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不屈の怒り、天啓、そして遙か彼方に昇る太陽  作者: えねこ
山本孝三が生まれるまでのこと
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明治27年の首都陥落

 かつて眠れる獅子と囁かれ、今はその獅子は張り子にすぎなかったと判明した結果蚕食され続けた国家があった。国号を清と名乗ったその国家は、今や極東の小国と侮っていたはずの君子国に首都を陥落されるに至った。

 一方で、国家挙げての初めての対外戦争で首都を占拠することに成功した君子国、大日本帝国はよもや首都まで陥落させたことに当初、大本営自身が信じなかったとも言われているが、結果としてその事実確認に時間をとられた結果、前線はさらに前進、結果として明治28年に年が変わる頃には直隷はもちろんのこと上海すらも指呼の距離に収めるに至った。

 そして、宮様将校を大総督として任じ、李鴻章が下関に到着する頃には、何もかもが手遅れになっていた……。


 赤間関、通称馬関で結ばれた条約は、読者世界より多少酷なものであった。何せ、清は首都を落とされたわけで、さらに言えば租界が多数存在する上海すらも勢力圏に含まれたこともあって、即座に国家倒壊にまで至らなかったことが奇跡とすら囁かれているほどであった。


 その条約内容は以下の通りである。

 一、清国を始め列強は朝鮮半島を大日本帝国の勢力圏として認めること

 二、清国は大日本帝国に遼東半島並びに台湾全島および付随する島嶼、そして澎湖諸島を割譲させること

 三、清国は清国通貨である庫平銀10億(テール)を大日本帝国へ5ヶ年賦を以て支払うこと

 四、清国は大日本帝国へ最恵国待遇を行い、欧州列強と同様の待遇を約束すること

 五、従来の各開市港場のほか、北京、沙市、湘潭、重慶、梧州、蘇州、杭州の各市港を日本臣民の住居営業のために開くこと

 六、旅客および貨物運送のため日本国汽船の航路を拡張すべきこと

 七、日本国民が輸入のさい、原価2%の抵代税を納入した上は、清国内地の一切の税金・賦課金・取立金を免除すること

 八、日本国民が清国内で購買した貨物で輸出であることが言明された場合は、抵代金・一切の税金・賦課金・取立金を免除すること

 九、日本国民は清国内地において購買し、またはその輸入にかかる貨物を倉入するため何らの税金や取立金を納めずして倉庫を貸与する権利を有すること

 十、日本国臣民は清国の課税および手数料を庫平銀を以て納めること。ただし日本国本位銀貨を以てこれを代納することも可とする

 十一、日本国臣民は清国において、各種の製造業に従事し、また各種の器械類を輸入することができる

 十二、清国は黄浦江河口にある呉淞浅瀬を取り除くことに着手する

 十三、以上の条約を、清国は清国が倒壊した後も、後裔政府が誕生した場合履行することを約束すること


 ……そして、李鴻章が苦し紛れに放った要求に対する反論については、次のように言い放った日本代表の発言が「清国降伏碑」にわざわざ彫った後に漆墨を入れ、記録されている。


「聖徳太子の昔より、支那朝鮮に対して友好援助の条約を結んだ愚か者は本朝には存在しない。

 また、支那朝鮮は常々本朝を下に見ていたこと幾星霜であり、本条約を以てその意趣返しをするものなり。

 そして、蒙古襲来の折に支那朝鮮が本朝を侵略した行為を我らが忘れると思うてか。

 天に二つの日は照らず、此よりアジアの舵取りは大日本帝国が受け持つ者なり。」


 ……李鴻章が帰国後程なくして死したのは、支那名物の憤死ではないかと噂されている。

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