さよならばいばい
「なんだぁ……?」
「聞こえなかったの? 止まれ、と命令したのよ」
バサリ、と音を立てて翼をはためかせれば、その異様な様子に人間たちは息を呑みながら数歩後ろへと下がる。
まるで円でも作っているかのようにヘスティアと魔族の男を取り囲んでいた。
「お前たちがなにをしにここにきたのかは知らないけれど、それ以上動けばこのヘスティアが相手になるわ」
「――…………ヘスティア?」
流石に聞き覚えはあるらしい。
これならうまいこと話が進むかもしれないとほっと息を吐き出したその時だ。
魔族の男がいきなりヘスティアの肩を掴かむ。
「姫様じゃねーか! ひっさしぶりだなぁ! 俺! 俺のこと覚えてるか!?」
「は? いや、」
「おい! ラスティ! 姫様に失礼なことするんじゃねぇよ!」
「姫様!? おいみんな! ヘスティア様がいらっしゃるぞ!」
わいわいざわざわ。
先ほどまでの冷たい空気はどこへやら。
魔物たちはこぞってヘスティアのもとへ笑顔でやってくると、一斉に話しかけてきた。
「ヘスティア様! 覚えておられますか? エムール村で起きた洪水。俺はあの村のものなんです」
「覚えてるわ。魔王と一緒に軍を引き連れて助けに行ったわね。元気そうでなによりだわ」
「俺の子は王女様が名付けてくださったんですよ! アーラシュというんです!」
「ああ、あの子。元気にしてる?」
「もちろんです!」
姫様、王女様、ヘスティア様。
いろいろな呼び方で話しかけられて、ヘスティアはあっちこっちへと視線を向ける。
「みんなひとまず落ち着いて。こんなところで呑気に話すことじゃないわ」
ついさっきまでいつ戦いが起こってもおかしくない雰囲気だったのに、急に呑気な感じを出されても困る。
実際周りを囲っている人間たちは、みなどんな反応をしていいのかわからないという顔をしていた。
「…………」
ヘスティアはちらりとアルフォンスのほうを見る。
不安そうな顔をしているアルフォンスを見つめつつ、ヘスティアはそっと彼にしかわからないように頷いた。
正直これはチャンスだ。
魔物側がこれほど友好的なら、簡単に話を聞けるはず。
明らかになにかを隠している人間たちとは違う視点を聞けるのはありがたい。
なのでこれからヘスティアはこの魔物たちと行くつもりだ。
それがわかっているからか、アルフォンスはヘスティアと目が合う度に首を横に振った。
きっと行くなと言っているのだろう。
どんな危険があるかわからないから。
だが大丈夫だ。
彼ら魔物がヘスティアに攻撃してくることはないし、もし仮にそうなったとしても自衛できる。
だからそんな心配しなくてもいいのに……。
まあ同じ立場ならヘスティアも心配するかと、アルフォンスに軽く微笑んで見せた。
「……あなたたち、一旦下がるわよ。詳しい話を聞かせなさい」
「…………まあ、ヘスティア様の命令なら」
「わかりました……」
本当なら魔族が人間に攻撃することは禁止されている。
つまり彼らのやっていることは、ある意味で魔王への裏切り行為なのだ。
それがわかっているからか、彼らは大人しく聞いてくれた。
ヘスティアの命令で下がり出す魔物たち。
彼らを見つつも、ヘスティアはちらりと座り込むアリアへと視線を向けた。
「………………」
乱れた髪、土に汚れた頰、青ざめた顔。
昨日まで村人にちやほやされて、あんなに楽しそうにしていたのに。
一瞬で転落してしまったことに理解できていないのだろう。
呆然としている様子にため息をついた。
彼女は今の自分の立場をわかっているのだろうか?
これほど王室の威厳が落ちているのなら、アリアがここにいること自体かなり危ないのに。
いくら優秀な騎士がいようとも、いつ何時命を狙われるかわかったものではない。
「……ま、関係ないわね」
自分には関係ない。
あとはアリアがどうにかするしかない。
信頼を取り戻すのはとても大変だが、それこそが王族の義務である。
民のために尽力すること。
それが王族としての義務であると、魔王は言っていた。
その教えを胸にやってきたヘスティアとしてみれば、アリアの今は自業自得なのだ。
そう、自業自得。
自分の立場にあぐらをかいて甘えていた己の責任。
――けれど。
人は間違うものだ。
ヘスティアだって間違えてばかりの人生である。
もちろん間違いではすまないこともあるだろうけれど、アリアの場合はまだ間に合う。
「…………、」
魔物たちを追おうとしたヘスティアだったが、最後に一言だけアリアに忠告することにした。
それはただの出来心で、別にアリアのためというわけではない。
どちらかといえばこの国の人のため、ひいてはアルフォンスのためである。
王族がしっかりしてくれないと、この国はいつか滅びてしまうだろう。
「……しっかりしなさい。あなたがちゃんとしないで、誰がこの国を守るのよ。……下ばかり見てないで前をむきなさい。ここが踏ん張り時なんじゃないの?」
「…………」
ヘスティアはそれだけいうと魔物たちと共に足を進めた。
あとは己のできることをするだけだ。
少しだけアルフォンスと離れることに寂しさを覚えつつも、己のやるべきことをしなくては。
力強く拳を握りつつも、ヘスティアはもう一度だけ後ろを振り返った。
振り向いたらまた、アルフォンスがやめろと止めてくるのに。
けれど振り返ってしまう。
もう一度彼の顔を見たくて。
しかし。
――大きな扉は、閉じていた。
「偉そうに……。私は被害者なのに……あんなこと言うなんて。…………ヘスティアさん、なんてひどい人なの……っ!」




