お屋敷と“家族″
白竜は飛ぶのが速い。そのため、遠く離れた場所にあるはずの屋敷にも、あっという間に着いてしまう。
屋敷からは少し離れた開けた土地で、私はフィデリスの背中から降りた。私が降りたことを確認すると、フィデリスは人の姿になった。
そして、屋敷まで並んで歩く。
「せっかくだし、このままご飯食べてく?多分ノーラおばあちゃんが作って待っててくれてると思うの」
「……いただこう」
「ホント?じゃ、そのまま家に住もうよ」
「それは断る」
そんな会話をしてるうちに、屋敷まで辿り着いた。外壁の門に手を伸ばした時、ちょうど、屋敷の中から人が出てきた。
「あぁ、やっぱり!ご主人様〜」
その人物は、後ろに生えた長い尻尾を揺らしながら、こちらに駆け寄ってくる。私はそれを見て、門に伸ばしていた手を引っ込めた。この門を開けることも、彼女の仕事だからだ。
目の前の門をギギっと開いて、彼女はひょこっと顔を出す。
「おかえりなさいませ、ご主人様!」
このメイド喫茶のようなお出迎えにももう慣れた。だって彼女は正真正銘うちのメイドなのだから。
彼女はリンネ。猫耳族のメイドだ。猫の耳と尻尾が生えた人の姿の種族、それが猫耳族だ。ふんわりしたピンク髪のツインテールに、エメラルドのような翠の瞳。黒と白を基調とした服に身を包んでいる。コロコロと表情を変える様子が見ていて楽しい、元気っぱいな私の癒しのメイドだ。
「あ、フィデリス様もご一緒なんですね。今日はミートパイをノーラおばあちゃんが作ってくれてますけど、食べて行かれますか?」
「ああ」
一年前、私がこの世界に来て間もない頃に雇ったリンネは、始めのうちは私の側にいるフィデリスに怯えていた。それもそうだ。相手は竜なのだから。猫の血が流れるリンネには、本能的にキツイだろう。
だが今こうして彼と普通に言葉を交わせているリンネを見ると、彼女の成長と年月が経ったことを感じる。
彼女に連れられて屋敷に入ると、玄関ではまた別の人物が私たちを出迎えた。
「おかえりなさいませ。無事で何よりです」
そう言う彼は、うちの執事。オリヴィエという。彼はエルフで、容姿端麗な顔立ちに美しいとされる金髪に翡翠のような薄い緑色の瞳、そしてエルフの特徴である長い耳を持っている。黒い燕尾服に身を包み、その背中には伸ばした襟足が垂れている。エルフらしいプライドの高さを持っているため、いまだに私を主人と呼んでくれたことはないが、今日まで忠実に仕えてくれている。
「お食事はもうすぐ出来上がるはずです」
「そっか。じゃあ着替えてくる。フィデリスは……」
「先に食堂で待っている」
そう言ってフィデリスは行ってしまったので、私もリンネをともなって自室へ向かう。
私の自室は主に二つある。一つは寝室で、もう一つは研究部屋だ。先に向かったのは研究部屋の方。リンネは部屋の前で待たせて一人で部屋に入る。そうしなければ、この散らかった部屋に彼女を入れることになる。
雑然とした部屋の中で唯一片付いている定位置に魔導書を戻し、私はそそくさと部屋から出る。
「……ご主人様。掃除、しましょう?」
「うん。今度ね」
次に向かうのが寝室だ。こっちの部屋は、魔法の研究などに使う研究部屋に対して、それ以外の個人的なこと全てに使う。例えば着替え。それから、お風呂もここにある。
リンネに手伝ってもらい、着替えていく。ローブと元々着ていた服を脱いで、違う服に変える。さっきまで着ていた服は素材採集に行く時と同じ動きやすい服だが家で着るのは向いていない。ゆったりとした家用の服に着替えてから、髪なんかも軽く整え、食堂に向かう。
「ん〜、いい匂い」
「おかえりなさい、ミズキ様」
そう言ったのは料理人のノーラおばあちゃんこと、ノーラだ。
「おお、無事で何よりじゃ」
こっちは武器職人で家具職人、とにかくなんでも作れる凄腕職人のジークおじいちゃんこと、ジーク。
ジークとノーラは夫婦で、二人とも背丈の低いドワーフ。二人とも頑固者が多いと言われるドワーフの中では温和な人たちで、優しい。けれどノーラの方は私が食事を抜こうとすると無理矢理にでも口に突っ込むし、ジークも自分の作る物や仕事に関しては頑固と言える一面もある。
「オリヴィエにジークおじいちゃんまで。無事でよかった、なんて言うけど、私が今まで怪我して帰ってきたことなんてほとんどないでしょ?私を誰だと思ってるの?」
私がそう言うと、ジークは「確かにそうだな」と頷いてくれた。
すでに他のみんなは席についていて、私もリンネに椅子を引いて座らせてもらう。そして、リンネも席についた。
フィデリス、リンネ、オリヴィエ、ノーラ、ジーク、そして私。この人たちが、今の私にとっての“家族″だ。
「いただきます」
手を合わせてみんなが一斉に言った。そしてカチャカチャと食器の音を立てながら、みんなが食べ始めていく。
ここでは主従の差も種族の違いも関係なく、みんなで一緒に食べる。もちろん、初めからこうではなかった。主従が一緒に食べるなんておかしいと言う意見もあったし、種族の違いを越えることは皆難しいようだった。とりわけエルフのオリヴィエは、それが大きかったと思う。でも今となっては、みんな仲良く言葉を交わしながら、一緒に食事をしている。
その光景を喜ばしく思いながら私は食事を進める。ふと、目の前の席に座るフィデリスに視線を向けると、彼は黙って食べてはいたが、その表情は柔らかいように見えた。
私はそれを見ると、つい話しかけてしまった。
「おいしい?」
そう聞かれた彼は突然話しかけられて驚いたのか、体をピクリとさせてから、顔を上げる。
「……ああ」
「そっか、よかった。ノーラおばあちゃんも喜ぶね。はぁ、私も料理ができたらな……」
ため息をついた私に彼は言った。
「そういえば、其方の料理の腕は致命的だったな」
そう言われ、ますますしょんぼりしながら私は答える。
「うん……。私がやると、なぜか焦げちゃったり、爆発しちゃったりするんだよね。ここの食材は扱いが難しいのよ。料理が上手くなる魔法もないしね」
私が冗談めかして言った最後の言葉に、フィデリスは「ククッ」と笑った。
それを見て思わず目を見開いたのは、私だけではなかった。別の話をしていたリンネたちもフィデリスをびっくりした様子で見ている。
「まあ、其方はなんでもできてしまうからな。少しくらい欠点があってもいいのではないか」
驚く私たちをお構いなしに、フィデリスはそう言った。そして、私たちの表情を見て、不思議そうな顔をする。
「……なんだ、その顔は」
「いやだって今、笑った……」
私にそう言われてから気づいたように、今度はフィデリスが驚いた表情を浮かべる。しかしすぐにその表情を消し去り、淡々と言った。
「我が笑うことがそんなにおかしいか?」
「うん。だって笑ってるとこなんて滅多に見ないよ?ねえ?」
私が他のみんなに同意を求めると、彼らは遠慮がちに頷いた。それを見てフィデリスは「そうだったのか……」と言った。
その様子を見て、今度は私の方がおかしく感じてしまい、思わず笑う。すると、みんなも笑顔になり、フィデリスもわずかに笑みを浮かべた。
ああ、幸せだな……。
私は笑いながら、この瞬間の小さな幸せを噛み締めた。
そのあと、フィデリスは食事を終えると帰ってしまった。「楽しかったでしょ?一緒に住まない?」とめげずに誘ったが、やはり「断る」と言われてしまった。それでも、たとえ同じ家に住んでいなくとも彼は私にとっての“家族″の一人だ。
彼はまたいつもの洞窟で眠っているのだろう。あの洞窟の良さは分からないが、彼がそこを気に入っているのなら無理にそこから引き離すわけにもいかない。
私はというと、食事を終えると研究部屋に戻って新しい魔法の開発に手をつける。遠くにあるものをひょいっと引き寄せることができる魔法。まずはそれに近い魔法を探して、それを応用して思い通りの魔法にする。それが、私がこの世界に来てからずっとやっている新しい魔法の作成方法だ。
しかし今のこの部屋は足の踏み場もない状態で、新しい資料を出しても置くところがない。これでは調べ物ができないと気づいた。
……はぁ、いつからこの部屋はこんなに汚くなったんだ。前の主、怒ってるかな。
部屋を見回して私はそう思った。同時に、この家の前の主人に思いを馳せる。
そうしていると、だんだん、この世界に来たばかりのことを考えてしまう。そして私は、まるで片付けから逃れるように、その頃のことを思い出していった。
もう少し投稿頻度が上げられそうなので、明後日の投稿から七日間、毎日一話投稿していこうと思います。