とある小説といつかの写真
いつまでも食堂にいて料理中のノーラを邪魔するのも悪いので、私はイグナルスを連れて次の場所へと向かうことにした。
「行くよ。また後で、おばあちゃん」
私はそう言いながらノーラに手を振り、食堂を後にした。
「さて、次は二階だね。といっても、あるのは図書室と……あとは魔法使いさんの私室だけかな」
私がそう言うと、イグナルスは「ふむ」と頷いた。
「ところでミズキ。何故貴様はミネルヴァのことを、魔法使いさんと呼ぶのだ?」
イグナルスに突然そう尋ねられて、私はキョトンとする。
「それは……、私はあの人の名前を呼べるほど親しくはない、っていうか会ったことないし。でも私にとっては魔法の先生みたいな存在なんだ。私が覚えた魔法は全部、この屋敷にあるもので習得したようなものだから。会ったことはないけど、勝手に彼女の弟子の気分になってるの」
えへへ、と困り顔で笑いを浮かべながら、私は言った。
……まあ今ちょっと信頼無くなってきてる真っ最中なんだけど。まさか竜を造るような人だったとはね。もしかして、すっごい危険人物だったりする……?
「なるほど……。会ったことがない、ということは、この屋敷にも勝手に棲みついているのか?」
「うぇえ!?あー、それはその……」
イグナルスの問いに、私はすぐに答えられず目線を逸らす。
ホントのことを言っちゃった後で、イグナルスが怒って暴走した場合、私一人で対処できるかな?リンネを守らないとだし、食堂からもまだそんなに離れてないし。う〜ん、やっぱりフィデリスに残ってもらえばよかった。
だが、相手が怒り出したとしても、それはもっともなので何も言えないのだ。
私は意を決して、正直に言うことにした。
「……そうです。勝手に住まわせてもらっています」
突然敬語になった私に、イグナルスは一瞬はぁ?というような顔をしたが、特に怒り出すことはなかった。
「怒らないの?」
私がついそう尋ねると、彼は真顔で頷いた。
「人が寄りつかない森の奥とはいえ、屋敷をそのままにした彼女が悪い。それに、彼女は弟子になりたいとやって来た者は誰であろうと歓迎していたからな。貴様を拒むこともないだろう」
イグナルスのその言葉に、私はあることを思い出して笑った。
「……ふふっ、フィデリスも同じようなこと言ってた。魔法使いさんって、ホントにそういういい人だったんだろうね」
やっぱり、悪い人だとは思えない。イグナルスを造ったのにも、やはり何か理由があるのだろうか。
そんなことを考えつつ、私たちは二階へと続く階段を上っていった。
「まずは図書室からかな。ちょっと散らかってるから、気をつけて」
私は図書室の前でそう言ってから、ドアを開ける。すると、開いたドアにぶつかってしまったのか、部屋の中にあった本の山が崩れ、私たちの前に落ちてきた。
私たちはしばらく呆気に取られ、その場に立ち尽くした。
……おかしいな。前来た時片付けなかったんだっけ?
「ご主人様……」
リンネの呆れ半分の声に居た堪れない気持ちになった。
「なんというか、既視感があるな。よく似ている、ミネルヴァに」
イグナルスはまだ少し衝撃が抜け切らないような顔でそう言った。
そっか。魔法使いさんも同じなら、才能あるものの共通点ってことかもしれないよね。私、魔法の才能ならあるもん。
この世界のやってきて、私が唯一胸を張って言えるようになった自分の長所だ。それと片付けが苦手なことの言い訳を一緒にするのはどうなのかとも少し思ったが、気にしない。
「ここは私が新しく買った本とかもあるから、あなたが知ってる頃より少し変化があるかもね」
私は床に落ちた本を跨いで部屋に入りながら、イグナルスにそう言った。
私がリンネと一緒に床に散らかる本を拾って、棚に戻している間、イグナルスは図書室を見て回っていた。
この屋敷の図書室は、それほど広くはない。それぞれの個室より少し広めの部屋にいくつもの棚が並べられ、そこにぎっしりと本が詰まっている。そのおかげで蔵書数はそれなりにあるので、私でもいまだに全ては読みきれていない。
もちろん、魔法関連や薬草関連の本がほとんどなのだが、小説や絵本などもいくつかある。その中にあった恋愛小説がそれなりにおもしろかったのだが、二冊足りなかったので、私がわざわざ古本屋を周りその足りない二冊を探しにいったこともある。
そしてその変化に、イグナルスは気づいたようだった。
「……む?この小説……。四巻までしかなかったはずだが、五巻と六巻は貴様が買ったのか?」
「ん?あぁ、それね。そうだよ」
私はその質問に頷いた。
「おもしろいですよね、そのシリーズ!主人公の波乱万丈の恋が、見ていてとってもハラハラしました!最後はハッピーエンドになってくれて、良かったですよ〜!」
リンネが楽しそうに言ったのを聞いて、イグナルスは首を傾げる。
「この小説はもう、完結したのか?」
「え?もう何十年も前の小説ですよ?」
リンネがそう答えたのを聞いて、私はまずいかも、と思った。
イグナルスはおそらく、魔法使いさんさんがもう亡くなっていることは知っているだろう。しかし、それからどれほどの月日が経っているのかを分かっているのかは微妙だ。もしかしたら、ショックを受けてしまう可能性もある。
大切な人がずっと昔にこの世を去ってるなんてことを知るのは、たとえどうしようもないことだとしても、悲しくなるものだと思うから。
イグナルスは目を見開いてリンネの言葉を聞き、それから目を伏せた。
そして彼は、ポツリポツリと、過去のことを話し始める。
「その小説はミネルヴァも気に入っていて、新巻が出るたびに真っ先に買いに行くほどだった。彼女はこの小説の結末をとても気にしていた。だが……」
イグナルスはそっと本に手を触れながら、悲しそうに呟いた。
「彼女はこの小説が結末を迎えるより先に、いなくなってしまった」
彼はそう言うと、目を瞑った。魔法使いさんのことを思い出しているのかもしれない。
リンネは自分がまずいことを言ってしまったのではないかと、口に手を当てていた。
そんな彼女に、再び目を開いたイグナルスが尋ねる。
「この小説の最後は、ハッピーエンドだったのか?彼女がずっと気にしていたあの少女は、自分の恋を叶えたのだな?」
「は、はい!」
リンネはそれに、勢いよく答えた。
それを聞いて、イグナルスは僅かに微笑んだ。
「そうか。それなら、ミネルヴァもきっと喜ぶだろう」
そう言うと、イグナルスは図書室のドアの方へ向かう。もうここに用はないと言うことだろうか。次の場所へと向かった方がいいだろう。
それにしても……。
私はふと、話題に上がった恋愛小説のことを思い出す。
確かに、それなりにおもしろかったのだ。それから四巻が続きが気になる最後だったことと、リンネが読んでハマったことが理由で全巻を揃えたのだが……。
あれ、信じられないくらいの逆ハーレムものっていうか……。主人公が何股もする話なんだよね。最終的には自分が好みだと思った男全員を自分のものにして終わるっていう……。
主人公は確かに、やってることのわりに嫌な感じのするキャラではなかったし、その主人公に自己投影して楽しむ、いわば乙女ゲームのような楽しみ方をするものなのかもしれないとも思ったが。
……元の世界とこの世界の違いを感じたよね。まさかああいう話がこの世界の恋愛ものの主流だとは、ね。
思わず苦笑いを浮かべながら、私は魔法使いさんの私室へ向かうことにした。
「ここだよ。リンネは入ったことあるっけ?」
私が尋ねると、リンネは首を振った。
「いえ、ないです。特に用もなかったので……」
そう言われて、私は思い出した。
確かに、あんまり入らない方がいいと思うんだよね。魔法使いさんが住んでいた時のまんまだからっていうのもあるけど、それ以上に……。
私はこの部屋にある血痕を思い出す。血痕のようなものは、争いを知らず戦いに出たこともないリンネには厳しいのではないかと思い、近づかないようにしてもらっていたのだ。
「リンネ、入ってみたい?それとも、外で待ってる?」
私が尋ねると、リンネは首を縦にも横にも振らず、こう言った。
「あたしはご主人様に仕える身です。ご主人様のご指示の通りに」
そう言われて、私は考える。
……やっぱり、近づけたくはないかな。リンネには無邪気でいてほしいし。
それだけではない。イグナルスは確実にこの部屋に入るため、彼が万一暴走した場合を考えると、できる限りでも離れてもらっていた方がいい。
「……じゃあ、外で待っていてもらえるかな。ごめんね」
私の言葉に、リンネは頷いた。
「それじゃ、入ろうか。……その前に」
私はイグナルスに向き直り、こう伝えた。
「……入った瞬間に、あなたは嫌なものを見る可能性がある。もしかしたら、気づかずにやり過ごせるかもしれないけど。もし目に入れてしまった場合、あなたが怒ったり傷ついたりするのは仕方のないことだけど、それでも、どうか暴れ回ったりはしないで欲しいの」
私が真剣にそう伝えると、イグナルスはどこか悲しげな表情を浮かべたまま頷いた。
「……ああ。なんとなく、何があるのかは想像できている」
彼のその答えを聞いて、私はドアノブに手をかける。
できればイグナルスが、前だけを向いていて欲しいなと思いながら、私はドアを開けた。
しかし私の願いは叶わず、イグナルスは俯いたまま、ドアが開くのを待っていた。
ドアが開いた瞬間に、彼はそれを目にすることになる。
彼は目を見開いて、それからその目に怒りを宿す。
それでも私のお願いは守ろうとしてくれているようで、キツく拳を握りしめながら、自分の感情が爆発してしまうのを我慢していた。
そんなイグナルスを連れて部屋の奥へと進み、ドアを閉める。
「……ミズキ」
ドアが閉まった後で、イグナルスが震えた声で私を呼んだ。
「……これは、ミネルヴァのものなのか?」
彼に尋ねられ、私は暗い声で答える。
「……たぶんね」
「何故!?」
彼はそう叫びながら、顔を上げて私を睨んだ。さすがは竜の威圧感で、私は一瞬ビクッとして怯んでしまった。
それに気づいたのか、イグナルスは一瞬申し訳なさそうな顔をして、私から目を逸らした。
「……分かっていたんだ、本当は」
彼は小さくそう呟いた。
「ミネルヴァはもういなくて、それは、誰かの怒りを買ってしまって殺されたからで。彼女はなんとしても、俺だけは守るために、俺のことを……」
彼は悔しそうに言った。その言葉の中には、驚くべき事実が含まれていた。
やっぱり、魔法使いさんは誰かに殺された……。彼が知っていることと、私が調べたこと。その二つを合わせると、一番可能性があるのは……。
今更、なんだかとんでもないことに巻き込まれていっているような気になってきた。竜国の誇りである竜そのものを創造し、そのことが理由で殺されたと思われる魔法使いさんと、その犯人である説が濃厚な竜国の王。そんな大きな事件が繰り広げられた現場で暮らしている私。
……ああ、誰かに相談したい……。一人で抱え込むには大きすぎる……。また彼に会いに行こうかな。
私は唯一、この血痕と共に残された魔力の残滓が竜国の王のものであることを知っている、王宮の薬師を思い出しながら考えた。
「……この部屋はもういい」
イグナルスのその言葉に、私はハッとして彼を慌てて呼び止める。
「ま、待って!ちょっとこっち!」
私は彼を自分の近くに呼ぶ。ここに来たのはもちろん部屋の紹介の一環でもあるが、見せたいものがあったからだ。
私はこの部屋の壁に飾られている写真の中の一枚を指差して言った。
「これ、あなたじゃない?」
「……あ」
その写真は、魔法使いさんが弟子たちと撮ったと思われる写真だ。私は初めてイグナルスを見た時から、その写真に映る一人によく似ていると思っていた。
どうだろうかとイグナルスの様子を伺った私は、思わず目を見開く。
「……ミネルヴァ……」
イグナルスは、写真を見ながら泣いていた。
「……写真っていいよね」
私はそんな彼を見ながら、そう言った。
そのままアルバムが並んだ棚の方へ向かい、その中の一冊を手に取る。
そのアルバムの最後のページを開き、そこに挟まった一枚の紙を見ながら、私は言った。
「写真は、一枚の紙に、その一瞬を閉じ込める魔法なんだよ」
私は再び彼の隣に戻り、そのアルバムをもう一度初めからめくっていく。そして、あるページで、私はめくるのをやめてイグナルスに見せる。
「ほら、あなたの写真がいっぱい。これってつまり魔法使いさんは、あなたとの一瞬を魔法を使って閉じ込めて、記録したいって思ったってことだと思うの」
どうかな?と私が首を傾げながら尋ねると、イグナルスは泣きながら頷いた。
「俺も、彼女との一瞬が残っていることを、嬉しく思う。でも……っ」
彼はアルバムの中の自分の写真たちと、魔法使いさんと二人で映った写真たちを見ながら、叫ぶように言った。
「俺はたった一瞬なんかじゃなくて、もっと、ずっと……!一緒にいたかった……!」
その言葉に、私も思わず涙が出そうになる。
辛いだろうな……。
彼が泣き喚く姿を見て、そう思った。大切な人を失うのは、辛いことだ。写真に残された一瞬がどれだけ幸せなものであっても、それは変わらない。むしろそれが、余計に苦しくさせることもある。
私は黙って彼の背をさすりながら、彼が泣き止むのまで、側で見守ることにした。
恋愛小説のくだりを入れたのは、異世界の価値観的なものの違いを出してみたかったからです。一応この世界も不倫とかはできない世界なので、小説等の中でそれを楽しんでる、という設定があります。




