メイドの仕事
私がリンネとの会話を終えて部屋を出ると、部屋のすぐそばに立っていた人物とばったり出くわす。
「えぇ!?ふぃ、フィデリス!いつからここに……?」
まさか今の会話を聞かれてはいないだろうか。私は恐る恐る彼に尋ねる。
「今来たところだ。随分時間がかかっているようだから、何かあったのかと」
どうやら心配して様子を見に来てくれたようだ。彼は平然としているし、今の話も聞かれていないだろう。私はホッと胸を撫で下ろす。
「私、リンネの服を用意しに魔法使いさんの私室に行ってくるね」
私は一言そう告げると、階段に向かって歩き始める。
「……ミズキ」
少し歩いたところで、そう呼び止められて、私はドキリとしながら振り返る。
「なに?」
私は心臓がバクバクいっているのを抑えながら、平静を装って言った。
「……なんでもない」
「そっか」
そう言った彼に私は短く返事をして、再び歩き始める。自分でも、何にこんなにドキドキしているのか分からない。ただ、彼の声色が少し怒っているような、悲しんでいるような、そんな風に聞こえた気がした。
……自惚れるな。
私は自分にそう言い聞かせながら、背中に感じる彼の視線から逃れるように、早歩きで廊下を歩いた。
リンネに適当な服を見繕って彼女の部屋に戻ると、彼女はベッドに横になって眠っていた。疲れが溜まっていたのだろう。あんな男の元で働いていたのなら無理もないかもしれない。
私はテーブルの上に服を置くと、彼女の部屋を出た。
夕飯まで時間もあるし、魔法の練習をしてこよう。私はそう思いながら、三階の研究部屋に向かう。
それからかなり長いこと、時間を忘れて部屋にこもって魔法の練習をしていた。フィデリスに声をかけられた時には、すでに外は真っ暗だった。
わざわざ部屋まで呼びにきてくれた彼に礼を言って、二人で食堂に向かう。食堂にはリンネがいて、私は彼女に食事を作ってもらうよう頼んでいたのを思い出す。
そっか……!もう生野菜とプリューで夕飯を済ませなくて良くなったんだ!
「すみません、眠ってしまっていて。これからご飯の準備をするので、時間がかかるかもしれないのですが……」
申し訳なさそうにリンネは言った。だが時間がかかるかもなんてことは、今の私は大して気にしない。それより今は、久しぶりに料理と呼べるものが食べられるかもしれないとワクワクしているのだ。
「問題ないよ!それで、何を作るの?」
「えっと……、それもまだ決めてなくて……。何がよろしいですか?」
私はそう言われて考える。そして、頭の中に思い浮かんできたのは、この世界に来た日、私が作った酷い出来の肉ハルフェンだった。
「肉ハルフェン」
私がそう言った時、フィデリスが若干肩を震わせたのが見えた。
「肉ハルフェン、ですか?変わった料理をご存知なのですね」
「変わった?」
リンネにそう言われ、私は聞き返す。
「はい。確か、異国の料理ですよね?あたしも聞いたことはありますが、食べたことはなくて……」
それを聞いて、私はなんとなく察する。確かに肉じゃがは和食だし、醤油を使う料理だ。だがここの国は見るからに西洋風で、リンネのように貧しい暮らしをしていた子なら、異国の料理を食べたことはないのも不思議ではないのかもしれない。
あの家に醤油はなさそうだったし……。
そう思っていると、リンネがまた尋ねてきた。
「肉ハルフェンには特殊な調味料を使うと聞きましたが、この家にはあるのでしょうか?」
「うん、あそこの棚に入ってる」
私が指を差した方にリンネが向かう。棚を開けると、彼女は分かりやすく驚いた表情になった。おそらく、ここにある調味料の多さに驚いたのだろう。
私も初めは驚いたが、結局なんなのか分からないものが多すぎて使っていない。そもそも私は料理ができないが。
「使うのは砂糖と醤油だよ」
私がそう言うと、リンネはその大量の調味料の中から二つを見つけ出し、テーブルの上に置いた。
「食材は何を使うのでしょうか」
「キルッシュとハルフェンとオルセージュ……、あとホントは肉がいるんだけど、ここにはないんだよね」
リンネは私の言葉を聞いてから、不思議そうに尋ねてくる。
「こんなに広い森が周りにあるのに、狩りはしないんですか?」
彼女の言葉を聞いて、私は困った表情を浮かべる。
狩りね。一応分かってるんだよ、そうすればいいってことは。でも可哀想じゃん、動物さんが。
私には怖くて狩りなんてできない。自分で動物を殺すなんて。魔物ならまだしも、何の罪もない動物をこの手で殺めるのは気が引ける。
私がそんなことを考えながらしゅんとしていると、リンネが心配そうにワタワタしながら言ってきた。
「あ、大丈夫ですよ!肉がなくてもきっとなんとかなるはずです!」
リンネの励ましを受けて、なんだか申し訳ない気分になってきた。今度街に行ったら加工済みの肉を買ってこようと思う。
とりあえず今日は肉なしで作ってもらうことにした。野菜を茹でて、最後に砂糖と醤油を入れればいい、と説明すると、リンネはすぐに料理に取り掛かった。私は一応側で見守っているが、私にできることはなさそうだと思う。
手際よく野菜たちの皮を剥いて茹でていき、最後に彼女は調味料を鍋に入れる。私は完成したあと、彼女に言われて味見をした。
「おいしい!」
私はそう口にする。本当においしい。感動だ。久しぶりに味のついた料理を食べた。
味見に食べたハルフェンはホクホクしていて、ちょうどいい濃さの味付けがされている。私の作ったものと大違いであることは確かだ。
リンネは私の感想を聞いて、皿に盛り付けていく。三つの皿がテーブルに並べられ、それぞれが席に着く。
「いただきます」
いつもより一人増えた食卓で、いつもと違って湯気の出ている出来立ての料理を食べる。
フィデリスもリンネの肉なし肉ハルフェンを口にした途端、僅かに目を見開いたのが分かった。おいしかったのだろう。あの時あんな料理を食べさせてしまったことが、再び申し訳なく思えてくる。
「リンネは料理が上手なんだね」
私がそう言うと、彼女は照れたように笑う。
「ありがとうございます。プロに比べれば、全然ですけどね」
それから三人で他愛もないような話を少し交えながら、料理を食べ終わる。食事が終わると、フィデリスは私たちに外から水を持ってきてくれた。自分で行くと何度か行ったが、夜は冷えるからと言って結局いつも彼が言ってしまう。
でも、それも今日が最後かもしれない。リンネが、「あたしの仕事なので任せてください!」と言っているのを聞いた。
フィデリスはまたいつも通り夜になると帰ってしまう。いつもならこれから一人なのだが、今日からは違う。
私はリンネとフィデリスを見送り、部屋に戻る。するとなぜかリンネもついてきた。
「どうしたの?」
私が尋ねると、彼女は笑顔で言った。
「これからお風呂ですよね?お手伝いします!」
それはちょっと恥ずかしい!
私はそう思って、なんとかリンネを説得した。お風呂はやっぱり一人でのんびり入るものだと思う。
それから彼女に水を温める魔法を教えた。「こんなのに魔法を使うんですね」と彼女は言っていたが、逆にここで使わずいつ使うのか。火を起こすのは面倒くさい。
私はそう思ったが、どうやら世間では魔法は魔法でしか解決できない時に使うものらしい。火を起こせば何とかなるのに、わざわざ魔法を使うなんて魔力の無駄遣い、と考えられているそうだ。
魔力が勿体無い、なんて考えたこともなかったよ。あれ?やっぱり私の魔力って他の人よりかなり多い?
それから私はお風呂から上がり、眠りにつく。今日は疲れたので早めの就寝だ。いつもと違って、寝る直前におやすみを言う相手ができた。リンネの部屋におやすみを言いに行くと、「明日からはあたしが言いに行くので、お部屋で待っていてください!」と言われた。
そしてリンネがこの家に来て初めての朝。それは今までと全く異なるものだった。
「おはようございます、ご主人様ー!」
ドアの外から聞こえてきたその声に目が覚める。この屋敷にあった時計はみんな壊れていたので、この家に時計はないようなものなのだが、外を見るにいつもより早い時間に起こされた気がする。
「おはよう、早いねぇ」
私が目をこすりながらドアに向かうと、外に立っていたリンネはハッとした表女を浮かべる。
「も、申し訳ございません!前のご主人様はこの時間でしたので!次からは何時に起こせばよろしいでしょうか?」
リンネにそう尋ねられて、私は考える。早起きをするのは別に悪いことではない。ちょっとびっくりしたけど、この時間に起きられるのはむしろいいことなのではないだろうか。
そう考えて、私はリンネに返事をする。
「大丈夫。明日からもこの時間でいいよ」
リンネはそれを聞いて、暗くなっていた表情を一気に輝かせる。見てて楽しい子だと思う。
それから彼女に着替えさせられる。自分でもできるのだが、眠い時は着替えもやる気の出ないものなのでありがたくやってもらった。
着替えを終え、朝食を食べるために食堂に向かう。ロビーを通った時、ふといつもしていることを思い出してリンネに伝える。
「フィデリスがね、毎朝早くから屋敷の前に来てるの。だから私を起こすより先に、彼を屋敷の中に入れてあげて欲しいんだ」
フィデリスを怖がっている彼女には申し訳ないかな、とも思ったが、彼女は笑ってそれを請け負ってくれた。ついでに前までは顔を洗うための水を取りに行っていたのだが、最近は魔法で出した水に中に顔を突っ込んで洗う、と言う技を習得したので必要なくなった。絵面はシュールだが気にしない。
リンネに迎えられて入ってきたフィデリスに、私は挨拶する。
「おはよう、フィデリス」
すると彼は一瞬寂しそうな表情を浮かべてから、いつも通りに私に返してくれる。
「おはよう。……そうか、これからは、彼女が其方を起こしてくれるのだな」
「うん、そうだね」
私は彼の言葉に頷いた。彼はそのあと何かを言おうとしたが、リンネの声に遮られてしまう。
「朝食はこれから作るので、お二人は待っていてください!」
「あ、うん!それで、フィデリス、どうしたの?」
私は彼から続きを聞き出そうとしたが、彼は首を振って「なんでもない」と言った。
昨日も聞いたな、この言葉。
それから私と彼は一言も話すことなく、しばらくロビーの椅子に座っていた。しばらくして耐えきれなくなった私は、「食堂、見てくるね」と言って、その場から立ち去った。
朝食はおいしかった。だが、それ以外の仕事では、なぜ前の雇い主のあの男が彼女に怒っていたのか分かってしまうところがあった。
リンネははっきり言うと、ドジなのだ。昨日の夜は運が良かったのか、そう言う部分は見られなかったが、今日は掃除をしようとして持ってきたバケツの水に足を引っ掛けて倒したり、洗った服を外に干そうとしてそのまま服が森の奥まで飛んで行ったり、家の中で数回転んでいたり。
別に私は怒るほどではないが、怒る人は怒る、と言うことは分かってしまった。
しかしミスをするたびに、彼女は怯えた表情を見せる。そして私やフィデリスに何度も謝る。おそらく、解雇されることを恐れているのだろう。今までに何度も、このドジが理由で解雇されてきたのかもしれない。
私は今日何度めかの何もないところで転び、運んでいた洗濯物を床にぶちまけたリンネに駆け寄る。
「ご、ごめんなさい!次はちゃんとやりますから!」
頭に手を当てて小さくなって怯えている彼女を見て、私は言った。
「大丈夫だよ」
私は彼女の手を取り、優しく言う。
「大丈夫。私はあなたを見捨てたりしないし、叱ったりもしない。仕事が遅いからって怒らない。だから、慌てなくていいの。ゆっくりゆっくり、一つ一つの仕事を丁寧にやってみて。この屋敷の主である私が送りたいのはスローライフだから」
あなたも私と同じように、ゆったりと生活を送って欲しいな、と私は最後に伝える。
それを聞いてリンネは、しばらくぼーっと私を見た後笑顔を浮かべて言った。
「ありがとう、ございます……」
それから彼女のミスは減った気がする。仕事のスピードは落ちたかもしれないが、私は別に何かを急いでいるわけでもないし問題ない。それよりも、彼女がゆったり暮らしていける方が大事だな、と私は思った。
リンネとの過去編はこれで終わりです!