街とフードの救世主
「ミズキ」
誰かに呼ばれて、私は我に返る。目の前には、じっとこちらを見つめてくるオリヴィエと心配そうにあわあわしているリンネの姿があった。
あぁ、そういえば、レストランから逃げてここまで走ってきたんだったね。
私は先ほどの出来事を思い出す。リンネの前の雇い主にばったり出会ってしまい、彼女を罵ってきたので私の怒りが爆発した。しかしそのあと今度はあの男がオリヴィエの怒りを買ったので、代わりに冷静になった私はこの二人を引っ張ってここまで来たのだ。
私が暴走しても、エルフであるオリヴィエが暴走しても、あの店は被害が出るだろう。店内の物が壊れるだけでは済まないはずだ。店が崩壊して、あの男が殺されていたかもしれない。
「あの、ご主人様……。それから、オリヴィエも」
リンネがおずおずと話を切り出してきた。
「どうしたの?」
私は彼女に尋ねる。するとリンネはしゅんとした表情を浮かべ、肩を落としながら言った。
「あたしのせいで、申し訳ありませんでした。あたしが彼に会っても、もっと堂々としていられたら、こんなことにはならなかった。お腹も減ったままですし……」
時を見計ったように、リンネのお腹がぐぅっと鳴る。
「あなたのせいじゃないよ、リンネ。あいつが悪いんだから。あいつがリンネを悪く言って私を怒らせて、ついでに余計なこと言ってオリヴィエまで怒らせたんだから」
私の言葉に、「別に僕は……」とオリヴィエが口を挟んでくる。そんな様子をしばらく見つめてから、リンネはふふっと笑いをこぼす。
「ありがとうございます」
私はそう言ったリンネを見て、首を傾げる。
「どうしてお礼を言うの?」
そう尋ねると、リンネは何かを思い出すように目を伏せて、柔らかい表情を見せる。
「お二人が、あたしを庇ってくれたから。あたしは悪くないって言ってくれたから。それが嬉しいんです。やっぱりあたしは、ご主人様にお仕えできてよかったって思います」
にっこり笑ってそう言ったリンネを、堪えきれずに私は抱きしめる。
「はしたないですよ、こんな所で」などと言ってくるオリヴィエは無視して、ぎゅーっと力を込めてリンネを包み込む。
「ありがとう。今の言葉、すっごく嬉しいよ!」
「こちらこそ、いつもありがとうございます、ご主人様」
ありがとうを言い合ってから、気持ちが落ち着いた私はリンネを離す。
お腹減ったし、また別のお店を探してご飯を食べた方がいいよね。そう言おうと思って、私は二人の方を振り返る。しかし彼らの様子を見て、しばらくは黙って少し離れた場所で待っていることを決めた。
「あの!オリヴィエも、ありがとう」
少し顔を赤らめて、モジモジしながらリンネがオリヴィエに言った。
「別に僕は、あなたを直接庇った覚えはないですけどね」
素っ気なく言ったオリヴィエに、リンネは少しがっかりしたような表情を浮かべた。
「そ、そうだよね。あれはご主人様を庇っただけで、あたしを庇ったわけじゃない。あなたにあたしを庇う義理はないものね……」
悲しそうに言ったリンネを見て、オリヴィエはため息を吐く。それを聞いてリンネはビクッとして、彼の様子を伺う。
その様子を離れたところから見ていた私は、心の中でリンネに叫ぶ。
違うよ!別に呆れてたり怒ってたりするわけじゃないんだよ!困ってるんだよ、彼!
そんな私の言葉など聞こえず、落ち込んだ様子のままなリンネを見て、今度はオリヴィエに向かって心の中で叫ぶ。
オリヴィエ!誤解されてるんだから、「そんなことはありません」とか言ってリンネを慰めてあげてよ!
するとオリヴィエは私の心の叫びが聞こえていたのか、こちらに視線を向けた。冷たい目を向けられて、私は思う。
う〜ん、あれは本当に呆れてる目だね。
私がごめんなさい、と思っていると、オリヴィエがついに動き出した。その行動が、私の予想を上回るものであったことに、私は目を見開いていた。
彼は流れるような動作でリンネの顎に手を伸ばし、クイっと彼女の顔を上げさせる。そして言った。
「確かに、あなたを庇ったわけではありません。が、無事でよかったと思ったのは本当です」
リンネは驚いた表情で、オリヴィエを見つめる。そんな彼女に、オリヴィエはさらに言葉を重ねる。
「あなたへの侮辱は僕も不愉快に感じましたし、あなたが悲しそうにしているのを見るのは僕も辛かった。あなたが無事に逃げ出すことができて、今ここで笑っていられるようになったことを、僕も嬉しく思います」
最後に、彼は微笑んだ。今まで私に向けたこともないような甘い笑みを。それを直に受け取ったリンネは、思わず顔を真っ赤にする。容姿端麗なエルフの笑顔は、人々に蔑まれて生きてきたリンネにとって、とんでもない威力だろうと思う。
私は一連の二人のやり取りを聞いて、心の中でガッツポーズをする。
また一歩進展した〜〜!!
私はひそかにこの二人を応援しているのだ。もちろん、彼らの主人という立場上、それを表に出すことはないが。
この二人は絶対、お似合いだと思う。クールな性格で美しい容姿を持つオリヴィエと、ちょっとドジで元気いっぱいのかわいいリンネ。さらに、一緒に生活していく過程で、二人の中にはお互いへの恋心が芽生えつつあるような気がしてきている。
ていうか今の、かなり素晴らしかったんじゃない?告白?いや、プロポーズ?いいんじゃないかな、もう付き合っちゃっても。何なら私が今から魔法でここに式場を建ててあげるよ!
まあそんな魔法は今のところないのでできないが、必要ならば今すぐ取り掛かる気はある。
それにしても、彼の言葉と、何より仕草。素晴らしかった。流れるような顎クイ。フィデリスにも当てはまるが、この世界の男子はレベルが高い。いや、私の身近にいる人がすごいだけか。
今の私は喜びの嵐、といった状況だが、それは心の中にしまう。表情に出さないように気をつけながら平静を装い、二人に話しかける。
「それじゃあ、お腹も減っただろうし、ご飯食べようか」
私の言葉に、リンネは嬉しそうに頷く。もう一度レストラン街に向かって、店を探そうと思う。歩き出した私にリンネとオリヴィエがついてくる。
しかし私は見逃さなかった。一番後ろを歩いているリンネが、おもむろに顎に手を伸ばして顔を赤くしているのを。おそらく、さっきのことを思い出しているのだろう。
私は反対まわりに振り向いて、リンネに見えないような位置から、オリヴィエに向かって親指を立てた。それを見た彼はこちらを睨んでため息を吐き、「僕はあそこのレストランがいいです」と棒読みで適当な方を指差して言った。
彼が指を差した方にあった適当な店に入り、のんびり食事を取ったあと、ノーラおばあちゃんに頼まれていた食材を探して買った。こうして街での用事を済ませた頃には、もう日が落ちかけていた。
フィデリスにお迎えを頼まなくちゃ。
そう思ってネックレスを取り出そうとした時だった。
「ほら、早く帰らないと、魔物に食べられちゃうよ」
日が落ちるというのにまだ遊び続けている子供に、近所の大人がそう話しかけていた。それを聞いた子供は、自信満々にその大人に言い返す。
「だいじょーぶだよ!だってもしそうなっても、フードの救世主様が助けに来てくれるからな!」
「ブハッ!ゴホッ、ゲホッ!」
私は子供が言った言葉を聞いて、思わず吹き出し、咳き込む。
「大丈夫ですか!」
リンネが駆け寄って背中をさすってくれる。オリヴィエは周りの視線がこちらに向いたことに気づいて、「離れましょうか」と言ってくる。
私は彼の言葉に頷いて、フィデリスとの集合場所に急ぐが、街を歩けばどこも同じような話題が上がっていることに気づいた。
「そういえばフードの救世主様がまた街に現れたって聞いたか?」
「おかえり。フードの救世主様には会えたの?」
「いいなぁ、俺もフードの救世主様みたいに強けりゃ、あいつにガミガミ言われることも……」
昼間もこんなだったのかもしれない。ただ昼間はもっと人が多くて賑わっていて、店で注文する声なんかの方が多い。
でも今は夕方で、人はどこもまばら。店は畳まれているところも多いから、こういう声が耳に入りやすいのだろう。
私は「フードの救世主」という言葉を何度も耳にしながら、いたたまれない気持ちで街を走っていく。
違うの!みんながすごいすごいって言ってるそのフードの救世主は、地味で森の奥に引きこもってるただの魔法使いなの!あと……
私は心の中で叫ぶ。
なんでそんなダサい名前なのよ!呼ぶならもっとかっこいい名前にしてよ〜〜!
私たちはいつもの人気のない、フィデリスとの集合場所に辿り着いた。フィデリスに連絡をして、私は一息つく。
「はぁ……、なんで、急に走るんですか……?」
荒い息でそう言ったリンネに、私は慌てて謝る。
「あぁ、ごめん!つい……」
「そんなに嫌なんですか?フードの救世主という名前が」
揶揄うように言ったオリヴィエを睨みながら、いじけたように私は返す。
「だって、ダサいじゃん。もっとマシな名前なかったの?」
私は頬を膨れさせながら足元に落ちていた石を軽く蹴飛ばす。そんな私に、オリヴィエが言った。
「大事なのは、呼び方ではないと僕は思いますけどね」
「え?」
私は思わず聞き返しながら、彼を見上げる。彼は街を見つめながら続けた。
「呼び方なんてどうでもいいんです。ミズキでもお嬢様でもフードの救世主でも。大事なのはあなたがこの街で成した偉業と、それがこの街の人々に与えた影響。そうではありませんか?」
彼に尋ねられて、私はおもむろに街の方へと視線を向ける。
そのまま答えない私の代わりに、リンネがオリヴィエに質問する。
「つまり、大事なのはご主人様が街の人に崇め讃えられて、感謝されてることってこと?」
「そうですね。そしてミズキは街の人々に、安心感ももたらした。その素晴らしい功績を讃え、後世に残せせるなら、呼び名などどうでもいいのでしょう」
二人のやり取りを聞いて、私は実感する。
ああ、私は、そんなすごい人になってたんだな……。
前の世界ではそんなこととは無縁で、誰かに讃えられるような偉業なんて、成し遂げられるわけないと思っていた。
私はこの世界に来てから、随分変わったと思う。けど、やっぱりそれは……。
ふいに上空から翼の音が聞こえてきた。ふわりと白竜が舞い降りてきて私に話しかける。
「来たぞ。待たせてしまったか?」
彼の問いかけに、私は首を振る。
「ううん。大丈夫。……ありがとう」
私は三人に向けて、そう言った。今度はノーラとジークにも、それ以外の、私とこの世界で関わった人たちにもお礼を言いたい。
「なぜ礼を言うのだ?」
何も知らないフィデリスがそう尋ねてきた。きっと他の二人も、分かっていないだろう。
私がこんなに変われたのは、この世界のおかげ。この世界で知り合って、一緒に暮らして、会話して、交流した、全ての人のおかげ。
それを一言で伝えるために、私はニコッと笑いながら彼らに言った。
「私がフードの救世主になれたのは、みんなのおかげだから!」
私はそう言ってから、フィデリスの背中に乗った。
しばらくみんなはポカンとしていたが、やがて私と同じように笑い出す。
「おや、ついにその名前を受け入れることにしたのですか?」
「それとこれとは別!もっとかっこいい名前は募集中だよ」
「はい!マジックフードレディとかどうですか!」
「……それは、まだフードの救世主の方がマシかも」
そんな風にフィデリスの背中の上で、わいわいと盛り上がりながら、私たちはいつもの自分たちの家へと帰った。
二日遅れですが、ブクマ数が十件を超えました!ありがとうございます!これからもちまちま頑張っていきますので、よろしくお願い致します。




