どうか、
「とはいえ魔王には今は動かないよう伝えてちょうだい」
「無理です」
「無理でもやって」
今こんなところで魔王が動いたら、それこそ世界が大混乱になってしまう。
もちろん魔王も力を制御して人類殲滅なんてことは流石にしないだろうが……。
しかしどんな状態であれ、トップが動けば国が動く。
それすなわち。
「戦争なんてもうしないために、私が勇者に嫁いだのよ? それを親自ら無碍にするつもり? って伝えて。ついでに手紙も渡しといて」
「…………魔王様の怒りで天気が荒れそうですね」
ルークはため息と共にヘスティアからの手紙を部下へと預ける。
部下は手紙を受け取りすぐに姿を消した。
どうやら長距離を一瞬で移動できる能力を持っているらしい。
情報伝達には便利だなと今はもう誰もいない場所を見つめた。
「それより今回の件、本来魔王軍はどうするつもりだったのかしら?」
「…………魔王様からはヘスティア様をお守りするようにとのご命令を受けております」
嘘をつけ、とヘスティアは鼻を鳴らした。
気を探らなくてもわかる。
この辺り一体に多くの兵士が来ていることを。
一般の魔物と兵士たちではそもそも魔力の質が違う。
それがわからないヘスティアでないことは、ルークも理解しているはずなのに。
「それは私だけ? 勇者は?」
「――………………勇者の身柄も保護するようにとのご命令です」
ずいぶん言い淀んだ気がする。
昔からヘスティアのためや魔王のために嘘をつくときはよく言葉を選んでいたが、他人が関わることでは基本ズバッと物申す男だ。
なので今回もそうだろうと思っていたのに。
まあ仕方ないかと納得もする。
彼の過去は人間たちによって全てを壊された。
勇者だって人間なのだから、いろいろ思うところはあるだろう。
「まあ、魔王がそういうつもりならいいわ。あいつだけ放置なんてするようなら一年は口きかないつもりだったから」
「魔界が一生雷雨になるのでやめてください」
はいはいと頷きつつも、もう一度気配を探る。
村の周りを囲むように完璧に配置された軍人たちに、ヘスティアは大きくため息をついた。
「戦争するんじゃないのよ?」
「わかっています。ゆえに守り特化の配置にしております」
「守りねぇ……」
これだけの魔物が村の周りを囲んでいることを人間が知ったらどうなることか、容易に想像がつく。
きっと向こうでは騒ぎになるだろうし、下手をしたら魔物がやってくるより先にやってやろう、なんて煽る形になってしまうかもしれない。
これはいろいろな意味でもやはり早めにことを納めるしかないようだ。
「……向こうがうまくやってくれるといいけれど」
今ごろ隠れて動いているであろうアルフォンスを思う。
うまく男の子を見つけ出せていればいいのだが、そうでなかった時が問題だ。
最悪な展開になりうるのが二つ。
一つはアルフォンスが男の子を探していることを人間が知ってしまうこと。
王族にすらあの態度なら、アルフォンスにも牙を向く可能性がある。
彼が傷つけられた場合、魔王のみならずヘスティアすらどうするかわかったものではない。
気づいたら人間界を全て破壊、なんてとんでも親子になってしまう可能性がある。
「…………それだけはやってはダメね」
「ヘスティア様?」
「なんでもないわ」
二つ目はそもそも男の子が生きていなかった場合。
これは一個目にも通ずるところがあり、魔物の男の子を取り返そうとしているのを知って、人間たちが暴挙に出た場合……。
大丈夫だと思いたいが、もし仮にそうなった場合、さすがのヘスティアでも止められないかもしれない。
無実の子供が殺されたなんて、そんなことあってはならないのだから。
「…………もしよ。もし仮に子供の命がなかったら……軍はどうするの?」
「………………わかりません。少なくともこの村の人間たちは動くでしょうが、魔王様からの命令があれば我々は彼らを止めるでしょう。……しかし」
心の底から止めることはできないだろう。
軍人だって心があり、彼らの気持ちは痛いほどわかるだろうから。
それでも魔王からの命令があれば、己の意思を殺してでも指示に従うしかない。
たとえそれが不本意であろうとも。
「……魔王は命令を出すと思う?」
「………………わかりません。この和平には、魔王様も並々ならぬ思いをお寄せになっておられます」
「じゃなきゃ私を結婚なんてさせないでしょ」
もちろん魔王もヘスティアの意見を重要視してくれている。
勇者のことをどう思うか根掘り葉掘り聞かれたから、そこはよくわかっていた。
まあまさかそのまま結婚に持っていかれるなんて思ってもいなかったが。
「…………懐かしい」
アルフォンスとフィーが同一人物であることは、彼が魔王城に攻め込んできた時に知った。
最初は驚いたし焦りもしたが、結局は魔王VS勇者の命をかけた戦いに巻き込まれて悲壮感に浸る余裕なんてなかったのだが。
まさか初恋の人と父親が宿敵だなんて物語のようなことが、実際にこの身に起こるなんて思いもしないじゃないか。
「そう思うと私の人生って…………」
「……? どうかしましたか?」
「うまくいくといいなって」
まあ今あれこれ考えても仕方がない。
ここはアルフォンスに任せるしかないのだ。
彼が無事男の子を見つけられることを、願うばかりである。
「任せたわよ」
真っ暗な窓の外を見ながらつぶやいた言葉は、決して当人に届くことはない。
 




