買い出し
次の日の朝、私はリンネが寝室のドアをノックする音で目を覚ます。
ちなみにこの寝室は一年前、この屋敷に住み始めた時自分の部屋とした、客室として使われていたと思われる部屋だ。研究部屋が三階にあるのでそこに遠いのは難点なのだが、部屋を移る気にもなれないのでそのまま使っている。
「ご主人様!朝ですよ!起きてください!」
大方、買い出しが楽しみで早起きしてしまったのだろう。いつもより元気いっぱいに起こしてくる。
いつもはもうちょっと眠そうなんだけどなぁ……。
しかし、起きなければならないのも事実なので、私は気合を入れて布団から出る。ベッドを降りてドアを開けると、リンネが嬉しそうな顔で言った。
「おはようございます、ご主人様!今日は買い出しですよ!早く着替えて、出発しましょう!」
この屋敷は森の奥で、街はそう頻繁に行ける場所ではない。まあフィデリスの力を借りれば行けなくもないのだが、彼をスーパーに行く時の自転車感覚で使うのは失礼だ。
リンネのような年頃の娘は買い物が大好きなようで、月に一度ほどの買い出しの日をとても楽しみにしている。街に暮らしている人が毎日行かなければならない夕飯の材料を買いに行くようなものとは違って、服やアクセサリーなんかも見に行けるのも理由かもしれない。
彼女とは正反対の引きこもっていたい私としては、買い出しは面倒なものなのだが。
「おはよう。元気だねぇ」
目をこすりながらそう返すと、リンネはさらに急かしてくる。
「はい!さ、パパッと着替えましょう!お手伝いしますね」
私はあくびをしながら、やる気に満ちたリンネにこの一年で鍛えられた手際の良さで着替えさせられていった。
それから朝食を終え、出かける支度を済ませたら、早速街へ出発だ。
「ごめんね、今日もよろしくね」
私は竜体になったフィデリスにそう言った。彼はそれに特に何か返すことはせず、黙って私たちが背中に乗りやすいような体勢を取ってくれた。
結局のところ、私はフィデリスに街まで送ってもらうのだ。だがさっきも言ったように、これは決して自転車感覚ではない。ちょっと離れた場所にある大型ショッピングモールに行くための送りの車のような感覚だ。彼は車で送ってくれる父なのだ。いや、フィデリスは父ではないが。
そもそも彼の同意の上に成り立っている。歩いていってもいいのだが、送ってくれると彼が言ってくれたから、私はその好意に甘えているだけだ。
私一人ならそのままピューッと飛べる魔法だってあるんだからね!
そんな言い訳を毎回心の中でしては、毎回出発前に彼に謝りながら、結局彼に頼ることはやめられないのだ。
「出発するぞ」
私とリンネとオリヴィエが背中に乗ったのを確認してから、フィデリスは地面から飛び立って街へと出発する。
「わーっ!」
はしゃいだ声を上げるのはリンネだ。もう何度めかになるのだが、今でも毎回彼女は空を飛ぶことに楽しそうなリアクションを取る。
対するオリヴィエは黙って静かに地上を見下ろしていた。
ちなみに私はというと、オリヴィエと同じようにすごいスピードで通り過ぎていく地上の景色を見下ろしながらも、手はがっしりとフィデリスの背にしがみついていた。
空を飛ぶのは慣れたんだけど、やっぱり落ちそうなのは怖いんだよね。一回落ちかけたことあるし。
あの時はすぐにフィデリスが体勢を変えてくれたおかげでことなきを得たのだが、あれ以来怖くて彼の背中に乗る時は動き回らないようにしている。
出発してから間もないうちに、街が見えてきた。白竜は飛ぶのが速いので、森の奥から街まで、歩いたら何時間もかかるところを、十五分ほどで着いてしまう。
彼はだんだんとスピードを落とし、街から少し離れた開けた場所に降りる。人気がなく、周りに見られる心配もないので、いつもここで降ろしてもらっている。
「迎えが必要になったら呼んでくれ」
「うん、ありがとう。じゃ、行ってくるね」
フィデリスと別れ、私はリンネとオリヴィエを連れて街へ入る。
「まずは……薬草かな」
そう言ってから私はまず行きつけの薬草屋に向かうことにした。だがその途中、リンネはいろんなものに引き寄せられていく。
「あ!あそこに新しいお店ができてますよ!」
「あの服、すっごくおしゃれですよ!」
「いい匂い……。あっ、あそこからです!」
私はそんな風に何にでも興味を持っては近づいていこうとするリンネを、「後でね」「終わったらね」と適当にあしらいながら、目的のお店へと引っ張っていく。
……いっそリンネはオリヴィエに任せて、別行動にしようかな。
そんなことを思いながらもリンネを付き添いに連れてくるのは、やはり彼女のような年頃の子を森の奥に閉じ込めておくのは申し訳ないと思ってしまうからなのだろう。
「リンネ。誰のおかげで今、こんな風にこの街を歩けているのか、考えてみなさい」
ふと、そんなオリヴィエの厳しい言葉が聞こえてきた。それを聞いてハッとしたリンネは、すぐ大人しくなって、黙って私の後をついてくるようになった。
ごめんね、あとでいろいろ見て回ろうね。
私は心の中でそう言いながら、薬草やへ向かった。
「やぁミズキ、いらっしゃい」
彼は薬草屋の店主、セージだ。若く、成人したてらしいが、店をうまく切り盛りしているやり手だ。
私は彼に挨拶がわりの会釈をしてから言った。
「このリストに載ってる薬草、お願いできる?」
彼にそう言って紙を渡すと、彼は頷いてからその薬草を集め始めた。
しばらくして、彼がリストの薬草をカウンターに集め終わると、値段交渉が始まった。
「全部で八百ルーべでどうでしょう?」
「は、八百……?ちょっと高くない?」
彼が提示した値段に私がそう言うと、彼はこれも仕方がないという様子で言った。
「ですが、こちらのメルーサは今希少でして、仕入れ値が上がっているのですよ」
私は「そんな話聞いてないけど」と言おうと口を開いたが、彼はさらに続ける。
「さらにはこちらのポイミアも、最近群生地が魔物の被害に合いまして、在庫が少なくなっているんですよ……」
私は彼の話を聞きながら、ホントかな?と思い、試しに他の店も見てみようかと思った。しかし彼はそれを察知したのか、「でーすーがー!」と言った。
「ミズキはお得意様なので、特別に!六百ルーべにして差し上げましょう!どうですか?」
ちなみに彼が元々提示していた八百ルーベは、円に換算すると約八千円、今提示された六百ルーべは六千円だ。二千円お得になる、と聞くと、それでもいいかと思ってしまった。普段は五百ルーベくらいで買えるのだが。
「分かった。それでいいよ」
これがセージがうまく店をやっていける理由なのかもしれないし、私が単にこういうのが向いていないだけなのかもしれない。
私がセージにお金を渡すと、薬草はオリヴィエが受け取った。これくらいなら軽いし、問題なく持てるのだが、こういうのは従者の仕事らしい。
さて次はノーラおばあちゃんに頼まれていた食材を探しに行く。塩はどこに売っているか分かるのだが、新しいレシピに必要だと言うものの中には見たことのない食材も書かれていた。これらは店を回って探す必要がある。
「とりあえず、塩を買いに行こう」
私たちはセージの薬草屋を離れ、道を進んでいく。街の店が立ち並ぶエリアではかなり端の方に、その店はあった。
「いらっしゃいませ」
そう言って私たちを出迎えたのは、この店の店主、レイラだ。彼女の店では和食の材料に使う、醤油や味噌などを売っている。こういったものを扱っているのは、この店が街唯一で、屋敷の前の主ミネルヴァさんも、彼女の店で醤油などを購入していたらしい。
この世界でも和食が食べられるのはこの店あってこそだ。これらの調味料は極東の国から仕入れているらしい。
それって日本のことだよね?いや、日本とは違うだろうけど、つまりは日本風の……。
そして、他の店にも一応売っている塩をここの店で買う理由としては、ここで扱っている塩が単においしいからである。
この店は他にも和風なものがいろいろ売っているので、少し店内を見て回ってから塩を買って帰る。リンネにも、「好きに店内を見て回っていいよ」と言ってあげたので、しばらくの間彼女は楽しそうに店内を見ていた。
またしばらくしてから、レイラさんの店を出て、いよいよ知らない食材を探すことにした。
「う〜ん、ベージアってなんだろう?」
私はノーラがメモに書いた名前を見ながら呟く。
「野菜ですね。八百屋に売っていると思いますよ」
私の呟きにオリヴィエが返した。どうやら彼は食材に詳しいとみて、私は彼に他にも質問してみる。
「ブレーリアは?」
「魚です」
分からないのはその二つで、あとはレーニュ汁というレモン汁のようなものとペッパーだった。この二つは前には家にあったはずだから、単純に切れてしまったものだろう。
「じゃあ八百屋と魚屋、それから調味料を買いに行けばいいんだね」
買うものの正体が分かっても、それを一気にスーパーで探す、ということはできない。一個一個違うお店を回る必要があるのだ。
じゃあ行こうか、と思ったところで、誰かのお腹が鳴る音が聞こえた。振り返ると、顔を赤くして俯くリンネがいた。
「お昼だし、どっかで食べようか」
私がそう言うと、「すみません……」と言いながらリンネは頷いた。
適当な店に入って食事をするか、屋台で買って食べるかで意見を取ったところ、オリヴィエが買い食いを拒否したので店に入ることにした。
レストラン街と呼ぶべきか、食事処が多く並ぶエリアで気になる店を探す。実際のところ、私とリンネはこれといった希望はなく、主にオリヴィエの気にいる店探しだった。
「この店は良さそうですね。外観もきれいですし、メニューも美味しそうです」
彼がそう言った店は、確かに綺麗な、というよりは少しお高い料理の多そうな店だった。ちなみにこの世界の料理は主に洋食なので、この街に出てる店も全て洋食だ。
ちょっと高そうだけど……、お金はあるし平気だよね?
「じゃあここにする?」
私が二人に尋ねると、彼らは頷いた。
そんな彼らを伴って、店の中に入る。
「いらっしゃいませ、ご案内いたします」
身綺麗な女性が私たちを出迎え、そう言った。オリヴィエは店をぐるっと見回し、その内装も綺麗だったことに頷いていたが、突然キッと目を鋭くした。
「……やはりここはやめた方がいいかもしれません」
私はそう言った彼を疑問に思いながら、彼と同じように店内を見回した。そこで私は、確かに失敗した、と思った。
「お客様……?」
戸惑っている従業員の女性には申し訳ないが、どうやらこの店は出ていった方が良さそうだ。面倒ごとが起こる前に。
私はさりげなく後ろのリンネの視界を遮りながら、なんと言って店を出るか考える。しかしタイミングの悪いことに、私たちがちょうど警戒していた人物が、支払いをするために立ち上がった。
「すみません!」と言って慌ててリンネの手を引いて店を出ようとしたが、遅かった。
「おや……?」
その声に、リンネは固まる。
私はまずい、と思いながら、動けないリンネを庇うようにその声の主との間に立つ。
「申し訳ありません。私の選んだ店が……」
そう言ったオリヴィエに、「気にしないで」と私は告げる。
「それより、従業員のお姉さんに、申し訳ありませんって代わりに伝えて欲しい。私はリンネを連れて店を出るから」
小声でオリヴィエに指示を出し、私はリンネの手を少し力を込めて店の出口の方へ引く。
「そんな風に主人に庇ってもらうなんて、ちっとも変わらないな」
私を挟んでリンネに話しかける男は、そう言った。
「相変わらずの、出来損ないだ」
「黙って!」
私はその言葉にカチンときて、思わずそう怒鳴った。綺麗な店内にそぐわない私の声が響く。
対して冷静なオリヴィエは、従業員に事の経緯を簡単に説明して謝ると、私とリンネの方に戻ってきた。私が感情的になっていることに多少の焦りを感じながらも、なんとかその場を穏便に済ませるため、私と男の間に割って入った。
「ほぅ……、エルフ。お前もこの娘に仕えているのか?」
「ええ、そうですね。では、私たちはこれで失礼します」
彼はそう言ったのにも関わらず、男は続けた。
「エルフが人間に仕えるなんてな」
この男はどれだけ他人の逆鱗に触れれば気が済むのだろうか。今度はオリヴィエの様子が気になって、私の方が冷静になる番だった。
これ以上ここにいるのは危険だ。私が暴走するんでもオリヴィエが暴走するんでも、どちらにせよなんの関係もないこの店が被害に遭うことになる。
男の話にこれ以上耳を傾けることをやめ、私は二人を半ば無理矢理引っ張って店の外に出た。それから、できる限りこの店と距離を取るように、街の中を駆けていった。
そうして二人を引っ張りながら走っている間、私はあの男に会ったことで再び掘り返された、リンネと会った日のことを思い出した。
今度はリンネとの出会いの過去編です。明後日投稿予定です。