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不屈の怒り、天啓、そして遙か彼方に昇る太陽  作者: えねこ
山本孝三が生まれるまでのこと
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陰腹事件と愚帝の引退

 明治28年5月7日、赤間関条約の締結によって終結した日清戦争に間髪入れず、日本時間6月6日にロシアドイツフランス三ヶ国が茶々を入れ始めた。俗に言う「三国干渉」である。美文で飾られていたものの、本音は言うまでもない、「アジア人はすっこんでろ」というものである。果たして、清国に返却せよという名目で返還要求を申し入れてきた遼東半島も、魯国ロシアの領土的野心であることは一目瞭然であった。

 無論、大日本帝国はそれを突っぱねた。イギリスの援護射撃を期待してのものであったが、ではなぜ突っぱねることができたかと言えば、陸奥宗光の療養が予想よりも寛解し得たため、イギリスロシアの当時行われていたグレート・ゲーム、つまりは列強同士の綱引きを彼は巧みに渡り歩いた。イギリスが大日本帝国に援助は不可能である旨を伝えた後も、大日本帝国は要求を突っぱねることに成功したのだが、その成功の秘訣こそが、愚帝として有名なビルヘルム二世の失脚である。

 ビルヘルム二世が失脚したという言い方は正確ではないが、失脚同然の状態で幽閉され世を去ったことは結果的にドイツ第二帝国の延命につながるのだが、なぜビルヘルム二世を失脚させることに成功したのか。 

 「ビスマルク最期の賭け」と称される「陰腹事件」、まあ尤も本当に陰腹を切ったわけではないのだが、ビスマルクが己の政治生命を引き換えに皇帝の座を動かしたその事件は、さすがは鉄血宰相の晩節よ、と謳われることとなる……。

 そして、陰腹事件の結果三国干渉は破綻したものの、大日本帝国は次の脅威が如何なる者かを判断、臥薪嘗胆を合い言葉に日清戦争で得た賠償金を全て突っ込み、富国強兵政策をますます進むこととなる……。

 日露戦争まで、残りおおよそ9年余。

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