薬と不甲斐なさ
それからフィデリスと別れて、私は屋敷に帰った。
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
いつも通り元気いっぱいに、リンネが私を出迎えてくれた。
「どうでしたか、お城は?お姫様の依頼は無事に達成できましたか?お土産はありますか!」
私の周りをぐるぐるしながら立て続けに質問をしてくるリンネを宥めながら、私は一つずつ答えていく。
「シャロンティーヌ様の依頼は無事に完了したよ。あと、お土産はないの。ごめんね」
私がそう言うとリンネは一瞬項垂れたが、すぐに元気を取り戻した。「大丈夫です!」と返事をしてから、さらに詳しく城での出来事を尋ねてくる。
「依頼が完了したってことは、お姫様とそのお相手は結ばれたってことですか?恋人同士になったのですか?」
「うん、そうだね。まぁ、私はあんまり役に立ててなかったと思うんだけど……」
私が少し落ち込んだ声でそう言うと、「そうなのですか?」とリンネは首を傾げる。
「ご主人様の魔法が役に立たないなんてことはないと思いますが……」
そんなことを言ってくれたリンネに励まされて、少し自信が戻ってくる。
やっぱりリンネは優しいなぁ……。
私がそんなことを思いながらリンネを見つめると、彼女はまた首を傾げた。そんな彼女に「なんでもないよ」と言いながら、私たちは屋敷に入る。
ロビーには誰もいなかった。どうやら、みんな自分の仕事に忙しいようだ。
私はリンネを伴って、着替えのために自室に向かう。リンネに手伝ってもらいながら着替えを始めた時、ふとリンネが尋ねてきた。
「あれ?ご主人様、今日は暑かったのですか?」
「え?いや、そんなことはなかったけど……」
私が、なんでそんなことを聞くのだろうと首を傾げると、リンネが続ける。
「ローブのボタンが外れていましたので。もしかして、ほつれているのでしょうか?ちょっと見せてください」
そう言うと、リンネは素早く私のローブを脱がしてボタンの部分を確認する。対する私は、そのことに心当たりがあった。
……あぁっ、それ、私が止め忘れてただけなの!さっき、フィデリスが外した後、そのままにしちゃってただけでっ!
ただ、そんな誤解を招くようなことをそのまま伝えるわけにもいかず、私はリンネになんと説明すればいいか考える。
「ほつれはないですね……。ご主人様、ボタンを外した覚えはありますか?または、どこかに引っかけたとか……」
不思議そうにローブを見ながら尋ねてきたリンネに、私は慌てて返事をする。
「ああ!思い出した!そういえば、帰り道走っててちょっと暑かったから、外したんだった!だから気にしないで!」
わざとらしさのある大声でそう言った私に、リンネは不思議そうな顔をしながらも、「そうなのですね」と頷いてくれた。
うん、ギリギリセーフ、だよね?
さっきの洞窟での出来事は、純粋無垢な少女リンネにはまだ早い。私はまだリンネにはピュアでいてほしい。
……別にいかがわしいことをしてたわけじゃないけどね。……ないよね?
私は自分の心にもう一度確認しながら、おもむろに首に手を伸ばす。さっきのことを思い出して恥ずかしい気分になっているところに、リンネが声をかけてきた。
「あの……。手を挙げていらっしゃいますと、着替えを手伝えないのですが……」
「あ、ご、ごめん!」
私は咄嗟にリンネに謝り、慌てて手を下ろした。
その後、ノーラが用意してくれていた昼食用のパンを軽く食べてから、私は研究部屋に籠ることにした。
しばらくは忙しかったため、手をつけられなかったものがいくつかある。例えば、新しい魔法の開発。ずっと前からやりたいと思っていたのに、いつまでも取り掛かれなかった。
でも今日は、特に何か依頼を受けてたりもしない。ようやく手をつけることができそうだ。
私は床に積まれている本の中から必要ないくつかを持って机に向かう。それから本を読み漁り、魔法を試して、しばらく経った頃だった。
コンコン、とドアをノックする音がした。
私は、いいところだったのに、と思いながらも、ドアの方へ向かう。
「はーい?」
私がドアの向こう側に声をかけると、向こうからは元気のない声が返ってきた。
「ミズキ、今いいですか?忙しければ、また後ででも……」
その声はオリヴィエだった。いつもの生意気さのない声に心配になりながら、私は答える。
「大丈夫だよ。入って」
私はドアを開ける。そこには、顔色の悪いオリヴィエがいた。
「……薬を」
オリヴィエが小さな声でそう言ったのを聞いて、私はハッとする。
「そっか、もうそんな時期。……いや、過ぎてるね。私がここ最近忙しかったから。気づけなくてごめん」
私が今日の日付を思い出しながら彼に謝ると、彼は「あなたが謝ることではありません」と言った。
ふらふらして今にも倒れそうと心配になる彼に、座って休んでいるようにと伝えてから、私は素材の入った引き出しに向かう。そこからいくつかの薬草を取り出して、今度は大きな鍋の方へ向かう。
鍋に薬草を放り込んで、煎じていく。そのままやるとかなりの時間がかかってしまうので、魔法の力を借りる。
もちろん、薬の仕上げにも魔法を使う。こういう特別な薬でないと彼には効果がないのだ。
二、三分で作り終えた薬を持って、私は椅子に座って休んでいるオリヴィエに近づく。
「はい、とりあえず今日の分。飲んで」
私は薬の入ったお椀を彼に差し出して言った。彼はそれを受け取ってゴクリと飲み干した後、顔を歪める。
「……相変わらず、最悪の味ですね」
「元気になったみたいでよかった」
生意気な口を叩けるようになったオリヴィエにそう言いながら、私は彼の手からお椀を奪い取る。はぁ、とため息をつき、私はお椀を片付けながら彼に話しかける。
「いくら私が忙しいからって、薬くらい言ってくれれば準備するのに」
「……ですが、あなたの手を煩わせるわけには」
俯いてボソボソとそう呟く彼にもう一度近づいて、顔を上げさせる。
「……うん、顔色は良くなった。模様も出てないね。体の方も見せてくれる?」
私がそう言うと、オリヴィエは少し嫌そうな顔をしながら、腕を捲った。
私は彼の腕を見て、思わず顔を顰める。
「……こんなに広がって。もっと早く言ってくれればよかったのに……!」
「そう言われると思ったから、見せたくなかったのですが」
私が悔しさに唇を噛んでいると、オリヴィエの呆れたような声が耳に届く。
その腕には、花や蔦が絡んだような模様が刻まれていた。遠目から見ればタトゥーに見えなくもないかもしれない。が、その色は毒々しい色をしていて、見た者に恐怖と嫌悪を感じさせる。
「……これでも今飲んだ薬のおかげで、結構治ってるんですよ。飲む前は肘より上までありましたから」
「……そっか。……ごめん」
私は下を向いて小さく呟いた。
……もっと早く、気づいてれば。ちゃんとスケジュールを確認しておくんだった。忙しくなる前に、彼に薬を渡しておけばよかったんだ。なのに……。
自分の不甲斐なさに悔しくなる。
私は少し顔を上げて、オリヴィエに尋ねる。
「他の部分は?背中とか、足とか」
私の問いに答えることを躊躇うように、彼はしばらく黙っていた。その後で、渋々と言った様子で口を開く。
「……背中は大丈夫です。ただ、首の辺りに……。それから足も。ただ、薬のおかげで引いてるとは思います。あとで一人になったら確認して、報告するので」
彼の言葉に服をひん剥いてでも確認してやろうと思った私を止めて、彼は言った。私は仕方なく引き下がり、頷く。
「痛みは?」
「落ち着きました」
私の質問に答えた彼にムッとしながら、私はもう一度言い直す。
「薬を飲む前!」
「薬が切れた次の日くらいから、だんだんと酷くなっていった感じです。痛みの具体的な説明はいりますか?」
彼の問いに私はふるふると首を振る。オリヴィエの側を離れて机に向かった私は、カレンダーを見ながら考える。
……三日か。三日も過ぎてる。三日間、オリヴィエは痛みに耐えながら仕事をしてたんだ。
私はオリヴィエを振り返って、彼に伝える。
「明日明後日の分は今日の夜のうちに届ける。一ヶ月分の薬も、今日は無理だけどすぐに用意するから」
顔の横にかかった髪越しにオリヴィエを見ながら、私は暗い声で言った。
「分かりました。ありがとうございます。……あまり気にしないでください。あなたも忙しかったのですから」
オリヴィエは私を申し訳なさそうに見ながらそう言うと、そそくさと部屋から出て行った。
オリヴィエは、変わった病にかかっている。
病名も分からず、人間がかかる病についての本には載っていない。ただ、彼の種族、エルフの中では、時々見られる病らしい。
オリヴィエはその病で、家族を亡くした。そして家族を殺した病に、自分の体も蝕まれている。
彼のかかっている病によって体に現れる模様はおぞましいもので、それを見た同じ里で暮らすエルフたちから、オリヴィエは里を追い出された。
それからだ、私に会ったのは。
出会った頃、オリヴィエは死にかけていた。体中に広がった模様が与える苦痛に耐え切れず、倒れていた。
私は部屋の中で、オリヴィエが出て行ったドアの方を眺めながら、立ち尽くしていた。
オリヴィエの病を治す代わりに、彼は私に仕える。それが、私たちの交わした契約だ。
言うなれば、私は彼の専属医だ。だから、常に彼の体調を気にしておくべきだった。
それなのに……。
私はため息を吐きながら机に突っ伏す。
薬を渡し忘れて、彼に苦しい思いをさせてしまった。それから、薬を貰いに来た患者に、申し訳なさそうにさせてしまった。医者失格だ。
……早く、彼の病を治す方法を見つけなくちゃいけない。……私にできるのかな。
自分に自信がなくなって、暗い気持ちになる。それでも、契約は果たさなくてはならない。
私は思い出す。オリヴィエと出会った日のことを。そして、彼と契約を交わしたこと。それから、私が思ったことと、決意したことを。
開け放たれた窓からは、秋の終わりの冷たい風が吹き込んでくる。でも、違う。あの日の風は、こんなものではなかった。
オリヴィエと出会った日。あの日は凍ってしまいそうなほど冷たい風の吹く、雪の日だった。
三十話目!