいところにもちゃんとついてきてよ」
私がそう言うと、彼はコクリと頷いた。
これなら大丈夫だろう。そう思って、まずはイグナルスが気になっているものを見に行こうとした私の手を、フィデリスがぎゅっと握った。
「へ?」
びっくりして思わず変な声が出る。そんな私に、今度は彼が言い聞かせる。
「オリヴィエに頼まれたからな。其方も勝手にどこかへ行ったりしないように、手を握っておくべきだろう」
「いや、私は子供じゃないんだけど!」
そう反論した私に、今度はイグナルスがムッとして口を挟む。
「俺も子供じゃないぞ!」
「そういう話じゃないから!」
私とイグナルスの言い合いに、フィデリスが頭を抱える。
「……とにかく、はぐれないようにするためには手を繋いでおくべきだ。ミズキは、我と手を繋ぐのは嫌か?」
「そ、そんなことは、ないけど……」
私はつい目を逸らしながら言った。向き合ってると恥ずかしがっているのがバレてしまう。
私の答えを聞いて、フィデリスは満足げに頷いた。
「話は終わったかー?行くぞ!」
「わっ、ちょっと待って!」
イグナルスに引っ張られて、私は体勢を崩す。それをもう片方の手を握っているフィデリスに支えられながら、なんとかイグナルスについていく。
……うん、なんだか楽しい。みんなでお買い物してる感があって。
私はそう思いながら、思わず笑ってしまった。
……ただ、一つ問題があるとすれば……。
私は突き刺さる視線を感じながら、少し眉を下げる。
周りの視線が痛いよ。そりゃ顔の整った男二人と地味な女が手繋いで買い物してたら、なんだこいつって思うかもだけどね……?
街を行くお嬢さんたちの嫉妬するような視線に、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。
イグナルスが見たいと言ったお店を次々と回りながら、だんだんと私の目的地である服屋に近づいていく。
彼の興味は本当に幅広く、おもちゃ屋や工芸品を売っているお店など、普段は見ないお店も見て回った。
ちなみにお菓子屋は見ていない。通りが違うからだ。また後でのお楽しみの方がいいだろう。
「ミズキ、次はあそこだ!変な人形がある!」
「はいはい」
またイグナルスに引っ張られて、私は彼の言った方へと向かう。
「うん、これは確かに変だね」
非常に不恰好な人形を見ながら、私は素直にそう口にした。その後で、横からの期待の眼差しに気づく。
「……まさか、欲しいの?」
「ああ……!」
その答えに、私は戸惑う。どう考えても、今まで見てきた店にあった人形の方が良かったはずだ。しかしイグナルスの反応は、今まで見てきた店の中で一番気に入ったものを見つけた様子。
「……お菓子はいいの?」
「もちろん、お菓子も買う」
潔い返事だ。そう思いながら、私は人形を持ち上げて値段を確認する。
別に高くはないね。そこそこだ。この見た目でそこそこの値段がするところがちょっと謎だけど。
「でも、お菓子と両方はちょっとなぁ……」
私がお財布の中身を考えながら呟くと、イグナルスが言った。
「大丈夫だ!見ろ!」
そう言いながら、彼はポケットから小さなポーチを取り出す。そのポーチを開けると、中にいくつかの硬貨が入っていた。
ま、まさか……!
私は頭の中で穏やかに微笑む二人組の顔を思い浮かべながら、「だ、誰にもらったの?」と尋ねる。
「ふふん、じいやとばあやがくれたんだ!これでお菓子は買えるか?」
やはりか!と思いながら、彼の代わりにポーチの中のお金を確認する。
「うん、買えると思うよ。そんなにたくさんは無理だけど」
「ならばいい!代わりにその人形を買ってくれ!」
確かに、彼の所持金ではお菓子は買えてもこの人形は買えない。お菓子を買ってあげる必要がないなら、ここで人形を買ってあげてもいいのだろう。
けどデザインがなぁ……。もうちょっとマシなのじゃダメ?これが家にあるの、嫌なんだけど……。
「ホントにこれでいいの?」
「ああ。これ以外は考えられないな」
何故ここでそんなはっきりとした意思を見せるのだろうか。私は振り返って、ずっと黙っているフィデリスを見た。
「フィデリスはどう思う?」
私は彼にそう尋ねてみる。できれば、「これはない」と答えてくれることを期待して。
しかし、その願いは叶わなかった。
「ああ、いいんじゃないか?」
「そう……」
二対一だ。イグナルスが勝ち誇った目で私を見ている。
「……分かった。ほら、店主のところに行こう」
私は諦めの表情を浮かべてイグナルスにそう言い、店の奥へと入った。
お出かけ編はあと二話続きます。




