雪遊びと救助
あれは、私がこの世界に来て少し経った頃。寒い冬のことだった。
この世界で冬を体験するのは初めてのことで、それなりの都会で育ってきた私には、毎日のように雪が降ることに興奮しながらも、その寒さに耐えかねていた。
「さぶいよぉ〜、ずびっ」
鼻を啜りながら泣き言を言い、また一歩暖炉に近づく。
「あまり近づきすぎると危険ですよ?」
少し離れたところで洗濯物を運んでいるリンネが、私を見て言った。
ここのところは寒過ぎて、この暖炉の前以外では生活できない。この屋敷に元から暖炉があって、しかも薪に必要な木材も周りにわんさか生えている場所で良かったと思う。
この寒さのせいで数日私は自分の研究部屋に籠れていない。早く暖かくなれる魔法を習得できればいいのだが、それすらやる気が出ない。
「ああ〜、もう何もしたくないよぉ。ずっとここに居たい。いっそ暖炉の薪になりたい」
「怖いこと言わないでくださいっ!」
私が暖炉に手をかざしながらそう言うと、リンネが叱るような口調でそう返してきた。
それから一度いなくなったリンネがまた戻ってくるまで、私はずっと暖炉の前でその火が揺らめくのを見つめていた。
「ご主人様、まだここにいらっしゃったのですか」
洗濯物を干し終えて休憩をしに来たリンネが言った。私はそれに鼻を啜りながら頷く。
「もうちょっと動いた方がいいですよ。体がカチコチになっちゃいます」
まるでお母さんのようなことを言うリンネに私はため息を吐く。
「そんな元気があればいいんだけどねぇ」
そう言いながら、私は重い腰を持ち上げて暖炉の横に積み上げられた薪を取る。そしてそれを暖炉の中に放り込んだ。
リンネは私の隣に来ると、マグカップを渡してきた。中にはホットチョコレートが入っている。
「ありがとう」
私はお礼を言ってから、それを一口飲んだ。
あったかい。おいしい。癒される〜。
微笑みを浮かべながらもう一口、もう一口と飲んでいくうちに、あっという間になくなってしまった。
……残念。もっと飲みたかったよ。
私はリンネに空っぽになったマグカップを回収してもらいながら、「また作ってね」と伝える。それに彼女は「喜んで」と、笑って請け負ってくれた。
「さて……、体も温まったことですし、どこかに出かけませんか?」
すくっと立ち上がって元気に言ったリンネに、私は困り顔で拒否する。
「私は、いいかな……」
しかしリンネはそんな私の手を強引に取って続ける。
「ダメですよ!出かけましょう!ちょっと外に出るだけでもいいんです。雪遊び、したくないですか?」
「う〜ん、それはちょっと気になるかも……」
心が揺らいできた私に、リンネはさらに畳み掛けてくる。
「ついでに、フィデリス様に会いに行くのはどうでしょう?あそこまではそんなに距離はないですし、適度な運動になると思うのですが!」
「……それはいいかもね。最近、会いに行けてないし」
少し前までは毎日のように私のところに来てくれていたが、それもリンネに会う前の話。リンネが屋敷で働き始めてからは、彼が屋敷を訪れる回数も減った。
しかも最近は寒いのだから、私が向こうに行くこともなければ、彼はわざわざ会いにくることもない。
結構久しぶりかもな、彼に会うの。
それを考えると、なんだか少し動く気が出てきた。
防寒具は最近買ったから大丈夫だよね。外に出ないせいで全然付ける機会がなかったけど、ようやく出番かな。
私はリンネと同じように立ち上がって、自分の部屋に向かう。リンネも手伝いのためについてきてくれたが、私は自分の支度をしてくるようにと伝えた。
私は部屋で一人、上着を着て、マフラーを巻きながら考える。
……そういえば猫って、寒いの苦手じゃなかった?猫はこたつで丸くなるんだよね?猫耳族が例外なのか、リンネが例外なのか……。
それから耳当てをして、手袋をはめれば完璧だ。私は部屋を出てリンネと合流する。
リンネは上着とマフラーと手袋をしているが、耳当てはない。猫用の耳当ては売ってなかったのだ。だが、彼女の様子を見る限り、なくても平気だろう。
「それじゃ、行こっか」
「はい!行きましょう!」
私の言葉にリンネが頷き、私たちは屋敷を出た。
「さっむ!」
私は外に出た途端、思わずそう叫んだ。
あぁ、甘く見てた。めっちゃ寒い。せっかく出てきたやる気がどんどん萎んでく。早く家に帰りたい。
はぁはぁと寒さに荒い息を吐くと、それは真っ白になりながら空気中に消えていく。
「や、やっぱりやめない?」
私はリンネにそう提案したが、リンネはふるふると首を振って言った。
「ダメです、行きましょう。今日は珍しく雪が降ってないんです。今日を逃したら、明日も明後日もずっと吹雪かもしれないんですよ」
この世界には天気予報なんてのは存在していないようで、みんながそれぞれ予想をしながら暮らしているようだ。だから、リンネにも明日の正確な天気は分からない。ただ、私の暮らす屋敷にある場所は、街に比べると標高の高い場所にあるので、雪が降りやすい。リンネのいう通り、吹雪になる可能性もあるのだ。
「分かったよ」
私が渋々頷くと、リンネは私を不安そうに見てから、パッと何かを思いついたような顔をした。
それから私の手を取ってぎゅっと握る。そして言った。
「こうしたら、ちょっとはあったかくないですか?」
そう言いながらニコッと笑う彼女に、私は驚きに目を見開いた。そして思わず顔を手で遮りたくなる。
ま、眩しい……!天使?天使なの?
そんなことを思いながらつい固まってしまっていた私を見て、だんだんとリンネが不安そうになっていく。
「あ、あたし、その……。ご主人様にこのような無礼を!申し訳ありません!」
私の手を離してペコペコと謝るリンネに、私は笑いかける。
「そんなことないよ。確かにいいアイデアだと思う」
今度は私がリンネの手を取る。リンネもそれに笑って、私たちは手を繋いで歩き始めた。
足が埋まってうまく歩けないほどに、雪は積もっていた。長靴を買っておいてよかった、と思う。
ザクザクと雪を踏みしめながら少し歩くと、フィデリスの暮らす洞窟が見えてきた。
私たちは近づいて、中に声をかけてみる。
「フィデリス、いる?」
私はそう声に出してから、ふと考える。
……あれ?竜って冬眠するっけ?
私はこの世界の生き物に詳しくはないので、リンネに尋ねてみる。
「ねぇ、竜って冬眠する?」
「え?……あたしには分からないです……」
リンネは困ったようにそう返した。
その頃、中で何かが動くのを感じた。どうしよう、私が起こしたわけではないといいんだけど。
私が心配になっていると、中から声が聞こえてきた。
「誰だ?」
眠そうな声に私はハラハラしながら尋ねる。
「ミズキだよ。……あの、もしかして起こしちゃった?」
私がそう言うと、中の人物はこちらに向かってくる。洞窟の中で暗くて見えなかった人影が、明るい出口に出てきたことでようやく姿が確認できるようになる。私はそれを見て真っ先に思った。
めっちゃ寒そうなんだが!?
フィデリスの服装はどうやら年中変わらないようで、出会った頃に見たのと同じ、布を体に巻きつけたような服だった。あれだ、古代ローマの彫刻の服装みたいな。
「ねぇ、寒くない?」
私は思わず彼に尋ねた。それに不思議そうに首を傾げながら、彼は「いや?」と答えた。
竜の体温調節どうなってるんだろ……。私にもできたりしないかな。
「それで、何の用だ?」
彼に尋ねられて、私は慌てて答える。
「久しぶりに、会いたいなって思って。軽い運動のついでなんだけど。あっ、せっかくだしフィデリスも一緒に遊ぶ?」
私は笑って提案する。「まぁ!」と言うように口に手を当てるリンネと、「なっ……」と驚くような表情で若干顔を赤くしているフィデリスには気づかなかった。
「……コホン、まあ我は構わない」
一つ咳払いをしてから言った彼に、私は嬉しく思いながら答える。
「ホント!じゃあ遊ぼう。何がいいかな?雪だるま作りたいな〜」
私たちは洞窟の前にある、木が割とまばらで少し開けた場所で遊ぶことにした。雪はたくさん積もっているので、今までに作ったこともない巨大な雪だるまを作ることができた。
それから、雪合戦もした。私はやったことはなかったのだが、これが結構楽しいということに気づいた。結果はもちろん、フィデリスの圧勝だったが。
「あはは!楽しいね!」
私は雪の上に寝っ転がりながら、笑って言った。リンネは「服が汚れますよ」と心配していたが、私に誘われて一緒に寝っ転がってくれた。フィデリスは一緒に寝っ転がることはしなかったが、私の側に腰を下ろして、黙って私たちを見つめていた。
ああ、楽しいな……。こんな風に誰かと遊ぶのも、久しぶりかも。
こんな風に一緒に遊べる仲間がいてくれたら、私もきっと……。
そんなことを考えていた私の視界に、突然フィデリスの顔がいっぱいに映り込んできた。
彼が上から、私の顔を覗き込んでいるようだ。
「ど、どうしたの?」
私が尋ねると、フィデリスは私の鼻をぎゅっとつまんだ。
「鼻が赤いな」
「さ、寒いからね」
突然のことに困惑しながらも、私はそう返した。鼻だけでなく顔が赤くなっていないか心配だ。
「浮かない顔をしていた。ついさっきまで楽しそうだったというのに」
フィデリスは私の鼻をつまむ手を離すと、そう言った。私はその言葉に自分の顔をペチペチと叩きながら考える。
……心配してくれたってこと?
心がじんわり温まっていくのを感じながら、私は真上にいるフィデリスに伝える。
「ありがとう、大丈夫だよ」
ニコッと笑いかければ、彼もどこか安心したような表情を浮かべる。
私はもう、一人じゃないからね。
それからしばらくすると、チラチラと雪が降り始め、やがてそれはどんどん強くなっていった。
「降り始めちゃいましたね。帰ったほうが良さそうです」
リンネは降り始めた雪に対してそう言った。
私はもう少し遊んでいてもいいのではとも思ったが、どんどん強くなっていく雪を見て考えを改める。
「そうだね。このままだと吹雪になりそうだし」
私は体を起こしてそう言った。
それからフィデリスの方を向いて彼に尋ねる。
「あなたも久しぶりにうちに来ない?温かい飲み物とか、用意するよ?」
私の言葉に少し考えてから、彼は答えた。
「……そうだな。では、久しぶりに」
彼がそう言った直後、リンネの耳がピクリと動いた。そして、慌てた様子で私に伝える。
「ご主人様、あっちから、魔物の声が!それから、誰かの悲鳴も!」
そう言われて、私は首を捻る。
「私には聞こえなかったけど……」
だが、猫の聴力は人の何倍も優れていると聞くし、もしかしたら聞き間違いではないのかもしれない。
「我にも聞こえたな」
フィデリスもそう言った。なんだか置いてけぼりをくらっている気分である。
魔物だけなら放っといてもいいけど、誰かが襲われてるなら助けなくちゃだよね。
ただ魔導書は置いてきてしまっているので、私は大して力になれないかもしれない。
「フィデリスも、ついてきてくれる?」
私が尋ねると、彼はコクリと頷いてくれた。私はフィデリスとリンネを伴って、二人が声を聞いたという方に向かって走り始めた。
少し離れた場所まで走ると、そこには狼のような魔物が二匹と、その間で地面に倒れ込んでいる人が見えた。
そして、辺りには血が飛び散り、人の側には血の池ができていた。かなり出血しているように見える。が、まだ息はあるようだ。
助けなきゃ、まずは魔物を追い払って……。
そう思った私より先に、フィデリスが二匹の魔物を倒してくれた。彼の得意とする氷属性の魔法によって一撃で消し飛んだ魔物たちに唖然としながら、私は倒れている人に駆け寄る。
「ありがとう、フィデリス!……大丈夫ですか!」
私は声をかけると、倒れている人物は呻き声を上げて返した。
大丈夫、まだ生きているなら治せる。
私は倒れている人物に手を当て、そこに魔力を流していく。そして、小さく唱えた。
「ヒール」
できるだけ、ありったけの魔力をと思っていた私の魔法はちゃんと効果があったようで、目の前の人物は傷が塞がり、ある程度は話せるようになったようだった。
「あ、りがとう、ございま……」
しかしそこで彼はまた言葉を途切れさせてしまう。後には呻き声を小さく上げただけで、しばらくすると何も聞こえなくなった。気を失ってしまったようだ。
出血が多かったし、貧血なのかも。流石の私のヒールでも、なくなった血を一気に復活させることは無理だろうし。
「ひとまず、彼を屋敷に運ぼう」
私が言うと、フィデリスとリンネは頷いた。そしてフィデリスが気を失っている人物を抱きかかえた時だった。
その人物が着ていたローブの隙間から見えた腕を見て、私とリンネは思わず息を呑む。「ひっ」という声が漏れた。
フィデリスもそれを見て、フッと目を伏せる。
二の腕から手首、さらには指先まで、びっしりと蔦で覆われたような模様が、その人物の腕には刻まれていた。その禍々しさには、思わず恐怖を感じてしまう。
私はそれを直視できず、目を逸らした。よくないことかもと思いながらも、向き合う勇気がなかった。
私たちは道中一言も発せないまま、吹雪になりかけの冷たい風が吹く中、足早に屋敷への道のりを急いだ。
ここからはオリヴィエの過去編です。四話くらいになる予定です。