願う
「大丈夫……大丈夫…………っ」
そうぶつぶつ言いながら歩みを進めるヘスティアは、皆の知る姿ではない。
髪は赤く瞳は桃色で、普段とは逆の色になっている。
さらには髪もただ下ろしただけであり、服も村にあったものを拝借した。
ぱっと見はただの村に住む人間に見えるだろう。
「…………あいつ、どんな反応するかしら?」
そう。
ヘスティアは今、アルフォンスの想い人であるティーとして人間の村にきていた。
この姿なら人間たちから怪しまれず、さらにはアルフォンスことフィンとも面識があるため話がスムーズにいくことだろう。
……だがしかし。
しかしだ!
「…………監禁………………」
そう。
アルフォンスはヘスティアと結婚する時に言ったのだ。
ティーという女性を愛していると。
そしてその人が今度自分の前に現れたのなら、二度と逃がさないように監禁すると。
だからこそヘスティアは自分がティーであることを死ぬ気で隠していたのだが、この作戦がうまくいくかどうかで今後の己の自由度が変わってきてしまう。
絶対にヘスティアがティーであるとはバレずに、彼にことの顛末を伝えなくては。
うるさいくらい高鳴る心臓を押さえつつも向かったヘスティアは、村を守る巨大な扉の前に立つ一人の人間を見つけた。
「――あなた、なんで……」
「…………ああ、魔族の姫か。見た目が違うから一瞬わからなかった」
そこにいたのはアリアの騎士の一人。
村にきた日の夜、ヘスティアが一人でいた時に声をかけてきた男だ。
彼はヘスティアの姿を見ると大きく目を見開き、しかしすぐに元に戻した。
「それ変化的なやつですか? ……なるほど、魔物は便利だな」
「ちょ、どうしてわかるのよ!? 私の変身は完璧なはず……」
「俺、人よりも鼻がいいんです。鼻だけなら魔物に近いんじゃないですかね? 嗅いだことのない香水つけてらっしゃるんで」
「…………そうなの? これ魔界のものだから」
「香りはいちごに近いですけど、こっちのほうが好きな匂いです。甘ったるすぎなくて」
「そ、そう……」
おかしい。
褒められているはずなのに少しも嬉しくなかった。
なぜだろうと思いつつも、すぐに思考を元に戻す。
そんなことの前に聞かなければならないことがあるからだ。
「あなたどうしてここにいるの?」
「あの女――失礼、王女殿下から見張るよう言われまして。名目は魔物たちへの監視ですが、あなたが帰ってくるのをいち早く知りたいみたいです」
「私? なんで?」
「なんか怒ってましたよ? 上から目線だの馬鹿にされただの。よくわかんないですけど」
「…………はぁ」
どうやらあの助言は無駄に終わったらしい。
上から目線もなにも、ヘスティアとアリアは国は違えど立場は同じなのだが。
まあそう思うのならそれでいいかと、諦めることにした。
「なるほどね。それで? あなたあの王女様に言うつもり?」
「いいえ? あなたが変装してくれててよかった。面倒ごとはこりごりなんです」
「…………ふーん。まあ、それならいいわ。私もこれ以上面倒ごとは嫌だもの」
本当におかしな騎士だとは思いつつも、下手にアリアにバレないのならそれに越したことはない。
これ以上彼女にかき乱されてはたまらない、と思ったその時だ。
どこかから視線を感じ、ヘスティアは勢いよくそちらを振り向いた。
「――…………」
「どうしました?」
「………………今、視線を感じた気がしたのだけれど」
「…………なにも匂いませんけど?」
「あなたのいる場所は風上よ。匂いで判断しようとするのなら風の向きくらい気にしなさい」
すんすんと鼻を鳴らしている騎士に助言すれば、彼は驚いたように息を呑んだ。
「…………確かに。あなたの言う通りだ」
なんだか一人納得して頷いている騎士を無視し、ヘスティアは視線を感じた方へ向かう。
森の中、大きな木の影を見た時、そこに足跡があるのを確認する。
「…………誰かいたわね」
「…………だめだ。匂いが残ってない」
「風が強めだからしょうがないわ」
足跡的に女性のものであることは間違いない。
まさかアリア……?
なんて一瞬思ったがすぐに首を振って否定した。
あのお姫様があれだけ危険な目にあったのに、こんなところを動き回るはずがない。
今頃部屋で震えていることだろう。
なら村人……?
「それもそれで面倒ね」
「どうしました?」
「…………ねぇ、勇者をここに呼んでくれない? 彼に用があってきたの。……というかあなた名前なんていうの?」
「あれ? 名乗ってなかったですっけ? ウィルです」
「ウィルね」
極力関わり合いたくないと思っていたのだが、なんだかんだと縁があるようだ。
ウィルとは親しくしておいても損はないだろう。
「悪いけど、村人にバレないように勇者をここに連れてきて。……なるべく早くね」
「そうですね。ここで見てたやつがどういう行動とるかわかりませんけど、先手はとったほうがよさそうだ」
踵を返したウィルの背中を一瞬だけ見て、しかしすぐに視線を靴跡に戻した。
足跡の後ろの部分。
改めて見れば踵の足跡が小さい。
女性の、さらにヒールであることがわかる。
この村にもヒールを履く人はいるだろうが、規模的には動きやすい靴を使用するものだ。
特にこんな森の中を歩くとなると……。
「…………めんどくさいことになりそうね」
この予感が外れてくれればいいと、そう願った。
 




